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贄の里  作者: 児島らせつ
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第五章①

第五章


 雅代が別の場所に移動したと功から聞かされた翌日、つまり僕がここへきて五日目、二回目のひるがれいの儀がおこなわれた。

 儀式の次第は、雅代がいないことを除いては、基本的に一回目と変わらない。一回目の儀式で大体の要領を掴んでいた僕は、とくに緊張を感じることもなく、儀式を無難にこなした。

 頼子も、僕と同じことを感じているように見えた。初めての儀式のときのように、不安げに視線を泳がせることもなく、ただ黙々と食事を口に運んでいた。


          *


 その夜のことだった。

 僕は研一の部屋で、読みかけだった江戸川乱歩の短編集のページを捲りながら、寛いでいた。

 今日、新しく読みはじめた作品の名は「芋虫」。戦争で四肢を失った軍人と、それを介護する夫人を主人公に、人間のエゴや醜さを描いた物語だ。猟奇的な描写が多く、数多い乱歩の作品のなかでも、とくに好き嫌いが分かれる問題作といっていいだろう。

 最初こそ、倒錯した世界観にどっぷりと浸りながらストーリーを楽しんでいた。しかし、やがて本の間から滲み出てくる灰色の澱んだ空気に耐えられなくなり、半分も読み進まないうちに本を閉じた。

 寛ぐどころか、かえって心が疲れただけだった。

 本を枕元に投げ出した、そのとき。

 どこからか、短く小さな音が聞こえた。固い物体どうしが、ある程度の勢いをもってぶつかり合うような、乾いた音だった。

 僕は澱んだ思考のまま、音がした方向に顔を向ける。窓を覆う分厚いカーテンが視界に入った。

 窓に、何かが当たったのだろうか。そう思って、耳を澄ました。

 しかし、何も聞こえない。

 ――空耳か?

 まるで、音を聞いたという記憶そのものが、この屋敷を包み込む深い静寂に吸い取られてしまったようだった。

 自分の記憶に自信を無くし、窓から注意を逸らした、その瞬間だった。

 再び、音が聞こえた。

 コツン。

 空耳ではなかった。僕はカーテンを開け、窓を見つめる。すると、下方から飛んできた薄茶色の小さな物体がガラスにぶつかり、今一度コツンと音を立てた。

 石だ。親指大ほどの、角ばった小石。

 僕は、思わず窓から身を乗り出した。

 暗闇に向けて目を凝らす。

 屋敷の前に広がる広大な庭には、数えきれないほど多くの庭木が生い茂っている。それらの庭木の間を埋めるように、所々に高さ数十センチから一・五メートルほどの庭石が置かれている。さらに、池を取り囲むように右奥と左奥、そして中央手前には、石灯籠も配置されていた。

 僕は、暗闇の中に幻のように浮かび上がる庭全体を、ゆっくりと見回した。屋敷にもっとも近い場所に置かれた石灯篭に視線を移動させたとき、その後ろに何かの影が動くのが見えた。

 僕は目を細め、その一点を凝視する。瞬間、雲間に隠れていた月が、僅かばかりに顔を覗かせた。頼りない月明かりが、半ば石灯籠に埋もれている影を、灰黄色に照らし出す。

 奥平だった。

 奥平は、周囲を明らかに警戒心しながらも、こちらをじっと見つめていた。

 僕と奥平の視線が交錯した。

 僕が、奥平自身の存在に気づいたと判断したのだろう。彼は右手を小さく挙げ、前後に動かした。どうやら、手招きをしているようだった。

 このとき僕は、自分が奥平のものと思われるICレコーダーを持っている事実を、ようやく思い出した。奥平は、自分のICレコーダーを僕と頼子のどちらかが拾ったと考え、僕に確認しようとしているのに違いなかった。

