8 老婆と魔法省
「何故、コルセットを着けていない!」
皆さん、こんにちは老婆です。
今、目が覚めました。
誘拐犯モーリスに首を絞められ意識を失った私ですが、驚いたことにまだ生きてた。ありがとう神様。
うわーい! 息が吸える!(大事)
感動に、そこら中を跳ね回りたい気分だが、生憎と体が怠くて動けない。
あと、腕も含めた状態で毛布グルグル巻きにされていて、物理的にも動けない。
何ぞこれ?
毛布のミノムシと化した私を幼子のように縦抱きにして、軽々と片腕で抱き上げているこの人物―― 殺されかけた私を助けてくれたのだろう命の恩人 ――騎士団長に、お礼を言おうと思って顔を見上げた途端に、この台詞である。
「何故、コルセットを着けていないのかと聞いている!」
――えっ、二回言われた!?
「他人の身代わりで拐われた挙げ句に、コルセットも着けず! あのような防御力の低い布地の下着で! 貴女に危機意識は無いのか!」
――えええ、そんなに怒られても困る。
だってあの下着は、洞窟で目覚めたときからの初期装備だ。
確かに防御力は0だったけど……。
年寄りは締め付けのきつい下着は着ないと思う。大体、コルセットって後ろ開きでしょう? 日本でも女性のフォーマルウェア……例えば喪服などは後ろファスナーのワンピースが結構多かった。そういう一人で着れない系の衣類って、独居老人に優しくない設計だよね?
だから、老婆の中の人も、コルセット着けてなかったんだと思う。
「一人で着れないから、かな?」
「……ロバが、いるだろう」
――は? ロバに着せてもらえと?
思わず脳裏に、老婆の背中に前足を踏ん張りながら歯でコルセットの紐を締めるロバの図が浮かんだ。
――なにそれ、シュール過ぎない?
大体、締めた後の紐はどうする気だ? 魔法で結ぶのか?
……結べそうだな。あの隊長は、器用だからコルセットの紐を魔法で結ぶくらい軽くこなすかもしれない。
いやいや、そうじゃなくって!
「いや、買うお金無いんで……」
「私が買おう」
――なんで? なんで団長が買うの?
ポカンと口を開ける私の目の前に、布の端切れが差し出された。
団長が指先で摘まむ、その極々小さな端切れは、私の着ていたシュミーズの成れの果てだ。モーリスにビリビリにされたやつだ。
「見たまえ。これが貴女の纏っていた布切れだ」
「はい、そうです。それは私のシュミーズです。」
―― Yes, it is. It's my chemise.
私は神妙な顔で頷く。
老婆の愛用品だけあって、あのシュミーズは着やすかった。可もなく不可もなく、もはや着ていないかの如く体に馴染んだ肌着だった。
ありがとう、お前のことは忘れない。
私は旅立った戦友を見送るような切ない気持ちで、団長の指先に摘ままれているその端切れを見つめた。
「こんな布切れでは、男に襲ってくれと言っているようなものだ。分かるな? コルセットは必要だ」
「いや、私、老婆ですよ? マリナじゃないです」
そうなのだ、私はまだマリナの姿なのだ。勘違いされているといけないので、一応、宣言しておく。
「老婆でも、だ!」
「ええーッ!」
鬼のような顔で怒られた。
でもやっぱりコルセットは要らない。
せっかくなら、前と同じシュミーズを買ってくれないだろうか。老婆は若くもないし、ボインでもない。コルセットの必要性を感じない。
まあ、どうせお説教で終わりでしょう。
団長もまさか本気でコルセットを買い与えるつもりではないだろう。多分。
「あっ! 婆さん、目ぇ覚めた」
「うわーん、良かったッス! 自分、てっきり殺されちゃったと思って肝が冷えたッス! もう勝手にどっか行ったら駄目ッスよ!」
「我々がこの部屋を発見するのが後少し遅かったら、本当に危なかったんですよ! 反省してください!」
私が目覚めたことに気付いた騎士達が、わっと集まってきた。
