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11 肉屋のぼんぼんと飴屋のボンボン

ちょっと話が通じない系のパワハラ・セクハラ親子が登場します。

中盤ほぼ口喧嘩シーンです。

描写はソフト(にしたつもり)ですが、そういうのが苦手な方は目を細ぉーくして、薄目で中盤を読み飛ばして下さい。

後半はざっくりクッキングです。


2022.4.21 誤字修正

誤 イリザール → 正 イリザーレ

 


「オバアチャンッ!」

「ルルちゃんッ!」


 ひしっ!


 店の扉を開けるなり飛びついてきた、大きめキャスケット帽をかぶった美少女とひしっと抱き合う。


 生き別れの母子さながらの感動の再会である。いや祖母孫かな。


 あっ、どうも。おはようございます、老婆(わたし)です。



「ちょっと、もー! 落ち着きなさいよ、あんた達! ああ、ほら帽子落ちたわよ」


 私に飛びついた拍子にキャスケット帽が脱げて、ルルちゃんの豊かな金髪が広がった。


 ルルちゃんの髪は、金髪は金髪なのだが王子達の金髪とはまた違う、白に近い金色―― いや、光を纏った金色と言うべきか ――まるで内側の輝きが漏れ出しているような……。


 ――いやこれ、実際光ってる! 光ってるよ!


 神様、美少女にエフェクト盛り過ぎです。

 美し過ぎて老婆(わたし)の目がつぶれます。


 ルルちゃんの長い髪の端を握って、クリスがぷりぷり怒っている。


「いい加減に、髪、まとめなさいよ! 床に着きそうだし、どっかに引っかけたらどうするのよ。危ないでしょ」

「上手ク、結ベナイ……」

「何が難しいのよ? ただ三つ編みにすればいいだけじゃないの」

「ソレ、出来ナイ、言ッテル!」


 私の平らな胸に顎を乗せてしがみついているルルちゃんは、柔らかな頬をプクッと膨らませて拗ねている。


 あぁぁ~、今日も私の心の孫が可愛い。


 安定の可愛さ部門ナンバーワンだ。

 よぉし、頭ナデナデしちゃうぞ。

 必殺おばあちゃんの頭撫で受けてみよ!

 ナーデ、ナデ、ナデ、ナデ、ナデ……。


「はぁ、……あんた達は本当に、もう!」

「まぁまぁ、クリスさん。お婆さーん、ルルちゃーん、お茶が入りましたよ」


 マリナが美味しい匂いのするバスケットを持ってきてくれたのは、ルルちゃんが駆け込んでくる少し前だ。

 バスケットの中身は、もちろん隣のパン屋ベンさんの絶品焼きたてパンである。


 私達はいそいそと、店の奥にある応接セットに着席した。


「みんな座った? はぁーい、じゃあ、……精霊も世界樹も、いつも本当にありがとぉー! いっただきまーす!」

「いただきます」

「イッタダキマース!」

「いっただきまーす!」


 ――お祈り、軽っ!


 クリスの食前のお祈りは超ザックリだった。

 そう、ここはクリスの店、床屋である。


 パン屋に入ろうとしたところを『昨日、うちの店に寄れって言ったでしょうが! 今日は逃がさないわよ!』と、クリスに捕まったのだ。


 昨日ギルドで意外と時間をさいてしまい、結局クリスの店に寄れなかった。帰り道でパン屋には顔を出したのだが、こちらも挨拶だけで長居はしなかった。


 ……と言うのも、恐ろしく眠かったのだ。


 パン屋で女将さんとベンさんに会って二言三言、言葉を交わした……ような? その後どうやって洞窟に帰ったのか記憶に無い。

 今朝起きたらちゃんと洞窟の寝室にいたので、多分、三人の騎士が送ってくれたのだと思う。


「あんた達、髪の手入れはちゃんとしなさいよ。滞った魔力をそのままにしとくと体に悪いんだから。この間の婆さんみたいにチリチリに絡まっちゃったら、もう切るしかないのよ?」

「ン、……ワカッタ」


 ルルちゃんは、神妙な顔で頷いた。

 パンを口いっぱいに頬張っているけれど。


「婆さん、あんたもよ!」

「はーい」


 ルルちゃんとマリナが来る少し前、私はクリスに髪と爪を整えて貰ったのだが、その際に散々お小言を受けていた。


 自己流で変身魔法を使ったと言うと、それはもう叱られた。やはり、正式な手順を踏まないで魔法を発動するのはよろしくない事のようだ。


 正しい魔法の使い方は――――


『教えてあげたいけど、私は理容の聖句しか知らないのよね。魔法によって詠唱する聖句が違うの。精霊と契約してる騎士や魔術士は詠唱を省略出来るみたいよ』

『……精霊と契約』


 精霊と契約とか、超ファンタジーっぽい!

 私はワクワクと心を踊らせた。


『先に言っとくけど、適当にその辺のと契約したら駄目だからね? 精霊や妖精にも、良いのと悪いのがいるんだから!』


 釘を刺された。


『下手すると妖精の住み処(すみか)に連れて行かれて帰ってこれなくなるわよ』


 精霊や妖精は、子供のように無邪気なのだそうだ。

 気に入ったから、力を貸してあげよう! という精霊もいれば、これは自分だけの宝物だから連れ帰って大事に隠そう! という精霊もいるらしい。


 ……なんというヤンデレ。


『だから、庶民は魔法を使う前にお願いするのよ』


 聖句も元々は、お願いを長く美しい言葉で歌にしたものなのだという。


 聖句が覚えられない庶民は、『妖精さんお願い、火を着けて。着火(イグニッション)』等々、気が向いたら力を貸してね、お願い、という形で魔法を使うらしい。

 魔力の少ない庶民が使う生活魔法なら、それで充分なのだという。


『婆さんは魔力量が多いから、その方法は駄目よ。暴発したら大変なんだから! 一度、騎士か魔術士、魔導士にちゃんと教わりなさいよ?』

『えっ、暴発するの?』

『そりゃ、するでしょうよ。どなたでもどうぞって美味しい餌を無差別に大量に撒けば、精霊も()って(たか)って力を注ぐわよ。そんなの、ボボボ、ボーン!よ』


 ボボボ、ボーン! だ、と……?

