(9)
特別任務のために戻っていた王都からイーライを駆って辺境騎士団詰所に向かう途上、上空から見下ろしたラシェナ市街地で信じられないものを見た。
自分の視力がいいことをこの時ほど呪ったことはない。
いや、結果的には良かったのか?
一旦騎士団詰所に戻り、急いで厩舎にイーライを預けて、旅装のまますぐに街へと取って返した。
先ほど上空から見かけた姿を探し、一人でいたその男をひっつかんで路地裏に引き込んだ。
胸倉を掴んで壁にどんと押し付けたら、少し呻き声をあげた。
これでも怒りを最大限に抑えて手加減していた方だ。騎士の力の前じゃ、一般人の身体は脆弱すぎるから。
「……どういうことか、説明してもらおうか」
「いてて……え、と、ジェレミーさん、でしたっけ??
一体、どうし……」
「さっき一緒にいた女性」
「え?」
「ずいぶん仲がよさそうだったな」
「あー……」
「ご説明願おうか、ウォーレン・リッティ殿」
俺が上空から見たのは、スフィアーネの恋人のはずのこの男が、別の女性と親密そうに腕を組んで歩いている姿だった。
脳裏にその光景がよみがえり、怒りで思わず胸倉を掴んでいた手に力が入った。
「ちょ、苦し、首締まって……一旦放してくださ……」
「君は、スフィアーネの恋人なのだろう? 彼女を、裏切っているのか!?」
「待って待ってジェレミーさん、目が怖い!
とにかく一回手を放して……っ」
「ことと次第によっては……!」
「わかった、わかりましたからっ、全部、お話ししますからっ!
俺と彼女はっ……スフィアーネちゃんとは恋人契約を結んでるだけなんですっっ!」
「…………は?」
耳慣れない言葉に、締め上げる手を緩めた。
げほごほと涙目で咳き込むウォーレンが落ち着くのを待って、問い詰める。
「恋人、契約? ってなんだそれ!?」
「順を追って説明しますから、ひとまず落ち着いて」
「俺は落ち着いてる」
「いやいや、まだ殺しそうな目になってるじゃないですかぁ!」
「なってない。
それで? いいから早く説明しろ」
「ええと、スフィアーネちゃんと出会ったのは……」
「“ミアネス嬢”」
「へ……?」
「恋人関係が本物じゃないのなら、その呼び方は認めん」
「え…………アナタ、彼女の父親か何かで……」
「いいから続けろ。」
「こっわ……はぁ、わかりましたって。
私が“ミアネス嬢”と出会ったのは、彼女がまだ辺境騎士団勤めを始めたばかりの頃です。
私も今の商家で働き始め、仕事も慣れて騎士団詰所の担当を任されるようになったところでした。
仕事上関わることも多くて、同い年ということもあり、最初は警戒されましたが徐々に話をしてくれるようになりまして。
あの容姿に加えて気立てもよくて仕事もできる彼女は、その頃、若い騎士団員からひっきりなしに声を掛けられていて困っている様子でした。
だから言ったんです。
自分と契約上の恋人関係を結びませんか、って」
『契約……?恋人の?』
『そうです。
恋人がいるなら、あんまりしつこく誘われることも無くなるんではないかと』
『…………それで?
貴方になにかメリットはあるんですか?』
胡散臭いとありありと書いた顔で、スフィアーネが問いかけた。
なかなか鋭いですね、とにやりと笑うウォーレンに彼女の表情がさらに険しくなる。
今にもその場を立ち去りそうな彼女を、ウォーレンが慌てて引き留め説明した。
『実はですね。
今いる商家の旦那様には、とびきり美人のお嬢さんがいまして、旦那様はそれはもう大切に思っていらっしゃるんです。
なんでも、以前勤めていた奉公人がお嬢さんを誑かそうとしたことがあるとかで』
『はぁ……』
『で、店で若い男が長く勤めるなら、恋人か婚約者がいる、または妻帯者が望ましい、みたいな暗黙のルールがあるようでして』
『……なに、それ。その職場、なんかおかしくないです?』
『おかしいですよね、まったくです。
旦那様は大変優秀な商売人なのは確かですし、普段は常識人そのものなんです。
けど、お嬢さんの事になると過保護になるみたいで。
ちょっとでもお嬢さんに近づこうとする気配を旦那様が察知すると、その店員はクビ、もしくは小さな支店に飛ばされちゃうわけです』
『……その店、辞めた方が良くなくて?』
『まぁ、おっしゃりたいことはわかります。
ただ、うちの店、ラシェナでは結構大きな商会で、業績も順調に伸びてますし、仕事内容も給料もいい。
私としてはできるだけ穏便に、長く働いていたいんです。
せめて自分の店を開く資金が溜まるまでくらいは。
だから、それまでの間、恋人役を引き受けてくれませんかね?
