15 世界一高貴な護衛
「寒くないかな……」
石の寝台の上に敷かれた熊の毛皮に横たわる、黒髪の美人を見下ろしながらウロウロソワソワしていた。
この美人は先程、泉でピクニックしてるところに、空から降ってきた青い忍者装束の美人である。その時はまだ、居合わせた全員がこの人を青年……、つまり男性だと思っていた。
怪我はルルちゃんが治癒魔法で粗方治してくれたが、いまだ目が覚めない。
彼女が元々着ていた忍者装束は汚れと損傷が酷いので脱がせて、今は闇青の団服を着せてある。着替えさせる時に豊かなお胸の谷間が出現するというラッキースケベ的ハプニングがあったため、大慌てで男性陣(隊長含む)は部屋から一旦退出し、着替えをさせ終わった今は私と狼たちだけが眠れる美人を見守っている。
ちなみに陽が暮れる前に、ルルちゃんはアレクが街へ送って行った。
「やっぱり寒そうだなぁ」
洞窟内は風こそ入ってこないが、周りは岩である。冬のこの季節は陽が暮れると底冷えする寒さだ。
うーん、と考えて、私は一張羅の黒ローブをモゾモゾと脱いで彼女の上に掛けた。
「このローブは温かいから。……うん、これでヨシ!」
「クゥン?」
怪我人は温かくしておくべきでしょう。
誘拐事件の際に騎士団長に買ってもらったこの黒ローブは、肌触りの良い毛織物で野外でも寒さを感じないほど温かい優れものなのだ。
上に掛けておけば少しは寒さを凌げるはずだ。
突然下着姿になった老婆を見上げて狼達が不思議そうに首をかしげている。
え? 寒くないのかって?
もちろん寒いよ! 老体に寒さが染みるよ! ガタガタブルブル。
「天然の毛皮っ!」
「ワゥゥフワッ?!」
近くにいた狼をガバッと一匹捕まえて首もとに抱き付く。大型獣で長毛なので温かい。他の狼も近寄ってきて、あっという間に老婆の狼団子が出来上がった。
モッフモフである。
うむ、ぬくい。苦しうない、もっと近う寄れ。よいではないか、よいではないか。ぐっふっふ。
気分はすっかり悪代官ならぬ悪老婆である。
「食事の用意が出来、……うわッ! 何だ、何をしている婆さん!」
ワシャワシャと狼の皮毛を撫でながら時代劇の悪代官ごっこを楽しんでいると、寝室の入り口からセディと隊長が顔を出した。
「狼で暖を取ってる」
「は? 暖って……、何で裸なんだ!」
「裸じゃないよ、ちゃんと着てるよ」
「婆さん、下着は裸と同じだ!」
「ヴェェヒィン!」
――あっ、しまった。
今日は隊長がいたんだった。
やばい怒られる。説教コースだ。
隊長は低く一鳴きしてギロリと睨む。
狼達は耳を伏せ「キュィン!」と鳴いてサッと散っていく。寒い。彼等は、入り口に立っているセディの足元を掠めて、我先にそそくさと小走りで寝室から出ていってしまった。
――ああ、短い毛皮ハーレムだった……。
天然の毛皮がいなくなって私は思わずブルルッと震える。
そこへポックラポックラと蹄を鳴らして隊長がゆっくり近付いてくる。
「ブヒェィン」
隊長は首を振りながら鼻を鳴らすと、私の間近で立ち止まり膝を折って座った。そして顔をぐいぐい擦り付けながら寄りかかってくる。おっ、……重い!
「な……、何なの?」
「あー、暖を取るなら私で取れと団……、ンンッ、彼はそう言っている、……ような気がする」
「……マジですか」
ロバは短毛なので、長毛の狼達の方が温かいんだけれど。まあ、せっかくの隊長のご厚意なので体を寄せて長い首にしがみついてみる。あ、結構体温高いんだ、温かいや。
「婆さん。取り敢えず、コレを着てくれ」
セディが大分大きなサイズの、闇青色のコートを持ってきた。胸の辺りに大小色々、バッジがついている。階級を示すものか功績を称えるものか……、こんな風にバッジがいっぱいついてるコートを着てる人に会ったことあるぞ。もしかしなくても騎士団長のコートじゃないの? コレ。
「セディ。……コレ、誰のコート?」
「いや大丈夫だから」
――大丈夫って何がよ?