 こ、怖すぎる。


 そんな訳で、マリナとルルちゃんが来るまで、私は髪を整えてもらいながらぶるぶる震えていたのだった。



 ――――話を戻そう。



「勿論、断ったんだけどね!」

「まあ、……それでその貴族の方は納得してくださったんですか?」


 クリスが興奮気味に話してるのは、この店の扉を新しく付け替えてから来るようになったという、とある貴族のお客のことだ。


 私が隊長(ロバ)に森外出禁止令を出されている間に、仕事が早いドワーフの硝子職人さんはステンドグラスを作り上げていた。

 何がすごいって、私のあの大雑把すぎる説明だけで作っちゃうのが凄い。しかもこんな短期間で。


 そして私が誘拐された日に、そのお客はクリスの店にやって来た。


 護衛を数人連れた、明らかに貴族の壮年男性は、整える必要などない美しい髪なのに『髪を整えてくれ』と言う。

 触らなくてもわかる、お抱えの専属整髪師がいて毎日丁寧に手入れを受けている髪だ、とクリスは思ったそうだ。


「腹が立ったから、魚の骨みたいな形の複雑な編み込み髪にしてやったのよ。そしたら……、そしたらッ!」


 ベンさんの美味しいけどちょっと歯応えのあるバゲットを悔しそうにキーッと齧って、クリスが叫んだ。


「変に似合うのよ~ッ!」


 ――イケメン補正ですね、わかります。


 モデルさんがアニメのTシャツ着てもカッコイイように、その貴族のおじ様もフィッシュボーン編み込みが普通に似合ってしまったのだろう。

 さらに貴族のおじ様は『ふむ。今度の夜会はこの髪型でいこう』と宣ったそうで、クリスの嫌がらせは徒労に終わったらしい。


「全然納得してないみたいよ。昨日も譲ってくれって、わざわざ言いに来たもの」


 貴族のおじ様は、ステンドグラスが大変お気に召したらしく、譲ってくれとしつこいらしい。


 同じものを発注して作ってもらえばいいのに、……と思ったが、そのドワーフは量産しない主義なのだそうだ。


「職人のこだわりが色々あって頑固なのよ、ドワーフは」

「ドワーフ、頑固。トテモ、面倒」


 ルルちゃんも深く頷いている。

 ドワーフに知り合いがいるのかな?


「なんでもあの飾り硝子の絵が、娘さんにそっくりなんですって。確かにそのお貴族様も絵と同じく銀髪だったの。……婆さん、肖像画でも描いてあげたら?」

「肖像画……」


 この世界の肖像画って、多分、油彩画だよね。……油絵かぁ、学校の選択授業で描かされた遠い記憶。


 ――難しいんだよなぁ、油絵って。


 いや、水彩画も難しいけども。

 待って。そもそも私、画家じゃないし。


「この国にコピックマーカーが売ってたら考える」

「こぴっくまーかーって何よ?」

「誰でも絵が上手く描ける、魔法インクが入ってる筆型魔導具」

「なにソレ! そんなのがあるの?!」

「いや、ごめん冗談。無い。多分無い」


 コピックは異世界に無いよなー、流石に。あはは。


 じと目でクリスに睨まれながら、お茶を啜る。

 侍女経験があるだけあって、マリナはお茶を淹れるのが上手い。


「んッ! これ、飴? 美味しいね」

「オイシイ!」


 クリスがお茶請けに出してくれた菓子を摘まんだら、これが思いがけず美味しい。ルルちゃんとにっこり顔を見合わせる。瑞々しい葡萄の味が舌の上に広がる。


 小指の爪ほどの小さな飴は、軽く噛むとホロホロとほどけていく。


 なんだかサクサク食べてしまいそうで怖い。なにこれ、美味しい。パクパク。


「そういえば、この街、飴屋多いよね?」

「隣接するヒィラジア国から砂糖の実が安く豊富に入ってくるんです。だから、この辺は菓子屋が多いんですよ」


 ――ははあ、なるほど。


 マリナの説明に納得する。

 砂糖の生産地に近くて、かつ、物資が集まる城下町。大阪が飴ちゃん文化なのと同じ理由か。


 ところで今、マリナの口から『砂糖の実』って聞こえた気がするけど、この世界の砂糖……実に()るの? さとうきびじゃないの?


 ――いや、深く考えまい。


「美味しいでしょ? この飴は、知り合いの店の新作なの。美味しいんだけど、競合店が多くて苦戦してるみたい。だからこうやって、うちの店でもお茶請けで出して、宣伝してるんだけどね~」

「そっかー。でも、一度食べてもらえればファンがつくと思うなぁ。こんなに美味しいんだもの」

「でしょ~? なんか良い案ない?」


 ――何か良いアイデアって言われてもな。


 おばあちゃんの浅知恵をあてにされましてもね……。まあ、頼られれば無い知恵絞って考えますけども。




 バターン!



「た、……助けて、クリスさん!」



 その時、大きな音を立てて店の扉が開く。

 十代の若い娘が駆け込んで来た。


「どうしたの?! ジェナ!」


 若い娘のブラウスは、幾つかのボタンが飛んでしまったのか付いておらず、片方の肩が出てしまっている。

 胸の前でブラウスを握って、はだけないように留めているその両手は小刻みに震えている。


 まだ幼さの残る可愛い頬には()たれたのか、赤い跡がある。


「サ、サ、サイモンさんが……」

「……サイモンにやられたのね?」


 ――これはちょっと、ただ事ではない。



 バターン!


