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冷血女王様は踏まれたい  作者: りりぃこ
第五章 繁忙期編
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56 約束


 数回のコール音の後、はい、という少し枯れた声で雪名さんが電話に出た。


「お疲れ様です。すみません、もう寝てましたか」


「いえ。まだ起きてたわ。好葉こそ、今ツアー中だったわよね」


「はい、今終わって撤収してるところです」


「忙しい時ね。電話してて大丈夫なの」


「はい、もうすぐバスに乗るんですけど。雪名さんこそ、インフルエンザ大丈夫でしたか?」


 私の問いに、雪名さんはちょっとだけ言葉をつまらせた。


「……別に好葉のウイルスが感染ったわけじゃないから。この私がそんなミスするわけないから」


「それは白井さんから聞きました」


「そう、知ってたならいいけど」


 雪名さんなりにもしかして気にしていたのだろうか。


「今日のライブはどうだった?」


「いい手応えでした。ふふ、私今日共演した人に褒められたんですよ。根性が悪いって」


「あら、それは好葉を見る目があるわね。きっと一流だわ」


「そうなんです。インフルエンザだらけの満員電車に放り込まれたって感染しないくらいの根性のある一流なんですよ」


「何それ。ただのバカじゃない」


 雪名さんは相変わらず辛辣だ。


「それよりも好葉……あのメッセージ、本当なの?」


 雪名さんにしては珍しく、ちょっとオドオドした口調だった。あのメッセージ、とはどれのことだろう。


「えっと……?」


「ベイビーベイビーのモデルの件よ」


「ああ」


 そう言えば、雪名さんに言ってたんだった。


「まだ、一度撮らせて欲しいってだけですけどね」


「私、ベイビーベイビーは一番好きな子供服ブランドなの。子供らしさと大人らしさが両立していて、それでいて小さくて可愛い足を引き立てるようなデザイン……。毎年攻めたデザインの靴下を出すことでも有名でね、私が一番見てて興奮するのがベイビーベイビーの靴下で……あのモデルを好葉がするなんて、夢のようで……インフルエンザで幻覚を見たんじゃないかと思ったわ。」



 雪名さん、まだ調子が悪いんだろうか。いつもの堂々として偉そうな口調はどこへやら、早口で上の空で、しいて言うなら私達に感想を述べるファン達の口調によく似ていた。



「ごめんなさい、あの、本決まりじゃなくて、まだ」


「そう」


 雪名さんは短くそう返すと、またいつもの偉そうな口調に戻った。


「好葉、前にインフルエンザになった時、私に『何でもする』って言ってたわよね?」


「あ、はい。言ったような……」


 確かに、顔を踏む以外は何でもするって言った。



「じゃあ、してちょうだい。約束」


「約束?」


「ベイビーベイビーのモデルの仕事を絶対に取って来るっていう約束」



 モデルの仕事を絶対に取ってくる、と約束。



 仕事を絶対に取ってくる。



 勿論、はじめからそのつもりだった。


 それに更に、女王様のご命令が下った。



「約束します。絶対に取ってきます」


 私は言った。雪名さんが嬉しそうに笑った声が聞こえた。



「好葉、そろそろバスに乗って!」


 赤坂さんが叫んだのが聞こえた。


「すみません、そろそろ切ります」


「ええ、お疲れ様。こんな疲れた日は、私を踏みたくなるでしょうけど我慢するのよ」


 雪名さんが冗談を言ってくるので、疲れと興奮で若干適当になっていた私は「そうですね、体中をめちゃめちゃに踏みたくて仕方ありません」と、いいかげんな返事をして電話を切り、バスに向かって走って行った。



 電話を切る直前に、雪名さんが「それはっ……」と息を呑んだような気がしたけど、多分気のせいだったと思う。




第五章 繁忙期編 完


第六章へ続く……







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