「取り敢えず着てくれないか」
「ヴフェン!」
しばらくの間、コートを挟んでセディと睨み合ってみたが、隊長が「着ろ!」とばかりに腹に頭突きしてくるし、やせ我慢しても寒さは和らがないので有り難くそのコートを借りることにした。
「着たら着たで、温かいんだよなー」
袖を通すと、コートの中だけ炬燵に入ったみたいにぬくぬくと体が温まる。サイズが大きいので手も足もすっぽり隠れる。
何コレすごい。ぬくぬくになる魔法でも付与してあるの? そして体が暖まると急激に眠くなってきた。
「おい、婆さん、食事にしよう? 寝るなら食べてから寝てくれ」
セディの声が段々遠くなる。
とにかく返事をしなくっちゃ……。
「……う、ん。……わか、て……る」
「おーい、寝るな」
「んんー……。…………スヤァ」
「……婆さん」
「……ヴフェン」
隊長の背中を枕がわりに、私はそのまま眠りに落ちた。
◇ ◇ ◇
イリザーレの港から王都に戻った私が東の森に駆け付け、泉の前で鳥型の魔獣に襲われていた彼女を助け出してから三日が過ぎた。
洞窟内の食堂に私と部下、対面に客人が席についている。
「オルコック卿」
客人からの呆れるような呼び掛けを無視して、眠る彼女を膝に乗せしっかりと抱え直す。相変わらず枯木のように軽い体だ。
あれから彼女は眠ったままだ。
物言いたげな視線が刺さるが、彼女を膝から降ろす気はない。
セディとアレクの報告を聞くには、私が泉で彼女に再会した日はたまたま目覚めていたが、実はその前も三日程眠っていたらしい。
そして今、再び、三日眠っている。
これまでの出来事を思い返す。
冒険者ギルドで魔石に魔力を充填するという離れ業を、属性無視で複数個それも短時間で木の実を選り分けるような手軽さでやって見せたという報告を聞いたその翌日、私はビルを伴い、イリザーレの港に向けて出立しなければならなかった。王太子の命でなければ断っていただろう。
だが間の悪いことに、私が王都を離れたその日に彼女は襲われた。以前より素行が悪いと苦情の通報が上がっていた肉屋の母息子が床屋に乱入し、たまたまその場に居合わせた彼女に暴力を振るったのだ!
――愚か者どもめ!
幸い腕輪の防御魔法が発動し、彼女に怪我はなかったようだが、遠隔で現場の音声を拾い聞いていた私は〝深紅〟の団長であるダミアヌス殿下に羽交い締めにされなければ砂漠の姫の到着など待たずに彼女の元へ、直ちに王都へ舞い戻っていただろう。
レアンンドル殿下に懇願され、ビルに宥められ、ダミアヌス殿下に物理的に引き留められ、結局ケルジァールの船を出迎え終わるまで港を離れられず、戻るのに随分と時間がかかってしまった。
この肉屋の母息子の乱入があった時に、部下達の内で誰も彼女の側に居なかった事について、説明を求めたところセディからは次のような弁明があった。
『隣国ガハララの密偵が、はぐれの〝渡り人〟を探している。生死を問わず連れ帰る目的のようだ』という情報を得た、と。
そこで彼女をパン屋に預けて、周囲を探りに行くため離れたのだと言う。パン屋のベンは元騎士だから任せて安心だという甘えが、部下達の中にあったのだろう。
問題は、ベンに事情を話すこと無く、連絡役の一人も彼女の側に残さずに全員が出払ってしまった事。そして誤算は、彼女がパン屋ではなく、クリスに連れられて床屋に行ってしまった事だ。しかも肉屋の女が彼女を殴り付けた時、剣を扱えるルルも人を呼びに行っていて、その場に居なかった。腕輪が無かったらどうなっていたのか、考えたくもない。
そのように彼女を危険に晒しておきながら、ガハララの密偵に逃げられたと言うのだから腹が立つ。
ガハララの密偵が指す『はぐれの渡り人』とは国に登録されていない存在という意味だろう。だが、そんなものは存在しない。
渡り人の体は焼け落ちる。魂も落ちれば生まれ変わりこの世界の肉体を持つ〝元渡り人〟となる。
元ではなく、原本の渡り人のまま存在させるには魂を〝人形〟に入れるしかない。その技術があるのは我がアーデンマムデル王国の魔法省だけだ。要するに原渡り人が居たならばそれは端から国の登録済みと言う訳だ。
無登録の渡り人など存在し得ない。
そう、例えば儀式時に思わぬ事故が無ければ。そしてそこに偶然、生きた〝魔女〟が居合わせる偶然がなければ……。
――どこから彼女の事が漏れた?