 再度、店の扉が乱暴に開かれた。

 大分肉厚で大柄なプロレスラー体型の青年が、肩をいからせながら入ってくるなり怒鳴った。


「ジェナ! こっちに来い!」

「ひぃっ!」


 ドスドスと足音を立てて、青年は近づいてくる。若い娘は身を竦めて小さい悲鳴をあげた。


「ちょっと、なんなのよ! 人の店の中で、乱暴は止めて頂戴!」


 クリスが娘の前に庇うように立ったが、細身のクリスの横からにゅっと太い腕を伸ばし、青年は娘の髪をむんずと掴むと引き摺るように、店の外に連れ出そうとする。


「いやあああ!」

「手間取らせやがって! お前みたいな役に立たずの愚図女は、少しは積極性に男を楽しませろ!」


 なんという暴言。

 絶句しているとクリスがブチ切れた。


「はぁぁぁ? 何言ってんの! 馬っっ鹿じゃないの?! そんなこと言っているからあんたは万年Fランクなのよ!」

「うるせぇ! 男女(おとこおんな)クリス、お前は引っ込んでろ!」

「ああ゛!? なんだとテメェ、もう一回言ってみろ! 丸剃りの毛無しにしてやる、この糞ガキが!」


 娘から引き剥がそうとするクリスと、抵抗する青年が揉み合いになっている。クリスの言葉遣いが乱れ始めている。怖い。


 ああ、なんで今日に限って私に見張りの騎士がいないんだ! ルルちゃんが人を呼びに外へ飛び出していく。


 パンパン!


「いい加減にしてください! サイモンさん、お客様じゃないならお帰りください! 営業妨害で騎士を呼びますよ!」


 両手を叩いて叫んだマリナが、店の扉を指差す。お帰りはあちらです、と。

 サイモンと呼ばれた青年は、マリナを見るとピタリと動きを止めた。


「なんだぁ、マリナ? だったらマリナ、お前が俺の相手をしろよ。そうしたらジェナは見逃してやる」


 サイモンは、目を細めて厭らしくニタア~と口角を上げると、マリナを舐めるように見た。


 ――止せ、マリナ。もう変態を引き寄せるな!


 私は脳内で架空のモニターを開く。

 ステータスオープン!


 ――――――

 マリナ

【ジョブ】 ジュース屋

【スキル】 変態ホイホイ


【召喚可能な変態】

 誘拐犯 モーリス(貴族)

 強姦魔 ジュリアン殿下(王族)

 暴行犯 サイモン(平民)←NEW!

 ――――――


 ――そんなスキル、嫌すぎる!


 サイモンがマリナに触ろうと伸ばした手を、ペシリと叩き落とす。

 ジム(うち)の嫁に触らないでもらえます?


「ああん? 誰だお前? 俺がガイウスの息子だって知らないのか」

「私は、見ての通り老婆(ババア)だよ!」


 だから何だって言うんだ。

 ガイウスなんて知らん。


「くそ、俺を怒らせてただで済むと思ってるのか? どうなっても知らないからな?」

「そっちこそ。老婆を怒らせてただで済むと思ってんの? 呪われても知らないからね!」


 呪いと聞いて息子はぎょっとして目を剥く。


「お、お前、……魔女なのか?」


 ――ふふん。怯えるがいい!


 平らな胸を張ってドヤ顔を披露してやる。


 もちろん私にそんな力はないが、黒ローブの姿の謎の老婆は魔女のように見えるらしい。充分脅しになったようだ。

 サイモンは慌てた様子で店を出ていく。


「はぁ、まったく何だったんだ……」

「あの人は六軒先のお肉屋さんの息子さんなんです。若い女性を見るとああやって、強引に迫ってくる困った人なんです」

「えっ、肉屋?」


 マリナがそっと教えてくれた。


 ――肉屋の息子があんなに威張っていたの?!


 お前ン()には明日から肉売らないぞ~、とか言って大きな体をジタバタさせて暴れているイメージが浮かんだ。どこの、ぼんぼんかと思ったら肉屋かよ。アホらし過ぎる。



「あの、ありがとうございます、クリスさん、皆さん。匿ってくれて……」

「……まだ安心するのは早いわよ。多分、この後モイラが乗り込んで来るわ」


 やれやれと息をついていたところで、また扉が大きな音を立てて開いた。


 今度は、豊満なボディ―― と言うには豊満が過ぎる、まるで横綱のような体つき ――の中年女性が、肩を(いか)らせて店に入ってきた。


 さっきのサイモンと同じ歩き方だ。

 よく見ると、広い肩幅、エラの張った顔、ニンニク鼻や濃くて繋がりそうな眉毛など、外見の特徴がよく似ている。


 ――親子……かな?


「よくも私の息子を馬鹿にしてくれたね! 許さないよ!」


 ――ああ、やっぱり親子か。


 サイモンの母親は、ジェナに詰め寄るなり捲し立てる。


「ジェナ、あんた、サイモンに恥かかせたそうだね? 男の欲を満たすことは女の義務だろうに、貴族の娘でもあるまいに偉そうに断るんじゃないよ! あんたの家の飴屋、ガイウスに言って潰してもらうからね!」

「や、やめてください、……店は、店は堪忍してくださいッ!」


 ――どんな理屈だ。


 なぜ貴女の息子の性欲処理をジェナが無償でしなきゃならないんだ。しかも断ったら店潰すって、……貴女お肉屋さんだよね?

 あと、ガイウスって誰?


 ジェナが堪らず泣き出すと満足したのか、サイモンの母親は、ジェナからマリナに標的を変えた。


「マリナあんた、孕んだんだってね? 恥知らずの淫婦が! よくもサイモンを弄んでくれたね。どこの誰の子かもわからないのに産むつもりかい? 全くいい度胸だね!」

「なっ……! お腹の子は間違いなく(ジム)の子です! ジム以外と関係を持ったことなど一度もありません!」

「フン! どうだかね。まあ、口ではなんとでも言えるさ。生まれてきた子が誰に似てるか今から見物だよ! うちのサイモンに似た子が産まれても認知はしないよ!」


 不貞を疑うような言葉のナイフを投げられたマリナは、怒りにブルブル震えている。

 肩で息をしているマリナを一番奥の席に座らせて、庇うように私は前に出た。


 妊婦に、わざわざ心労(ストレス)を与える言葉を選んで攻撃してくるなんて卑怯者め。挑発に乗ったらダメだと分かっているけれども、……こんにゃろうめ!