そうしたら、私は旦那様から睨まれることなく、純粋に仕事に打ち込めますし、ミアネス嬢も若い騎士さんたちをかわす口実ができるでしょ?』
『うーん』
『それに、仮の恋人をやってたら、いつの間にかホントになってた、なんてこともあるかという下心もちょっとはあります』
提案の最後にそんなことをあっけらかんと白状したウォーレンに、一瞬ぱちぱちと瞬きした後、スフィアーネはぷはっと噴き出した。
『下心って、そんなはっきりと口にするもの?』
『あ、じゃあ上心ですかね』
悪びれる様子も見せずにはははと笑う男に根負けして、スフィアーネは一時の恋人契約に乗ることにしたのだという。
お互いに本当に恋した人が現れたら契約は解消する、という約束で──────
「先日、ジェレミーさんにお会いした日の夜は、契約終了を申し入れるために会う約束をしていたんです。
本当に好きな人と、想いが通じたので」
「……それがさっきの女性か?」
「例の、商会長のお嬢さんですよ」
「……………………はぁ!? だって……」
「恋人がいる、って明言はしてたんですが、実際は契約上の恋人ですからね。
特に逢引の約束をしてる様子があるわけでもなく仕事一辺倒な僕を見て、恋人に放っておかれてる可哀そうな男だと思われたようです。
で、私ならあなたにそんな寂しい思いはさせないわ!って、言われちゃいまして」
「なんだそれ……」
「旦那様の逆鱗に触れて左遷や解雇されるのは困りますし、最初はお断りしてたんです。
でもまあ一途に思われるのは悪い気はしませんし、何度か誘われて食事にお付き合いしたりしてるうち、旦那様にバレてしまいまして。
そしたらお嬢さんがどうしても僕と一緒になりたいと、逆に旦那様を説得してくれちゃいましてね。
今度、南方に新店舗を出すので、お嬢様と二人でそこの立ち上げに当たることになりました。
それで先日、北方を発つ前にスフィアーネさんにお話をつけに会いに来た、というわけです」
(なんか、その女やばくないか?)
そんな感想が喉元まで出かかったが、ぐっと飲み込んだ。
恋人がいると明言する相手に入れあげて、一緒になりたいって親の説得までするとか。
自分に置き換えたら、将来面倒ごとを引き起こしてくれそうな相手はお断りだと思う。
だが、自分とこの男とは助言をしてやるような間柄でもないかと思い直した。
「このままいけば大店の婿養子、ってわけか」
「まぁ、僕としてはこのまま収まるとこに収まってお嬢さんと一緒に商会を継げるなら願ってもない玉の輿ですし。
お嬢様との仲が破局したとしても新店舗で実績を上げてれば無下にクビになることもないでしょうし。
最悪クビになったとしても、それまでに金も経験も人脈もがっちり貯め込んで自分の店を出す足掛かりにするつもりですから」
目の前の男の口ぶりからしてただ絆されて流されてるってわけでもなさそうだ。
(食えない性格のやつっぽいし、この男ならまぁ大丈夫、かな?)
「それにしても、意外でした」
襟元の乱れを直しながら、ウォーレンは意味ありげな笑みを向けてきた。
「なにがだ?」
「ミアネス嬢のために、こんなに怒りを露わにされるなんて、思いませんでしたので」
「……どういう意味だ?」
「貴方、学院時代にミアネス嬢とお付き合いされていた、って話でしたよね?
