第六章③
「あれはいったい、何だったの? こんなことをあなたに聞くのはどうかと思うけど、誰かに確認せずにはいられなくて……。もし何か知っていることがあったら教えて。お願いだから」
思い詰めた表情だった。話の内容も、ただ事とは思えなかった。
しかし、同時に”あなたのお父さん”という表現に違和感を覚えた。
「”あなたのお父さん”って、どういう意味?」と問い詰める。
頼子は、不思議そうに答えた。
「言葉通りの意味よ。だってあの人、あなたのお父さんなんでしょう?」
翔也という正体を封印し、あくまで研一を演じることを求められている僕は、言葉を選びながら答える。
「いや、僕のお父さんでもあるけど……。本来は君のお父さんだろ」
「私のお父さんであるはずがないでしょ」
頼子は、少々苛立ちを含んだ表情を見せ、僕の腕を振りほどいた。
「だって、本当の家族であるあなたと違って、私はこの家の家族の娘役を演じてるだけなんだから。あなたも知ってるんでしょう?」
「“演じてる”だって?」
僕は、そのとき初めて知った。頼子も僕と同じように、祭りに参加する外部の人間として、この地にやってきたのだ。
僕は、研一を演じているという役割を忘れ、高山翔也としての言葉を思わず口にした。
「僕はてっきり、君たちは本当の家族だと……。実を言うと、僕もアルバイトでここに来て、家族を演じていたんだ」
一瞬、しまったと思った。しかし、自分が本当の家族ではないことを告白した人物を前にして、自分だけが久比沼研一を演じている意味がないのも、また事実だった。
「それ、本当?」
頼子は僕の言葉に目を見開いた。そして次の瞬間、両手で顔を覆うと、その場にしゃがみ込んだ。
「わけがわかんない! 何なの!」
肩が震え、指の間から嗚咽が漏れ聞こえてきた。
「……こんなの、もう嫌だ!」
頼子は、明らかに混乱していた。
無理もない。深夜にただならぬ光景を目にしたと思ったら、次の日にはいきなり何者かに襲われた。それに加え、事情を知っているはずだと助けを求めた人物が、ただのアルバイトだったのだ。
心情を察するに、余りあった。しかし、放っておくわけにはいかない。
「僕は、君の味方だ。できる限り力になる。だから落ち着いて」
僕は半ば本能的に、頼子の左肩に右手を添えると、自分の正体を正直に打ち明けた。
「僕は、本名を高山翔也っていうんだ。さっきも言ったように、ここへ来たのは、祭りに参加するアルバイトに採用されたからだ」
契約違反ではあるが、こうなった以上は仕方がない。そう覚悟を決めた。
そもそも、頼子も本当の家族でない以上、契約違反である内容を含む二人の会話が、この屋敷のほかの人物の耳に入る心配はない。
僕は、心の扉を開くよう、頼子に目で促した。
「もしよかったら、君が何者かという話も、聞かせてくれないか」
彼女は、僕の言葉に多少なりとも落ち着きを取り戻したのか、ほんの少し顔を上げ、ぽつりぽつりと語りはじめた。
本名は徳永芽依であること、出身はこの地方と同じG県内だが、神奈川県の大学に進学したこと、現在は大学一年生であること、そして、この祭りに参加して家族を演じていたこと……。
僕は、頼子、いや芽依の話を聞きながら、すべてを理解した。
僕以外はみんな、本当の家族だと思っていたが、僕以外にも家族を演じているだけの人物がいたのだ。いや、恐らく父親も母親も、同じようにかりそめの家族を演じていたのに違いない。
そうだ。
この祭りは、今までも何かがおかしかった。全員が、家族にしては不自然なほどによそよそしかったし、みんなが功に怯えているようにさえ見えた。ひるがれいの儀の度に、参加者が一人ずつほかの場所に移動するというのも、冷静に考えると腑に落ちない。
ただ、僕は迂闊にも、そんな祭りの奇妙さに気づいていなかった。
いや、正直に言おう。本当は薄々気づいていた。にも関わらず、気づかないふりをしていた。まさかという思いと、杞憂であってほしいという願望……。それらが強いあまり、現実から目を逸らしていたに過ぎなかったのだ。
「僕たちは、みんな同じ立場だったんだ。きっと、お父さんとお母さんも偽りの家族……。恐らく、この家の家族のなかで真実を知っている久比沼家の関係者は、恐らくあの功爺さんと佐世さんだけだったんだよ」
「でも、祭りの前に『ほかの家族も家族を演じているだけの赤の他人だ』なんていう説明はなかったよ。一体なぜ、そんな大事なことを隠していたの?」
「自分以外は本当の家族だと思い込んでいたら、家族の目がある手前、自分だけで祭りを台無しにするような行動をすることができない。つまり、お互いに監視させて、僕たちに裏切り的な行為をさせないための嘘だったんだよ!」
――そして、父親役の男性も、母親役の女性も……。
その先の推測は、恐ろし過ぎて、言葉にすることが憚られた。僕が躊躇していると、芽依は何かに気づいたように顔を上げた。
「お父さん役の人もお母さん役の人も、赤の他人……。そして、少なくともお父さん役の人は、深夜に蔵のほうに引きずられていった。その人はきっと……」
芽依の表情が、見る見るうちに強張った。全身が震え、額から一筋の汗が滴り落ちた。震える唇を懸命に動かし、力なく呟く。
「きっとお父さん役の人も、お母さん役の人も、二人とも、あのお爺さんに殺されたのよ。そして、蔵の中に隠されてるんだわ!」
芽依自身が襲われた事実を含め、あらゆる状況証拠をもとに考える限り、彼女の推理はとてつもなく真実に近いように思われた。
恐らく、芽衣を襲ったのも功なのだろう。
奥平の話を聞いたとき、家族四人はあくまで生贄の役を演じるにすぎないと、楽観的に考えていた。しかし、そうではなかった。四人は、本当の生贄だったのだ。
芽依は運よく無事だったが、もし僕が駆けつけなかったら、あるいは今までの二人と同じ運命を辿っていたのかもしれない。
背筋を、戦慄が走り抜けた。
僕は、奥平から聞いた内容を、包み隠さず芽依に話した。この集落では昔から神隠しが起こっていたこと、やがて神隠しと来訪神の進行が融合して今の祭りがはじまったこと、祭りのなかでは家族四人が生贄として来訪神に捧げられること……。
できれば、芽依に話したくはなかったが、こうなった以上、話す以外の選択肢はなかった。
案の定、芽依は衝撃を受けた様子だった。話し終わった僕が芽依を見ると、目を見開き、僕の顔を見つめたまま硬直していた。
次の瞬間、血の気を失って崩れ落ちが芽依を、僕はすんでのところで抱き留めた。そして、腕の中で力なく目を瞑っている芽依に対して、心を鬼にして語り掛けた。
「今ここで、こんなことをいうのは、君にとって酷かもしれないけど……。でも、聞いたほしい。僕たちの身を守るためにも、まずは父親役の男性と母親役の女性がどうなっているかを確かめよう。そして……、僕たち自身の身の安全を図らなければ。
芽依は、僕の言葉に目を開けると、僕の上着の袖を掴んで上体を起こした。
「取り敢えず、蔵の中を調べてみよう。ただ、二人が別々に行動するのは危険だから、一緒に行こう。立てるかい?」
芽依は、小さく頷いた。
芽衣の目の中に、先ほどまで宿っていた怯えは消えていた。代わりに、小さいながらも力強い覚悟の光が灯りはじめていた。