 なにか言い返してやろうと口を開きかけたところで、クリスが先に叫んだ。


「ちょっと! そんな言い方無いでしょ。弄ぶも何もあんたの息子が勝手にマリナに言い寄って、一方的にちょっかいかけてただけじゃないの! 大体サイモンにはねぇ、街の皆が迷惑してんのよ! あんたの息子でしょ、ちゃんと躾なさいよ!」

「おやおや、マリナあんた、さすが王宮を追い出された毒婦なだけあるね。床屋まで(たぶらか)したのかい! それじゃあお腹の子はクリスの子かねぇ~?」


「「 はぁぁぁ? なんですって!? 」」


 テーブルをばんっと叩いたマリナは勢いよく立ち上がり、こめかみに青筋を立てて拳を握ったクリスと同時に抗議の声を上げた。


 ――みんな落ち着いてェェェ!


 マリナお願い、興奮しないで!

 クリスも挑発に乗らないの!

 ジェナ大丈夫? 顔が真っ青だぞ。

 ルルちゃん~、早く誰か連れてきて!



 クリスと睨み合っていたサイモンの母親は、そこで急にぐるりと首をこちらに回し、視線を下げた。


 ――げっ! 目が合った……。


「…………うちのかわいいサイモンに、呪いをかけたっていうのは、……ババア、お前か?」


 サイモンの母親は、やっと私の存在に気付いたらしい。老婆(わたし)は皆より身長が低いので、今まで視界に入らなかったのだろう。


「……フフン」


 ハッタリって人生に必要だよね。


 呪いはかけてないけど、サイモンをビビらせてやったのは事実だ。なので、私は鼻で笑ってから顎を上げてドヤ顔をみせてやった。

 見下ろしてやりたいところだが、如何せん私の身長が足らないので見上げる形になる。若干首が痛い。


 サイモンの母親は、ゆらりとクリスから離れるとズズイッと私に近づいてきた。

 そして、老婆(わたし)の頬を思いっきり




 バチーン!

 バリバリバリ!




 ――ん? あれ? 何が起こった?



 丸太のような太い腕がフルスイングして迫ってきて、砲丸みたいな拳が私の頬を殴り付けた、……と思った。


 実際は空気圧だけが微かに頬に触れたのかもしれない。相当な痛みを覚悟していたが、結局、頬に痛みは走らなかった。


 その代わり硬いものが何かに弾かれたようなバチーンという大きな音と、小さい雷のような青い火花が私の頬の辺りにパパパッと弾け散った。


 遠くでクリス達の叫び声が聞こえる。


 痛みは感じなかったものの、その衝撃の余波で老婆(わたし)の痩せた体はふらつき、くるりくるりとフィギュアスケートのように回転(ターン)しながら移動し、最後には壁にぶつかって、べしょりと床に倒れた。


「婆さん!」

「「 お婆さん! 」」


 同時にドスン!と大きな音がして、床から地震のような振動が伝わってきた。何か相当大きなものが倒れたようだが、床と抱き合っている私からは見えない。


 ――あ、腕輪が光ってる……。


 うつ伏せに倒れた視界に投げ出された自分の腕が映る。いつからだったか左腕に装着されていた謎の腕輪が、青白い光を放っている。


 もしかして、腕輪が攻撃を防いでくれたのだろうか? だとしたら、この腕輪は装身具ではなく魔導具ってことだ。それも物理攻撃を防いじゃうくらいの高性能魔導具。


 あの豪腕にまともに殴られてたら、多分、鼻と歯と顎の骨が折れていただろう。それどころか床に叩き付けられて今頃死んでいたかもしれない。


 ――ビェルカ長官(おじいちゃん)、ありがとう。


 魔法省で会った、ホホッと梟のように笑いながら白髭を撫でているご老体を脳裏に思い浮かべて私は心の中で合掌してお礼を言った。






「オバアチャン!」


 騎士を連れてきてくれたルルちゃんは、床と抱き合っている私を見て悲鳴を上げて駆け寄ってきた。


 ああ、泣かないでルルちゃん。


 大丈夫なのよ、おばあちゃん今回は怪我してないから。ただちょっと床さんとフリーハグしてただけなのよ。


「もう! あんた達、来るの遅いわよッ! 危うく婆さんがあのオーク女に殴り殺されるところだったのよ!」

「すまんすまん。今日はやたら事件や事故が多いんだよ」

「それでなくても、今、イリザーレ港の警備に人員取られてて手が足らないんだ」

「そんなの知らないわよ! 言い訳してないでちゃんとなさいよ、治安を守るのがあんた達の仕事でしょ!」

「無茶言うなよ~」


 茶色の団服を着た見知らぬ騎士達がクリスに怒られている。


 いつも街をうろうろしている闇青の腹ペコ騎士達が見当たらなくて、ルルちゃんは劇場前まで走って、この茶色の団服の騎士を連れてきてくれたらしい。


「おい大丈夫か、婆さん。いつもの護衛はどうした?」


 騎士の一人が体を起こしてくれる。


「……護衛?」


 護衛なんて付いたこと無いけど?


「闇青の連中が護衛についてただろ?」

「ああ、見張り? 今日は見張られてないよ」


 三人のキラキラ騎士の事だろう。残念ながら彼らは護衛ではなく、見張りである。そして今日はいない。

 森から街に来るまでは隊長(ロバ)が一緒だったけど、パン屋の前で別れたのだ。隊長には隊長の用事があるのだろう。


 というわけで今日は、監視無し。

 おばあちゃんはノーマークですよ!


