表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
贄の里  作者: 児島らせつ
6/22

第三章①

第三章


 最初の二日間、つまり僕が到着した当日と翌日は、何事もなく一日が過ぎていった。

 というか、何事も起こりようがなかった。

 家族の一員を演じながら過ごすといっても、所詮は外部の人間だ。廊下などでたまたま顔を見かけたとしても、家族との距離感や共通の話題を探るのに精一杯で、積極的に交流することもままならない。

 食事も、なぜか決められた時間に台所の横にある居間に行き、一人ずつでとることになっていた。佐世の説明では、祭りの間はそのような食事のとり方をするよう決められているのだという。

 家族団らんなど、あったものではない。

 そもそも、トイレや風呂などの避け難い用事を除いては、基本的に部屋から出ることが禁止されていた。自由時間である午後二時から四時までは部屋から出ることが許されているのだが、自由時間と言っても建物の中で過ごすことが推奨されていて、あまり屋外には出ないように申し渡されていた。

 着替えも、部屋に来た佐世の手で回収されて洗濯された後、返却されるという念の入れようだった。

 このような生活では、家族どうしの自然な交流が生まれるほうが不思議だ。結果として、引き籠り気味の状態のまま、ただ時間だけが過ぎていく。そんな感じだった。

 ――頼子は、どんな時間を過ごしているのだろう。

 二日目の朝、ふと思いを巡らせて部屋の中で耳を澄ましてみた。しかし、同じ二階にあるはずの頼子の部屋からは、まったく物音が聞こえてこない。

 部屋にいるものの、身動き一つしないで過ごしているのか、それとも祭りに関する何らかの用事で部屋にいないのか。あるいは、もともと音が聞こえないように、部屋の内側と外側が分厚い壁に隔てられているのだろうか。ろくに顔を合わせないので確認のしようもなく、真相はわからなかった。

 さまざまな娯楽に溢れている都会と違い、余った時間を半自動的に潰してくれる手段は、ここにはない。時間を持て余した僕は、午後二時に始まる自由時間を利用して、家の中を歩いて回ることにした。

 部屋を出ると、まず二階の廊下を進んで、階段を目指した。廊下の北側には物置が二部屋並び、南側には奥から研一の部屋、空き部屋、頼子の部屋と三つの部屋が並んでいた。やはり、頼子の部屋から物音は聞こえなかった。

 僕は、頼子の部屋の前を通り過ぎると一階に降りる。廊下を抜けて、庭に面した縁側に進んだ。

 縁側の右側には、障子を隔てて功が寝起きする座敷があり、その奥には幸作と雅代が暮らす和室があるはずだった。歩きながら何気なく耳を澄ませてみたが、座敷にも人の気配は感じられなかった。

 まるで、無人であるかのような不気味な静寂が、屋敷全体を包み込んでいた。

 突き当りで左に折れた縁側の先にはトイレがあり、さらに先には離れが建っていた。かつては子供部屋として使われていたが、今は空き部屋であるとのことだった。引き戸を開けようとすると、鍵がかかっていた。

 仕方なく玄関に戻り、上がり框に面した客間のドアに手をかけようとしたとき、客間の中から鐘が鳴るような金属音が響いた。音は四回、廊下に反響した。

 腕時計を見ると、針は午後四時を指していた。自由時間は終わりだ。客間を覗く行為を諦めた僕は、さしたる収穫もないまま、部屋に戻った。


          *


 その日の夜、退屈さに負けて、本棚の中に見つけた江戸川乱歩を読んでいると、ドアをノックする音が聞こえた。

 初日、佐世が荷物を検めにやってきたとき以来のノックだった。

 一瞬、頼子ではないかと微かな願望が頭をもたげたが、やはり今回も、楽観的な期待はいとも簡単に裏切られた。

 入口の前に立つ佐世は、まるでからくり人形のような通り一遍のお辞儀をしながら、今日も冷たい言葉を言い放つ。

「明日、最初の儀式をおこないます。午前五時三十分に、奥の座敷においでくださいませ」


          *


 三日目。

 最初の儀式がおこなわれる日だ。

 儀式は、まず神社へのお参りからはじまる。

 だが、いきなりお参りをはじめるわけではない。その前に、家族が一人ずつ、井戸の水で身を清めなければならない。いわゆる、禊だ。

 この祭りの禊は、白装束に身を包んだ家族が一人ずつ、蔵の向こう側にある井戸で水を浴びるという内容らしい。

 朝、僕たちはあらかじめ用意されていた白装束に身を包むと、日の出とともに部屋を出て座敷に集まった。すでに、僕以外の全員が集まっていた。

 六時になると、まず当主である功が玄関を出て、井戸に向かう。しばらくして、功が水を滴らせながら戻ってくると、続いて幸作が井戸に向かう。こうして、家族が順番に身を清めるのだ。

