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3.



「エヴァンス様のお姿をお見かけしたのは、お茶会です」


 池で洗ったハンカチを芝生に広げて、二人でその場に並んで座る。

 普通の令嬢なら嫌がっただろうが、率先してハンカチを洗い、「ここで乾かしても良いですか?」と恐る恐る見上げてきたのはルシアーナ嬢なので、問題は無いだろう。


 そよそよと気持ちの良い風に吹かれながら、「ファン」という言葉について問うと、ルシアーナ嬢は照れ臭そうに笑った。


「忘れもしません……その日のエヴァンス様は真っ白のジャケットに、真っ黒のタイをして、瞳と同じ琥珀色の宝石のブローチがそれはもうお似合いで……お美しいブルネットの髪を縛る真っ白のリボンになりたいとハンカチを噛みました」

「鼻を押さえたんじゃなくてか」

「こう見えて、人前ではそれなりに振舞っております」


 変態にも常識はあるらしい。

 ふうんと頷くと、ルシアーナ嬢は、ぐ、と拳を握った。


「それからです! 私はエヴァンス様のご活躍を追いかけました!! お小遣いは全て貴方様の絵姿や新聞記事に使い、エヴァンス様がお使いになったものと同じブローチ……は手が出なかったのでリボンを集め、いつかまたどこかでお姿を見られる日を願い、鼻血を流しながらこっそり成長を追いかけさせていただいておりました!!!」

「変態じゃねえか」

「ファンです」


 そこは譲らねぇのか。

 変態には変態なりの矜持があるらしい。よくわからんが。

 ていうか俺の絵姿ってなんだ。そんなもんが出回っているのか。


「そんなわけで、私はこの婚約を望んでおりません」

「……あ?」


 己の知らぬ情報に気を取られていた俺は、ルシアーナ嬢のその言葉に瞬く。

 背筋を伸ばし、きっぱりと言い放った静かな顔は、変態ではなく、立派な貴族の顔だった。


「国の期待を一身に背負う貴方様と私とでは、容姿も家格も才も、何もかも釣り合いません。無理のある結婚は、いずれ歪を生みましょう」


 俺を見据える眼差しは、冬のように静かで、凛としている。

 ただの変態では無いのだな、と俺はその瞳をじっと見つめ返した。


「エヴァンス様のファンとして、私は私との婚約を認めるわけにはまいりません」

「……ややこしいなファン心理」

「はい。私はフォレイス家のお庭の植木になりたい系ファンであって、彼女になりたい系ファンではないのです」

「そこは俺の部屋じゃねぇのか」

「恐れ多いです……! こっそり眺めさせていただければそれで良いのです……!」


 ぐ、と拳を握る姿は、すっかり変態に元通りだった。

 もっとあの顔を見ていたかったのにな、と不思議な気持ちで、俺は立てた膝に肘をついた。


「エヴァンス様、貴方はどうか、自由でいてください」


 頬杖をついて見上げる俺を、赤い顔で鼻血を垂らして見てくる顔は、ちっともまともじゃない。

 でも、どこにも嘘が無い顔は、見ていて不快ではなかった。


「思考と顔は変態丸出しだが、その台詞は気に入った」

「それはどうも」


 濡れたハンカチで鼻を拭きながら、にへらと笑う顔は、癒し系と見えなくもない。

 うん、と俺は頷いた。


「ルシアーナ嬢、婚約しよう」

「…………解釈違いです」


 ぎぎ、と固まるルシアーナ嬢に、俺はにやりと笑う。自分の見せ方なら、心得ているのだ。

 う、と小さなうめき声に、俺は髪をかき上げる。


「俺に自由であってほしいんだろう? 俺の意志を尊重してくれないのか? 今、お前は俺の願いを叶えられる唯一なのに?」

「ず、ずるいです」

「何が?」


 うう、と呻くルシアーナ嬢は、けれど折れない。


「わ、私である必要は無いかと思いますエヴァンス様ならもっと隣に並ぶに相応しいご令嬢がおりまする!」


 おりまする、ってなんだ。

 俺は笑いながら、シャツのボタンを外した。父と母の顔を立てるために、一応は良い子の顔でいたので、上まできっちりボタンを留めていたのだが、窮屈なのは嫌いなのだ。


「俺を追っかけてんなら、知ってるだろ。この顔と地位に寄ってきたご令嬢方が、速攻で離れていくのも。俺だって、いつかは結婚しなくちゃなんねーが、父上と母上が気に入って、俺も気に入るレディなんざ、他にいると思えないね」