黒に近い紺色の団服――金髪達が使っていた呼び名で言うなら、〝闇青〟を着た騎士達。彼らは街で会う顔馴染みの腹ペコ騎士達だ。安心して顔が緩む。
「皆さん、助けに来てくれてありがとう! このご恩は、一週間忘れません」
体が動かないので頭だけペコリと下げる。
老婆は、この先ボケるかも知れないから軽々しく生涯忘れないとは言えないけれど、感謝してる。めっちゃしてる。
騎士達は、「一週間かぁ!」「短けぇ!」 と言って爆笑している。
いや、老婆は大真面目なのだが……。
「いや~、それにしても、本当にマリナさんそっくりですねぇ。こんな精度の高い変身魔法、自分、初めて見ました!」
「朝からずっと解いてないとか、婆さん、凄いッス!」
「この高い精度に加えて持続力……。魔法省のお偉方が飛び付きそうですね。変身魔法は、魔術士でも三〇分くらいしか保てませんからね」
「もう、解いても問題ないぞ? 維持し続けるのも疲れるだろう」
皆、感心してくれるけど、違うんだ。
これは別に意図して維持しているわけではない。
確かに体力が削られてる気がしてた。すごく疲れる。私もはやく老婆に戻りたい。
戻りたいけれど――
「コレの解き方が解らない」
「「「 は? 」」」
ポクポクポクポク……
ゆっくりと歩を進める馬の蹄の音が、規則正しく響いている。
私は団長に抱っこされ馬に乗っている。
多分、街へ送り届けてくれるのだろう。
ああ、このまま森の洞窟まで送ってくれないだろうか……。脱走した時は、頭の中が焼きたてパンのことでいっぱいで、テンション高く走ってたけど、今はあの道を一人で帰る自信がない。
あの道、帰りは微妙に登り坂なんだよなぁ。
――隊長も怒ってるだろうな。団長が一緒に事情を説明してくれないかな……。
馬上の私は相変わらず毛布ミノムシのままだが、団長に縄で括り付けられているので、落馬の心配はない。意外と快適だ。
ポクポクポクポク……
馬に揺られながら私は、先程までいた、屋敷を思い出していた。
現場は物が散乱していて滅茶苦茶だった。モーリスが暴れたからだと思う。
所々壁に血痕らしきものが飛んでいるんだけど、……んん? 彼は出血するほど暴れていただろうか……? 私が気を失っている間に何かあった?
緑色のローブを着た魔法使いらしき人達が、散らばった床から何かを拾ったり、魔導具を床や壁にかざして、証拠を集めていた。
茶色い髪のお嬢さん達は、女性騎士に救護されていた。毛布で身を包まれ馬車に乗せられた彼女達は、これから医療機関に向かい、念のため医師の診察と簡単な事情聴取を受けるらしい。
被害者には酷なことだが、事情を聞かないわけにはいかないのだろう。
誘拐犯モーリスは、既に現場にいなかった。逃げられたのかと焦ったが、どうやら私が気を失っている間に捕縛され、連行されて行ったらしい。
騎士曰く『大丈夫ッス! 婆さんが怖い思いした分、ちゃんとアレコレしておいたッス!』とのことだった。……そうか、ありがとう。ちょっとアレコレが気になるけど、……その藪は突かないでおく。
モーリスが捕まったと聞いて気が緩んだ私は、考えることを放棄した。
馬の揺れが気にならないほどに、老婆の体力は少なくて疲れていた。あと、団長の胸板の安定感が半端なかった。安定の介護感。低反発筋肉バンザイ!
馬上の私はつい、うつらうつらと眠りの海へ舟を漕ぎ出した。
体を軽く揺すられて、目が覚めた。
「着いたぞ」
騎士団長はいつの間に馬を降りたのか。
相変わらず片腕で私を縦抱きにしたまま、石造りの重厚な建物の中を歩いていた。
街へ送ってもらうつもりでいた私は、見慣れない風景に瞬きする。
「は、……えっ? ここどこ?」
「魔法省だ」
天井に届くほど、うず高い本棚が壁を覆い、空間を囲むように並んでいる。そして、天井が馬鹿みたいに高い。
――うわぁ。あんな高いところの本、どうやって取るんだろう?
