16 ご褒美
ふと目が覚めると、見たことのないカーテンが目に入った。匂いも何となくうちとは違う。すっごくいい香りがする。
「どこ?」
私は体を起こして周りの見渡した。見たことのないフカフカの布団で眠っていたようだ。
「おはよう牧村ちゃん。二日酔いとかしてない?もうお昼だよ」
「白井さん?」
なんで白井さんが?
「えっと、ここは?」
「雪名のマンションだよ」
「えっ!!」
私は慌てて布団から飛び出した。
「せ、せ、雪名さんのマンション!?なんで!?」
「ごめんね、ちゃんと牧村ちゃんのマンションに届けるって赤坂さんと約束したんだけど……ちょっと色々あって……」
「い、い、色々とは!?もしかして私なんかしでかしたんじゃ」
「いや、しでかしたというか……しでかさなかったというか……」
白井さん困ったように曖昧に微笑む。
「まあ、とりあえず具合悪くないならごはんでも食べようか?」
「あ、あ、あの、雪名さんは?」
「雪名は朝早くから仕事。今日はタクシーで行くから、牧村ちゃんの監視……じゃなかった、お世話してあげてって言ってたのよ。もうすぐ帰ってくるんじゃないかな」
一瞬物騒な単語が聞こえたような気がしたのは気のせいだろうか。
「あの、何があったんですか?私昨日仮眠した後全然記憶無くて」
「んー、まあ……では、昨日の一部始終を、語らせて頂きます」
そう言って、白井さんは、真面目な顔で、まるで小説でも語るように話し始めた。
〜〜〜
〜〜〜〜
打ち上げも終わりの時間になっても、好葉は目を覚ます事無くグーグーと熟睡していた。
赤坂が帰るよ、と言っても眠ったままだ。白井は赤坂に申し出た。
「よければ私が送っていきます。牧村ちゃんのマンション、前に教えてもらってるので。私のあげたお酒のせいですし」
「そんな申し訳ない」
「いえいえ、お気になさらずに」
なんやかんやと白井と赤坂の遠慮しあいの結果、好葉は白井が送っていく事になった。
雪名と一緒に車の後部座席に座らされた好葉は、グデングデンになったままだ。好葉のマンションに着いても全く起きる気配がない。
「お酒に弱いのね」
「まあ、飲み慣れてないでしょうし、今日は体力的にも精神的にも疲れてたでしょうしね」
「ふーん。ほら好葉、あなたのマンション着いたわよ、起きなさい」
雪名は、目をつぶっている好葉のほっぺをプニプニと突く。
「ねえ白井さん、起きないならこのまま好葉をうちのマンションに連れて行くのはだめかしら?好葉明日休みよね?」
「流石にだめよ。送り狼みたいな事言わないで。なんか犯罪っぽいわよ」
「やっぱりダメよね」
少し残念そうに雪名は言うと、好葉の耳に口を寄せた。
「今回は、今日のあれで満足してあげるわ。さ、早く起きなさい」
そう言って、雪名が好葉のシートベルトを外した時だった。
パチ、と好葉は目を覚ました。
「あら起きたようね」
「今、満足って言いました?」
「は?」
好葉は、ぽかんとしている雪名のシートベルトを素早く外した。そして勢いよく雪名を押し倒した。
「せ、雪名!?」
白井は慌てて後ろを振り向いた。
好葉は雪名に馬乗りになっている。
「ねえ雪名さん、満足したってホント?あれで満足なの?」
「好葉?何言って……」
「雪名さん頑張ってくれましたもんね?私のことも助けてくれましたもんね?ご褒美欲しい?」
「ご褒美……」
明らかに雪名の声色が変わった。何かを期待しているようだ。しかし持ち前のプライドで言い返した。
「好葉、この私に今何してるか分かってるの?」
「ほら、雪名さん、何して欲しいんですか?」
好葉は雪名の威嚇に全く動じていない。
それどころか、靴を脱いで、片足を雪名の胸元に置いた。
「あっ……足……」
