12 酒場の黄金ライス
――何でこんなことになったかな……。
カウンター席に座らされた私は、マスターの背後にあるボトル棚に並ぶ酒瓶をぼんやり眺めながら思った。
先刻までベンさんのパン屋の二階で、飴屋のトムとウイスキーボンボンを作っていた。試作品が完成し、さあ今から試食しよう! というところで、何故か酒場に連れてこられていた。まるで子犬を運ぶように。
誰よりも早くボンボンの試作品を口にした、隣に座る銀髪のこの美丈夫の手によって。
「あの、すいません、……誰ですかね?」
「ん?」
――ん? じゃないですよ。
唯一の知り合いであるベンさんが美丈夫の隣、つまり私から遠い席に座ってしまったので心細いことこの上ない。
連れてこられた酒場は、昼間は軽食を出して食堂として営業しているようだ。午後の一仕事前に腹拵えしようという男性客が多く、店内は賑やかな喧騒に包まれている。
カウンターの中では体躯の良いマスターが忙しそうに料理を作っていて、給仕なのか若者が料理を運んでいる。
そこへ聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「人を呼んどいて、なんで約束のベンの店にいねぇんだよ、二人とも!」
「すまない。……妻に、追い出された」
「ロ、……ロニー!」
「おう、なんだ婆さんもいたのか」
――知ってる人、来たァァァ!
私は近付いて来たロニーに飛びついた。
いや、正確には、飛びついたというか……、飛びつく勢いで椅子から降りたかったのだが失敗して、脚の高い椅子から落ちかけたところをロニーに抱き止めてもらった。
「ロニー! この綺麗な人に誘拐された!」
「……あ゛?」
「それは大いなる誤解だ。本人に同意を得ず連れて来ただけで、誘拐なんて物騒な事はしていないよ」
「おい、知ってるか? 世間じゃそれを『拉致』っていうんだぜ」
「えっ、縛らなくてもかい? 麻袋に入れなくても? 間接を外さなくても? 眠り薬を……」
「止めろ、婆さんが怯えてんじゃねぇか!」
「……エルベルト」
「ハハッ、冗談だよ。冗談」
――怖い怖い! 美形が怖いこと言ってる!
私は、ロニーにぎゅっとしがみついた。
「婆さん、グズ石を集めたから、またアレを頼めるか?」
マスターが出してくれたオレンジを絞ったジュースをチビチビ飲みながら、私は少し機嫌を直した。
ロニー曰くこの美丈夫の名前は、エルベルト・イラディエル。
辺境伯で魔王様らしい。そういえば、連れ去られる際に女将さんが『魔王』と叫んでいたっけ。
ロニーが言う『アレ』とは、魔石に魔力を補充することだろう。
そこで私はトムの飴のことを思い出す。ついでだから今頼んでおこう。
「いいよ。その代わり、ギルドの売店にトムの飴を置いて欲しい。美味しいんだけど売れないんだって。宣伝したいの」
「飴ぇ? そりゃ、まあ置くのは別にいいけどよ。……ギルドの売店で宣伝になるか?」
「……なる。一早くギルドに置いた方が良い。別の場所で先に話題になると、……恨まれるぞ」
「うん、あれは美味だった」
「あ、そっちじゃないです」
「どっちだよ」
ロニーが話が見えないという顔をしている。
辺境伯が「あれ」と言ってるのは、ボンボンのことだろう。ボンボンはまだ試作の段階だし、入れ物も決まってないので後回しだ。
そっちじゃなくて、私とベンさんが言っているのは、トムの新作飴を瓶に詰めたやつのことだ。あれなら瓶に詰めればすぐ売り出すことができる。
「えっとね、瓶に入れた飴……」
「おいおい! なんだよ、これ!」
「こんなもん食えるかよ!」
「お前、ふざけてんのかぁ!」