崩れてこないのだろうか。
どの本も背表紙がそこそこ厚い。地震がきたら、ひとたまりもなさそうだ。
アンティーク調の飾り棚には、謎の瓶詰めや、鉱物標本などが所狭しと展示されている。それら書物や展示品には、微かな光の粒が舞っている。光の瞬きに合わせて聖霊か妖精だろうか、小さくクスクスと笑う声が聞こえる。
まるで幻想物語に出てくる魔法学校の図書館のような場所だ。
「……魔法省?」
この国には騎士団の他に、魔法省という組織があるらしい。
「魔法省は、魔術士団、魔導士団、研究室の三部署に分かれている。これから行くのは魔導士団だ」
「へぇ、……魔術士と魔導士って、違うんですか?」
ざっくり、どちらも魔法使いだというのが私の認識だけど、違うのだろうか。
「魔法省の魔術士は、戦闘訓練を受けている我々騎士と同じ戦闘職だ。彼らは魔法攻撃を得意とするが、剣や体術が使えないわけではない。訓練校で一通り履修している」
なるほど。魔術士団は、戦う魔法使い集団らしい。
「一方、魔導士は技術職だ」
「技術職?」
「ああ。魔導図の記述、魔導具の開発から作成などを主に行っている」
魔導図とは、魔法を発動させるための回路とか設計図のことらしい。
魔導具は、幻想世界お馴染みの魔力で動く便利グッズだ。
「それらを使い、任務をこなす。我々騎士団も、捜索や証拠品の分析などで助力を得ている。緑色のローブを着た者達がいただろう? 彼らが魔導士だ」
「……へぇ、専門職なんですね」
この世界の魔導士は、魔法使いであり、プログラマーであり、エンジニアであり、時に鑑識官の役もこなすらしい。
「難点は、護衛が必要だというところだが……」
「え、護衛? 魔法使いなのに?」
魔法が使えるのに、魔法で迎撃できないのだろうか。
「魔導士は有能だが、とても弱い」
「……とても、よわい」
「彼らの魔法は攻撃に向かないのだ。それに、魔導士には戦闘訓練の履修義務がないからな。受身すらとれない者も少なくない」
「そ、……それは問題では」
現場に出ることがあるなら、受身くらいは教えといた方が良いのでは……?
あと、魔導士さん達は、ラジオ体操的な軽い運動を習慣にした方がいい気がする。健康のために。
説明を聞きながら、図書館の突き当たりに着くと、カウンターに呼び鈴が置いてある。
団長が、緑色の呼び鈴を鳴らす。
「はい、魔導士団です」
「第五騎士団、ギディオン・オルコックだ。ビェルカ長官に取り次いでくれ」
「お待ちください。今お繋ぎ致します」
ガタン……ズズズズ……
カウンターの奥の本棚の一部が、音を立てて手前に飛び出した。棚は中央から二手に分かれ、左右にそれぞれ移動して行く。
棚のあった場所には緑色の扉が現れた。
そして扉は「どうぞ」と内側から開いた。
「ホホッ、お待ちしておりましたぞ」
「やあ、待ちかねたぞ! ギディオン」
そこは、広く豪華な応接室だった。
部家の奥のソファに、護衛を従えた見るからに身分の高そうな服装の人物が座っているのが見えたので、部屋全体をパッと視界におさめて、すぐ目を伏せた。
まずは、白い団服の騎士が入り口に二名と、貴人の背後に二名、控えている。
次に、ローテーブルの横、一人掛けの椅子には、白髪白髭の小柄なご老人がちょこんと浅く腰掛け、フサフサな白髭を機嫌良さそうに撫でている。
ご老人が纏うのは黒のローブだ。
私の着ていた薄手の襤褸とは全然違う上等な天鵞絨のローブは、銀糸で緻密な刺繍飾りが施されている。
魔法使い然とした雰囲気を醸し出しているこのご老人が、恐らくビェルカ長官なのだろう。
そして、近衛騎士を背後に従え、上座である正面のカウチソファにゆったりと足を組んで座っている王子様衣装の、キラキラした頭髪のこの人物は、さっき会った――――
「げ! 金髪殿下」
おっと、いけない。思わず声が出てしまった。
「あはは! 『げ!』などと言われるとさすがに私も傷つくな! 貴女が噂の魔女殿か」
ビェルカ長官が「まあまあ、まずは掛けなされ」と言って座るように勧めてくれたので、私たちは朗らかに笑う金髪の貴人と対面のソファに座る。