「……ぐぇ」
腕の中の彼女から苦しげな声が漏れた。
思考を巡らすうちに、腹部に回した腕に力が入りすぎてしまったようだ。
「貴殿の腕力で魔女殿を絞め潰すなよ?」
「団長。そろそろ婆さんを降ろしてあげたらどうッスか?」
「寝台の方が体を伸ばせて、婆さんも眠りやすいと思いますが」
「断る」
話を元に戻そう。
愚かな肉屋の母息子が第二騎士団に連行された後も、気丈にも彼女は活躍したようだ。
飴屋のトムに効果的な販売方法と新作レシピを授け、その後、酒場で新レシピを二品も考案し惜し気もなく披露したのだという。それにはギルド長のロニーも頭を抱えていたらしい。
そして、その日の晩から三日眠り続け、ようやく目覚めた日の昼には、幼体の火竜の姿をした火の精霊を召喚し、大蛇の姿をした水の精霊を喚び出し、二精霊はまるで軽く挨拶でもするかのようにその力を見せたという……。
精霊との契約無しに、使役に必要な聖句の一行さえも詠唱もせず、精霊種の総称をただ呟くのみで。
私が泉に駆け付けた時には、彼女は鳥形の魔獣に襲われていた。客人が引き連れてきた魔獣だ。騎士であれば倒すことも可能な個体だが、如何せん数が多かった。しかもその場に居合わせたまともに戦える騎士は狼から人間の姿に戻っていたセディとアレクだけという状況だった。
だが、――――。
私が目にしたのは、ドーム型の強固な防御壁を展開して魔法攻撃と物理攻撃の両方を防いでいる彼女の姿だった。あれは、何だ? 魔法省が実現化に向けて長年研究している『結界魔法』ではないのか?
これらは、渡り人である彼女だから出来る事なのか。それとも、彼女の魔女の体が可能にさせている事なのか。
いずれにせよ、蜜の甘い花には虫が多く寄ってくるものだ。特に隣国ガハララは厄介だ。さて、どうしたものか……。
「なぁ、オルコック卿は何時もこうなのか?」
客人がセディに問い掛ける。
「いえ、普段はこれほど酷くは……」
「団長は、婆さんの事が絡むと変態になるッス!」
「ふむ。確かに変態の様相だな」
「団長は婆さんに関して普段から若干過保護気味なのですが、今回は婆さんが何日も起きないので、いつもに増して暴走しておられます」
対面にある切り株の椅子に腰掛けた客人の、星空のような深い青色の瞳が、面白そうに細められた。
「ふぅん? なるほど」
黒く艶やかな髪が、頬の横で真っ直ぐな流れを作っている。後で一本に括った長い髪の束が馬の尾のように揺れる。
「まあ、何にせよ私は運が良かった。精霊の放った火柱を目印にここまで命辛々飛んできたが、その判断は正解だった。こうして魔女殿に命を助けられたし、オルコック卿、貴殿に会えた」
「御身がご無事で何よりでした」
「いや。なに元々、この国で困ったことになったらオルコック卿とアボット殿を頼ろうと決めてはいたのだ」
一呼吸置いて「そう言えば、アボット殿は姿が見えぬが、息災か?」と尋ねられる。アボットとはビルの家名である。
「ビルは、イリザーレの港に残してきました。沈んだ船の乗組員の救助や積荷の回収等、諸々せねばなりませんので」
「沈んだ船か……。アボット殿には申し訳無いが、無駄足だろう。人間も品物も何も回収出来まい。影武者のウルファに危害があった時点で、砂の呪詛が発動するようにしてある」
「呪詛?」
「ああ。一の船に乗ったウルファ自身の体と身に纏った服装品、そして二の船に乗せた使用人、輿入れ道具や王家への献上品、何もかも、髪一筋、絹糸一筋に至るまで、私以外の全てが砂に変わる呪詛だ。襲撃に備えて、一の船にはウルファ以外重要なものは乗せていない。敵に利用されるなど業腹だからな」
そう言ってカラリと豪快に笑う、我々と同じ〝闇青〟の男性用団服をすっかり着こなした目の前の女性は、完璧な、貴族の青年騎士に見える。
恐らく、ケルジァール特有の魔物素材で作られたブルーの布が、我々の認識をねじ曲げさせているのだろう。
ブルーの布を首元と両手首に巻きつけ、長い髪を括る紐の代わりにも使っているようだ。
もちろん、本人の堂々とした立ち振舞いも青年騎士のように見せて疑わせない一因でもある。