ロニーに飴の説明をしようとしたところで、テーブル席の方から大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
何事かと振り返って見れば、どうやら給仕の若者が客に怒られているようだ。
給仕くんの謝罪を聞くに、米に香り付けする薬草の種類を間違えて炊いたら、派手な色がついてしまったのだという。
給仕くんは最近マスターから調理も任されていて、今日はちょうど炊飯を担当していたようだ。そして、ちょっと色はついたがご飯には変わらないから食べてくれとテーブルに出したらしい。
それはどうなんだ、給仕くん……。
「こんな色のついた飯、気持ち悪くて食えねぇよ!」
「食欲が失せるぜ! 下げてくれ!」
「しかも臭ぇ! なんだこの匂い、ウェッ!」
どんな珍妙なご飯なのかと興味津々で覗いて見ると、これは見事なイエロー。
「あ、なんだ~。サフランライスじゃないですか」
「「「「 さふらんらいす? 」」」」
近付いて行って、皿を片手で煽って匂いを嗅げば、スパイシーな独特の香りが鼻をくすぐる。
給仕くんが何の薬草を入れたのか知らないが、見た目も匂いもサフランライスである。多分味も似たようなものだろう、きっと。
「うんうん、美味しそう~」
この男達は食べないらしいので、私がもらっても良いと思う。……良いよね?
「こちらで引き取りまーす」
黄色いご飯が盛られた大皿を持って、よたよたとカウンターへ戻る。老婆の腕にはちょっと重たい。
「お、おい! ちょっと待て、婆さん!」
「どうすんだ、そんな不味そうな飯」
「やめとけ、腹壊すぞ!」
「無理に食べなくてもいいですよ!」
怒鳴っていた客の男達は慌てている。
給仕くん、君はちょっと反省しようか。
「いやいや、縁起の良い幸運の黄金ライスは責任をもって、おばあちゃんがいただきますよ~」
「……縁起が良い?」
「幸運……?」
「黄金ライス?」
辺境伯が迎えに来て、途中から大皿を持ってくれた。美丈夫なうえに紳士である。惚れてまうやろ。
「おい、婆さん無理して食うな。入れる香味草を間違えたあいつが悪いんだ。甘やかす必要ないぞ」
カウンター席に着くと、店主がカウンターの中から顔を出した。
「マスター、これに魚介類足してくれる?」
「あん? 魚介類?」
「なんか、海老とか貝とかイカとか……」
「足すって、どうすんだ。焼くのか、茹でるのか、揚げるのか?」
「うーん……」
――調理方法か。
自分が食べるために作るなら、茹でた魚介類に醤油かマヨネーズをドバッとかけて食べちゃうんだけれど……。
この国に醤油とマヨネーズが存在するんだろうか? うっかり尋ねて説明を求められたら面倒くさいな。
そして、この大皿に山盛りのご飯は一人では到底食べきれない。シェアする仲間が必要だ。
そっと左隣に座る辺境伯を見る。
「是非、ご相伴にあずかろう」
「……俺も、食べたい。……よいだろうか?」
まだ問い掛けてもいないのに、辺境伯に即答された。辺境伯の隣に座るベンさんも遠慮がちに参加表明してくれる。
――おお、身元不明の老婆が作る謎料理を恐れない勇者たちよ……。
ちなみに実際に作るのは私ではなくマスターなので安心して欲しい。私はカウンターの外側からアレコレ言うだけである。
ふいに右から不機嫌そうな声があがる。
「おい婆さん、俺にも訊けよ。仲間外れにすんな!」
「あ、ロニーも食べる?」
「食べるに決まってんだろ!」
どうやら決まっていたらしい。
ちょいワルおやじギルド長は意外と寂しがり屋である。
「ではまず、ニンニクをみじん切りにして……」
「一片でいいのか?」
「いや、四片くらいお願いします」
……ん? 多すぎる?
いや、良いよね?
ここはスタミナ増し増しで!