正確には、私は縦抱きで団長の片腕にずっと座ったままなので、ソファに腰を下ろしたのは団長だけだ。
「私とは初対面だと思うが、違ったかな?」
どこか楽しそうに訊ねてくる、目の前の貴人はモーリスの屋敷にいた金髪殿下にそっくりだ。同じ金髪だし。
だが彼をよく見れば、金髪殿下より若干年嵩に見える。そして目の色が違う。こちらの貴人は瞳が紫色で、体格も大きく少しガッシリして見える。
モーリスの屋敷にいた金髪殿下は青い目で、もっとヒョr……細身だった。
「……瞳の青い殿下にお会いしました」
「ああ、なるほど。それは弟だ」
「第二王子のジュリアン殿下ですな」
――はぁ、兄弟か。びっくりした。
見た瞬間本人かと、身構えてしまった。
体に入った余分な力を抜く。
ちなみに第三王子もいるらしいのだが、かろうじて金髪なものの、瞳は焦げ茶で、体格はゴリマッチョ、兄王子には全く似ていないらしい(ただし父王には激似だそうな)。現在、騎士団で絶賛活躍中だとか。
「私はレアンドルだ。第一王子で、一応、王太子ということになっている。よろしく、泉の魔女殿」
レアンドル殿下は、笑顔でそう言った。
「本当に侍女のマリナに瓜二つだなあ。変身魔法でここまで似せられるものなのか?」
レアンドル殿下が感嘆の声を上げながら、マリナ―― の姿をした私をまじまじと見る。残念なことだが、毛布ぐるぐる巻きなのでたわわな双丘はお見せ出来ない。いや、人妻のおっぱいを勝手に見せたら駄目か。
いくら本人じゃない―― 変身魔法で中身が別人 ――としても、顔はマリナなのだから。3Dアイコラみたいなことになる。それは非常に宜しくない。
という訳で、殿下には顔面のみをご覧いただいております。
マリナは結婚前、王宮で侍女をしていたらしい。
平民だとばかり思っていたが、侍女として王宮で採用されていたということは貴族令嬢だったのだろうか? モーリスやジュリアン第二王子は、侍女時代のマリナを見初めたのかも知れない。
それにしても、モーリスもジュリアン殿下も「ないな」と思う。誘拐犯と強姦魔、……問答無用でナシだろう。マリナはジムと結婚して本当に良かったと思う。
「ホホッ、儂もここまで完璧な変身魔法は初めて見ますのう。いやはや、完成度も持続時間も桁違い。因みにどのように起動呪文を組んだかお訊きしても?」
「あー、適当に……『化けろ』、と」
「ドロン」はこちらの世界の言葉に出来なかった。言ってはみたが通じなかった。
日本国内ですら、若い世代に通じなさそうな言葉だもんね、仕方ない。
念のために説明しておくと、昔は、狸や狐が化けるとき煙が出てドロンという効果音がしていたのだ。忍者が消えるときも煙幕と共にドロンという効果音が鳴っていた。ちなみにお化けが出るときの音はヒュー、ドロドロドロだ。
あとこれは完全な余談だが、昭和のサラリーマンが飲み会などで途中で帰るとき「わたくし、これにてドロンします!」等と言っていた。心底どうでもいい話である。
テストには絶対出ないから忘れてよし。
「なんと! そのような短い詠唱で……!」
「魔女殿。変身魔法の効果は、目の色や髪の色を変えられる程度なんだよ。貴女のように、骨格や髪の長さ、肌の質感まで変えて正確に変身できる魔導士は魔法省にはいない。私達は、貴女の変身魔法の術式が欲しい。やり方を詳細に教えてくれたまえ」
――んんん、困ったな。やり方って言われてもなー。
私は視線を泳がせた。
慌てて適当にやったら、たまたま上手く出来ただけだ。申し訳ないが、他人様に教えられることなど何もない。
あと、このお二方は、なぜ私を『魔女』と呼ぶのか。今は黒ローブを着ていないし、まだマリナの姿なのに……。
「聖句の詠唱にも本来は時間がかかるものなのですぞ。聖句を省いた短い呪文で、これだけ長時間変身を保っていられるのは、……ホホッ、まさに驚異の術! 驚愕の事実じゃ!」
「ああ! これは研究室でしっかり精査した方が良さそうだ。是非協力してくれ、魔女殿!」
――〝聖句〟というのは、床屋のクリスが歌っていたやつだろうか?
