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贄の里  作者: 児島らせつ
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第六章②

 深夜二十四時。

 頼子は、自分の部屋で研一を待っていた。

 ただでさえ、周囲に何もない山奥の屋敷だ。一人の部屋は、気味が悪いほどに静かだった。

 ひょっとしたらこの屋敷には、自分一人しかいないのではないか。そんな錯覚に陥り、頼子は恐怖した。油断をすると、静寂の中に魂が吸いこまれてしまいそうな気がした。

 窓を覆うカーテンが、僅かに揺れた。一瞬、びくりとしたが、よく見ると、窓と窓の間に、ほんの僅かな隙間が見えた。どうやら、先ほど戸締りしたときに、閉め方が甘かったらしい。

 窓を閉めようと、窓際に歩み寄る。

 隙間から、真夜中の空が見えた。雲間から覗く月の心もとない明かりが一瞬、頼子の頬を照らした。が、月はすぐに空を覆う雲の間に隠れ、窓の外には再び漆黒の闇が訪れた。

 闇が、心の中にそっと忍び込んでくる気がした。頼子は慌てて窓を閉め、カーテンを引いた。気持ちが恐怖に押し潰されてしまわないように、これから自分がなすべきことを、あらためて考える。

 ――昨日のできごとについて、研一さんに相談する。そして、真相を確かめる。

 頼子は決意を新たにしながら、二回目の儀式が終わった日、つまり昨日のできごとを思い返した。

 それは、深夜二十三時頃のことだった。

 一階の外れにあるトイレで用事を済ませた頼子は、自分の部屋に戻る途中で、ふと足を止めた。

 耳を澄ます。

 ズルズルと何かを引きずるような物音か聞こえた。蔵のある方角からだった。

 最初は、佐世が庭掃除でもしているのかと考えた。しかし、この時間に掃除などするのは不自然だし、第一、今聞こえているのは庭掃除のような軽い音ではない。もっと重量のあるものを引きずっているような、低く重苦しい音だった。

 頼子は、音を立てないように気をつけながら、玄関横の客間に急いで入った。窓に歩み寄ると、カーテンを少しだけずらし、そっと外を覗く。

 窓から数メートルの場所で、一人の人物が何かを蔵のほうに引きずっている様子が見えた。

 隠れていた月が、ゆっくりと顔を出した。

 黄色い薄明かりが、何かを引きずっている人物の顔を怪しく照らした。

 功だった。

 さらに頼子は、功が引きずっている物体を見て、震撼した。

 それは、一人の人間だった。

 動かなくなった、人間。

 頼子は、両手を口に当て、「ひっ」と声にならない声を上げた。功が、その息遣いに気づかなかったのは、不幸中の幸いだった。

 頼子は客間を飛び出ると、息を切らしながら二階に駆け上がり、研一の部屋のドアを力一杯ノックした。

 ――研一さん、お願い、返事をして!

 頼子は願いながら、ノックを続けた。

 しかし、返事はなかった。

 焦りを募らせた頼子は、ドアノブを回す。しかし、鍵がかかっているのか、ドアノブが回転することはなかった。まるで、ドアノブ自体が意識をもち、頼子が身の安全を図ろうとする行為を全力で拒否しているかのようだった。