こちとら朝から薄く切ったバケッド一切れに、小さい飴しか食べてないんだ。お腹ペコペコ、腹ペコ老婆だ。
「多めの油でニンニクを炒めてもらって……、油に香りが着いたら、そこに魚介類をどーんと投入して」
「おう! クライン海老とタッパス貝、クラーケンの下足でどうだ?」
マスターが大振りなフライパンに、ポイポイ魚介を入れていく。
その手元を見るに、クライン海老はエビチリに使うようなピンク色の小エビで、タッパス貝は大きくて模様が派手なアサリのような貝だ。
クラーケンの下足はぶつ切りになっているからよくわからないが、断面は白くプリッとしていてイカの切り身っぽい見た目をしている。
「味付けはがっつり濃いめの塩・胡椒でお願い。あ、もし余り野菜があったらそれも追加で!」
「ああ、ホリッパーも入れてやんよ!」
ホリッパーというブロッコリーに似た野菜が追加で投入された。
ニンニクの香りがカウンターまで漂ってくる。うふふ、たまらんですな!
「火は通ったが、どうすんだ?」
「そのまま、ここにぶっかけて! 油ごと!」
私は慌てて、黄色いご飯山盛りの大皿をマスターに差し出しそうとしてよろける。ロニーが脇から皿を支えてくれた。
「ああ? 油も入れんのか? ギトつくぞ?」
「いいのいいの。ほら、早く入れて!」
マスターは納得いかないようで、眉間に皺を寄せて顔をしかめたが、ベンさんとロニーに「……婆さんの言うとおりに、するんだ」「おい、いいから早くしろよ」と言われ、渋々、本当に渋々フライパンを傾けた。
ヒャッハー! 美味しそうィィィ!
熱々の魚介類が黄色いご飯の上に踊る。フライパンの余熱でジュウウウという音と共にニンニクの香りをいっぱいに吸ったオイルがさらにその上に降り注ぐ。
名付けて『異世界シーフードアヒージョぶっかけサフラン風イエローライス』ここに爆誕である。
老婆のテンションも爆上げである。バイブスいと上がりけりだ。
料理人からすれば、出鱈目で不本意なレシピだろう。しかし、口に入れて美味しければ、ご当地B級レシピだろうが、賄いレシピだろうが、コンビニ食材ちょい足しレシピだろうが、おばあちゃんの適当手抜きレシピだろうが、それはもはや正義である。
だって、ニンニク、油、魚介類、……美味しい要素しかないじゃないですか。
そう、私は勝利を疑わない。
給仕くんが取り皿とカトラリーを持ってきてくれる。ベンさんが受け取って「……俺が、取り分けよう」と申し出てくれた。
「ざっくり混ぜちゃう感じでお願いします」
――あれ? ダメだった?
みんなが一瞬ぎょっとした顔をしたので、心配になる。辺境伯は特にお貴族様だから混ぜたご飯は下品で食べないのだろうか。
「まあ、味が油についてるからな。そりゃ混ぜた方がいいだろ。おい、ベン! 俺にもちょっとくれ」
「……ああ」
マスターが助け舟を出してくれた。ついでに自分が食べる用の皿も差し出してきたけれど……。
ベンさんはそれにひとつ頷いて、ざっくりと上手に混ぜ合わせて、それぞれ取り分けてくれた。
辺境伯のキッチリしたお祈りをはさんで、私達は料理を口に運んだ。
「んんん~! やっぱり美味しいっ!」
予想通りの美味しさだ。
自分の適当レシピを料理人が作ったとか贅沢すぎる。余計美味しい。
「ハフッ、うっまっ! ニンニクが効いてるな。マスター、エールをくれ!」
「ああ、旨い。……妻に食べさせたい。マスター、俺にもエールをくれ」
「旨いな! こりゃエールを飲まずにいられねぇな!」
マスターはロニーとベンさんにエールの入ったジョッキを差し出して、ついでに自分も飲みだした。
「こんな食べ方をしたのは初めてだが、美味だな。ニンニクの香りが食欲をそそるし、魚介の旨味を吸ったこの黄色いライスも実に良い味わいだ。マスター、私にもエールを」
あ、やっぱりお貴族様はメイン料理とご飯を混ぜて召し上がったりはしないらしい。デスヨネー。でも美味しいから許して欲しい。
辺境伯もエールを受け取って、美味しそうにグイッと飲み干した。
「おい、婆さん、このレシピの使用許可の鍵を俺に売ってくれ!」
マスターがカッと目を見開き、カウンターを乗り越える勢いで上半身をこちらに乗り出してきた。
「…………使用許可?」
「金貨二枚で、いや三枚出す! 駄目か?」
――なになに? どういうこと?