魔法を使うためには、本来、聖句を歌わなければならないのだろう。それなのに、正式な手順をすっ飛ばして、適当な言葉、……というか、滅茶苦茶なやり方でむりやり魔法を発動させたのか、私は!
――そりゃ、体力削られるはずだよね。
今回は運良く変身できたけど、魔法の暴発事故とかにならなくて良かった。街に帰ったら魔法の使い方をクリスに聞こう。
盛り上がっている王太子殿下と魔法省長官の会話を遮るように、騎士団長がひとつ咳払いをして切り出した。
「ビェルカ長官。彼女は変身魔法の解き方が分からないようなのです。このままでは魔力が消耗してしまいます。解術出来ませんか?」
「はぁぁぁ? 解き方が分からぬだと?」
「ホッ、……ホホッ! ホホホッ!」
レアンドル殿下は呆れたのか、口がぱかりと開いている。
ビェルカ魔法省長官は梟のようにしばらくホッホ、ホッホ言っていた。どうやら笑いが止まらなくなったらしい。
ビェルカ魔法省長官の笑が治まった後、彼の魔法解除術によって、私は無事に老婆の姿に戻ることが出来たのだった。
◇ ◇ ◇
「魔女殿は眠ってしまわれたか」
「ホホッ、そのようですな」
ようやく元の姿に戻った彼女が、私の腕の中で寝息をたてている。
しばらくは彼女も会話に参加していたのだが、口元に運んでやった焼き菓子を三つ食べ終えたところで、まるで魔石が切れたようにコテリと眠ってしまった。
怖い思いをして疲れたのだろう。
「どうだ? 魔女殿の変化は」
「……特には。体は多少馴染んできているようです。部下の報告によれば、今朝方など走っていたようですので」
「ホホッ、それは重畳。体が馴染めば、魂もいずれ安定するでしょうて。今が肝心な時ですなぁ」
「記憶は戻ったか?」
「まだ曖昧なようです。時折思い出した知識を披露して人助けをしてはいますが」
「ああ、あのシチューパンとやらは熱々で旨かった! あとマリナの店の氷菓子もなかなか変わっていて良かったぞ」
「レアンドル殿下……」
――王太子殿下が何を食べているんだ。
殿下の後ろに控える護衛騎士を見やるとサッと目を逸らされた。
市井の者達の食べ物を気軽に王宮に持ち込むな、王太子に食べさせるな。
お前ら、毒味はしてるんだろうな?
「まあ、魔女殿が生きている限りこの国の加護は保たれるからな。恙無く過ごしているならばそれで良い」
殿下の言葉を聞きながら、耳の下までの長さしかない彼女の赤い巻き毛を撫でる。
ふと先程の、彼女がモーリスに首を絞められている光景を思い出す。
あの時、彼女がマリナに変身していなければ、彼女の姿のままであれば、私はモーリスを生かしておけなかっただろう。
「先程、殺されかけておりましたが」
思わず低い声が口から漏れる。
「〝渡り人〟の魂は繊細じゃからの。レアンドル殿下、前回のように器から逃げられて消滅されては困りますぞ」
「おい、二人ともなぜ私を責める」
「……殿下、報告はどこまでお聞きに?」
私はビェルカ長官に視線を送る。
目の合ったビェルカ長官は、首を横に振っている。長官は耳に付けた魔導具で随時報告を聞いていたはずだが、殿下に情報が伝わっていないようだ。
ということは――――
「いや、ギディオン、お前から直接聞こうと思って待っていたのだ。変に二重に聞くと齟齬が出るだろう? 私が知っているのはフレミー子爵の次男が魔女殿を誘拐し、お前が助け出した、そこまでだ。あとは聞いておらん」
――はぁ。
王太子殿下を前に不敬だが、盛大なため息が漏れる。
レアンドル殿下は、陛下に似て、こういうところがあって困る。
腹心の部下から直接話を聞きたがるのだ。〝影〟から随時上がってくる報告を聞かずに止めていることさえある。今回はその悪い癖が出たようだ。
信頼されているのは嬉しい。対面報告するのも吝かではない。だが、事前に概要は把握しておいて欲しい。
情報は武器だ。情報不足による判断ミスは命取りになる。ましてや王族は国の命運を握っているのだ。しっかりしてくれ!
