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贄の里  作者: 児島らせつ
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第三章②

 屋敷に戻ったときには、昼近くになっていた。

 十二時からは、座敷で「ひるがれいの儀」とよばれる儀式がおこなわれることになっていた。

 昼食のことを古来からの言葉で「昼餉」というが、この漢字は「ひるがれい、ひるがれひ」とも読むらしい。つまり、ひるがれいの儀とは、現代語に訳すと「昼ご飯の儀式」という意味になる。

 この儀式は、祭りを通じて四回、おこなわれる。文字通り、昼ご飯を食べる儀式なのだが、儀式という名がつくだけあって、ただ食べるだけというわけでは、もちろんない。さまざまなしきたりがある。十二時開始というのも、その一つだった。

 指定された時間の五分前になったので、僕は部屋を出た。頼子の部屋の前を通るときに足を止め、それとなく部屋の中の様子に耳を澄ました。しかし、人がいる気配はなかった。

 すでに、座敷に向かったのだろうか。僕は再び歩きはじめると、頼子が今しがた通ったであろう階段を、一人で下りた。

 微かに、頼子の残り香を感じた気がした。

 座敷は、隣の部屋との間を隔てる襖が外され、広い空間に変わっていた。

 畳の上には、僕たち家族五人分のお膳が置かれている。僕以外の家族四人は、やはりすでに席についていた。僕は、恐縮する気持ちを精一杯、態度で示しながら、遠慮がちに自分の席に着いた。

 小さく深呼吸をして、周囲を見渡す。お膳の奥、上座に当たる場所には、来訪神の装束に身を包んだ人物が二人、胡坐をかいていた。

 朝、祠の中に飾られていた装束に間違いなかった。

 来訪神の左右には、笛や太鼓を手にした男たちが数人、控えていた。笛を担当している男たちのなかには、僕を面接した小池の顔も見えた。

 十二時になると、縁側を歩いて登場した例の宮司が、再び祝詞を唱えはじめる。祝詞の終了を合図に、僕たちは目の前のお膳に載った食事に箸をつけた。

 笛と太鼓が、厳かな調べを奏でる。その調べに合わせて、来訪神が舞った。

 神の舞いと聞いて、神秘的で重厚な踊りを想像していた。しかし、その内容はむしろひょっとこがおどけて踊りそうな、とても滑稽な仕草の舞いだった。人間世界から遠い場所にいる崇高な神ということではなく、あくまで身近な神であるということを、暗に示しているのだろうか。

 奇妙なのは、舞いの雰囲気だけではない。神が舞う前で普段通りの食事をするというのも、何ともシュールな行為だ。やや不条理にも見えるこの儀式は、日常生活を営んでいた家の中に、気がつかないうちに来訪神がやってきたという場面を再現しているらしかった。

 ちなみに、食事の最中には会話をすることが許されない。僕たちは神妙な面持ちで黙々と食事を続け、その間中、来訪神は奇妙な舞いを舞い続けていた。


          *


 ひるがれいの儀の終了とともに、本日の儀式は終わった。

 来訪神と楽器奏者たちがぞろぞろと列をなして座敷を引き上げ、僕たちも各々、自分の部屋に戻った。

 午後、再び退屈な時間が訪れた。

 屋敷の中は、隅から隅までというわけではないが、昨日、一通り歩き回った。

 ――今日は、建物の外を散策してみようか。

 持て余した時間を効率よく浪費するためには、能動的に行動するしかない。午後二時から四時までの自由時間は、建物内で過ごすことが推奨されているとはいえ、外出に対して具体的な罰則があるわけではない。

 僕は、屋外に未知の娯楽が存在するかもしれないという、限りなく低い可能性に賭け、部屋を出ると階段に向かった。廊下に出たとき、無意識に耳を澄ませたが、頼子の部屋からはやはり物音が聞こえることはなかった。

 玄関から外に出ると、昼間の眩しい陽光が頭上から降り注いだ。

 人間は、太陽光を浴びることで体内時計の僅かな狂いをリセットしているのだという。さらに、人体の必須要素であるビタミンDは、太陽光を浴びることで生成が促進されるという。そのせいかどうかはわからないが、二日ぶりに屋外で浴びる太陽光に、未知のエネルギーが沸き上がってくる気がした。

 飛び石の上を門に向かって歩き、途中で右に折れて、池のある庭の方向に進む。池と、その周囲を取り囲むように植えられている木々の周辺に、人の気配はなかった。

 ただ、遠くに僅かに見える敷地の境界付近には、草刈りや庭木の枝打ちなどの作業をおこなっている男たちが数人、つねにいた。僕は試しに、敷地の外れ近くまで歩いて進んだ。

 彼らは、僕が敷地の境界である石垣付近に近づくと、一様に手を止め、それとなく僕のほうに視線を寄こす。その目の鋭さは、まるで罪人を監視する看守のそれだった。

 恐らく、彼らは久比沼家の一族の者なのだろう。作業をしながら、僕が怪しい動きをしないか見張っているのに違いない。そんな想像をした。

 僕は無意識のうちに、男たちの姿が視界に入らない場所、すなわち僕自身が落ち着ける場所を探していた。最初は石垣に沿って右に向かって歩き、やがて石垣が崖に取って代わると、さらに崖に沿って歩く。

 気がつくと敷地の西側、離れの裏側に立っていた。裏側と言っても、離れからは数十メートル以上離れた場所だ。そこは、森の中にぽっかりと開いた空き地のような場所だった。

 すぐ左側を見ると、切り立った崖の下を谷川が流れている。

 周囲を見渡したが、男たちの姿は見えなかった。裏山と崖に囲まれ、怪しい動きをしようにも、決してできない場所だということなのだろう。

 と、前方の木の影に、人影が見えた。

 ――誰だ?

 目の錯覚かと思いながらも、淡い期待を込めて目を凝らす。

 今度こそ、頼子だった。

 僕の心臓が、ドキリと小さく、不規則に収縮した。

 頼子は、僕が草を踏み締める音に気づいたのだろうか、それとも僕bの心臓の音を聞いたのだろうか、不意に頭を上げてこちらを向いた。

 声をかけようと、操り人形のようにぎくしゃくとした動きで足を踏み出すと、頼子は自分の唇に細く長い人差し指を当てた。形の整った、美しい唇だった。

 僕の視線は、思わず頼子の唇に釘づけになった。すると、頼子は唇に当てていた人差し指をゆっくりと左に向けた。

 スラっと伸びた人差し指の先を辿る。そこは、崖に面した森だった。

 僕は、指の先が差している付近を目を細めて見つめる。一本の幹の影に微かに見えていた黒っぽい影が、ゆらりと動いた。

 一人の人物の背中だった。

 僕は、頼子と目を合わせると小さく頷き、動揺を押し殺しながら声を張り上げた。

「誰だ!」

 叫ぶと、その人物はビクリと肩を震わせ、ゆっくりと振り向いた。

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