「……それほどまでの危険があると承知で来航を?」
――知っていて、何故今来たのか、と。
セディが固い口調で尋ねる。
アレクも眉をしかめている。
ケルジァールを訪れたことのない彼等は、敵に利用されないためとは言え側近や使用人の命どころか遺体すら消すという苛烈さが理解できないのだろう。
「未来の義妹であるエルミラ嬢が行方不明と聞いて、きな臭さを感じない程ケルジァールは平和呆けはしていない」
本来の予定では、王太子の婚約者来訪は二年後だった。そしてそれは、そのまま輿入れとなる筈だった。急に早まった来訪に当然ながら婚礼の準備はまだ整っていない。
予定外に来訪を早めたその理由が、第二王子の婚約者エルミラ・ガバニージェス公爵令嬢の行方不明事件だと言うのか。
「自分の家の庭に百足が出たら、百足を殺すだろう?」
殺すという物騒な台詞に、セディとアレクがたじろぐ。
「婚家に得体の知れない百足が出る、既に義妹が咬まれたと聞けば、君らだって、訪問の予定を早めてでも退治しに行くのではないか? 伝聞ではただの百足だというが、もしそうではなかったら? 大百足かも知れないだろう? 自分が咬まれるならまだしも、伴侶が咬まれたら大変だ。将来生まれる子のためにも、大百足と共に暮らすなど到底考えられない」
『百足』や『大百足』というのは勿論、比喩表現だろう。実際の虫や魔獣の話をしているわけではない。つまり国に潜む害悪の話だ。
「この国には『疑わしきは罰せず』という言葉があるそうだが、ケルジァールでは『毒虫は人を咬む前に殺せ』と言う。エルミラ嬢が拐かされたなら、それはもう王家にとっても、国にとっても『人を咬んだ毒虫』と言ってよい。早急に燻り出して殺すべきだ」
垂直に流れる黒髪を揺らして、その女性は、王族然とした冷酷な微笑みを浮かべて言い切った。
「我々ケルジァールは、砂漠の民。太陽と月光の双子の精霊王女を信仰する戦闘民族。私が来たからには安心したまえ。如何に大百足とて、恐怖に泣きたくとも涙腺が動かぬほど痺れる煙で燻り出してやる。我が身内を汚した者にはその命で償ってもらうさ」
私の二人の部下達は気圧され、固まり、暫くの間、ぴくりとも動かなくなった。
◇ ◇ ◇
王都に向けてイリザーレを出立をした、砂漠の国ケルジァールの来賓一行は、中継地である街、ワコティスの領主邸に宿泊していた。
王太子は火急の用が出来たとかで、ワコティスには留まらず、騎馬にて先を急ぐ事となった旨が、先ほど騎士により王女の泊まる部屋に伝えられた。
婚約者に直接詫びる間もなく慌ただしく出立した王太子だが、実際にはイリザーレに戻り転移門を使って王都に移動する。そんな裏事情など勿論、偽王女は知らない。
火急の用件――それは、港で出迎えてみたらケルジァールの王女が、姉姫でも妹姫でもない、全くの偽者だったという件だ。
お陰で一刻も早く王宮に戻り根回しをしなくてはならなくなった。まずは国王陛下と王妃に報告し、ケルジァールに魔法便にて文を出す。それから各騎士団と魔法省に……、ああ頭が痛い。王太子レアンンドルは、イリザーレに戻る馬の上でうろんな目になりながら今後の算段を練った。
一方、王女のため準備された客室からは、暴れる音と罵声が漏れ聞こえてくる。
「なんっっで! ちっとも王太子に会えないのよっ! そのうえ置いていかれるなんて、どういうことよ!」
麗美な刺繍のクッションのカバーは爪で引き裂かれ、高級素材である保温性と弾力に優れた白雪綿鳥の羽毛が部屋の中を舞っている。
王女様の握力は、意外とお強いらしい。
アーデンマムデル王国側が用意した女性使用人達は、王女のあまりの形相を前に、四人並んで壁際に待避していた。
使用人に当たり散らし暴れ喚いているのは、砂漠の国の王女であり、王太子殿下の婚約者(自称)。とても高貴な生まれ育ちの御人とは思えない剣幕であるが。
イリザーレ港で、殿下達との対面時にこの王女は『バースィマ』と名乗っていた。確かにそれはケルジァールの王女の名だ。使用人の一人は考える。それで似たような名前の姉妹がいたはず……。
――どっちが姉で、妹だっけな……?
