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2.


 シアンと出会ったのは、12の時だった。

 今から5年前。俺がまだ、年端もいかぬ美少年であった頃の話だ。


 その頃の俺といえば、母譲りのエキゾチックな美貌が評判の、少女のように儚く淑女のように強かで、詐欺師のようなクソガキであった。


 お生憎、口も性格も悪いのは生まれつきである。


 母を真似て綺麗に綺麗に微笑んで、父の部下のように「気持ち悪ぃーんだけど、ハゲ」「香水クセーから寄んなババァ」と罵ってやると見ることができる大人の顔が、愉快で仕方が無かった、クソガキだ。


 いやいや、だって。

 俺の愛らしい顔から予想もしない言葉を聞くと、大人はびたりと固まり、次の瞬間、「裏切られた!」という顔をするのだ。

 裏切られた?

 勝手に勘違いしてんのはそっちだろ、と俺は笑いが止まらないわけだが、そんな俺を見て大人は顔を真っ赤にして、怒鳴ったり握った拳を震わせたりするわけである。それがもう、おもしろくておもしろくて。


 つまり、俺は誰がどう好意的に見てもクソガキだった。

 自覚があるからタチが悪い。と、いうことすら自覚のある、クソガキだった。


 両親には毎度こてんぱんに叱られたが、「可愛いねえ」「お母様にそっくりねぇ」なんて、無遠慮な手に撫で繰り回されるのを我慢できる子どもではなかったのでしょうがない。



 シアンと出会ったのは、そんな12歳の頃だった。

 いや、ただしくは、俺の父とシアンが出会ったのが、だけれど。



「今なんて」

「お前の婚約者を見つけてきた」


 そんな言葉で、俺とシアンの婚約は結ばれた。

 隣でにこにこ微笑む母の、まあ綺麗なこと。仲睦まじく寄り添い合うこの夫婦に、俺は眉を吊り上げた。


「正気ですか? 俺ですよ? 美しさとなんでも人並み以上にこなしてしまう才能と1を聴けば10を知る知性しか取り柄の無い俺ですよ。うちの家格と釣り合うご令嬢が、うんと言うわけがないでしょう」

「お前は自分を過大評価しているのか過小評価しているのかどちらだ」

「正当評価です」


 うーん、と額に手をやる父は、「まあいいか」と顔を上げると、にこり笑った。


「とても良いお嬢さんなんだ」

「だったら猶更、うまくいくと思えませんが」

「まあそう言うな。俺はすっかり、あの親子が気に入ったのだ。会ってみるだけでもどうだ」


 父は騎士団の団長を務めるほどの武人であったが、どうにも人が良すぎるのが欠点である。騙されていやしないかと、俺は父を睨んだ。

 国王陛下の信も厚い父に取り入ろうする輩は、決して少なくはない。


「まあ、もうすぐ着く頃なんだがな」

「父上!!」

「だってお前、先に言うと逃げ出しそうなんだもの」

「父上の顔を立てるくらいしますよ、多分」

「多分」




 ほどなくして現れたのは、これまた、人の良さそうな顔をした貴族夫婦と、その娘であった。

 ふと、穏やかそうな夫婦に挟まれた、小麦色の髪をした少女と目が合う。

 灰色の瞳は、ぴ! と大きく見開かれると、キラキラとした眼差しを向けてきた。

 期待。羨望。憧憬。

 飽くほど見てきた眼差しに俺は、ふん、と鼻を鳴らしたいのを堪え、にこりと微笑んだ。

 少女は、す、と流れるような動作で顔を押さえる。

 なんだ?


