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2 溺れる老婆はロバにも噛まれる

2021.9.21 若干修正しました。

 

「うん、……誰?」



 私は今、泉を覗きこんでいる。


 水面に映った老婆(じぶん)の顔を見て思わず声が出た。予想していた通り、全く見覚えの無い顔だった。うん、全然知らない人の顔だ。


 顔を右に向けたり左に向けたりしながら、しげしげと水面を眺める。


 皺だらけだけど、若い頃はわりと美人だったのではないかと感じさせる顔立ちだ。

 たるんだ瞼にぐっと力をいれて、眼を見開けば、森と同じ緑色が、水面からこちらを見つめ返す。少なくともアジア系の人ではなさそうだ。


 両手を見ると爪が長い。ちょと長すぎるよ、高齢者でこの爪はないよ、おばあちゃん。

 こんな爪してるのは、キャバ嬢か魔女くらいでしょ。魔女一択な気もするけど、キャバ嬢の可能性も残しておきたい。

 異世界の熟女キャバ嬢ナンバーワンの可能性はゼロではない。


「いや~、それはないか」


 自分でボケて自分でツッコミを入れるほど、私も地味に混乱しているらしい。

 だけど違和感だけは強く感じる。この身体は『私』ではないなと改めて思う。


 老婆の中の人は、どこへ行ってしまったのだろう?


 私が老婆(かのじょ)の体の中に居座っている件について考える。「本当の本人」には申し訳ないが、入った記憶もないし出る方法もわからないので、しばらく私は彼女のふりをして暮らすしかない。


 寝台の石から、よっこらしょと立ち上がった私は、彼女(老婆の中の人)の痕跡(ヒント)を探すことにした。


 私が目覚めた洞窟は、そのもの全体が大きな岩をくりぬいて造られていた。

 部屋数が多く、厨房、浴室、お手洗いなど、ほぼ生活に必要な設備も整っていて、広くて頑丈な造りになっている。


 老婆の棲家というより、実は山賊のアジトでしたと言われた方が納得できる。

 大柄の男性でも五人から六人は一緒に住めそうだ。


 結論から言うと洞窟からは、何のヒントも得られなかった。


 人の暮らした痕跡が見当たらなかったのだ。食糧庫に穀物らしき麻布(未開封)があっただけで、竃は煤もなく綺麗だった。


 そんなわけで、屋内の探索を切り上げて、洞窟の外に広がる森を徘徊して(うろついて)いた私は、この澄んだ泉を見つけ、鏡代わりに水面を覗き込んでいたのだが――――。



 ドボーン!


 もう少しよく見ようと身を乗り出した時だった。

 何か大きなものが水に落ちた音がして、えっ?と思っているうちに鼻に水が入って来た。く、苦しい! どうやら泉に落ちたのは私だったようだ。


 慌ててもがくが、水を吸ったローブは重く、まるで溺れさせてやると意思を持つかのように体に纏わり付いてくる。

 衣服に手足をとられ上手く水を掻くことができない。


 がほり、と口から空気が逃げていく。口から水が勢い攻め込んでくる。


 肺が苦しい。息ができない。助けて。


 手足をばたつかせるが、手は水面に届かず、足は底につかない。泉の底は思ったより深い。

 苦しい、苦しい。誰か…。




――――幻覚を視た。


 天から水面に輝く光のはしごが幾筋も降りてくる幻想的な雰囲気のなか、水中を駈けるように銀色の馬がこちらへ向かってくる。


 その銀馬は、空気の粒をキラキラと瞬かせ、水を掻いて、ぐんぐん近付いてくる。ああ速い。

 水の中を走る馬、あれは水妖馬(ケルピー)だろうか……。

 でも水妖馬(ケルピー)ってこんなだっけ? なんか思ってたのと……違うな?

 馬にしては少し……小さい……?

 耳も……長い……ような?



 ザバッ!

 べちゃっ!



 ドスッ!


「ぶ、ふへぁ…っ!」

「ヴエェェェァァァァヒィン!」

「が…! がふぉっ…! ぶふぁっ…! げふあっ…!」


 私は唐突に、べちゃっ、と地面に放りあげられるやいなや、何かに腹を頭突きされた。

 頭突きの衝撃で、飲んでいた水を全部吐き出し、私が意識を取り戻したとわかると、()()は、抗議するかのように、もの凄いけたたましい声で叫びだす。


 間一髪、ローブの襟首を咥えて溺れた私を引っ張り上げてくれた、それは馬でも水妖馬(ケルピー)でもなく、ロバだった。


 ちなみに、皮毛は銀色ではなく、灰色だった。

 今際の(きわ)のエフェクト盛りが半端ない。脳内からβエンドルフィンでも出ていたのだろう。


 あぶない、本当に死ぬところだった。

 ありがとうロバ。

 あなたは一人の老婆の生命を救った。


「ヴエェェェァァァァヒィン!」


 いや、うん、なんか怒ってる?


 ちょっと待って。

 助けてくれて感謝してる。ありがとう。

 でも待って、まだ鼻に水が入ってるんだ。めちゃめちゃ痛いんだ。

 鼻も喉もまだ痛い、めっちゃ痛い。



「ありがはぁっ…! ごめ……ぶ、ぶげふぉっ…! げはぁっ…! ま、待っぶへぇっ…! げへぇっ…! がはぁっ!」



 その日、静寂な森の泉には、けたたましいロバの嘶きと、ずぶ濡れでむせながら水を吐く、老婆(わたし)の呻き声が、不気味に響き渡ったのだった。



 老婆とロバ(オレたち)の戦いはこれからだ!




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