 頼子はしばらくの間、半ば放心状態で研一の部屋の前に佇んでいた。が、事態が進展しそうにはなかった。

 今まで興奮状態にあった脳が、徐々に冷静さを取り戻しつつあった。同時に、照明のない廊下に一人で立っていることに対する恐怖が、急速に大きくなった。

 何者かに後ろから追われているような気がして、頼子は慌てて自分の部屋に戻った。勢いよくドアを閉め、ベッドの上で丸くなると、恐怖を紛らわすために頭から布団を被った。

 体中の震えが止まらない。このまま、夜が明けることは二度とないのではないか。そんな絶望感に押し潰されそうになった。

 そんな気持ちの昂りに、体が追いついていかなかったのだろう。いつの間にか、頼子は深い眠りに落ちていた。窓の外で囀る小鳥の声に瞼を開けると、夜が明けていた。

 それが、昨日の夜から朝にかけて、頼子が体験したできごとのすべてだった。

 ――私が目撃したできごとについて、研一さんは何を、どのくらい知っているのだろうか。

 いや、知らない可能性のほうが高いだろう。しかし、誰かに相談しないではいられなかった。相談相手は端から、研一以外は頭に浮かばなかった。

 ――功お爺さんが蔵のほうに引きずっていったもの。あれは間違いなく……。

 そのとき、ドアの向こうに、人の気配を感じた。研一が来ることを想定して、鍵はかけていなかった。

「研一兄さん?」

 頼子は恐る恐る、ドアの外の気配に問いかけた。

 頼子の声に反応するように、ゆっくりとドアが開く。


          *


 深夜。

 二十四時五分。

 僕は、頼子の部屋の前に立っていた。

 深呼吸をして気持ちを落ち着けるとドアノブを握り、「頼子、入るよ」と声をかけた。

 返事はなかった。

 約束は十二時ちょうど。五分とはいえ遅れてしまったことで、機嫌を損ねてしまったのだろうか。いや、五分の遅れなら、許容範囲内だろう。相反する考えが、交互に頭に浮かんでは次々と消えていった。

 ドアを開けるべきか一瞬、迷った。しかし、いくら機嫌を損ねているからと言って、返事の一つもないのは不自然に思われた。僕は、悩んだ末にゆっくりとドアノブを回した。

 部屋の奥には、セミダブルだろうか、一人用にしてはやや大きめのベッドが置かれている。ベッドの足元側に当たる左側の壁には、廊下に通じているらしいドアが見える。

 そのドアの向こうから、バタバタという足音が小さく聞こえた気がした。ドアをよく見ると、僅かに開いている。何者かが、そのドアから廊下に出たのに違いなかった。

 一瞬、頼子が出て行ったのかと思いながら、ふとベッドの上に目をやった。ベッドの上に、頼子が横たわっていた。

「頼子……?」

 返事はない。ピクリとも動かない。

「大丈夫か!」

 僕は、慌てて駆け寄って、頼子を抱き上げた。

 頼子は気を失っていた。ただでさえ白い肌が、いつも以上に血の気を失い、透き通るように白く見えた。

 僕は、どうしていいか分からずに、ただ頼子を抱き締めたまま、必死で呼びかけつづけた。

 しばらくすると、生気を失って青白く見えていた頬に、少しずつ赤い色が蘇ってきた。一段と大きな声で頼子の名を呼び続ける。やがて、頼子は「ひゅっ」と小さく息を吸い込み、目を大きく見開いた。

 頼子は、自分を抱き締めているのが僕である事実を確認すると、「研一兄さん……」と力ない声で呟きながら、僕の胸に顔を埋めた。

「一体、何があったんだ」

「誰かに襲われたの。怖かった」

 頼子は、僕のセーターを固く握り締めると肩を震わせ、しゃくり上げながら大粒の涙を流した。

 僕は、胸の中で恐怖の記憶に震える頼子の頭から首へと、静かに視線を移動させる。と、首の周囲に、うっすらと赤いあざがついているのが見えた。手、あるいは縄か何かのようなもので、首を絞められたのに違いなかった。

 きっと、言葉では言い表せないほどの恐怖だったろう。僕は、頼子に心から同情し、同時に彼女が無事だった喜びを噛み締めた。

「……首を、絞めた相手は、誰?」

「わからない……。ただ、ものすごい力だった。もうダメだと思ったとき、ドアの向こうから研一兄さんの声が聞こえて、そこから先は記憶が……」

 恐らく、僕の足音を聞いて、犯人は慌てて逃げたのだろう。

 そのまましばらく抱き締めていると、頼子の呼吸が徐々に落ち着いてくるのがわかった。僕は頃合いを見計らって頼子を腕の中から解放すると、彼女の目を見ながら尋ねた。

「話があるって言ってたよね。いったい、どんな話? ひょっとしたら襲われたのは、その話と関係があるのかな?」

 頼子は、しばらく迷っていた様子だったが、やがて意を決したようにゆっくりと口を開いた。その顔にはまだ若干、苦しそうな表情が残っている。

「実は、昨日の深夜……」

 そこで頼子は一旦、言葉を止めた。自分の中で、記憶を整理しているように見えた。

「……トイレからの帰りに、動かなくなったあなたのお父さんを蔵のほうに引きずっていく功お爺ちゃんを見たの」

 そこまで話すと、頼子は怯えた目で僕を正面から見つめた。

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