 僕はベッドの傍らに戻ると、ジャンパーのポケットに手を入れてICレコーダーを取り出した。右手に持っったままで窓際に歩み寄り、奥平がいる方向に掲げる。

 奥平は、大きく頷き、両手を合わせて拝む姿勢をとった。恐らく、返してくれという意思表示なのだろう。

 僕は振り返り、壁にかけられている時計を見上げた。

 時計の針は、二十三時前を指していた。もちろん、外出が許される時間帯ではない。契約不履行が発覚すれば、バイト料は支払われないだろう。

 僕は迷いながら再び窓の外に視線を戻し、奥平を見下ろした。

 弱々しい月明かりに照らされた奥平の顔は、真剣そのものだった。二日前に離れの裏で出会ったときのような、捉えどころのない怪しさは消えていた。

 このICレコーダーには、恐らく重要な取材内容が録音されているのに違いない。フリージャーナリストにとって、取材した内容が何よりも大切である事実は、容易に想像がついた。

 急に、奥平が気の毒に思えた。

 僕は窓から出した右手の人差し指で、階下を指さした。そちらに行くという、僕なりの合図だった。

 奥平はそんな僕を見て、再び大きく頷いた。

 僕は、禁を破って部屋を出ると、足音を立てないように細心の注意を払って階段を降りる。玄関に回り、土間に置かれていた靴を懐に入れた後、トイレに行くふりをして縁側の方向に向かった。

 縁側の窓ガラスの外には、月が隠れて再び漆黒の闇に包まれた庭が、静かに広がっている。ガラスを通り抜けて屋内に浸み込んでくる冷気が、頬から体温を奪いながら室内に流れていった。寒いはずなのだが、握り締めた手の内側が、汗でじっとりと濡れた。

 外に出るのは、座敷から少しでも離れた場所のほうがいい。そう考えた僕は、離れに向かってゆっくりと進む。離れの入口のすぐ手前に辿り着いたところで、庭に面したガラス戸をほんの少しだけ開けると、靴を履いて外に出た。

 警戒しながらの行動だったので、思った以上に時間がかかってしまった。急いで靴を履いた僕は、奥平が隠れている石灯籠まで速足で向かった。足音には注意していたが、それでも暗闇の中で足を進めるたびに、砂利を踏み締める音がザリザリと小さく響いた。

 石灯籠に到着すると、陰から奥平が顔を半分だけ覗かせた。

 僕は、奥平に誘われるまま、石灯籠の陰にしゃがみ込み、ポケットから取り出したICレコーダーを手渡した。

「探していたのは、これですよね? あのとき、草むらに落ちてました」

 奥平は、恐縮した様子で受け取りながら、僕の顔を覗き込んだ。

「やっぱり、君が拾ってくれていたんですね。録音内容は、聞いてしまいましたか?」

 試すような視線だった。僕は「いいえ」と否定した。

 嘘ではなかった。拾った直後は、聞いてみようかとも考えた。だが、他人のプライバシーに踏み込むことに躊躇して、我慢した。口に出して言うのは恥ずかしいが、その後は持っていることさえ忘れていた。

「そうですか。いや、大した内容ではないんですがね」

 そう言いながらも、奥平は一安心といった様子だった。それなりに重要な内容が録音されているのだろう。

 奥平は、ICレコーダーをポケットに入れると、顎に手を当て、考える仕草をした。

「君は、アルバイトでここに来たんですよね?」

 一瞬、反射的に頷きそうになったが、すんでのところで首を止めた。

 ――答えてはいけない。

 アルバイトの報酬である、札束が頭に浮かんだ。

 続いて、一つの疑問が頭に浮かび、緊張感が一気に高まった。

 ――なぜ、この人は僕がアルバイトだと知っているんだ?

 僕が表情を硬くする様子を見た奥平は、返事を聞くまでもなく、小さく口を開いた。

「君は、信用できそうだ。ICレコーダーのお礼に、ひとつだけ教えてあげよう」

 急に、ため口になった。教えるという言葉とは裏腹に、続けて奥平の口を突いて出た言葉は、質問だった。

「この祭りがもともと、どんな意味を持っていたか、知っているかい?」

 僕は無言のまま、首を左右に振った。むしろ、こちらが答えを知りたいと思っていた質問だった。

「この祭りの起源。それは、『神隠し』だったんだよ」

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