第八話【覚醒】
アビスが森のなかを走り抜けて居住区へと戻ると、そこにはひどい光景が広がっていた。
たくさんの木々や家が燃えており、それらを反射して川が真っ赤に染まっている。
空へと上っていく黒い煙。
見知った島のみんなが血を流して地面に倒れている。
黒い軍服を着た集団も無傷ではないらしく、同じような人数が倒れてはいるものの、そもそもの数が違いすぎる。
「どうだ、まだ差し出す気にならないか?」
三十代ほどに見える赤髪の男性が、村長へと太刀を向けながら言った。
村長はまだ立っているが、かなりの傷を負っているらしく、倒れるのも時間の問題だろう。
「ごほっ……。知らんと言っておろう」
「何度も言わせるな。リングに埋め込んでいる発信機によって、あいつがこの周辺にいるのはわかっている。ここら付近に陸があるのはこの小さな島だけだろう」
その言葉を聞き、少年は自身の腕輪に視線をやる。
まさかこれのせいで……と思っていると、村長が急に走り出した。
「死ねぇぇぇぇぇ!!」
片手に魔力を纏い、あと少しで到達するというところで──村長の首が飛んだ。
赤髪の男が太刀で斬ったのだ。
二つに分かれた胴体と首が、それぞれ地面に落ちていく。
「──村長!?」
少年は声を上げながら死体のそばへと駆け寄った。
それにより、赤髪の男と他数名の取り巻きが彼の存在に気づく。
「おぉ……ようやく見つけたぞ、アビス。さぁ、一緒に帰ろう」
そんな赤髪の言葉に少年は眉を顰めて、
「なぜ島を襲う! お前たちは誰なんだ!!」
「……何を言っているんだ? 長年一緒に過ごしてきたじゃないか」
「は?」
「ヘリコプターから落下したのが故意なのか事故なのかはわからないが、俺たちはアビスを探しにきた。それだけだ」
「ヘリコプターから落下……」
「アビス……お前まさかとは思うが、記憶を失っているのか?」
「…………お前たちが僕のなんなのかは知らない。だけど、罪のない島のみんなを殺したのは事実だ。……だから僕は絶対お前たちを許さない!」
「勘違いしてもらっては困るな。俺は友好的に話を進めようとしたさ。黒服を着た少年がこの島にきていないか? とな。……しかし、それを否定して攻撃してきたのはこいつら猿どものほうだ。死んで当然のゴミクズだろ」
「うるさい、黙れ!」
少年は勢いよく走り出した。
「お前は強いし危険だからな。ちょっと気絶してもらおうか」
赤髪の男が手のひらから炎の魔法を放出した瞬間、少年は何者かにタックルされて横に吹き飛んだ。
地面を転がりながらもすぐにその正体を確認しようと目を開けると、
「なんとか間に合ったのぉ……」
全身傷だらけで血まみれのローズがいた。
「ローズさん!?」
彼女は魔力を纏った拳を構えて赤髪の男に向き直る。
「お前さんが誰であれ、イデアの友達なのに変わりはない。だから、アタシが絶対に守ってみせるさ」
「チッ、てめぇまだ生きてたのかよ。しぶといばあさんだぜ」
「あいにくあんたのぬるい炎じゃ死ねなかったみたいだね」
「黙れ」
赤髪が不機嫌そうな表情で複数の炎球を放つ。
ローズは両手でそれを弾きながらも相手に近づいていく。
普段からは想像もできないほど恐ろしい形相をしていた。
島のみんなを殺されたことで怒っているようだ。
「下がれ、くそばばぁ!」
「これ以上近づくんじゃねぇ!」
取り巻きたちはそんなローズに恐怖を感じたらしく、全員で攻撃魔法を撃ち始めた。
水の刃で頬を斬られ、落雷をその身に受け、土の槍で片足を貫かれ、炎に焼かれながらも彼女は歩みを止めない。
「ローズさん、逃げて!!」と少年が叫ぶ。
「年寄りをなめんじゃないよ」
「これで終わりだ。じゃあな老害」
そうつぶやいて赤髪は十本の炎の槍を同時に放つ。
それらはすさまじい速度で飛んでいき──ローズの全身に突き刺さった。
背中や口から大量の血が溢れ落ちる。
見るも無惨な光景だ。
彼女はゆっくり後ろを向いて、
「イデアを…………任せた……よ」
とだけ言い残し、膝から地面へと崩れ落ちていった。
「ふんっ、俺の邪魔をするからこうなる。黙って死んだふりをしておけばよかったものの」
「…………」
「さて話を続けようか。アビス、お前は……っ」
少年のほうを向きながら話しかけた赤髪は、彼の顔を見た瞬間、思わず口を噤んでしまった。
涙を流す少年の顔からは、感情が抜け落ちていた。
──怖い。
取り巻きを含む全員がそう感じる。
「…………どうしてローズさんを殺したの?」
「は……はは。アビス。お前の力はそのリングによって封じられているぞ?」
赤髪はまるで自分に言い聞かせるように言った。
「…………どうして村長を、島のみんなを殺したの?」
徐々に空気が重たくなっていく。
絶対にありえないことだが、彼の周囲の気圧が変動していた。
明らかな異常事態。
「アニマ先生!? まずいんじゃ……」
「あ、安心しろ……。あのリングをつけている限りは、あれが発動することはないはずだ」
「…………どうして僕の大切なものを奪うの?」
少年の両目が真っ赤に染まり、身体から黒いオーラが漂い始める。
直後、装着していた腕輪にひびが入った。
「やばいぞ!! 今すぐ全員撤退しろ!!」
赤髪は反射的にそう叫びながら逃げ出す。
取り巻きや、周りに集まり始めていた他の軍人たちも、それぞれ少年から距離を取ろうと行動を開始した。
相当慌てているらしく、何人かは川の水に足を取られたり、木の根っこに躓いたりして転ぶ。
「…………君たち全員死んでよ」
そんな言葉と同時に圧縮された高密度の魔法弾が放たれ、赤髪以外の全員が破裂した。
総勢で百人はいただろう。
それら全てが一瞬にして肉塊に変わり、大量の血をまき散らしたのだ。
燃えさかる森に降り注ぐ血の雨。
「…………は、ははは」
赤髪は恐怖のあまり腰を抜かして、その場に座りながら笑い始めた。
「なんであのリングが壊れるんだよ……。意味ねぇじゃん」
圧倒的強者。
何がどう転んでもアビス=ラグナロクには勝てない。
そして、今の彼がまだ一割も力を使っていないことを赤髪は知っていた。
十年前に起きた史上最悪の大事件。
わずか一夜にして王都が滅び数百万人の死者を出した、通称【大破滅】
今現在、この世に生きている者ならほぼ全員が認知しているであろうその事件に比べれば、今のアビスはまだ大人しかった。
「…………バイバイ、弱者」
少年が手を振りかざした瞬間、海岸に止まっている巨大な船と赤髪の元にだけピンポイントに落雷が落ちた。
攻撃する目標に応じて威力を変えているらしく、船には巨大な雷が落ちたにもかかわらず、赤髪にはちょうど人が絶命する程度の雷だった。
気づくと赤髪の身体は消滅しており、座っていた場所には穴が開いている。
対してここからは見えないが、海岸の巨大な船はバラバラになって大量の部品が海や砂浜に散らばっていた。
もう使い物にはならないだろう。
とそこで、
「…………」
ふいに少年の身体に纏っていたオーラが消えたかと思えば、彼は力尽きたように地面へと倒れていった。