「ゼイスト子爵、夫人、呼びつけてしまってすまないね」

「とんでもないです」

「お二人とも、どうぞお掛けになって」


 ふふ、と母が微笑むと、子爵夫人は頬を染めた。母はそれにまた、満足そうに微笑む。

 母は、男女分け隔てなく虜にする才をお持ちの、社交界の女王だ。眉の動かし方、指先の運び方、息の吐き方まで、自在に操り、他者の自分への好感を操作するのが、それはもう上手い。


 つまりは、母は今、この夫人を魅了しようとしている。 

 と、いうことは、母もこの夫婦を気に入っているのだろう。

 

 これは俺の知らぬ何かがあるな、と思わずにはいられない状況であった。

 骨の髄まで貴族である母が、無条件に人をここまで受け入れるわけがない。


「……母上」

「なあに、エヴァンス」


 母は、ただ美しく微笑む。

 なるほど。話す気はないらしい。

 俺の性格の悪さの半分は環境のせいだと思っているが、もう半分は間違いなくこの母から美貌と一緒に受け継いだ生来のものだと思っている。

 聞いても無駄だろう、と俺は小さく息を吐いた。


「エヴァンス様」


 呼ばれて顔を上げると、ふわん、と警戒をするのも馬鹿らしくなるような、人畜無害を絵にかいたような子爵が、娘の肩に手を置いた。


「娘のルシアーナです。今年11歳になります」

「ルシアーナです。お見知りおきください」


 頭を下げる少女に、父の手によってこんなところまで連れてこられた少女に憐れみをもって、俺は「アンタも大変だな」と言葉には出さず、ゆったりと微笑んだ。


「エヴァンスです。どうか、気楽にお話しください」

「……はい」


 すると、ルシアーナ嬢は、俺からすいと視線を外し、片手で口元を押さえた。

 小さな手は、震えているではないか。

 怯えさせたのだろうか。めんどうだな、と思った心を読まれたのか否か。


「エヴァンス、ルシアーナ嬢に庭を案内してさしあげなさい」

「……はい」


 有無を言わさぬ圧力が宿る瞳に、俺は両手を上げてサーイエッサー、とは言えないので、にこりと頷いた。




 


「……ルシアーナ嬢」

「はい」

「……俺の顔に、何かついてますか」

「綺麗な目と鼻と口が」

「…………」


 なんか変だな、と思ったのはわりとすぐだった。

 ルシアーナ嬢は、庭には目もくれず、俺の横顔ばかりを見上げている。それは良い。いや、良くはないんだが、まあ珍しいことでもなかったので。俺ときたら、大人の心を掴んでぶん投げることができるくらいに美しいので、仕方が無い話だ。


 だが、ここまで明け透け、というか会話にすらならないのは初めてだった。

 普通、少しは遠慮とかしないだろうか。


「……ルシアーナ嬢」


 はあ、と溜息をつくと、伸ばした髪が頬にかかる。

 それを耳に掛けると、「うっ」と小さな声が呻く。

 

 ちら、と見下ろすと、ルシアーナ嬢が蹲っていた。


「ルシアーナ嬢!」


 性格が破綻している自覚のある俺だって、さすがに目の前で少女に体調を崩されて鼻で笑う程、破滅的な性格ではない。何より、この少女は両親が気に入っているのだ。何かあろうものなら、俺の身が八つ裂きになるのは必然であった。

 父は穏やかでお人好しであるが、騎士だ。

 義理と情に厚く、ブチ切れると手が付けられないほど恐ろしい人なのだ。


 いろな意味で血の気が引き膝をつくと、ぽた、と水滴、ではなく、血が。血が、芝生に落ちてきた。


「怪我してんのか!」


 一体、いつ。どこで。何故。

 従者を付けずに庭を子供二人で歩けるほど平和な屋敷で何が、と慌てる俺に、さらに慌てた様子でルシアーナ嬢は顔を上げた。


「ちちっちち、ちがいます!」


 その小さな顔は、鼻血に濡れている。

 考えうるのは、病、毒。内臓への攻撃だ。

 俺は眉を寄せ、ハンカチを渡した。

 薄いブルーのハンカチは、みるみるうちに血を吸い、赤黒く変色する。


 ルシアーナ嬢は、自分のポケットからもハンカチを取り出し、鼻を押さえた。

 この時は、ポケットのあるドレスを着るご令嬢とは珍しいな、とうっすら思ったのだが、「違うんです」と目を潤ませる少女が続けた言葉に、俺は天を仰いだ。


「エヴァンス様が美しすぎて鼻血が出るだけなんです!!!!」


 だけってなんだ。だけって。


「へ、へんたいかお前……!」

「変態です! ええ! 変態ですとも! エヴァンス様こそなんですか! お綺麗すぎなんですがさては天使様ですか!」

「なんで俺がキレられてんだよ!」

「お美しすぎるからですよ! それでも人間ですか?! さてはお花の蜜だけで生きておられますね?!」

「んなわけあるか! 三食肉食ってるわ! レアでな!!!」

「まあ! さすがは剣聖と謳われるルーカス様のご子息! しっかり食べて大きくなってください!」

「お前は俺の親か!」

「ファンです!」

「あ?」

「あ」


 あ?