「モーリス・フレミーの潜伏していた屋敷に、ジュリアン殿下が滞在していた痕跡があります。我々が到着する前に退散されたようですが。……マリナに似た女性を集めておられたご様子です」
「……は?」
「魔女殿も先程、瞳が青い殿下にお会いしたと、言っておったのぅ」
「ま、待て待て待て! ジュリアンがなんだって?……マリナに似た女性? は? 何のために?」
「ホッホッホッホッ」
混乱するレアンドル殿下を見て、ビェルカ長官が笑う。笑い事ではないのだが。
「明け透けに申しますと、手込めになさっていたようです。モーリスがマリナ似の女性を集めていたのは、ジュリアン殿下に献上するためだったようです。まだ余罪がありそうなので、モーリスを尋問しておりますが」
ガチャン!
レアンドル殿下のティーカップがソーサとぶつかり大きな音を立てた。
暫しの沈黙の後、殿下はこめかみを揉みながら唸る。
「ジュリアンが、当時マリナに懸想していたのは知っていた。だが、……よもやこの様な事を仕出かすとは……。馬鹿か? 馬鹿なのかあいつは!」
「馬鹿なのでしょうなぁ。ホホッ」
「残念ながら。側近も含めて」
第二王子のジュリアン殿下は、幼い頃から少し夢見がちな所があった。側室である母君が病弱なのを理由に、世話係が皆でちやほやと甘やかすのが宜しくない。
病弱なのは母君であってジュリアン殿下ではないのだ。何故、側近連中が『お可哀想に』と言ってジュリアン殿下を甘やかすのか理解に苦しむ。
子どものうちは大目に見てもらえても、冷静な判断で行動出来ぬ者は王族として生きていけないことを失念しているのか、それとも意図したものか。
「揉み消すのは、ちと難儀じゃのぅ。被害者に貴族令嬢がおるようですからの」
「なんと……なんということを……」
「ジュリアン殿下はお顔を被害者に見られていますし、証拠品や被害者から検出された体液からもジュリアン殿下が特定されるでしょう」
「…………タイ、エキ」
レアンドル殿下は両手で顔を覆ってしまった。おまけに発音が片言になっている。
まあ、この内容では衝撃も受けるだろう。気持ちは分かる。
――だからこそ、事前に内容を把握しておいて欲しかったのだが……。
「……陛下はお怒りになるだろう。今回ばかりは母上も庇いきれまい。はぁ、……ここ最近のジュリアンは公務も真面目にこなしていたのだ。婚約者も出来てやっと王族としての自覚が芽生えてきたと思っていたのに……」
「ホホッ、甘かったですな」
「その婚約者、ガバニージェス公爵令嬢の件についても片付いておりませんよ」
ジュリアン殿下の婚約者、エルミラ・ガバニージェス嬢は行方不明で捜索対象となっていた。
しかし、別件の詐欺事件で小道具として使われた手紙が、エルミラ嬢の殺害を示唆する内容だったのだ。命令のとおり殺害を実行したしたと記されたその手紙には、おぞましいことに切り取られたエルミラ嬢の毛髪まで入っていた。
現在は、殺害事件に切り替えた捜査が進められている。
詐欺事件の犯人は、その手紙をモーリスの潜伏していた屋敷から盗んだと供述した。モーリスの書いた手紙だとすれば、エルミラ嬢の殺害を命じたのは誰か、自ずと導き出される。
レアンドル殿下は、天を仰いでソファに沈み込んだ。
「……あの愚弟め。私を心労で殺す気か」
例の手紙の件は、陛下、レアンドル殿下はもちろんのこと、ガバニージェス公爵にも報告済みだ。
予想通り、公爵の弟である辺境伯が王都に自ら乗り込んで来ることになった。
可愛い姪御を魔獣の餌にされたとあっては、犯人探しに血眼になるだろう。犯人がどんな身分であろうと、かつて『闇青の魔王』と呼ばれたあの人からは逃げられまい。
魔王に微塵斬りにされる前に、ジュリアン殿下は毒杯を仰いだ方がよいのでは?
