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贄の里  作者: 児島らせつ
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第三章③

 僕は、反射的に身構えた。もし、相手が飛びかかってくるようなことがあれば、頼子の手を引いて、すぐに逃げ出さなければ。そう考えていた。

 緊張に身を固くしながら、人物を観察する。

 男だった。

 年の頃は、四十歳前後だろうか。黒いタートルネックのセーターに着古したジャンパーを羽織り、肩から年季の入ったグレーのバッグを下げている。濃い無精ひげと鋭い眼光が印象的だ。

 久比沼家の関係者でない事実は明らかだった。

 男は、しばらく固い表情をしていたが、やがて何かを諦めたように息を吐くと、目を伏せた。次に顔を上げたときには、柔和な、それでいて少々怪しげな笑みを浮かべていた。

 その笑顔のまま、男は僕たちに近づいてくる。

「いやあ、見つかってしまいましたか。あなた方は、祭りの参加者ですか?」

 芝居がかった営業スマイルが、僕たちの心の隙間から入り込もうと隙を窺っている。

 頼子の前に立ちふさがり、男の懐柔策に取り込まれまいと細心の注意を払いながら、僕はもう一度聞いた。

「あなたは?」

 すると男は、失念していたといった表情をわざとらしく演出しながら、ポケットから何かを取り出した。

「ああ、これは失礼しました。私は、こういう者です」

 男の手に視線を移す。一枚の名刺だった。

「フリージャーナリスト 奥平正彦」と書かれていた。

 本名だろうか。それとも、仮の名前だろうか。

 いずれにしても、ジャーナリストなる人物から名刺の受け取るのは、生まれて初めての経験だった。

 正直、僕にとってジャーナリストとは、怪しげな正義感を盾に他人のプライベートに土足で踏み込んでくる人種というイメージがある。単なるイメージに過ぎないのだが、今、目の前にいる奥平なる男は、まさにそのイメージ通りの風貌だった。

「ジャーナリストの方が、何のご用ですか?」

 仕方なく名刺を受け取った僕が、怪訝な目を向けるのを無視して、奥平は続ける。

「いやあ。実は、この家で奇妙な祭りがおこなわれているという話を小耳にはさみましてね。何でも、三十年おきにおこなわれる、非常に珍しい祭りだとか。そんなに珍しい祭りなら、ぜひこの目で見てみたいと思いまして、先日、この土地の持ち主に取材を申し込んだんですが、知らぬ存ぜぬの一点張りでして……。それでこうして直接、伺ったわけです」

 奥平は、表情の変化を探るように、僕たちを上目遣いでねめつけた。切れ長の目の奥で、黒い瞳が怪しい光を放っていた。

「ところが、いざ来てみると、周囲に怪しげな人たちがおりまして……。ほら、庭木の手入れをしている人とか、ずっと石垣の草を抜いている人とか……。いや、怪しげと言えば、私もそうなんですがね」

 思わず、その点には頷く。

「それはともかく、その人たちに追い払われてしまいまして……」

 腕組みをしていた奥平は、そう言うと、無念そうに息を吐きながら頭を掻いた。仕草が、いちいち芝居がかっていた。

「しかし、やはり祭りの様子をこの目で見てみたい。ジャーナリストの野次馬根性とでもいうんでしょうか」

 奥平の目が輝いた。その言葉だけは嘘偽りの類ではないことを、表情が物語っていた。

「それでこうして、警戒の薄い谷川のほうから崖を登ってきたところ、今度はあなた方に見つかってしまったというわけでして……」

 見ると、ジーンズのそこかしこが茶色くなり、靴に至っては元の色がわからないほどに泥がついていた。谷川の底から崖を上ってきたというのは、口から出まかせではないようだった。

「いやあ、大変でした」

 奥平は大げさに頭を掻くと、この場の空気を読もうともせず、大きな声で豪快に笑った。

「ところで」

 奥平の目が、急に鋭くなった。

「祭りに参加されている方なら、これからどんなことがおこなわれるのか、ご存じでしょう。その内容や目的を、お話し願えませんか」

 こっそり取材をするつもりが、見つかってしまって開き直ったのだろう、ストレートな質問だった。

 右手を入れた胸ポケットの指先が、不自然に動いた気がした。ICレコーダーか何かのスイッチを入れたように見えなくもなかった。

「目的も何も、ただ、来訪神をお迎えするだけの祭りですよ」

 僕は、敢えて困った様子で答えた。実際、それ以上の目的は僕も知らない。むしろ、僕のほうが詳しいことを聞きたいぐらいだった。

 僕の背中越しに様子を伺っていた頼子が、小さく頷いた。頼子に勇気をもらった僕は、言葉を選びながらも、自信をもって続ける。

「あくまでプライベートな祭りですから、お話しできるような特別な内容は……」

 僕の言葉を遮るように、奥平が言葉を発した。

「話せない内容ならある、ということですね?」

 言葉尻を捕らえた、挑発的な言葉だった。思わずむっとしたとき、離れのほうから、野太い声が響いた。

「何をやっている!」

 僕は、びくりとして声のほうを振り向いた。頼子も奥平も、ほぼ同じ表情で僕と同じ方向に顔を向けた。

 離れの影から、功が現れた。太い眉毛が吊り上がり、こめかみに皺を寄せている。心の奥底から湧き上がる怒りを隠そうともしないその表情に、僕と頼子は凍りついた。

 奥平は、功ににこりと笑いかけたが、それより早く、功の野太い怒声が森の木々に木霊した。

「お前は誰だ! ここから出て行け!」

 奥平の顔色が、さっと変わったのがわかった。

 怒りを露わにする功の言葉に、この上ない危険を感じたのだろうか。あるいは、ジャーナリストとしての勘が、功が一筋縄ではいかない人物だと判断させのかもしれない。

 次の瞬間、奥平は素早く踵を返すと、目にも留まらぬ速さで崖のほうに駆け出し、すべり落ちるように崖を下っていった。

 功は、空き地の端に歩み寄り、森の中に歩を進めると、木々の間から崖の下を覗き込んだ。

「あいつは、何者だ」

 明らかに不機嫌な声が、低く重く、木々の間に響く。

「フリージャーナリストだって言ってました」

「ふん。どうせ、ろくでもない記事ばかり書いているんだろう」

 功は、おもむろに僕らのほうに振り返った。

「で、何か聞かれたのか」

「はい。祭りの内容について……。でも、何も特別な内容はないと答えました」

 功は、僕の言葉を聞くと「うむ」と頷いた。納得した様子でもなかったし、機嫌を直した様子でもなかった。

「特別な内容などあるはずはないが、迂闊に外部の人間と口を聞くんじゃない」

 言い残すと、功は踵を返し、離れの陰へと歩を進める。

「もう部屋に戻りなさい」

 僕と頼子も仕方なく、屋敷の方向へ足を向けた。

 そのとき、視界の隅で何かが小さく光った。光を発している足下付近に目を視線を向けると、草むらの間に、長さが十センチほどの銀色の物体が半ば埋もれていた。僕は素早く拾い上げて、その正体を確認する。

 ICレコーダーだった。

 奥平が、慌てて立ち去るときに落としたものに違いなかった。

 僕は顔を上げて、前を行く二人の後ろ姿に目を遣る。功はもちろん、頼子も気づいていないようだった。

 僕は、長方形の記録媒体をポケットに捻じ込むと、何ごともなかったかのように二人の後を追った。

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