「ご褒美ですよ?ほら、どこにこの足が欲しいんですか?」
「あ……あっ……あぁ……」
思いがけない好葉の行動に、雪名は声が出なくなってしまっていた。むしろ完全に好葉の足にしか意識がいっていない。
「顔……顔に欲しい」
「そうですよね?雪名さんはこのちっちゃい足で、顔を、踏まれたいんですよね?こんなふうに?」
そう言って、好葉は雪名の顔を足でペチペチと軽く叩いた。
「あ……や……」
「嫌?」
「嫌じゃない。して欲しい……」
「ふふふ、素直で可愛い」
そう言いながら、雪名の顔を足で踏もうとした時だった。
「……好葉?」
急に眠気が再度襲ってきたのか、好葉はぱたんと雪名の上に倒れ込んだ。そしていびきをかいて爆睡してしまったのだ。
「嘘でしょ?こんな状態で?この私にこんなお預け食らわすの?」
悲壮な声を上げる雪名の事など気にせずに、好葉はぐうぐう眠ってしまっている。
「白井さん!!」
「は、はいっ」
「やっぱり好葉をうちに連れて行くわ」
「いや、でも」
「こんな状態で……この私がこんな焦らしプレイさせられてこのまま返せるわけ無いでしょ!絶対に連れて帰る!起きたら絶対に続きをさせるわ」
「多分牧村ちゃん覚えてないんじゃ……」
「関係ない!」
凄い勢いに負けた白井はため息をついて、雪名のマンションに向かって車を走らせるのだった。
〜〜〜
〜〜〜〜
「それで、牧村ちゃんを雪名のマンションにつれてにて、来客用の布団に寝せました」
白井さんの話を聞きながら、私は悪寒が止まらなかった。
「……嘘、ですよね?」
「いえ、本当です」
「百歩譲って本当だとして、ちょっと盛ってますよね?」
「全く盛ってません」
白井さんの回答に、私はガクガクと震えだした。
「まさか……そんな私がそんな事を……そんな失礼な事を……!?切腹……」
「大丈夫よ、途中で寝ちゃった事くらい、焦らしプレイの一部ってことで許してくれるわ」
「そこじゃないです!!」
私は頭を抱えた。
「そんな、雪名さんの美しい顔に足でペチペチするなんて……そんな。酔っ払ってたとはいえ売れっ子女優さんの顔に……。だいたい、何で白井さん止めてくれなかったんですか!事務所の大事な女優が馬乗りにされて踏まれかけてたんですよ!?」
逆ギレの如く白井さんに泣きつくと、白井さんは悪びれもせずに微笑んだ。
「ごめんね、なんか耽美的でつい」
「耽美的なワケないじゃないですか!」
私が呻いていると、玄関の方から、ガチャ、と音がした。
「あ、雪名帰ってきたかな」
白井さんが玄関に雪名さんを出迎えに行っている隙に、私はオロオロと部屋をあるき回った。
逃げちゃいたい。でもやっぱり謝るべきだよね?その後は?白井さんの話によると、雪名さんは昨日の続きを望んでいるみたいだけど……無理無理、ぜっっったいに無理。そんな馬乗りで顔を踏むなんて……。どうにかして勘弁してもらないと。でもどうしよう。
私が一人しゃがみこんでパニックに陥っている時だった。
「好葉、具合はどう?」
雪名さんが、気持ち悪いくらいに上機嫌で現れた。
「は、はい。大丈夫です。昨日はご迷惑おかけして……」
「いいのよ、ぜーんぜん」
雪名さんは私に目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「昨日はさすがに腹が立って仕方なかったけど……でも私はすっかり好葉の焦らしプレイの虜みたい。今日の早朝生放送だって、美味しくもない甘ったるいお菓子を笑顔で食べれたし、面白くもないアナウンサーのジョークにも大爆笑出来たわ。これも全部、帰ったら好葉が昨日の続きをしてくれると思ったらとっても仕事のやる気が出てきて」
「そ、それは……よかったです、けど」
