51 看病
※※※※
「すみません、インフルエンザだそうです……」
私は、しゅんと凹みながら赤坂さんに電話をかけていた。
夜のうちから咳が止まらなくなって、節々が痛くなって、高熱が出た。
重い体を引きずって病院に行くと、インフルエンザの診断が出た。
「そっかぁ……」
「すみません、自宅待機が5日程……お仕事が……」
「いいのいいの。スケジュール調整はマネージャーの仕事だから。とりあえず爽香と奈美穂の二人だけで回せる仕事は回して、あとは何とかするから大丈夫。自宅待機の期間に、ツアーとか、大きなステージの予定入ってなかったのが不幸中の幸いだ」
赤坂さんは明るく言った。
「それより、食べるものをとか、氷とかある?私は今日行けないけど、後で事務所のスタッフ誰かに持っていかせるから」
「いえ……みなさんも忙しいのに……。感染ったら大変……」
「全く、こんな時に遠慮しないの!ドアノブにでもかけておくから大丈夫。ゼリーとかおかゆとか適当に持って行かせるから」
赤坂さんの電話はそこで切れた。
スマホを置いて、パタンとベッドに転がる。だるくて何もしたくないし咳も止まらない。
寝たいのに寝れない。
しばらくゴロゴロとしたり、ちょっと仮眠したり、ベッドで転がっていると、SNSの通知音が何度か鳴った。
明日予定していた生配信を、延期するとの報告が事務所から発信されたらしい。
その際に私がインフルエンザであることも報告されたようで、ファンから「おだいじに」「体に気をつけて」「ゆっくり休んでね」とのメッセージが届き始めたのだ。
いくつかのメッセージの中には毒メッセージもあった。最近調子乗ってるからだ、お前の体調管理の悪さのせいで他の二人に迷惑かけている、別に好葉いらないから生配信やってくれ、………大量の優しいファンからの励ましメッセージに比べれば、ほんの僅かしか来ないものだったが、弱っている体には大ダメージを食らってしまう。
私は通知を切ってスマホを投げ捨てると、布団を被ってふて寝した。
熱冷ましが効いてきたのか少し楽になってふて寝のまま私はぐっすりと寝てしまった。
※※※※
夢うつつの中、ピンポーン、と鳴った気がして目が覚めた。
窓の外を見るともう真っ暗だ。
もしかして、スタッフが食料を持ってきてくれたんだろうか。
ドアノブにかけておくとか言ってたしな。
私はボーっとしながらドアを開けた。
「仮にも芸能人なのに、誰が来たか確認もせずにドアを開けるなんて、無用心にも程があるんじゃないの」
ドアを開けてすぐに辛辣な言葉を浴びせれられる。
玄関にいたのは雪名さんだ。何やら箱を持って立っていた。
「加湿器無いとかバカな生活してるみたいだから、私のうちで余ってた加湿器持って来てあげたわ。ほら……って、好葉!?何で閉めるの!?この私を締め出すなんて何を考えてるの!?」
雪名さんは、ドアを閉めた私が信じられないようで、ブチギレているようだ。
「ゴメンナサイ、あの、私インフルエンザになって……」
「インフルエンザ?」
「そう、だから雪名さんに感染すわけにはいかないので……」
「ふうん、手遅れだったわけね」
雪名さんはドアの向こうでそう呟いた。
「わかったわ。じゃあここに加湿器置いておくから。それじゃあ」
あっさりとそう言うと、雪名さんはサッサと立ち去って行ったようだ。
私はノロノロと玄関を開ける。
そこには確かに小さな加湿器の箱が置いてあった。小さいけど、確かこれ、テレビでも紹介されてた最新の高性能加湿器じゃなかったっけ。こんないいもの余らせてるなんて、さすが雪名さんだな。
そう思って、ありがたく今だけ借りさせて頂こう、と加湿器を部屋に入れた。
でも段々体の節々の痛みが強くなってきて、加湿器の設置すらだるい。私はせっかくの加湿器を枕元に放置して、ボーっと体をベッドに沈めた。