口の中に黄色飯を頬張りながらロニーを見ると、通訳してくれた。
「この味が気に入ったから店のメニューに加えたいんだとよ。三枚はちょっと安いぜ、五枚は出せよマスター」
「ぐっ……、分かった! 五枚出す! だが分割にしてくれ。頼む」
通訳を聞いたが、やはり分からない。
この世界では料理のレシピに特許でもあるのだろうか? いや、それ取り締まり難しくない?
「話が見えないんだけど……? 別に私に許可取らなくても、勝手にお店で出せばいいんじゃない?」
「「「 はァァァァ? 」」」
左、右、前方から疑問の声が飛んできた。辺境伯は信じられないという顔だし、ロニーはまた眉間にギュギュッとシワが寄ってゴブリンみたいな凶悪な顔になっている。マスターは口がパカーンと開いている。
困った顔をしたベンさんが切り出す。
「……婆さん、新しい味のレシピは、国で鍵が保護されている。……さっき店で、……話そうと思ってはいたんだ」
――うへぇ、本当にレシピの特許あったのか。
ベンさんは、トムのウイスキーボンボン作りを見ていて、その話をするつもりでいたらしい。だが、その暇もなくこの酒場に来てしまった、と。
基準がよく分からないが、ベンさんに教えたシチューパンと、ジムとマリナの氷菓子は、その特許に当たらないらしい。
しかし、こんな適当レシピが新しい味に登録されて良いのだろうか。油で炒めてご飯にかけるなんてありがちじゃない?
もう誰か作ったことあるでしょ、絶対。
「ううん、面倒くさいんで、いっそマスターが考えついたことにし、……ぷぎっ!」
右隣から伸びてきた手にギュッと鼻を摘ままれた。ロニーの顔が、ゴブリンを通り越してオーガみたいになっている。オーガ見たことないけど。ニンニクくさいオーガとか、やだ怖い。
「おい、婆さん。誘拐されてぇのか? ああ゛?」
「いいえ、ギルド長! すみませんでした! 言うとおりにします!」
特許の登録とか、マスターへのレシピ使用許可とかは、ロニーが代わりに手続きをしてくれることになった。「まあ、ギディオンが来てからじゃねぇと契約出来ねえが」と結局、騎士団長を挟むらしいけれど。
「ねぇねぇ、マスター! アタシらもソレと同じの食べたいんだけど」
後ろから声がして振り返ると、ナイスボディの女性が三人立っていた。剣士風、闘士風、神官風、それぞれ違う装備だが三人とも冒険者なのだろうか。そんな出で立ちだ。
「悪いが魚介類がさっきので最後だ。黄色い飯はまだあるが……」
「ええーっ! そりゃないだろ、マスター!」
「美味しそうですのに。残念ですわ」
「なんでもっと仕入れておかないのさ~!」
給仕くんの失敗作である黄色いご飯はまだ五人分はある。もったいない。美味しいご飯なのでぜひ食べきってもらいたい。
「マスター、卵とトマトとバターって三人分ありそう?」
「ん? ああ、あるぜ!」
「じゃあ、トマトを賽の目に切ってもらって……、あっ!」
――トマト嫌いな人いるかな?