王女の豊かに波打っていた黒髪は乱れ散りまるで無数の蛇のようだし、額には汗が滲んで髪が貼り付いている。
美しかった口元はひきつり、愛らしいはずの瞳は眦が吊り上がり、見開いた眼球の白目は血走っている。
――まるで顔は『般若』、頭は『メドューサ』みたい。
ティーポットを持った小柄なメイドは思った。
せっかく淹れた高級茶葉の紅茶は、つい先ほど一口も飲まないまま引っくり返されたところである。咄嗟に風魔法を発動させ熱い茶湯が王女に掛からないように防ぐことができたが、冷や汗が出た瞬間だった。あと、高価な茶器が割れなくて本当に良かった。ハラハラしながらメイド仲間の三人と共に壁際に黙って控えている。
彼女達はメイド服を着ているが、本職ではない。
他の三人は女性のみで構成される第三騎士団〝月光〟の騎士。そしてティーポットを持ったこの小柄なメイドは、第四騎士団〝深紅〟の団長ダミアヌス殿下付きの魔導士である。
要するに、この自称王女は、監視されている状態であるということだ。
王女は焦っている。
声に出さない思考までは読めないが、表情と行動で誰の目から見てもそれは明らかだった。
( 大体、バースィマを殺しただけで、なんで第二陣の船が勝手に沈むわけ? あの船には砂漠の国の超高級品がいっぱい積まれていたのに! )
「全部、私のモノになるはずだったのにィ!」
( もう! なんでなのよ! 第二王子は上手く動かないしっ、王太子には挨拶したっきり近付けないしっ! )
「私、婚約者でしょ?! なんで手にキスされないのよ? なんで手をとってエスコートされないのよ? なんで私が置いてきぼりになるの? 用事なんか放って私と過ごしなさいよ! あああッ! ムカつく!」
そうやって怒鳴り散らしながら部屋の中をウロウロと歩き回っていたが、叫び疲れたのか、王女はハァハァと肩で荒い息を吐く。
( 王都に着く前に、堕としてやろうと思ったのに……! )
羽根の散らばるソファーに乱暴に腰掛け、爪をギリギリと噛む王女。エスコートされる機会の多い貴婦人の爪は、美しく整えるられているべきもの。爪が歯形で歪んでいるなんてあり得ないのだが……。
――うわ、そんなに強く噛んで大丈夫?
四人のメイドは内心驚いている、というか、呆れている。
噛んで歪んだ爪は切るしかない。しかし、そうすると他の指と爪の長さが不揃いになる。従って噛んでない爪も切って長さを合わせるしかない。
――王女が深爪とか、ちょっと無いわー。
――誰が整えるのよ? ウチら?
――うっそ! 超めんどくさーい。
メイド達は一気に憂鬱になった。
そこへ男性の甘い美声が掛かる。
「バースィマ様、ご辛抱を。王太子殿下も公務で御忙しくていらっしゃるのでしょう。王宮に着けば落ち着いて王太子殿下の対応も溺愛に変わりますよ」
「……カスィーム」
「そのように暴れては美しいお顔が台無しですよ、我が麗しの姫」
「まあ、カスィーム! だけど私、……不安だわ」
ノックも無しに王女の部屋に入ってきた男は、バースィマ王女に近付くと、汗で貼り付いた前髪を指で退かし、乱れた髪を手櫛で梳かして整える。未婚の王女に対して近過ぎる距離だ。
「ではケルジァールに帰りますか? ずっと私だけの姫でいてくださった方が、私も嬉しいのですよ」
ケルジァールの民族衣装に身を包み、明るい水色の瞳を持つこの男は、カスィーム。ケルジァールから付いてきた王女の従者である。一の船に王女と共に乗ってきた。
不思議な事に、王女が乗っていたにも関わらず、一の船には女性の使用人が乗っておらず男ばかりであった。
反対に、二の船に乗っていたのは女性ばかりで、侍女達は二の船と共に皆沈んでしまった。
残った一の船の使用人の中で、王女の側に寄れる身分なのは、このカスィームという名の男だけなのだと言う。青色の瞳は、ケルジァール王家の血を継ぐ者の証らしい。もっとも、この明るい水色では大分遠縁だろう。
そのような事情もあって、アーデンマムデル側から女性の使用人を四名付ける事態になったのだ。
――なんだか胡散臭い男よね。顔は整ってるけど売れない劇役者みたいで大袈裟な口調が気持ち悪いわ。
――遠い血縁だからって、婚約者持ちの王女にベタベタ触って許される男って何なの? 宦官なの? 不能なの? それにしても親密過ぎじゃない?