……
…………
喉が乾いて目が覚めた。あまりさっきから時間は経っていない。
そう言えば、そろそろドアノブに食料が掛かっているだろう、と私は玄関から顔を出した。
案の定、玄関にはスーパーの袋に入ったおかゆのレトルトやら果物の缶詰やらゼリーやらが置かれている。
「ありがたや……」
あんまりお腹は空いてないけど、ゼリーくらいは食べよう、と思いながら袋を取り上げたその時だった。
ゆらり、と目の前に人影が現れた。
「ひっ!」
マスク、シールド、ビニールの帽子とビニールのガウン、ビニール手袋、病院でインフルエンザの検査をしてくれた看護士さんのような出で立ちの人が私の目の前に立ちはだかった。
と思ったら、私から食料の袋を取り上げると、私の腕を掴んで部屋へ押し入ってきた。
「あ、あの」
「寝なさい」
いい姿勢でキッパリと言い放つその姿ですぐ分かった。雪名さんだ。
「何で?」
「いいから寝てなさい。私は加湿器を取り付けに来ただけだから。思った通り、やっぱり開封できてないわね」
そう言って雪名さんはサクサクと加湿器を開封していく。
「すみません、ちょっとだるくてせっかく貸してくれたのに全然開けてなくて……」
「寝てなさい」
再度雪名さんは強く言い放つ。
私は大人しくベッドに横になり、開封作業をする完全防ウイルスの雪名さんを見つめていた。
「雪名さん、その格好は」
「この近くに大きなドラッグストアがあるでしょ。そこで全部揃うわ」
へえ、ドラッグストアってすごぉい。じゃなくて。
「何で雪名さんその格好……?」
「伝染ると困るじゃない。私も忙しいのよ」
「じゃなくて、何でわざわざそんな格好をしてまで来てくれたんですか」
「体調悪くて加湿器開けれないんじゃないかと思ったからよ」
そうじゃなくて。
何でわざわざ私の為に、人気女優がそこまでしてくれるのか。今の私は雪名さんを踏んであげれないのに。
それを聞こうとしてまた口を開こうとしたら、雪名さんにギロリと睨まれて、
「だから、喋ってないで寝なさい」
と怒られた。なので大人しく布団をかぶる。
雪名さんは慣れた手付きで加湿器の設置を終えると、今度はスタッフが持ってきてくれた食料袋を覗き込んだ。
「食べられる?」
「あんまり食欲無いです。ゼリーは食べようかなって思ってました」
「そう」
雪名さんは袋からパウチゼリーを取り出して私に渡すと、袋の残りを持って台所へ向かった。
ガチャガチャと大きな音がしたと思ったら、すぐに戻ってきた。手には小さな氷嚢と氷枕が抱えられていた。
「氷嚢なんてありました?」
「この食料袋に氷とセットで入ってたわ。私は氷入れてきただけよ」
そう言って、私のおでこに優しく手をあてる。ビニール手袋越しの手が冷たくて気持ちいい。
「まだまだ熱いわね。とりあえずこれ頭に置きなさい」
「雪名さんが、優しい……」
私は感激して呟いた。
「こんなにしてもらって嬉しい。治ったら、お礼になんでもします」
「じゃあ、顔……」
「顔を踏む以外ならなんでも……」
雪名さんは一瞬だけムッとしたが、すぐに小さく微笑んでくれた。
「ま、そんな事気にしないでサッサと治しなさい。繁忙期なんでしょ」
そう言って、雪名さんはサッサと帰宅準備を始めた。
「食料は冷蔵庫入れておいたから。じゃあ私は帰るわ」
「ありがとうございます」
私が起き上がろうとすると、雪名さんは強引に私をベットに押し戻した。
「私の事は気にしないで寝てなさいって言ってるでしょ。私は勝手に帰るから。あ、でも鍵はちゃんとかけるのよ」
そう言って、雪名さんは立ち上がった。
私は颯爽と去っていく雪名さんを見送り、言われた通りヨロヨロと鍵をかけた。
ベッドに戻り、氷嚢を頭に当てながら、ゆっくりと目を閉じる。
空気が潤っていて、何となくのどが楽になった気がした。