「え」


 鼻を押さえていたルシアーナ嬢は、ぱちん、ぱちん、と二回瞬きし、ぽかん、と口を開けた。


「誰が、何ですって?」

「俺が、お前を、気に入った」

「ふげっ?!」


 変な悲鳴を上げたルシアーナ嬢は、俺から飛び退くように立ち上がり、顔を真っ赤にした。

 人の事は言えないので別に良いが、貴族令嬢としてその悲鳴はどうなんだろうか。いや、別に良いけど。


「なぜっ!?」

「お前、嘘付けなそうだから。嫌だろ、婚約者と顔色読み合うのとか。なんで俺が気ぃ使わなきゃなんねーんだよ。お前、俺がいりゃそれで良いだろ?」

「はい幸せです。あ、じゃないじゃない、正気になってくださいエヴァンス様。大体、私だって嘘の一つや二つ付けますよ私、嘘つきで有名な悪女ですから」


 悪女。

 なんか似ても似つかない単語が出てきたので、俺は声を上げて笑ってしまう。悪女。悪女だって!

 俺が笑って、涙を拭うだけで、鼻と胸を押さえる変態が!


「じゃあ嘘ついてみろよ」

「ふ、布団がふっとんで困りました」

「意味がわからん」

「ぐう」


 賢そうだ、と思ったのは勘違いだったんだろうか。あの静かな眼差しが嘘のように阿呆丸出しのルシアーナ嬢に、俺は溜息をつき、名を呼んだ。


「ルシアーナ嬢、考えてみろ」

「な、何をでしょう」

「婚約して、結婚すれば、一生、死ぬまで、俺の一番側で俺の成長を眺めていられるぜ?」

「……!!!!!!!!!!!」


 それはつまり、俺もこの変態の成長記録を、死ぬまで一番側で眺めていることになるわけだが、まあそれも悪くないんじゃないかと。


「不束者ですがよろしくお願い致します……!!!!!」


 ファンの矜持とやらを放り捨てるくらい、俺の顔に惚れ込んでいるルシアーナ嬢に思ったわけである。








「どうだった? 良い子だろう? ルシアーナ嬢」

「変態だった」

「え?」

「いえ、おもしろいご令嬢でした」


 そうかそうか、と父と母は、にこにこして頷いた。


「ではこの婚約を進めて良いな」

「はい」


 そうかそうか、と再び、父と母はにこにこと頷く。ここまでご機嫌良しな父と母は珍しい。それほどに、あの一家を気に入ったのかと俺を眉を上げた。


「それで? そろそろ話してくれても良いんじゃないですか? なぜ、ゼイスト子爵なのですか。それも突然」


 来年、俺は騎士団に入る。

 数年前からは、その前準備として父の仕事も手伝っていたから、父のスケジュールや交友関係は把握している。なのに、今までゼイスト家の名を、父からも母からも聞いたことがないのは、不自然だ。

 肘置きに頬杖をつくと、父は「うーん」と眉を下げた。


「怒らない?」

「俺が怒ると思ってそう聞いているんでしょう。だったら怒りますよ」

「うわー、返しがレイラそっくり……」

「どういう意味かしらルーカス?」

「あ、いえなにも」


 結論として、俺は怒ったし呆れたし、それから、父を誇りに思ったりも、したのである。




 ところで。

 この国には「運命の石」というメルヘンチックな呼び名がある、不思議な石が人気だ。正式名称を「共鳴(せき)」といい、恋人同士で贈り合うのが定番だ。

 というのも、この石。大きなものでも親指の先ほどのサイズなのだが、割った破片同士を近づけると、共鳴して光るのだ。おまけに、カットすれば宝石のように輝くので、アクセサリーにうってつけなのである。

 

 母は、そんな石で指輪をつくり、父に「観念しなさい」とプロポーズした女傑だ。

 

 宝石のように輝く、とはいえ所詮は紛い物だ。普通、プロポーズには本物の宝石を使った指輪を恋人に贈るものだが、それはこの夫婦に、というか父にとって、大きな意味があったのだ。