 今なんつった、と瞬く俺の前で、興奮したルシアーナ嬢が躓き、身体が揺らいだ。

 後ろには、綺麗に手入れされた、我が家自慢の池。


 まずい、と俺は手を伸ばし、力いっぱいその身体を抱き寄せた。

 小さな身体を受け止め、はずみで尻餅をつくと、足の間にちょこん、とルシアーナ嬢が収まっている。

 よく見ると、その身体はふるふると震えていた。


「………」


 父の体裁を保たねば、という意識はとうに無くなっていた。

 つい、いつもの調子で怒鳴っていた。

 蝶よ花よと育てられた小さなレディを、怖がらせてしまったかもしれない、と俺は頭を掻く。

 だから言っただろう、という気持ちと、バツの悪さでもう一度少女を見下ろす。

 と。


「……………」


 俺のシャツを握り締め、腕をぴーんと張ってそっぽを向く、というふざけたポーズでルシアーナ嬢は震えていた。


「………どういう状態だそれ」

「鼻血が出そうなので離れたいんですが良い香りと11歳と思えない鍛えられた身体から離れたくないと正直な我が身の苦悩に喘いでおります」


 変態だった。


「お前、俺が怖くねぇのかよ」

「はて」


 本当に鼻血が出そうなんだろうか。

 うっすらと赤くなった鼻と頬で俺を見上げ、ルシアーナ嬢は首を傾げた。


「怖い? エヴァンス様が?? 美しすぎて???」

「お前そればっかだな」

「うへぺろ」

「なんだそれ」


 ぎゅ、と相変わらず俺のシャツから手を離す気のない両手を見下ろし、俺は溜息をついた。


「女にゃ、耳慣れない言葉ばかりだろう」

「我が領は小さく、私はしがない子爵令嬢ですから。それくらいはなんともありませんし、フォレイス卿から伺っております」

「父上から?」


 はい、と頷き、少女はへらりと笑った。


「政治に疎いルーカス様に代わり、エヴァンス様が近くに置いて良いものをふるいにかけておられるのだ、と。自分の剣の腕と奥様の賢さの両方をお持ちになったエヴァンス様が、誇らしくてならないのだと仰っておいででした」

「、」


 父は、優しい人であったが、厳しい人でもあった。

 俺が大人にふざけた物言いをする度に、人目をはばからず拳を落としたし、説教もした。


 けれど、決して頭を下げなかった。


 可愛いねえ、と俺に触れようとする無遠慮な手が、種類は違えど下心に染まり切った薄汚いものだと、俺が心底嫌悪していたことに、気付いていたからだ。


「………幼稚だろう」

「そうでしょうか? うーん」


 くり、と首を傾げ、少女はきょとん、と俺を見上げた。


「だとしても、子ども相手に本気で腹を立てるような大人がフォレイス卿のお側に寄れないのは良い事でしょうし、子供の私たちが大人に合わせて我慢してやる必要はないんじゃないでしょうか」


 本気で言っているんだろうか。

 灰色の瞳には、嘘も下心も見えない。真っ直ぐに俺を見上げる、気の強そうな瞳で、ルシアーナ嬢は猫のように笑った。


「エヴァンス様の不快を不快だと言える強さに、憧れている者も多くおりますよ」

「初耳だな」

「言いたい事も言えないこんな世の中ですから」


 ふ、と哀愁を漂わせる薄い笑みに思わず笑うと、灰色の眼がぱちん、と見開かれる。

 ぶわ、と花が咲きほころぶように、頬が赤く染まり、ふるりと唇が震え、


「うわっ」

「あ」




 でろりと鼻血が垂れるので、慌ててハンカチで押さえた。




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