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贄の里  作者: 児島らせつ
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第八章

第八章


 その後、東京に戻った僕は、あの屋敷でのできごとを、できるだけ思い出さないように努めていた。

 いや、思い出さないようにする以前に、よく覚えていないというのが正直なところだった。

 山奥にはおよそ不似合いな、あの屋敷の佇まい。屋敷にいた人たちの顔や声……。すべての記憶が霧に包まれたように曖昧で、不確かなものになっていた。

 芽依の存在も、例外ではなかった。

 ――あれば、夢だったのではないだろうか。

 そう考える瞬間も、幾度となくあった。

 そんな毎日を過ごしていた僕だったが、帰ってきてから二週間ほどたった日、たまたま大学の図書館で新聞を読んだ。その記事の内容から、僕は自分の記憶が幻ではなかった事実に加え、その後の屋敷のようすを知ることとなった。


駆けつけた警察の手で、廃屋の奥から十数名の男性が気を失った状態で発見された。彼らは全員が麓の住民で、なぜそのような場所にいるのか、そこで何をしていたのか、まったく記憶がなかったという。また、屋敷に隣接する蔵の奥にある隠し部屋からは、フリージャーナリストの奥平正彦さん(四十)、塩漬けにされた状態の身元不明の男女各一名の遺体が発見された。


 近くにある神社が燃えていたという記述もあったが、神社内から遺体が発見されたという記述はなかった。

 ――佐世はともかく、芽依はどこへ行ってしまったのだろう。

 そう思いながら、僕は記事を読み進めた。


また、林道脇の土砂崩れ跡から、女性の白骨遺体が発見された。所持品から、女性は十五年前に母親に会うと言い残したまま、現場付近で行方不明になっていた徳永芽依さん(当時二十)と判明した。

さらに、そのすぐ近くから、死後数日と見られる身元不明の二十歳前後の女性の遺体も発見された。警察は、女性の死因と身元についても、調べを進めている。


 愕然とした。

 芽依から「母親が前回の祭りに参加していた」と聞いたときの、棘のような違和感の正体は、これだったのだ。

 頼子を演じていた芽依は、明らかに二十歳前後だった。しかし、母親が前回の祭りに参加し、行方不明になったのは三十年前。どう考えても、年齢が合わない。

 ――あの芽依は一体、何者……。

 僕は、そこまで考えて、考えるのをやめた。

 ――答えは、わかり切っている。

 祭りに参加する前の僕だったら、そのような結論は即座に否定しただろう。しかし今となっては、それ以外の結論は思いつかなかった。

 彼女は、かつて存在した存在であり、同時にこの時代には存在しない存在だった。そして僕は知らず知らずの間に、彼女の母親の仇、つまりあの忌まわしい祭りの首謀者が誰であるかを突き止める役割を担っていたのだ。

 では、芽衣のすぐ近くで亡くなっていた女性は……。

 恐らく、もともと祭りに参加するはずだった女性だったのだろう。


          *


 祭りのアルバイトは、当然だが一文にもならなかった。

 僕に祭りのアルバイトを紹介した花井は、大学構内を歩く僕を見つけると、嬉しそうに近寄ってきた。

「アルバイト、どうだった?」

「ああ、ルールを破って、途中で解雇されたよ」

 そう告げると、花井はまず呆れた顔をし、次に我がことのように残念そうな表情で肩を落とした。

 大学から遠からぬ場所にあるファストフード店でコーヒーを飲みながら、僕は花井の落胆ぶりを回想して、一人で思い出し笑いをした。

 ――やはり、一攫千金を狙って怪しげなアルバイトに飛びつくよりも、堅実に働いてコツコツと稼ぐことができるアルバイトを探すべきなのだ。

 今回の事件で、そう思い知らされた。

 いつも学生たちで賑わっている店内だが、今日は珍しく、僕のほかに客は数人しかいなかった。

 店内を見回した視線を、すぐ目の前に戻した、そのときだった。

 僕の目の前の席に突然、一人の女性が腰かけた。

 いつの間に店に入ってきたのだろう。まったく気がつかなかった。

 僕は、斜め前の窓の方向を向いたままで、女性にちらりと視線を移動させた。面識のない女性だった。

 ――こんなに客が少ない店で、相席か?