もうてっきり今頃は、別れた原因となったっていうなんちゃら侯爵家の婿にでも収まってるんだと思ってましたから」
「は…………?
何言って……だいたいなんで侯爵家となんかあったとか、お前が知ってるんだ?」
「知り合いで、あなた方と同時期に学院にいた友人がいるんです。
彼から聞いてたんですよ。
ミアネス嬢は学院時代、騎士科の先輩と付き合っていたけど、その先輩は卒業後にどこかの侯爵家の令嬢に気に入られて、ミアネス嬢とは別れることになったって」
「なっ!?」
「当時の学院ではみんなそう思っていたそうですよ。
彼女はそのすぐあと、学院を早期卒業して実家がある北部に戻ったって。
たぶん先輩に捨てられたのがショックだったに違いないって」
嫌味というか、はっきりと責める声音でウォーレンが言った話は、俺の中の事実とは順番がまるで逆だった。
別れたから彼女が実家に戻ったのではなく、実家を継ぐという彼女の告白を聞いて二人は別れたのだから。
だがもっと重要なのは他の点だった。
「学院で、俺と侯爵家の令嬢とのことが、噂になってた……?」
「友人は、そう言ってましたね」
「じゃあ、スフィアーネも、俺が侯爵令嬢とどうにかなったと、思ってたってことか?」
「ミアネス嬢には直接聞いてはいませんけど、ね」
当時、侯爵令嬢と懇意になったようだという噂が立ったのは事実だが、俺自身は否定して回っていたし、広まったのは王城内でだけだと思っていた。まさか学院にまでそれが伝わっていたなんて、考えもしなかった。
再会した当初、スフィアーネは俺がすでに婚姻しているものだと思い込んでいた様子だった。それは単に、そうなっていてもおかしくないくらいの時間が経ったからの誤解だと思っていた。
六年半は、長い。
逆に彼女が結婚してもう子供がいると告白されていたとしても、ショックを受けつつも納得するしかないと、半ば覚悟して北方へ来たのだ。
だが、侯爵令嬢との噂が学院にも伝わっていて、当時、それを彼女も信じてしまっていたとしたら。
突然実家の子爵家を継ぐと言って、俺の目の前から消えてしまったスフィアーネ。
その決断の理由が、あの噂のせいだったとしたら──────
「その様子じゃ、学院内で噂になってたことは、事実とは違うようですね」
「当たり前だ……彼女以外、誰かを想うことなんてない」
「うわー、重っ。
さすがフェアノスティ人」
フェアノスティの男は一人の女性をとことん愛しぬく、という噂があるらしいが本当かと、学院時代に主に外国からの留学生から尋ねられたものだ。
自分自身どちらかというと恋愛的な意味で重い男だという自覚はあれど、言い当てられてムッとなった俺は睨みながら言い返した。
「そう言うお前もそうだろう?」
「いえいえ、僕は違いますよ。
うちの家系は南大陸の、今は亡きスファルトード公国の出ですからね」
スファルトードは南大陸にあった商工業で栄えた国の名前だった。
数年前、フェアノスティの王太子が現王太子妃に妻問いをしに向かった際に、スファルトードの公子と軍部の一部が暴走し王太子一行に危害を加えた事件があった。
企みに加わっていなかった公王が速やかに関係各国に直接出向いて謝罪し戦争勃発は何とか回避したが、その後責任をとって王家は自ら王制を廃し、スファルトード公国は共和制へと移行したという。
公式非公式様々な経済的制裁もあり、立ち行かなくなるというまでではなかったものの国力は当然低下したため、それを機に国を離れた民も多かったという。
ウォーレンの一族も、その中の一つだったのかもしれない。
「スファルトードの民は根っからの商売人です。
損得勘定が常に頭にあって、有益な商売を行うために先の先まで計算する。
だからでしょうかね、スフィ……じゃなかった、ミアネス嬢の学院時代の話を聞いたとき、彼女の恋人だった若い騎士は子爵家より侯爵家を取ったんだよと憤る友人の言に、私としては少しは納得する部分もなくはなかったです」