私は彼女達をそっと振り返る。
彼女達はカウンター近くのテーブル席に着いて、ニコニコしていた。
「何作ってくれんだい? 楽しみだね!」
「わたくし、トマトも卵も大好きですわ」
「お腹ペコペコ、早くして~」
トマト嫌いはいないらしい。良かった。
向き直ると、マスターは既にトマトを三個、賽の目に切り終わっていた。
「こんなもんか?」
「うん、そんな感じ。次にフライパンにバターを溶かして、そこへ黄色いご飯を投入!」
「おう! 炒めりゃいいのか?」
「そうそう。塩・胡椒で軽く味付けて……」
ハッ、そういや、私さっきから塩と胡椒でしか味付けしてない件について。これで特許とか、大丈夫か? 異世界よ……。
まあいいか。難しいことは後で考えよう。
「ご飯は一旦、お皿に盛る。あ、一人一皿で盛って」
「は? 一皿ずつ? ……面倒だな」
「大皿にすると、多分ケンカになると思う」
「……わかった。一皿ずつな」
一皿ずつ、黄色いご飯を盛ってもらう。
バターの良い香りがする。
「調理鉢に卵を二つ割って、よく溶きほぐす。ミルクを少し入れて混ぜる」
「少しってなんだよ、どんくらい入れるんだ?」
「え~、適当でいいよ。ううん、……大さじ二杯くらい?」
「大さじ? どれだよ?」
マスターに「大さじ」と言ったらレンゲサイズからお玉サイズまで様々な大きさのスプーンが出てきた。
レシピ特許はあるのに計量スプーンという基準はないのか……。
とりあえず、カレースプーンに近い大きさのスプーンを使ってもらう。
「よく溶いた?」
「おう、滑らかだぜ」
「そしたらフライパンでトマトを炒める。トマトがしんなりしてきたら、さっき溶いた卵液を流し込む」
「よっしゃ!」
マスターが卵液を流し込み終わったのを見計らって「混ぜろ!」と掛け声をかける。
「は? 混ぜろぉ?」
「早く早く、もっと全体をクルクル!」
マスターは困惑ぎみにフライパンの中のトマトと卵液を混ぜる。早く混ぜないと固まって普通の卵焼きになってしまう。
「ハイ、火から離して!」
「えっ、もう? まだ焼けてないぞ」
「いいから、ほらほら、ご飯に乗っけて!」
マスターは渋々フライパンを傾ける。
とろふわの卵がトマトと一緒にイエローライスにライドオンだ。
「あともう二皿分、卵焼いて」
「へいへい。一皿ずつなのが面倒なんだよなぁ」
マスターはブツブツ文句を言いながらも、流石の手際の良さで三人分のふわとろオムライスもどきを完成させた。
給仕くんが彼女達の元に料理を運んでいく。
「卵まだ柔らかそうだけど、コレ、焼けてんのかい?」
「でも、フワフワでとっても美味しそうですわ!」
「くんくん、良い匂い~。絶妙美味しいよ。早く食べよ~!」
三人は短めのお祈りを唱えてから、料理を口に運んだ。
「ングッ!」
「ほぁぁ!」
「ん~ッ!」
剣士服の女性はスプーンが口に入ったまま目を見開いて固まっている。神官服の女性は目を閉じ咀嚼しながら笑顔になっている。闘士服の女性は手足を小さくバタバタさせている。
――美味しかったのかな?
ああ、でも冒険者にはちょっとたんぱく質が足らなかったな。鶏肉とかチーズとか入れてあげれば良かったかも。適当な食生活をしていた癖で、どうも他人を想いやったレシピって上手く思い付かないんだよなー。
ポンコツおばあちゃんでごめんよ、お嬢さん達。
「……婆さん」
辺境伯の隣からベンさんが心配そうに覗き込んで声を掛けてきた。
視線を上げると辺境伯は満面の笑みを浮かべている。怖い。美形の満面の笑顔怖い。圧しかない。
「忠告はしたんだ。俺ぁ、知らねーぞ」
「えー……」
ロニーはそっぽを向いてエールを飲んでいる。そして背後から両肩をムンズと掴まれた。
「ただいま、婆さん! 良い子にしてたッスか?」
「婆さん、旨そうなの食べてるな」
「アレク、セディ……。お腹空いてる?」
モミモミモミモミ
あぁぁぁぁ、肩がゴッドハンドで揉みほぐされていく。だから、なんでこの騎士達は足音とか気配が無いんだ! 忍びか!
