第四章②
「ねえ、どこに行ったんだと思う?」
頼子は今一度、僕に同じ質問を投げかけてきた。
僕は一瞬考えて、「それは……」と言い淀んだ。
「僕にもわからない」
僕は、頼子と違って本当の家族ではなく、ほんの数日前にこの家にやってきたばかりなのだ。そんな僕に、理由などわかるはずもなかった。
「本当に?」
頼子は、僕の表情を観察しながら念を押す。その目には、不安の色が浮かんでいた。僕は、精いっぱいの笑顔を返す。
「心配はいらないよ。功爺さんは『今は別の場所に移り、次の儀式に備えておる』って言ってたし」
「確かにそうなんだけど……。今まで一緒にいた人が突然、いなくなったから、何となく不安で」
思い詰めた頼子の表情に、僕の胸は痛んだ。
――何とか、頼子の不安を払拭してあげたい。
瞬間、ある考えが閃いた。
「お母さんが今どこにいるのか、お父さんに確認してみよう」
それがきっと、頼子の不安を払拭するための最も適切な解決策だ。少なくとも功から聞き出そうとするよりは、何かが得られる可能性が高いだろう。
研一と頼子による祭りに関する質問なのだから、聞き方さえ間違えなければ、「高山翔也として振る舞ってはならない」というルールに抵触する心配もないはずだ。
と、頼子が不意に僕の腕を掴んできた。
予想もしなかった頼子の反応に、僕は小さく動揺した。同時に、波立つ頼子の感情が、僕の腕を通して電気のように胸の奥に伝わってきた。
その電気信号に操られ、僕は頼子の顔に視線を送る。
瞳が、微かに潤んでいた。桜色の唇が微かに動き、憂いを帯びた言葉が生まれ落ちた。
「そんなことして、怒られない? 大丈夫?」
至近距離で僕を見つめる頼子の物憂げな表情に、僕の心臓は大きく高鳴った。僕は、一方的な狼狽を押し殺し、ことさら力強さを演出しながら答える。
「大丈夫だよ。お母さんがどうなったか、家族なら心配するのが当たり前だろ? 心配なら、頼子は部屋で待ってるといい。僕が聞いてきてあげよう」
「……私も、一緒に行く」
僕は、頼子の返事を確認すると、大きく深呼吸をし、自分を落ち着かせた。
「よし。じゃあ、一緒に行こう」
息を合わせるように、頼子も首を小さく縦に動かした。
僕と頼子は客間を後にし、薄暗い廊下を進む。二階に上り、幸作の部屋の前に立つと、軽く二回、ノックした。
返事はない。
試しに、ドアノブに手をかけたが、回らなかった。どうやら、鍵がかかっているようだ。
不意に、廊下の壁にしわがれ声が響いた。
「幸作様なら、お部屋にはいらっしゃいませんが」
危うく、心臓が止まるところだった。振り向くと、薄暗い廊下の向こうに、佐世が影のように立っていた。
左手で胸を押さえ、呼吸を整えながら尋ねる。
「お父さん、どこに行ったか知らないかな?」
「幸作様でしたら、今は旦那様のお部屋でございます。お会いになられるのでしたら、後ほどがよろしいかと存じます」
佐世は抑揚のない声で答えると、顔を見合わせる僕と頼子の横を、音もなく通り過ぎる。そして、振り返りざま、呟くように言った。
「くれぐれも、お二人だけでお祭りの話など、なさいませんように」
心に渦巻く感情を敢えて押し殺したような、ややくぐもった声だった。
僕たちが祭りについて話していた事実を、佐世はなぜ知っているのだろう。僕の背中に冷たいものが走った。
頼子を見ると、彼女も同じ思いだったようだ。聞いてはいけない言葉を聞いてしまったといった表情で、佐世の姿を見つめていた。
空気が重くなった。その空気の重さに、今までの勢いが押し潰されてしまった気がした。
「……私、部屋に戻るね」
閉塞感に耐えきれなくなったのか、頼子は思い出したように呟いた。
「あ、ああ……」
僕たちは、それ以上言葉を交わすこともなく、気まずさを抱えたまま、それぞれの部屋に向かう。
部屋のドアを閉めようとしたときだった。背後に立っていた佐世が、僕の心に冷たいくさびを打ち込んだ。
「あなた様が為すべきことはただ一つ。疑わないことでございます」
*
部屋でベッドの上に寝転びながら、僕は考えた。
先日、奥平と出会ったときの功といい、今日の佐世といい、まるで僕と頼子を見張っているかのようだった。いや、ひょっとしたら、頼子自身も僕にさり気なく近づいて、監視しているのかもしれない。
そんなはずはないという否定的な考えと、もしかしたらという懐疑的な推測が頭の中で火花を散らす。
火花に目が眩んだ僕は、答えの見つからない二者択一から目を逸らした。