 父の欠点を補う、という意味で。


 近づければ、呼び合う。

 だから、相手と自分がどれくらい離れているか、わかる。

 と、いうことは、どこへ帰れば良いのかが、わかる。

 つまり、迷子防止の方位磁石となる。


 そう、父は、欠点と言って差し支えの無い、重度の方向音痴であった。


 南に行けと言えば北に走るし、北に行けと言えば東に走る。

 演習場から自分の執務室に帰る事すらままならない。

 なんなら屋敷の中でさえ迷う。誰かが一緒じゃないと、食事の時間に間に合わないどころか、食堂を目指していたはずが、庭に出ていたりする。

 そんな男が戦場に一人で放り出されれば、まず間違いなく、家にたどり着けない。

 そういう、重度の方向音痴であった。


 腕が立つ。性格も良い。ついでに顔も良い。

 だが、お人好しで超絶方向音痴。

 欠点っていうか、弱点だった。


 故に、父の失脚を恐れる周囲はこれを必死に隠した。それはもう、必死に。

 これを知るのは母と俺、最側近の二人と、副団長のみ。

 城だろうと戦場だろうと、団長が一人で歩くことはまずないので、基本的には問題が無い。


 が。

 戦場とは、何が起きるかわからない。


 父はそれを恐れ、母にプロポーズすることを躊躇っていたらしいのだが、母は共鳴石を使った首輪、もとい指輪を渡したわけだ。



 さて、話を戻そう。

 なんと父は、そんな指輪を、戦場で手放したらしい。


 モンスターの集団発生の討伐に向かった先、調査に無かった大型のモンスターの群れに遭遇し、隊が分裂。瀕死の部下に回復薬と共鳴石の指輪を渡し、「なんとしてでも帰れ」と、囮を買って出たらしい。


 騎士を目指す男として、尊敬に値する行動だ。

 だから、父の周りには人が絶えない。


 だがしかし。

 息子としては「馬鹿だろ!」と怒鳴らざるを得ない。


「どうやって隊に戻るか、アテはあったんですか! どうせ無いんでしょう!」

「い、いや、どうにかなるかなーと思ったし、ならんでも誰か迎えに来てくれるだろうなって」

「意味不明な動きをする馬鹿方向音痴のアンタの捜索がどれだけ大変かわかったうえで言ってんだろうなあお父様よお!」

「モンスターの群れに一人で飛び出した父上の心配は?」

「必要ねぇだろ」

「ないけどさあ」

「……何の策も無く、自分の命を捨て誰かを優先させるのは英雄ではありません。ただの愚か者です」


 黙って立っていれば理知的に見える父であるが、中身はこれだ。

 偽善者と陰口をたたく屑も、未だその地位を狙う屑もいるのだ。

 弱点を握られれば。隙を突かれれば。どうするつもりなんだろうか。これでは、必死になる周囲が馬鹿みたいだ。


 ぎろりと睨むと、父は目を細めて、微笑んだ。


「賢いお前はそれで良い」


 ぐ、と唇を噛むと、父はなぜか嬉しそうに笑みを深めるので、どうにも悔しくて拳を握ると、「そのへんになさい」と母も笑った。


「ルーカスを心配するエヴァンスの気持ちもわかるけれど、駄目よ。この人、考えるよりも先に体が動いちゃうのよ。そう、ちょっとお馬鹿さんなの。だから方向音痴も自己犠牲も治らない。だから、みんなこの人が大好きなのよ。放っておけないでしょ?」

「あれ、今私罵られてる?」

「わたくしも、まだ怒ってるもの」

「う、ぐ」


 にこ、と美しい母の笑みを向けられ、父は呻いた。

 威厳も何もない姿に、はあ、と俺は溜息をつく。


「だいたい見えました。つまり、迷子の父上を保護してくれたのが、ゼイスト子爵なのですね」

「正しくは、ルシアーナ嬢だよ」


 驚いたなあ、と父は笑った。


「返り血まみれの私を見て泣くどころか、フォレイス卿ですか、と喜んでくれてね。屋敷へ案内してくれて、休ませてくれたんだ。子爵も夫人も、いつも国を護ってくれて有難うと、それは手厚くもてなしてくれて……自分が何を護っているのか、改めて教えてもらえたよ」


 しかし血が怖くなかったのかな、と不思議そうな父に、「だろうな」と思ったが言わずにおいた。


「……なぜ、最初に教えてくださらなかったんです?」

「言えば、恩を返すためだと、相手をきちんと見ないんじゃないかと思ってね」

「図星でしょ?」


 ぐ、と奥歯を噛み、だが待てよ、と俺は思案した。

 たとえ恩返しのための婚約だと俺の意識が変わっていたとしても、ルシアーナ嬢の奇行は変わらなかっただろう。ならば、こいつなら良いかな、と俺が思うに至るのは、変わらなかったはずだ。

 俺の性格はさておき、今回に限りは、父と母の思惑は外れたことになる。


 誰も、あの変態には予想がつかなかったのだ。

 これはおもしろい、と俺は笑った。




「子供がなんでも大人の思い通りだとは、思わない方が良いですよ」



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