「ところで、ビェルカ長官。腕輪をひとつ、譲って頂きたい」
「ホホッ、……どなたにお使いかな?」
私は腕の中で眠る人に視線を落とした。
「彼女は目を離すと、毎回、とにかく死にかけるのです。希望する付与魔法は、攻撃防御と耐毒解毒と位置報告と音声収集と……」
「ホホッ! ホホホッ!」
「おい、魔女殿。寝てないで逃げろ! 捕まるぞ!」
レアンドル殿下が、ガバリとソファから起き上がって大きな声を出す。
急になんだこの人は。煩いな。
「レアンドル殿下、彼女は疲れているのです。大声で起こさないでください」
「いや、寝ている相手に正気か? 本人の了承も得ず腕輪を嵌めるなど、紳士のすることではないぞ。魔女殿、起きろー!」
「ホホッ! 現在王妃陛下がお使いの品同等のもので宜しいですかな?」
「お願い致します」
ビェルカ長官がパチンと指を鳴らすと、卓上に魔力遮断の術式が施された箱が現れる。
「ふむ。……では失礼して」
ビェルカ長官が箱の中から金塊を取り出す。
聖句を唱えながら金塊に魔力回路を刻んでいく。金塊はグニャリと形を変えて、やがて二つに分かれる。端に凹凸のついた半輪の魔導具が二つ出来上がった。
私は半輪の魔導具を受け取り、彼女の痩せた腕を間に挟み込む。ガチャリと音がして、半輪同士が嵌まったのがわかった。
「では、オルコック卿。その血と魔力を、聖霊に捧げなされ」
自分の指先を軽く噛る。出てきた少量の血液を腕輪に垂らして、魔力を込める。
リリリリ……!
妖精の羽音が聞こえる。
腕輪は眩く光り、腕輪の周囲に緩く風が吹く。
腕輪は徐々に金色から重厚な銀色に変化し、はっきり見えていた半輪同士の凹凸跡は消え、継ぎ目のない完璧な輪になった。その代わり聖句が刻印されていく。
「ふむ、成功ですな。ホホッ!」
「手枷を嵌められて……可哀想に」
「レアンドル殿下、手枷ではありません。これは保護目的の腕輪です。使用者が合意さえすれば何時でも外せます」
「お前が拒否すれば永遠に外せない、呪いの手枷だろうが」
「ホホッ、泉の魔女殿は我らにとっても失う訳には参りませぬからのぅ。大事な〝渡り人〟をしっかりお守りくだされ。オルコック卿」
「もちろんです」
◇ ◇ ◇
老婆は、ふいに締め付けられるような胸の息苦しさを感じて目を覚ました。
「……はぁ」
いつの間にか森の洞窟に帰って来ていたようだ。いつもの寝台、熊の毛皮の上に私は寝そべっていた。
洞窟の入り口から見える外は真っ暗で、今が夜中なのだと分かる。日本と違って、この世界の夜は暗い。この洞窟は石が仄かに光っているので、かろうじて自分の体は確認できる。それでも照光範囲の狭い常夜灯程度のぼんやりさだ。
そっと体を起こして何気なく体を見れば、身に付けている服が変わっていた。
――凄い。全然寒くないし、肌触りがスベスベだ……。
黒ローブが、新品になっていた。
布地も厚手だし、どこも破けていない。
魔法省長官が纏っていたローブほど豪華じゃないけれど、老婆には充分過ぎるほど上等なローブだ。
素材が何なのか分からないが、滑らかな気持ちのいい肌触りで、厚手で暖かいのに重くなく、蒸れずに快適だ。
暗くて何の模様かよく見えないが、フードの縁と、袖、裾の周りに、刺繍飾りが小さく入っているようだ。地味にかわいい。
そして胴体を触ると、固い。
これは……コルセット?
――息苦しさの原因はこれかァァァ!!!