 全身がずぶ濡れとなった功は、幸作が戻ってくるまでの間に、玄関横の和室で佐世に手伝ってもらいながら、新しい白装束に着替えた。同じ手順で、禊が終わった者は一人ずつ、新しい装束に着替えるらしかった。

 幸作が戻ってくると、いよいよ長男である僕の番となった。僕は玄関を出ると、無言で母屋の東側にある井戸を目指した。

 蔵を回り込んだ場所に掘られている井戸は、ちょうど数本の木に囲まれ、周囲からは見えにくくなっている。僕は井戸の傍らに立ち、木桶を水面に落として引き上げると、中の水を頭から被った。

 白装束の下にTシャツを着ていたが、それでも布地に浸み込んできた水に、体温を一気に奪われた。頭がキーンとして、体中の筋肉が瞬間的に収縮した。

 一回でやめてしまおうか。恐らく、ばれはしないだろう。そんな邪な考えが頭をよぎったが、高額のアルバイト料を受け取る以上、そういうわけにもいかない。

 僕は、寒さに懸命に耐えながら、決められた通りに三回の水浴びを終えると、震えを抑えるのも忘れて小走りで母屋に戻った。

 禊は、神話の中で黄泉の国から戻った伊弉諾尊が、日向だったかの海岸で身を清めたことにはじまるという。が、そんな歴史などどうでもよくなるほどの、冷水の厳しい洗礼だった。

 先が思いやられた。

 その後、雅代と頼子が身を清め終わると、新しい白装束に身を包んだ僕たちは、暖房の効いた部屋でいったん身を温めた後、功を先頭に敷地内への神社へと向かった。

 母屋の裏側から山に向かって伸びる細い山道を五分ほど登ると、山の斜面を切り崩してつくったらしい小さな平地に、粗末な祠が見えた。その場所も、久比沼家の敷地内ということだった。

 肝心の神社は、神社本庁に所属していないプライベートな神社で、とくに名前はなく、便宜上「久比沼神社」と呼ばれているらしい。

 僕たちは、その祠の前に並んで立った。

 祠の前面には、やはり粗末な引き戸が取りつけられている。引き戸の格子から、僅かだが薄暗い内部の様子を伺うことができる。

 祠の中には、鬼のような形相をした巨大な面が二つ、後ろの壁に立てかけられるようにして置かれていた。宗教学の資料で見た、ナマハゲの面に似ているように思われた。

 面の下には、それぞれの面とセットになっているのだろう、藁でつくった蓑のような衣装がぶら下がっていた。

 見るからに、恐ろしげな衣装だった。

 以前から漠然と考えていたのだが、古来からの民間伝承にありがちな「鬼のような神が人々に幸せをもたらす」という話は、根本的な矛盾を孕んでいる気がする。

 ――鬼がもたらすのは、不幸ではないのか。

 祠の中の来訪神たちを眺めながら、そんなことをぼんやりと考えていると、僕たちが来た道を通って、神事用の斎服を着た人物がやってきた。彼は久比沼家の一族の者の一人で、麓の神社で宮司を務めているらしい。

 その人物は、恭しい態度で僕たちの前に立つと、やがて祝詞を唱えはじめた。内容はわからないが、マニュアルによると、来訪神が前回やって来て以降の三十年間、一族が善行を積んできたことを報告する内容であるとのことだった。

 神社への参拝を終えると、僕たちは寒い中、心と体を震わせながら、もと来た道を屋敷に戻った。

 いや、震えていたのは、僕だけのようだった。功はもちろん、幸作も雅代も、寒さを感じている様子を微塵も見せずに背筋を伸ばし、神妙な面落ちで歩いていた。最後尾を歩く頼子を、ちらりと横目に見る。頼子も、小ぶりな唇をきりりと結び、強いまなざしで歩を進めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