 自由って素晴らしいよね。

 お陰でぶん殴られたけども。


 にこっと笑顔を向けると、茶色の団服の騎士は、何か可哀想なものを見る目で私を見つめると「待ってろ、今、呼んでやるからな」と言って、手袋の無線魔導具で通信し始めた。


「お迎えが来るまで、俺らと大人しく待ってような? 婆さん」


 ――そう言われると逃げたくなる不思議。


 誰を呼んだんだ。お迎えが怖いじゃないか。

 ルルちゃんにしがみつかれて、茶色の団服の騎士達に囲まれて、実質無理だけど可能ならば逃げ出したい。逃げたところですぐ捕まるだろうけど……。


 私は遠い目をして頷いた。




 先程の大きな音と振動は、サイモンの母親が倒れた際のものだったらしい。

 なぜ倒れたのか分からないが、白目を剥いて仰向けにひっくり返った彼女は、茶色の団服の騎士達数人掛かりで店の外へ運び出されて行った。


 ジェナの頬は、ルルちゃんが治してくれた。ちょいちょいと撫でるだけで、スッと赤みが引いて「わぁ、……痛くない」とジェナも驚いていた。

 ボタンの飛んでしまったブラウスはどうしようもないので、クリスが取り急ぎ散髪用のケープを羽織らせていた。


 そうこうしている間に、また扉が勢いよく開き、マリナの夫ジムと、中年の男性が息をきらせて店に駆け込んで来た。


「マリナ無事か?!」

「ジム!」


「大丈夫か、ジェナ!」

「父さんっ!」

「トム! 大変だったのよ!」


 中年の男性は、どうやらジェナの父親のようだ。ということは、このトムという男性が飴屋の主人なのだろう。


「父さん、ごめ、……ごめんなさい。私がサイモンさんに捕まったから、……こんな騒ぎに……」

「いいえ! ジェナちゃんはちっとも悪くありません! 乱暴なサイモンさんと横暴なモイラさんが悪いんだわ!」

「……モイラ、許サナイ!」


 ジェナはベソベソと顔を濡らして泣いている。

 マリナは先程の怒りがおさまらないようで(ジム)の腕の中でフンスフンスと鼻息が荒い。

 ルルちゃんは私の腰にぎゅうぎゅうと、しがみついて憤慨している。


「あの豚女(オーク)、ガイウスにトムの店を潰させるって言ってたわ。あの馬鹿親子は何を仕出かすかわからないから、しばらく気を付けた方がいいわよ?」


 いつも上品なクリスの口が悪くなったまま戻らない。サイモンの母親はすっかりオーク呼ばわりされている。


「なんだって!? うちの店は、死んだ女房が遺した店だ。あんな奴らに潰されてたまるかよ!」

「だけど父さん、最近売り上げが……」

「そうなんだよな。ライバル店が最近、大きく値段を下げているからな。ううむ……」


 チラッ。


「そうよねぇ、困ったわねぇ~。何か良い案がないかしら~?」


 チラッ。


 ――えっ、なんですか?


 さっきからチラチラと、クリスがこちらに視線を投げて寄越す。マリナとジムも、こちらを見つめてくる。


 ふと強い視線を感じて恐る恐る下を見ると、ルルちゃんのキラキラおめめが期待に満ちた眼差しで私を見上げていた。


 ――えェェェ、……プレッシャー半端ない!


 へっぽこ異世界人に過度な期待はしないで欲しい。

 私は再び遠い目になった。






「えー、それでは、第一回 トムの店の売り上げ向上会議を始めたいと思いまーす」


 パチパチパチパチパチパチ。


 パン屋の二階に皆で移動して、作戦会議をすることになった。


 メンバーは、飴屋父娘(おやこ)トムとジェナ、床屋のクリス、ジュース屋夫妻ジムとマリナ、老婆(わたし)とルルちゃん、茶色の団服の騎士が三人、……そしてパン屋のベンさん女将さん夫婦。


 ちなみに、一階のパン屋は娘さん二人がお店番をしてくれている。


「あの、大変期待されてるところ恐縮ですが、そんなに独創性のある良案は出てきませんので、……あしからず」


 老婆に過大な期待を掛けられても困る。

 そもそも飴についての知識が少ない。


「まあ、とりあえず、トムさんのこの新作飴が美味しいって宣伝をしましょうか」

「……店の前で食べるのか?」

「いいえ」

「あっ、広場で歌うんですね?」

「いえいえ」


 ベンさんのシチューパンの時は、美味しい匂いが呼び水になったので、店の前で食べて見せるのが効果的だった。

 トムとマリナの氷菓子の時は、好奇心旺盛な子どもや女性の注目をひくために歌が有効だった。


 これらのやり方は今回通用しなさそうだ。

 なにせ『飴』である。


 飴といえば、紙芝居とかいう古典的な手もあるが、準備と方法が面倒くさすぎる。

 それに、もっと田舎ならともかく劇場がある王都の子ども達が紙芝居ごときに食い付くだろうか? そもそも戦後日本の紙芝居飴売りは儲かっていたのか?

 食べ物と娯楽が無い時代だからこそ成立していた商売な気がする。飴一個いくらで売ってたんだろうな、あれ……。



「えっと、まず、……入れ物を変えます」

「「「  は? 」」」


 本当は、缶とか紙箱とか、食べ終わっても小物入れに使えるような上質なものが良いけれど、それだと時間とお金が掛かるから後にしよう。


「なんか透明な空き瓶、無いですか? 出来れば小さいやつで」

「ダナ。……リキュールの空き瓶が、確か……あっただろう」

「ああ、アレかい? 捨てないでとってあるよ。待ってな婆さん、今、持ってくるから!」


 ベンさんが女将さんに目配せすると、女将さんは心得たとばかりにひとつ頷いて、階段を降りて行った。


「これでどうだい、使えそうかい?」


 女将さんが幾つか抱えて持ってきてくれたのは、女性の手の平サイズの長方形の小瓶だ。首が細いが、トムの新作飴は小粒なので問題ない。


 トムは不満そうに瓶を手に取った。


「こんな小っせぇ瓶に入れるのか? いくらも量が入らないじゃないか」

「小さい方が都合が良いんですよ」


 ざざざ……。


 クリスの持っていた飴を、茶色い油紙包みから、空き瓶に移し替える。


「へぇ……」

「綺麗……!」

「……キラキラ!」


 ――うむ。グッと洒落た感じになった。


 葡萄味の飴を透明な硝子瓶に入れると、陽の光を通して、まるでアメジストの欠片を集めたように見える。


「あと裁縫道具ってありますかね? 刺繍糸とか、飾り玉(ビーズ)とか……」

「あるよっ! 待ってな!」

「たんと持ってきてやるよ!」


 階段から覗いていたらしい、ベンさんの娘さん達から素早い返事があって、間もなく立派な裁縫箱、大量の刺繍糸、ビーズの詰まった箱がそれぞれ、どどーんと、テーブルに並んだ。