 怪訝に思ったとき、彼女は頬杖を突き、無邪気な笑顔で僕に話しかけてきた。

「割のいいバイト、クビになったんだって? 花井君から聞いたよ」

 どうやら、花井の知り合いらしかった。

 だが、知らない人物に自分の黒歴史を指摘されて、気分がいいはずはない。僕は、彼女を敢えて無視して、コーヒーを口に運んだ。

「あ、感じ悪い」

 彼女は軽く笑った。言葉とは裏腹に、僕の反応に気を悪くした様子でもなかった。

「ねえ、知ってる? 花井君は知らなかったみたいなんだけど……」

 彼女は、テーブルに両手をつけて、身を乗り出した。妙に馴れ馴れしい態度だった。

「あのバイトに関しては、ちょっとした噂があるらしいの」

 僕は、コーヒーカップを持つ手を止めた。

「何でも、“心に闇がある人”が採用されやすいんだって」

 ――どういう意味だ?

 言葉の意味を問い質したかったが、相手の正体や目的がわからない限り、迂闊に会話に乗るわけにはいかない。僕は問いかける代わりに、止めていた手を再び動かしてコーヒーを飲んだ。

「あの祭り、神隠しを再現して来訪神に幸福をもらう祭りって話だけど、結局は来訪神に生贄を捧げるって内容でしょ。生贄なんだから、きっと清廉潔白な人間よりは、心に瑕や闇がある人の方が相応しいのよ。あなたもそう思わない?」

 問いかけられても困る。

 ――そもそも、この彼女はなぜ、あの祭りについて、こんなにも詳しいのだ。なぜ、僕に対して、こうも詳しく語りたがるのだ。

 彼女は、無関心を装う僕の態度に不満を感じたのか、さらに身を乗り出した。

「だから、罪を犯した人、心に闇をもった人が生贄にされるの。でも、そんな人たちを探して集めるのかっていうと、ちょっと違うんだよね」

 ――何が言いたい。

 僕は、女の語り口に、態度に、話の内容に、そして存在そのものに、耐えがたい苛立ちを覚えはじめていた。そんな憤懣を弄ぶように、女は上目遣いに僕を見つめながら、怪しく微笑む。

「あの祭りには、そんな人たちが吸い寄せられるように集まってくるの。お父さん役の人は特殊詐欺の連絡役だったし、お母さん役の人なんて幼児虐待で逮捕歴まであったんだから。びっくりよね」

 僕は思わず立ち上がり、テーブルに掌を叩きつけた。

「いい加減にしてくれ!」

 周囲の人びとが、二人を振り返った。女は、僕の声も、周囲の視線もまったく気にすることなく、感情を押し殺したような声で呟いた。

「香菜さん、どこに行ったのかしらね?」

 僕は、思わず拳を握り締めた。その拳は、ブルブルと震えていた。

「なぜ今、香菜の話を……」

「私ねえ、知ってるのよ。香菜さん、伊豆ヶ岳の林道脇の冷たい土の下で眠っているんでしょう? 可哀想に……」

 女は額に皺を寄せながら、僕を糾弾する口調で、刃物のように鋭い言葉を吐いた。

「そんな彼女を埋めたのは、あなた」

 僕は、我を忘れて絶叫した。

「なぜ、それを……。そもそも、お前はいったい何者なんだ!」

 周囲の視線など、もはや関係なかった。僕は、恐怖と怒りを込めた視線を彼女に送る。

 そこには、確かに香菜がいた。

 青白い顔をした香菜は、僕を見上げると、恨めしそうに表情を歪めた。

「私、悪いことなんて何もしてないのに……。なのにどうして、私の首を絞めて、山に埋めたの?」

 理由は、今さら言うまでもない。別れ話のもつれだった。ただ、殺す気などなかった。気がついたとき、僕の手は香菜の首にあり、彼女はすでに息をしていなかった。

「……仕方、なかったんだ」

 そんな自己弁護の言葉を口にしたとき。

 香菜の顔が溶け落ちるようにみるみる形を変え、一人の老婆のそれに変貌した。

 ――佐世!

「あなた様の心の闇は、祭りに欠かせないものでございます」

 僕の前の席に座った佐世は、氷のように冷たい表情を崩さないまま、恭しく頭を下げる。

「四回目のひるがれいの儀がはじまりますゆえ、お迎えに上がりました。いよいよ、あなた様の番でございます……」


                    (了)

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