18 パンプス
金曜日になった。
夕方白井さんが迎えに来てくれた車に乗り込むと、雪名さんはいなかった。
「あれ?雪名さんは?」
「ちょっとホテルにいるわ。牧村ちゃんも一旦ホテルに寄ってもらうけどいいかな」
「はい、大丈夫ですけど」
ホテル?なんだろう。え、今日は靴を取りに行くんだよね?踏むんじゃないよね?
ホテルに着くと、雪名さんが優雅に紅茶を飲みながら待っていた。
「……やっぱりだわ」
「えっ?」
「脱ぎなさい」
「えっ?」
「脱ぎなさい」
女王様には逆らえず、私はスニーカーと靴下を脱いだ。
「何してるの?」
「えっ?脱ぎましたけど」
「服を脱ぎなさい」
「え!?」
それは、それはさすがに!
「それはさすがに一線を越えるわけには!!」
「何言ってるの?今日取りに行く靴に合うワンピースに着替えるのよ。早くして」
「へ?」
よく見ると、雪名さんの側に、薄緑色のワンピースが置かれていた。
「好葉のことだから、カジュアルな服で来ると思っててね。仕事終わりでしょうし。でもどうせなら新しい靴を履いておしゃれな食事でも楽しみたいでしょ?」
「な、なるほど」
変な勘違いをしてしまったようで恥ずかしい。私は雪名さんからワンピースを受け取ると、慌てて自分のカジュアルなシャツとジーパンを脱いで着替え始めた。
「あれ、えっと、これどうやって紐結ぶんですか」
「貸しなさい」
雪名さんが、慣れないオシャレワンピースに手間取っている私を手伝ってくれた。
「それにしても、忙しいみたいね」
「え?」
雪名さんが紐を結びながら言った。
「前なら、予定を聞けば、いつでも大丈夫って即答だったじゃない。それがいっちょ前にスケジュール確認するようになるんだから」
「あー、あはは。雪名さんの宣伝のおかげです」
私は照れたように言った。
「雪名さんが、映画の情報公開の時に私達の名前出してくれたから、ちょっと注目されて。それで事務所も力入れてくれたり予算くれたりして」
「別に。私も事務所から、あなた達の名前出せって言われたから言っただけよ。ま、一応事務所に期待されてるんじゃないの?あとは自力で頑張ればいいんじゃない?」
雪名さんがそう素っ気なく言ううちに、ワンピースの装着が終わった。
「うん、悪くないわね」
「そうですか?大人っぽすぎません?」
ちょっと肩の出たスタイルのワンピース。あまり着慣れないので恥ずかしい。
「私が選んだのが気に入らないっていうの?」
「ま、まさか!え、雪名さんが選んだんですか?」
「別に好葉の為じゃないから。好葉の足の為だからね」
ツンデレ構文で訳の分からない事を言わないでほしい。まあでも嬉しい。
「ありがとうございます」
「さ、早く行きましょう」
そう言って、雪名さんはさっきまで飲んでいた紅茶を片付けようとした。
ふと、私は紅茶の横に置かれている角砂糖に目をやった。あれは……見たことある!!
「雪名さん、その角砂糖、和菓子屋のじゃないですか?」
「ふふ、そうよ」
雪名さんはちょっと自慢気に微笑んだ。
「な、なんで!?私が聞いたときには、テイクアウト用に売ってないってお店の人言ってたのに」
「あれから結構通い詰めてね。共演者への差し入れをあのお店に注文したり、常連になって、店主のお爺さまとも仲良くなって、頼み込んで特別に作ってもらったの」
雪名さんはそう言って、赤いハイヒールの描かれた角砂糖を一つ摘む。私はちょっと不貞腐れてしまった。
「えー、いいなぁ。私も常連の自覚あるのに特別になんて、作ってもらったことない」
「よかったらあとであげるわ」
雪名さんは角砂糖を片付けながらニヤリと笑った。
「私ね、欲しい物はどんな手段使っても絶対に手に入れるから」
そうして、着慣れないエレガントなワンピースと全くミスマッチなスニーカーを履いて、また白井さんが運転する車に乗って靴屋に向かう。
「これじゃ、スニーカー浮いちゃいますね」
「まあ車からドアトゥドアだから我慢しなさい。それに一応、そのスニーカーだってファンからもらった大事なものなんでしょ?」
雪名さんの言葉に、私は大きく頷いた。
「そうなんです。これくれたの、私達がデビューしたばっかりの頃からのファンで、トモさんって言うんですけど、いっつも封筒が立つくらい分厚いファンレター送ってくれる人なんです。前のあの莉子ちゃんのファンの事件の後も、今は無理しないでっね言ってくれたり、好葉さんはあの時とっても頑張ってて素敵でしたとか、何か私の欲しい言葉をくれるっていうか」
「ふうん」
あ、つい喋りすぎたようだ。雪名さんの声のトーンが低い。
「お気に入りのファンなのね」
「お気に入りっていうか、その、まあ」
「ファンに優劣をつけるのはいかがなものかしら」
「ゆ、優劣つけてるつもりなんか無いです!」
私は慌てて言う。
「今はスニーカーの話題を振られたからトモさんの話をしただけで!皆大事なファンです!」
「分かった分かった」
雪名さんは私を適当にあしらう。そして、ふと顔をそらしてため息をついた。
「これから好葉の靴を取りに行くっていうのに、他の靴をくれた男の話を嬉々としてするなんて……本当に好葉は魔性の女ね」
「私が魔性の女……」