 娘さん二人はパンが売り切れたので早々に店を閉めて二階に上がって来たらしい。

 彼女達のワクワクした視線が顔に刺さって痛い。


 ――大した事は出来ないんだってば。


 黄緑色と深緑色の刺繍糸を選んで組み紐を編んでいく。

 組み紐が簡単にできる円盤(ディスク)がないから編み難いのだが、試作品だから雑でも許して欲しい。簡単な四本編みで、紐の尻尾は弛まないようにルルちゃんに引っ張ってもらっている。


 丁度いい長さになったので、ビーズを―― 運良く赤紫色のビーズがあったので、それを ――ひとつ通して糸を留める。尻尾は長めに、なんちゃってタッセル風にみえるよう切り揃えた。


 出来た紐を硝子瓶の首に巻いて蝶々結びにする。


 葡萄の木に実がついてるイメージだったんだけど、一粒ビーズじゃ葡萄らしさが出なかった。あと、ビーズの位置がしっくりこない。残念だが、自分のセンスの無さを猛省するしかない。


「おお~、良いじゃないか!」

「わぁ! 素敵……」

「なんだか高級に見えます!」

「ファァァ……、美味シソウ~!」


 だが、女性陣の評価は悪くない。

 彼女達が歓声を上げる横で、男達は頭を捻る。


「中身は変わってないのに、断然こっちを買いたくなるわね?」

「……何故だろう。……不思議だ」

「この飾りのせいか?」


 飾りは、本当蛇足ですいません。

 中途半端すぎて、むしろない方がいいかも知れない。瓶入りの方が善く見えるのは、断じて飾りのせいではない。


「中身が見えるからですよ」


 基本、この世界のお店は量り売りな所が多く、どこの飴屋も油紙に包んで渡しているらしい。


 まったく、こんなに綺麗な色の飴なのにもったいない。


「軽い贈答用を目指したらどうかと思いまして」

「「「 軽い贈答用? 」」」


 男性陣はまだ不思議そうに首をかしげているが、女性陣は気が付いたようだ。

 女将さんは「はは~ん、なるほど。考えたね婆さん!」と頷いている。


「新作は紙に包まないで、こうやって、ちょっと良い容器に入れて、いつもよりちょっぴり高値で売るんです」

「……値段を高くするのか? ……値下げじゃなくて?」

「そんな事したら、よけいに他の店に客をとられちまうぜ! 今でさえ他の店の方が安いんだぞ?」


 ――焦る気持ち、分かります。


 でもね、中小企業が安易に安値競争に参戦すると自転車操業(ひのくるま)になりますよ。

 値引きじゃ大手に勝てないんです。


「良い材料を使った美味しい飴が、お洒落な容器に入ってるんですよ? 高くても許されると思いませんか?」

「誰に許されるんだ?」

「それはですねぇ……」


 ジャジャーン!


「お財布を握っている女性達に、ですよ!」


 私は拳を挙げて立ち上がった。


 ルルちゃんとマリナが拍手してくれる。

 女将さんと娘さん達、騎士達は大爆笑だ。

 ありがとう、ルルちゃん、マリナ、気を使ってくれて。恥ずかしいから、おばあちゃん一旦座るね。


 ――――コホン。


 この街は王都―― いわゆる城下町であり、劇場と冒険者ギルドの近く ――つまり比較的働く女性が多い場所なのだ。自由に使えるお金を持っている女性がいる、そういう地区なのだ。


「他店に比べたらちょっと高い。だけど、他店よりずっと美味しくて、お洒落な容器に入ってる飴です。女性が買うと思いませんか?」

「うーん、……そうかなぁ?」

「だけど女って、安い方が好きだろう?」


 ――わかってないな。


「違いますよ、女性は安物ではなく『お買得』とか『お得』が好きなんです」

「「「 同じじゃね? 」」」

「全然、違ーう!」


 茶色団の騎士達が横から突っ込みを入れてきた。


 そこに、顎に手を当てて黙っていたクリスがおもむろに口を開く。


「あたし、ちょっと分かったわ。この硝子瓶に入ってると特別感がプラスされるのよ」

「……どういうことだ?」

「化粧品や宝石、ドレスと同じじゃないかしら。油紙の中身と瓶の中身は同じ飴だけど、この瓶の飴には特別感っていう見えない価値が付加されてるのよ。だから、この瓶の飴は高くても『お得』なんだわ」

「んん?」

「…………つまり?」


「洒落た瓶に入れただけですが、贈答用になるってことです。軽いプレゼントに、ちょっとしたお礼に、お祝い返しに、王都に来たお土産に、そういう需要を狙おうかと。あと頑張った自分へのご褒美とかで買う人も取り込めればいいな、と……」

「ああ、そういうことか!」

「はぁー、なるほどな!」


 男性陣はようやく合点がいったようだ。


 そうなのだ。地味な茶色い油紙に包まれた飴では、人に贈るには安すぎる。どうしたってご自宅用だ。


 でも、お洒落な瓶に入っていれば?


 他店より高いとは言え、飴は飴だ。そんなに高額じゃないから贈る方も負担なく買えて気軽に渡せるし、貰う方も気楽に受け取れる。

 お土産だったら幾つか多めに買ってくれるかもしれない。


「これ、ギルドの売店に幾つか置いてもらったらどうですかね?」

「ギルドに?」

「良い宣伝になると思います」


 ――うん、我ながら名案では?