騎士団長は有言実行の人らしい。
ところで、私は寝たまま下着店に連れて行かれたのだろうか? 下着店の皆さんも、こんな老婆に合うコルセットを探すのはさぞ大変だっただろう。
――まあいっか。苦しいから外そう。
私はコルセットを外そうと、ローブの中から背中に手を伸ばす。
うーん残念、あと少し届かない。よし、今度は左手を上から入れて、……そこで私は違和感に気付く。
――おや? なんだろ、コレ?
首筋に触った左の手首、関節の少し上に金属の感触がした。腕を前に戻して見れば、初めて見る腕輪が嵌まっている。
表面には小さな文字がびっしり刻んである。古語か何かなのだろうか、ほとんど読めない。
所々わかる単語もあるが、『盾』『消』『癒』『所』『耳』……? んんー、意味がわからない。
『耳』といえば……。
平家の怨霊に気に入られた琵琶法師が、連れ去られないために、身体中お経まみれになる怪談があったな……。
「いや、私もなぜこんな夜中に怪談を思い出したんだ! こ、怖いじゃないか!」
しかし思考は止まらない。
たしか、お経が書いてあると謎の法力で怨霊からは透明人間のように、見えなくなるのだ。和尚さんが琵琶法師の身体中にみっちりとお経を墨で書いてくれた。
だけど、和尚さんはドジっ子だった。耳にだけ書き忘れて法事に出掛けてしまう。
和尚さんが出掛けたあと、怨霊が探しに来ると、琵琶法師の姿が見えない。怨霊は、宙に浮かんで見える耳を見付けて…………
ヌボウ……
「ぎぃぃゃああああ!」
ふと視線を動かした先に浮かぶ目玉。
薄暗い部屋の中で、何かと目が合った。
その瞬間、私は飛び上がらんばかりに驚いて―― いや、実際ちょっと飛び上がった。三センチ位お尻が浮いた ――大声で悲鳴をあげた。
「ワウワウオン! ワウォフッ! ワウォフッ!」
「ワウワウオン! ワォォォォン!」
「グルルルルルッ!」
私の悲鳴を聞き付けた狼隊が、次々に洞窟に飛び込んでくる。どうした、どうした、何事だと、口々に吠えているようだ。
部屋がパッと明るくなった。
狼の誰かが魔法で明かりを着けてくれたのだろう。
果たして明るくなった部屋を見れば、見知った灰色のロバが呆れた顔で立っていた。
「ヴフェン」
隊長は鼻を鳴らした。
私の心臓はまだバクバクしている。
狼達は困ったように、私と隊長の間をうろうろと視線を動かしていて落ち着かない様子だ。
「な、なーんだぁ、隊長! お、お、脅かさないでよ、もー」
「…………」
「ぐぇ!」
隊長が目を細めると、何故かコルセットの紐がキュッと絞まった。
「ま、待って隊長! なんで怒ってるの? ぐ、苦しい! 緩めて緩めて! 出るっ、出ちゃうっ! 内臓が口から出ちゃうぅぅぅぅ!」
その後、謝り倒して、どうにかコルセットを外してもらい眠ったのだが、翌朝起きると、どうやったのか―― 多分魔法だろうけど ――再びコルセットが私の体にしっかり装着されていた。
……正直、怪談より怖い。
魔法が使えるロバは決して怒らせてはいけない、と思った。
この暗闇目玉事件と恐怖コルセット体験のインパクトにより、魔法省で魔女呼びされたことや、見覚えのない腕輪が腕に嵌まっていたことなど、小さな違和感は、すっかり私の頭から消え去ってしまったのだった。
狼A「婆さん! どうしたんッスか!? 大丈夫ッスか!?」
狼B「婆さん! まさか賊が出たのか!?」
狼C「ぶっ殺ぉぉぉぉす!」
ロバ「落ち着け何事もない」
狼A(え? 婆さん怯えてるんッスけど?)
狼B(え、暗い寝室に忍び込んでおいて?)
狼C(な、何事もない、だと……?!!)
狼ABC((( そんなバカな! )))
ロバ(ただ見守っていただけだ。疚しいことは何もしていない!)
狼A(いや、それ普通に怖いッス!)
狼B(寝室に忍び込んだ時点で疚しい!)
狼C(アウトォォォォォ!!!)