――王女の影武者ウルファ嬢が、実は男性だった説はどう? そしたら一の船に侍女が乗ってなかったことも説明つくし、この男が触っても問題無いんじゃない? 同性なんだもん。この偽者が男なのか女なのかは分からないけど。
〝月光〟の女性騎士三名は横目に視線を投げ合うだけで会話しているが、ティーポットを抱えたままの魔導士にはその会話は読み取れない。
魔導士は他の三人とはまた別の視点で、遠い目になっていた。
――ひぇぇ! 魅了魔法の掛け合いでマウント取り合ってるの、すごい。怖い。
専用の魔導具を装着した魔導士には、見えていた。バースィマとカスィームから、それぞれ桃色をした魅了の魔力が靄のように立ち上ってお互いを飲み込み被さり浸食し合っている光景が……。
――念のため、殿下達には魅了避けのアミュレットを渡してあるけど……。
この様子じゃあ、もっと沢山作っておいた方が良さそうだし、精度を上げた物も作った方がいい。大丈夫、材料は持ってきている。今夜、部屋に戻ったら早速、隣にいる三人の分を作ろう、――魔導士はそう思った。
◇ ◇ ◇
ジョリィィィィ……!
「う。……うぐぇ」
口の中が、砂を噛んだようにジョリジョリする。
なんだどうした。
一体何が起こったんだ!
老婆は突然襲ってきた口内の不快感により、気持ちのいい眠りの淵から意識を急浮上させる。いつもの洞窟の、ええと、ここは……食堂か。
――ハッ!
「目が覚めたか」
背中から、カッコいい低音ボイスが響いてくる。なんというバイノーラル音声。
目を開けて状況を確認すると、私は騎士団長の腕の中で、膝の上で、……何かドロドロした物質をスプーンで口に詰め込まれている最中だった。うぷぷ!
「コレ、美味しくない奴ェェェ!」
私は反射的に叫んでいた。
だって口の中にあるこれは、いつだったか食べさせられた、不味い泥みたいなドロッとした泥状の、何か分からないけど例えるなら泥の様な、つまり、もはや泥だよ!
イヤだ、食べたくない!
寝起きの老婆になにをするんだ!
嫌がらせか! 老人虐待ダメ絶対!
「貴女は疲労している。残さず食べなさい」
「鬼かッ!」
「私は小鬼でも、大鬼でもない。人間だ」
「うぐぐぐぐぅ!」
――そういう意味じゃないよ!
なんとか魔のスプーンから逃れようと、体を捩ったり手足をばたつかせたり足掻いてみたが、騎士団をまとめあげている団長にしてみれば私の抵抗など赤子の手を捻るくらい―― いや、もとより私、老婆だった ――老婆の手を捻るのは簡単な事だった。
「機嫌をなおしてくれ」
「………………」
抵抗も虚しく、起き抜けにスープ皿一杯の泥的な何かを無理矢理完食させられた私は、非常にご機嫌斜めである。
本当は膝の上から飛び降りたかったのだが阻止されたので、今日一日騎士団長とは断固、口を利かない構えなのである。頭を撫でられてもおばあちゃんは全然嬉しくない。ビルの作ってくれた美味しいフレンチトーストが恋しい。どこに行ったの、早く帰って来てビル!
セディが汚れたスープ皿を片付けに行き、入れ替わりにアレクが口直しの木いちごを持ってきてくれた。嬉しい。
「あれ? そう言えばルルちゃんは?」
「初日に帰ったッスよ」
――はて、初日?
木いちごを口に運びながら首をひねる。
んん? 初日とはどういう意味だろうか。
まるであれから何日も経っているかのような言い方ではないか。
「貴女は三日も眠っていたのだ」
「えっ! いや、一回起きたよね?」
「起きた日から、さらに三日経ってるッス!」
――ええー、そんなばかな!