 ロニーに頼んでギルドに置いて貰おう。

 あんなに広い建物だ。ギルドには女性職員もいるだろうし、もちろん、女性冒険者もいるだろう。

 小さいから依頼のお供のオヤツとして携帯してもらえるかも知れないし、美味しければ口コミが広まるのも早そうだ。


 そして、もう一仕込み。


「これが上手く売れたら、その資金で可愛い意匠の缶か紙箱を作ってください」

「ああ、わかった」


 トムとジェナは真剣な顔で頷く。


「出来れば女性の片手くらいの小ささで」


 容器が大きくて中身が多いと、結局食べきれないんだよね……。


 飽きるし、後で食べようと思って保存してる間に劣化する。そのうち存在自体を忘れられて掃除のとき発掘され処分される。そして微妙に残念な気持ちになる、……というフードロスあるある。


 そんな一見さん(ビギナー客)には、割高でも小さいサイズがオススメなのだ。もう少し食べたいな~、で食べ終わる量が一番良いと個人的に思う。味を気に入ってくれれば、また買いに来てくれるだろうし。


 常連さん(リピーター)から要望が出たら、大箱での販売を検討すればいい。

 まあ、欲しい人は多分、黙ってがっつり買って行くと思うけど。


「その容器には、飴は入れずに……」

「ええっ? どうして?!」

「なんでだよ、うちは飴屋だぞ!」


 飴屋父娘は驚いて声を上げる。


「飴っぽいけど飴じゃない、もっと洒落たお菓子を可愛い容器に入れて売りましょう。……とは言え、今からお伝えするのは老婆(わたし)のうろ覚えの記憶なので、再現できるかは飴職人トムさんの腕次第ですが……」

「ハハハッ、そりゃあいい! 腕が鳴るぜ!」


 一瞬目を見開いたトムは、ぐいっと腕捲りをしてから両腕を組むと、カラッと笑った。



 さてさて……。


 私の知識は中途半端だから正しいレシピを教えたりは出来ないないのだけれど、トムは菓子作りのプロ、……同じ砂糖を使う飴職人なのだ、ヒント程度にはなるだろう。


 まあ、私が知らないだけで似たようなお菓子がこの世界にも存在するかもしれないし。


「蒸留酒と、……型がとれる粉ってあるかな? でんぷんの粉。私の故郷ではコーンスターチって呼んでたんだけど……」

「名前は違うが、……これか?」

「うん、それで出来そうかな」


 必要な材料など、思い出せる範囲で言葉にして行く。


 ベンさんが一階からコーンスターチに似た粉を持ってきて、平たいバットに粉を敷き詰める。そこへ、トムが小さめの木の実で型の穴を付けていく。


 ――待って? ここで今作るの?


 はっ、と気付いたら調理道具やら砂糖などの材料がテーブルに並んでいる。

 口頭で記憶を伝えるだけで解散するつもりでいた私は面食らってしまう。


「火は……」


 ここはパン屋二階の居間(リビング)だ。竈は一階のはず。


「……大丈夫だ。これを使ってくれ」


 ベンさんが、黒くて丸い鍋敷きをテーブルに置く。彼が鍋敷きを指で軽くトントンとつつき「火の聖霊(サラマンダー)……」と呼び掛けると、赤いヤモリがちょろりと出てきた。


 赤いヤモリはしばらくベンさんの指先に鼻をこすり付けていたが、おもむろに、ぱかりと口を開くと鍋敷きの内側に円を描くようにポポポと炎が着いた。


 こっ、これは完全に卓上コンロでは?


「これ、魔導具ですか?」

「いや、これは……ただの、防火鍋敷きだ。……テーブルが焦げるのを防ぐ」


 ――えっ、どゆこと?


 私は混乱して回りを見回すが、驚いているのはどうやら私一人のようだ。

 目があった女将さんは苦笑しながら教えてくれた。


「うちの旦那(ヒト)は、火の聖霊と契約してるんだよ。魔力が多いんだ」


 聖霊と契約していると、ほぼ好きな場所に呼び出して手助けしてもらえるらしい。

 もちろん制約はあるのだろう。クリスが「だからって誰でもこう出来るわけじゃないからね」という顔をしてこっちを睨んでいる。


 ハイ、素人は聖霊と安易に契約しない。

 わかってます、クリス先生!




「材料を強火で、高温になるまで熱して飴液を作ってください。高温になったら、火から下ろして……」

「温度がこれ以上、余熱で上がらないようにした方がいいな」


 火から下ろした鍋の底をスルリと緑色の光が撫でて行った。魔法で鍋の熱を取ったのだろう。

 飴屋のトムは、流石本職なだけあって理解が早い。理解してもらうほど情報を提供していないのだが、こちらの伝えたい事をすぐ分かってくれる。


「蒸留酒の入ったこっちの鍋に、飴液をゆっくり流し入れて……」

「分かった。ヘラで撹拌せずに、移し替えを何度か繰り返して飴液に蒸留酒を馴染ませるんだな?」


 その通り。私はコクコクと頷く。


 ここでヘラで乱暴にかき混ぜると、出来上がったとき綺麗な糖結晶の外殻にならないのだ。

 ゆっくり静かに、なるべく衝撃を与えないように鍋Aから鍋Bへ、鍋Bから鍋Aへ、何度か移し替える根気のいる作業が続く……のだが、なぜかトムは鍋の縁をスルスルと指で撫でている。


「蜜よ踊れ 流れ踊れ

 幼子の夢の如く

 乙女の恋の如く

 朝陽に開くように

 宵闇に溶けるように

 蜜よ踊れ 流れ踊れ

 甘く交じわれ」


 トムが聖句らしき歌を口ずさむ。


 すると飴液がゆっくり噴水のように立ち上がっては鍋へ滑らかに静かに流れ落ち、自ら対流してゆく。

 まるで飴のフォンデュタワーのようだ。


「よし、混ざったぞ」

「あ、はい。では型にそっと流し込んでもらって……」


 ええと、……確か、あとは揺らさず触らずに放置して、半日―― 大体六、七時間程度 ――経ったら、そっと掘り出して天地を逆にする。そこからまた半日静かに置く、だったかな。


 それを伝えるとトムは「なるほど、片側それぞれ半日か……。よしわかった!」と言って風の聖句を歌い始めた。


 ――魔法で時短するの、チートじゃ(ずるく)ない?


