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贄の里  作者: 児島らせつ
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第二章①

第二章


 そして今、僕はこうしてG県北部の山奥にある屋敷の玄関に立っている。

 母親の雅代に迎えられた僕は、脱いだ靴を揃えると上がり框に足をかけ、屋敷の中に足を踏み入れた。そのまま、板張りの廊下をゆっくりと進む。

 足を一歩踏み出すたびに、木の板がぎしりぎしりと小さく鳴く。音が鳴るたびに、僕という存在が少しずつ、現実世界から離れていく気がした。

 板の音を聞きながら、あらためて雅代に目を向ける。明らかにつくり笑顔とわかる不自然な表情から、彼女の感情を読み取ることはできなかった。

 ふと、雅代の後ろに小柄な女性が立っている事実に気がついた。

 恐らく七十歳台と思われる、年老いた女性だった。あらかた白くなった髪の毛を後ろで束ね、地味な灰色のカーディガンの上にエプロンを羽織っている。

 マニュアルによると、屋敷の中には主人である久比沼功と、功の長男であり研一の父親である幸作、母親の雅代、そして妹の頼子が暮らしていると聞いていた。加えて、住み込みのお手伝いである佐世という女性が、家族の身の回りの手伝いをしているという話だった。

 恐らく、この女性が佐世なのだろう。

 佐世は、雅代の後ろに影のように佇んだまま、僕に向かって静かに頭を下げた。丁寧だが、感情を現す意志が微塵も感じられない、存在感のないお辞儀だった。

 僕は「じゃあ、取り敢えず部屋に行くよ」と言い残して、雅代の前を通り過ぎる。続いて、佐世に軽く頭を下げると、研一の部屋がある二階へと続く階段の方向に向かった。

 階段の右手前に、木製のドアが見えた。その前に差しかかったとき、突然ドアが開き、老人と中年男性が姿を現した。老人は、この屋敷の主である久比沼功、そして中年男性は父親である久比沼幸作に違いなかった。

 マニュアルによると、功は八十歳をとうに過ぎているとのことだった。が、目の前で見る功は、とてもそうは見えない屈強な体つきをしていた。

「ただいま帰りました」

 研一を演じながら、二人にも頭を下げる。

 幸作は一瞬、驚いた様子だったが、僕が研一である事実をすぐに察したのか、「おかえり」と穏やかな笑顔を浮かべた。

 息子を懐かしげな視線で見つめる幸作の横で、功は「遠路、ご苦労だった」と、ごく短い言葉を口にしただけだった。優しそうな雰囲気をもつ幸作とは対照的に、無表情で近寄り難い空気を纏っていた。

 孫との再会を懐かしむ様子もなく、何ごともなかったかのように廊下の奥へと進む功の後を、幸作が慌てたように追いかけた。二人の姿は、親子というよりも、まるで師匠と弟子、あるいは主人と小間使いという関係のように見えた。

 ――これから二週間、ここでこの人たちとともに過ごすのだ。

 そう考えると、少しだけ気持ちが重くなった。

 二階に上ると、目の前を左右に伸びている廊下を右へと進む。研一の部屋は、確か一番奥、南西の角部屋だった。

 この屋敷の一階は、玄関横にある客間を除くすべての部屋が、伝統的日本家屋の様式に則った和室になっている。それに対して、二階はすべての部屋が洋室となっているらしい。

 もともとは和室だった部屋を、洋室に改装したのかもしれない。いずれにしても、珍しい建築様式があるものだと妙な部分に感心しながら、廊下に連なるいくつかのドアの前を通り過ぎた。

 廊下を右へと折れて、数歩ほど進んだときだった。目の前のドアが、音もなく開いた。二階は無人だと勝手に想像していた僕は、驚きのあまり立ち竦んだ。同時に、開いたドアの隙間に反射的に視線を送る。

 一人の女性が立っていた。

 美しいなかにも、やや幼さが感じられる女性だった。膝下丈のグレーのスカートと、白いタートルネックのセーターが華奢な体を優しく包んでいる。強く持つと折れてしまいそうな細い腕と、スカートからすらりと伸びた足が印象的だった。

 女性は僕の存在に気づくと、驚いた様子で小さく息を吸い、硬直した。肩部分にかかったロングヘアが、微かに揺れた。

 体を固くした二人が、無言のまま向かい合う形になった。

 ――この女性は……。

 立ち竦みながら、僕はマニュアルに書かれていた家の間取りを、頭の中で今一度、確認した。

 ――そうだ。確か二階には妹である頼子の部屋があった。

 今まで、すっかり忘れていた。僕は、マニュアル内にあった頼子の情報を、慌てて思い起こす。

 ――頼子は、確か高校二年生だったはずだ。

 目の前の女性は、まさにその年頃に見えた。

 ――この女性が、頼子に違いない。

 僕は小さく咳払いをすると、頼子の緊張を解きほぐそうと、可能な限り優しい表情で「ただいま」と微笑んだ。頼子は、僕の言葉で我に返ったのか、小さな声で「お帰りなさい」と返事をした。

「驚かせちゃったかな。ゴメン」

「ううん。こっちこそ」

 頼子は伏し目がちに、ぎこちなく笑った。しかし、頼子が発した言葉はその一言だけだった。続く言葉が出てこない。話すべき言葉を、頭の中で探しているかのようだった。

 僕が無理やり会話を繋げようとした、そのときだった。階段の方向から「頼子様」と、感情を伴わない平坦な声が聞こえた。声の方向を見る。佐世だった。

「頼子様。奥様が、お呼びでございます」

 頼子は、思わぬ助け舟の登場に緊張から解き放たれたのか、ほっとした表情を見せた。一方の僕はというと、頼子と間近で見つめ合っていた場面を見られてしまったことに対して、急に気恥ずかしさがこみ上げてきた。

 僕は、慌てて「じゃ、また後で」と言い残すと、頼子の前を離れた。

「うん」と消え入りそうに細い、しかし耳に心地よい声が背中越しに聞こえた。

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