私、続きをするなんて一言も言ってないです。
「せ、雪名さん?私昨日の事全然覚えて無くて……」
「白井さんから聞いたでしょう?」
「聞きましたけど、あの、無礼なことしたのは謝ります。ごめんなさい。勝手にそんな馬乗りになったりとか」
「謝る必要はないわ。さあ、早く昨日の続きをしなさい」
雪名さんはしゃがみこんだ私の足を撫でてきた。私は思わず足を引っ込める。
「ご、ごめんなさい。続きなんて無理です。その、昨日の私はちょっとおかしかったというか。ライブで変なことあったりお酒飲みすぎちゃったりしてなんか変なふうになって。あれは忘れて下さい」
「何言ってるの?まだ焦らしプレイする気?」
「だから、焦らしプレイじゃないんですぅ」
私は必死で訴える。
そんな私の顔を優しく雪名さんは掴んだと思うと、すっと顎を掴んで上を向けられた。
――顎クイだ……
「好葉、あなたは自分の可能性に気づいてない。あれはあなたの内に眠る、踏みたい欲望よ」
そんなの眠っててたまるか。私は顔をそらした。
「ほら、素直になりなさい。本当は私のこと踏みたいんでしょ?」
踏みたい?踏みたいわけ……。
「ほら、踏んで。一度私の顔を踏んでみればその気持ちよさに気づくわよ。ほら、踏みなさい」
「踏んで……みる?」
「そうよ」
踏んでみる?雪名さんの顔を、踏めば……。
「……やっぱり無理ですぅ。ごめんなさぁい」
私は半泣きで雪名さんから距離を取った。
「雪名、もうやめてあげて。さすがに牧村ちゃん可哀想」
白井さんが私の味方をしてくれた。
「無理やりしたら、もう足すら踏んでもらえなくなるわよ?いいの?」
ん、なんか完全な味方になってくれてるわけではなさそうだけど。
でも、白井さんの言葉に雪名さんは一瞬怯んだ。白井さんは畳み掛ける。
「忘れないで。雪名を踏んでくれてるのは、あくまでも牧村ちゃんのご厚意なんだからね」
「…………そうね。……全くその通りだわ」
雪名さんは大きな落胆のため息をついた。
「悪かったわ。あまりにも昨日の好葉が凄すぎて、欲望が暴走したわ」
そう言って、雪名さんはゆっくりと私に近づく。
「ごめんなさい。よく考えたら昨日は大変だったのに」
雪名さんは空気が抜けたみたいにしゅんとしてしまっている。
これは……助かった?でもなんか……。
「ごめんね、ずっと仕事が忙しくてちゃんと踏んでもらえてなかったから……欲求が溜まってて……。今日もこのクソみたいな番組を乗り越えたらあの素敵な好葉を堪能できるって期待してて頑張ったから……」
「うんうん、雪名頑張ったよ。ほら、新しいベイビーベイビーの靴下のカタログ届いてるよ?」
「……見る」
雪名さんは白井さんの持ってきた子供服のカタログの、靴下のページに力無く頭を突っ込んだ。
やだ。こんな雪名さん見たくない。
そんなに?そんなに昨日の私は期待させちゃったんだろうか。
なのでつい言ってしまったのだ。
「い、いつもくらいの……背中踏むくらいなら、します……よ?」
「本当?」
雪名さんはぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ早速お願いするわ」
随分と立ち直りの早い雪名さんに、さっきのが演技じゃないか疑惑が持ち上がった。しかし、顔を輝かせている雪名さんに、やっぱり無しでとは言いづらい。
まあ、顔を踏むのは勘弁してもらったから……本当に雪名さんには今回は感謝してるし……。昨日はご迷惑かけちゃったし……。あれ?私流されてないよね?
いそいそと私の足元にいつもの土下座スタイルをしてくる雪名さんに、私はいつものようにそっと足を乗せるしかなかった。
第一章 ライブ編 完
第二章へ続く……