茶色の団服の騎士達が呼んだ迎えとはアレクとセディのことだったようだ。
「マスター! 大至急、さっきのやつ、二人分! あと、なんか肉増し増しでお願い!」
私がマスターにオーダーを叫んでいる間に、迅速に席替えは行われた。
ロニーはエールのグラスを持ってベンさんの隣へと素早く逃げ去り、私はひょいと持ち上げられて椅子一つ右へ移動させられた。
ロニー、ベンさん、辺境伯の隣にアレク、私を挟んでセディの並びになった。
辺境伯からウイスキーボンボンと、魚介アヒージョぶっかけ黄色飯と、まさに今アレクとセディが食べているふわとろのソレ、の話を聞いた二人の顔が怖かった。
二人の騎士に挟まれた私はこの後、めちゃくちゃ説教された。
◇ ◇ ◇
俺の酒場に、ベンと辺境伯エルベルトが連れて来た小柄な婆さん。
――変な婆さんだった。
うちの店の見習いが香味草を入れ間違えて炊いた飯を『縁起が良い』とか言って、たちまち妙なレシピで旨い料理にしちまった。
そのうえ、勝手に作ればいいだの、俺が考えついたことにしろだの、欲の無いことを言っていた。
ロニーと闇青の騎士が婆さんを抱えて連れ帰ったあと、暫くして夕陽が落ちた頃、午後のクエストを終えた冒険者達が戻ってきた。
昼間、婆さんの謎の料理を食べた女冒険者達が店に入ってくるなり、三人は鼻息荒くカウンター席に座った。
「マスター、凄いよ! あの黄金ライス! 食べたら、今日のクエストの報酬が二倍になったんだ!」
「はぁ、そりゃ単にお前らが頑張ったからだろう? おめでとさん」
「いいえ、勿論わたくし達の努力もありますけど、今回は明らかにそれだけではありませんわ。あの幸運ライスのお陰で、希少アイテムも回収出来ましたのよ!」
「ウンウン、攻撃もめっちゃ命中したし~。なんか凄いツイてるって感じだった~! あの黄金ライス食べて幸運度が上がったかも~?」
――幸運度が上がっただと?
「おいおい、そんな馬鹿な事、あってたまるかよ」
食べるだけで幸運度が上がるレシピが存在するなら、誰もが欲しがるだろう。たとえ一時的だろうが、少ない値だろうが、運は高い方が良いに決まっている。
運の良し悪しが、生き死に関わるからだ。
「マスター、その黄金の幸運ライス食わせてくれ!」
「俺も食べたい!」
「オレも頼む! オレ最近、超運悪いんだよ~! 彼女に振られたばっかだし、こないだ財布すられたし!」
「マスター! 俺も!」
――ほらみろ。
「残念だが、婆さんと同じメニューは作れねぇぞ。まだ使用許可の鍵を売ってもらってねぇからな。まあ、黄色い飯ならコイツが炊けるけどよ……」
「あ、あの香味草は偶然混じってた草なんで、もう無いですよ。名前も分かんないんで仕入れられないですし」
「…………は?」
――何だと?
見習いがケロッとした顔で何か言い捨てた。お前、よくそんな怪しい草で米を炊いたな!
「ええーっ!」
「そんな、馬鹿な!」
「マスター、なんとかしてくれ!」
「マスターならどうにか出来るだろ?」
――どうにもならねぇよ。
婆さん、早くレシピ使用許可の鍵を売ってくれ!