「アハハ! トムはこう見えて器用なのよ。魔力量は多くないけど、属性を組み合わせた使い方がすごく巧いの」

「ま、菓子作りにしか使えねーけどな」

「……いいや。……これだけ使いこなせるならば、……充分だろう」


 クリスとベンさんに誉められて、トムはムズムズと居心地が悪そうだ。友人に面と向かって誉められるとなんか照れるよね。


 お喋りしている間に、出来上がってしまった。


 型から慎重に取り出して、刷毛で丁寧に粉を落とす。


 粉の中から、男性の親指ほどの大きさの、半透明な黄水晶(シトリン)色の半円がころりと出てきた。


「……なんだい、こりゃ」

「小さいスライム?」

「甘イノ?」


 皆、興味津々でテーブルを覗き込む。


「これは、噛むとカリッとホロッとして、口の中でトロッとなるお酒を使った大人のお菓子です」

「……カリっとホロッとして?」

「口の中でトロッとなる……?」

「お酒を使った ……」

「「「 大人のお菓子! 」」」


 そう、ウイスキーボンボンである。


 チョコレートで包んだボンボンショコラではなく、砂糖結晶に包まれたボンボンだ。


「どんな味なの?」

「ハヤク、食ベヨウ!」

「あっ、これ強い酒が入ってるから、ジェナとルルちゃんは食べられないぞ」

「エッ!」

「えっ!」


「そうそう。マリナも駄目だよ、お腹の赤ちゃんがびっくりするからね」

「ええっ?! わ、私もダメですか?」

「えー!」

「ソ、ソンナ……!」


 トムと女将さんに味見を止められてしまった、マリナとジェナ、そしてルルちゃんは分かりやすく、ガーン! とショックを受けている。

 少量とはいえ蒸留酒が入っているので、安全を考えたら子どもや妊婦は控えた方がいいだろう。


 日本では子どもも安心して食べられる果汁(ジュース)が入ったボンボンも売っていたような気がする。


 ――うーん、へっぽこ知識でごめんよ。


 だけど、同じ作り方のまま材料を蒸留酒から果汁に変えた場合に、ちゃんと外殻の砂糖結晶が固まってくれるのか? 中にちゃんと果汁が留まってくれるのか? 乾燥させる時間を延ばせばいいのか? ……わからない。


 どうしてこの現象が起こるのか基本的なところを理解してないから、アレンジが利かないんだよね。


 ――うう、おばあちゃん、熱出そう。


 まあ、その辺は今後のトムの創意工夫に期待したい。

 その間、ルルちゃん達には別のお菓子で勘弁してもらおう。琥珀糖とかどうかな。というか、最初から琥珀糖にしとけば良かった? いや、寒天とかゼラチンとか探さなきゃいけないから、それはそれでめんど……


 ――うん、あとで考えよう。


 おばあちゃんは、問題を後回しにする!



「では、大人の皆さんで味見しましょう」

「ああ、まずは食べてみないとな!」

「そうね!」

「「 やったー! 」」

「では、私も一つ頂こう」


 聞き慣れない声が聞こえたと思ったら、私の頭上から手がスッと伸びてきて、ボンボンを上品に一粒摘まんだ。


 引き上げられていくその手の行方を追って見上げると、彫刻が受肉したかのような風貌の銀髪の美丈夫が真後ろに立っていた。


 美しい唇にボンボンが運ばれてゆく。


 ゆっくり咀嚼される様をただただ黙って見つめる。はあ、美形は何か食べてるだけでも絵になるんだなぁ、……などと思いながら。


「うむ。食感の妙もあるが、蒸留酒の香りが鼻に抜けて、舌の上に上品な甘さが残る。……これは美味だ。領地の土産にまとめて買いたい」

「あっ、えっ、……これはその、まだ試作品なので!」

「そうなのか? 完成された味だが」

「いいい、今しがた完成したばかりでして!」


 突然の訪問者に驚き全員が動きを止めて美丈夫を凝視している中、トムはしどろもどろになって答える。

 横にいるジェナもトムの腕を掴みながら目を白黒させている。


 そりゃそうだ。

 今初めて作ったのだ。トムにしたら、これからまだ試行錯誤(ブラッシュアップ)したいところだろうし、味見もしてないし、箱も出来てないし、値段も決めてないし、いきなり売ってくれと言われても正直困るだろう。


 ――ていうか、……誰?


 気配を消していつの間にか背後に立つの止めて欲しい。セディといい、この美丈夫といい、本業(ジョブ)が暗殺者では? と疑うレベルだ。


 ――大体、知らない人が階段から上がってきたら誰何してよ。


 さっきまでテーブルのそばで寛いだ様子だった茶色団の騎士達は、いつの間にか壁際に移動していてピシッと直立している。

 騎士達の顔を見たら、何故かスイ~と視線を反らされた。こらこら職務放棄すな。



「……エルベルト」

「久しぶりだな、ベンジャミン」

「ああ。……いつ此方(こっち)に?」

「昨日だ。転移門を通って来た」

「そうか。……ロニーには会ったか?」

「ロナルドとは此処で落ち会う予定だ」


 ベンさんと美丈夫は、どうやら知り合いのようだ。そして恐らくロニーも。


「待っとくれ、ロニーもここに来るのかい? ウチは飲み屋じゃないンだ! 勝手に待ち合わせ場所に使わないでおくれ。ゴツい男がそう何人もゾロゾロと来られちゃあ、狭くてかなわないよ! 余所でやっとくれ、余所で!」

「では場所を変えよう、ベンジャミン」

「……ああ」


 ひょい。


「えっ」


 銀髪の美丈夫はベンさんに声を掛けると、くるりと方向を変えて、颯爽と階段を駆け降りた。



 ――ままままてまて、待ってェェェ!



「こら、魔王! 婆さんは置いて行きなッー!」


 女将さんの叫びが店内に響く。


 両脇に手を入れてひょいと持ち上げられた老婆(わたし)は、そのまま魔王に連れ去らた。





ガイウスって誰なんだ問題は、次話以降に持ち越します。


砂糖の実の原産国であるヒィラジアは、アーデンマムデル王国の東隣の国で、農業が盛んな国です。魔力持ちが少ない国でもあります。


今警備が強化されているらしい、イリザーレ港は南側の港です。その海の先に砂漠の国、ケルジァールがあります。

前回話に出ていた、転移門のあるナルヴァム港は北側の港です。




評価くださった方、ブックマークしてくださった方、ありがとうございます!

本当に励みになります。

ワウワウオン! ウォフッ、ウォフッ!


次話もお読み頂けたら嬉しいです。

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