私は驚愕の事実に震撼する。
え、いやいや、ちょっと待って。
つまり、三日寝て→起きて→三日寝て→今起きた(←NOW!)ってこと? どうした、私。
ここのところめっきり寒くなってきたから冬眠しそうなのか。それとも死期が近付いているのだろうか。もしかして老衰? 老衰するの私?
「!」
ハッとして顔を上げる。
対面から、深い瑠璃色の瞳に見つめられていることに、今、気が付いたからだ。騎士服姿のその人は、多分、私が目覚めてから動いていない。私が起きて、泥の食事で大騒ぎしている間、ずっと目の前の席にいたのだ。こんなに存在感のある人に何故気が付かなかったのだろう……。
その人は、もう話し掛けても良いかな、とでも言うように一度首を軽く傾げてから、老婆に声を掛けた。
「魔女殿、此度は危ないところを貴女に助けて頂いた。礼を言う」
騎士団長やアレク、セディと同じ闇青の団服を着た上品な青年がそこにいた。どう見てもハンサムな男性騎士様にしか見えないが、外見に強い既視感を覚える。
――この人、青い忍者装束の美人だ!
あんなに主張していた、たわわなお胸はどうやって団服の中に仕舞い込んだのか不思議なくらい平らで、男性の胸板に見える。
岩の寝台ではほどけて広がっていた艶やかな黒髪は高い位置で一つに結われている。
いわゆるポニーテールという髪型だが、もしこんな高貴なポニーがいるとしたらそれは多分、天馬か一角獣だと思う。
「私は、砂漠の国ケルジァールの偉大な勝者である先王ザフィールが嫡男であり勇敢なる現国王アイハイムが第二子、第一王女バースィラと申す者」
「お、おうじょ、……王女さま?」
驚きすぎて気が遠くなる。
あと名乗りが長い。
「祖父→父→私」ってパターン、混乱するからやめてほしい。庶民には最後の部分だけで充分です。
ええと、この間、ロニーはなんて言ってたっけ? 回らない頭の中の引き出しから記憶の欠片をを引っ張り出す。
たしか、砂漠の国から、金髪殿下……、王太子の方の……、レアンンドル殿下の、婚約者の王女が来るって言ってなかったっけ? その王女様?
おそるおそる背後の騎士団長を見上げると、そうだ、と肯定するようにゆっくりと頷かれた。
――なぜ?! なぜに王女様がここに?
「王太子の婚約者として遥々海を渡って来たのだが、アーデンマムデル王国にはどうやら私を歓迎せぬモノがいるようでね。恥ずかしながら殺されかけたのだ。結果、気を失って貴女の寝床を取り上げてしまった。すまなかった」
「いいえ、むしろ……、寝台が石ですみませんでした。体は痛くありませんでしたか?」
王女様に岩のベッドでは拙かったろう。熊の毛皮は私のお気に入りなのだが、それもアウトな気がする。
「いや、快適だったよ。……そこで、貴女に頼みがある。厄介事ついでに貴女の護衛として私を暫く雇ってくれないか」
「へ?」
「「「 はぁ? 」」」
私の間の抜けた声を打ち消すように、騎士団長とアレクそして戻ってきたセディの声が洞窟内に響いた。
そしてバースィラ王女の問いは疑問形の文章だけれど、語尾に『?』がついてない。要するにこれはアレだ。「はい」または「イエス」で答えるやつだ。ダイアログ出てるけど「OK」ボタン押さないと延々と次に進めない系のやつだ。こちらに選択権ないやつ。
横を見やれば、セディとアレクがぶんぶんと首を横に振っている。頷くな、ということらしい。背後の騎士団長の顔は見えないが、何となく不穏な気配は感じる。
困ったなと思いながら、対面のハンサム王女様を窺うと、深い瑠璃色の瞳とバチっと目が合った。瞳の奥に幾筋もの光が瞬いている。何故か曜変天目茶碗を思い出す。青い宇宙に引き込まれそうだ……。
思わずカクンと頭が揺れた。
「ああ、有難う」
黒髪の美人騎士様は、それはそれは優しく微笑んだ。
――あれっ? 私、頷いちゃった?
「宜しく頼む」
この日から、老婆には、世界一高貴な押し掛け護衛が付く事になった。