しかと俺の目を見据えて、ウォーレンは言った。
裏を返せば、納得いかない部分も多いにあったということだろう。
出会った当初に表立った敵意こそ表さなかったものの何か思うところがある視線を向けられたと思ったが、これが理由だったのかと納得した。
身分が上の令嬢を取ってスフィアーネを捨てた男だと思われていたのなら、無理からぬ反応だったろう。
「それで、初めて会った時に俺を睨んでいたわけか」
「え? 睨んでました? 僕」
「睨むっていうか、もの言いたげというか」
「そりゃあね。
彼女の近しい友人としての立場で、『今更どの面下げて』とは思いましたのでね」
彼が持ち掛けたという恋人契約には、俺としてはまだ納得がいかない。
が、過去を知って俺に対して怒りを覚えるほどに、良き友人としてスフィアーネのそばにいてくれたのは間違いないようだ。
一歩下がって、彼に向け深々と頭を下げた。
「リッティ殿、先ほどは乱暴を働き、大変失礼いたしました。
心より謝罪いたします。
そして良き友人として彼女の傍にいてくださったこと、感謝いたします」
「いえ、こちらこそ。
なにか、私の方もあなたのことを誤解をしていたようですしね」
「侯爵家の令嬢と噂が流れたのは確かですが、事実は全く異なります。
だけど、学院にまでそれが伝わってたなんて、思いもしなかった。俺の配慮不足です」
実家の爵位を継ぐという彼女の言葉に、引き留めることをしなかった自分。
侯爵家と縁づいたという噂を聞いて、自分から身を引くことにしたのかもしれない彼女。
どちらも、相手の立場や将来を思うばかりに本当の心を押し込めた、その結果あるのが現在の二人だ。
「言葉が、足りなかったんだな」
独りごちた俺に少々呆れ気味のウォーレンが「全くですよ」と苦笑する。
「ああでもね、さっきは『今更』と言いましたけど、彼女の中でもまだぜんぜん整理なんてついてないと思いますよ」
「え……?」
「シェナでしたっけ?
いつも春先の、あの花が咲く季節になると、彼女はいつも王都の方の空を見ながらよく物思いに耽っていました。
薄紫の花をつけた枝を見上げる表情は、特に何の感情も宿していないように見えて、溢れそうな何かを抑えて必死で平静を保とうとしているようにも思えて。
その視線の先にある場所の、誰を思っていたんだか、貴方の髪の色を見たときにものすごく納得しましたよ」
指差しながら言われたことに「失礼だぞ」と思うのも忘れるほど驚いて、俺は言葉を失った。
子供のころからよくからかわれてきた髪色が、ずっと好きではなかった。
でもシェナの色だと、綺麗だと、彼女が言ってくれたから。
「嘘の恋人契約をしてもらってた僕が言うのもなんですけど。
小さなかけ違いやすれ違いだって、積み重なれば大きなずれになる。
ちゃんと向き合って話さないと、簡単にわだかまりになることもあるんですよ」
「……ああ、その通りだ」
今すぐ彼女の顔が見たい。
ちゃんと話がしたい。
六年半前、飲み込んでしまった言葉まで全部。
「今度こそちゃんと、互いに本音で話さないとな」
「あ、待ってください、ジェレミーさん」
意を決して騎士団詰所に向け歩き出そうとしたら、ウォーレンが慌てて呼び止めてきた。
「彼女ならたぶん、今は宿舎にはいません。
週末を利用して、実家に帰るといっていましたから。
親御さんは私との恋人契約のことはご存じないでしょうから、縁談の話でも持ち込まれてるのかもしれないですよ?」
「あぁ!?」
ニヤリと悪い笑みを浮かべるウォーレンに揶揄われたのだと分かったが、あながちない話でもないとも思いなおす。
「情報提供を感謝します、リッティ殿」
青筋を浮かべながらも感謝を述べると、今度こそ急いで騎士団詰所にある厩舎へと走った。
預けたばかりの愛騎を引き出し跨る。
「最速で飛んでくれ、イーライ。お前の大好きな、彼女の所へ」
読んでいただきありがとうございました。
残すとこあとちょっとの予定です。