雪名さんに言われたくはない。でも、ちょっとだけ、ちょっとだけだけど、言われ慣れない大人っぽい呼称になんだかニヤリとしてしまう。
「悪くないかも」
「調子乗るんじゃないわよ」
「は、はいっ!すみませんっ」
そうしているうちに、車は靴屋さんの前に到着した。
「お待ちしておりました」
二人で靴屋さんに入ると、以前と同じ店員さんが笑顔で挨拶してくれた。
実は今日までになんどか靴屋さんに呼ばれてサイズ合わせをしていたので、もう初めの頃のようには緊張しない。
「素敵な力作が出来ましたよ」
嘘。緊張しないなんて嘘だった。
店員さんが持ってきた箱を見た瞬間、私の心臓はグワングワンと踊りだした。
「まずは、ダークグリーンのチャンキーヒールのものからお出ししますね。あ、今日のお召し物にピッタリですよ」
そう言って取り出されたパンプスは、お店でよく見るものよりやはり小さくて、でもちゃんと大人っぽいデザインの一品になっていた。
店員さんは、私の目の前にそのパンプスを置いた。
恐る恐る足をその中に入れてみる。
驚くほどピッタリで、そして履いてみると一段と大人っぽく、オシャレだった。
「素敵……」
語彙力が無いのが悔しい。
「本当に素敵ですよ。牧村様は足は小さいですけど、ちゃんと足首はくびれて、骨格もしっかりしていて大人の足なんです。だからこうして合う靴に出逢えれば、大人っぽい足になれるんですよ」
店員さんが流れるように説明してくれる。
本当に、多分初めて靴を履いて感動したと思う。横で雪名さんが大きく頷いている。
「わかるわ。好葉の足は、小さいだけじゃないのよね。ダンスをしているおかげか、しっかりとした強い足をしてて……それがまた踏まれるのに丁度いいっていうか……」
「ヴゥんっ!!雪名さんっ!」
私は慌てて咳払いをして雪名さんの発言を止める。全くもう、人が感動してる時に。
「違和感とかありませんか?痛いところとか、緩いところとか。なければ次のパンプスを」
店員さんが、次は真紅のピンヒールパンプスを取出した。
「素敵じゃない!ねえ」
私より先に雪名さんが歓喜の声をあげた。
「は、履きづらそう……」
私はそう呟きながらピンヒールパンプスに足を入れ、そして軽く歩いてみる。
「あれ、思ったより歩けるか……」
と思った瞬間にふらついた。店員さんがすぐに支えてくれた。
「牧村様はヒールに慣れていないようですので、さっきのチャンキーヒールので慣れてからこちらを履いたほうがいいかもしれません。それか、あまり歩かない機会に使うとか」
「そ、そうですね」
私は真っ赤になってそう答えた。
「でも素敵なのは素敵。なんていうか、せくしー?」
「ええ、とってもセクシーよ」
ふと気づいたら、雪名さんがうっとりした顔で足の写真を撮っている。
「素敵。すてきよ。まずは歩く練習しましょうね。ああ楽しみ。楽しみね好葉」
何が楽しみなのかは聞きたくない。てか、やっぱりこれで踏んだら絶対に雪名さんの背中に穴が開くと思う。
プロの店員さんは、興奮している雪名さんには動じる事なく、私が脱いだピンヒールパンプスをまた箱に丁寧にしまっていく。多分、あれが雪名さんの趣味のものだと完全に察していているんだろう。
履いて帰ることを伝えて、再度ダークグリーンのパンプスを出してもらう。
やっぱり素敵だ。
「気に入ったかしら」
店を出て、雪名さんがたずねる。私はコクコクと頷いた。
「そりゃあもう、あんまり素敵で大感激です!!ありがとうございます!」
「好葉の為じゃないから。好葉の足の為だからね」
さっきも聞いたので知ってます。
「でも、赤いのはまだ歩けなそうですけど……」
「そうねえ」
雪名さんは少し考え込んだ。
「とりあえず私が持ってるわ。勝手に履いて怪我でもされちゃ困るし」
そう言って、雪名さんはピンヒールパンプスの入った箱の袋を取り上げた。
「さて、夕食でも食べに行きましょうか」
「白井さんは?」
「帰ったわよ。今日は本当はオフなんだから」
「わざわざ車出してくれたんですか?」
白井さんって本当に雪名さんに至れり尽くせりなんだな、と感心してしまった。
「この近くのイタリアンに予約を取ってるから。歩いて行ける範囲よ」
そう言って、雪名さんマスクと伊達メガネ装着してサッサと歩き出した。
私も急いで雪名さんを追いかけるた。すると、ツ、と足を取られて転びそうになった。やっぱりまだ慣れないせいか、急いで歩こうとすると転びそうになってしまう。
「もう。ほら」
雪名さんは私の所に戻ってくると、すっと手を差し伸べた。
「えっと」
私が戸惑っていると、雪名さんは面倒くさそうな顔で言った。
「ほら、サッサと行くわよ」
「手を繋いで?あの、大の大人が手を繋いでたら目立ちませんか?」
「はあ?どこがよ」
雪名さんはそう言って周りを見るように促す。
チラチラとカップルが仲良く手を繋いで歩いていくのが見えた。
「いや、でもカップルじゃないし……」
「ラブラブ手を繋ぐ訳じゃないんだけど。介助よ介助」
「まあそうですよね」
私は素直に雪名さんの手を取った。
思ったよりも暖かい女王様の手に介助されながら、私は夜の街を新しい靴を履いて歩いて行くのだった。