第二話【記憶喪失】
少年が目を覚ますと、視界に知らない天井が広がっていた。
長方形の木がいくつも重なってできており、無数の黒っぽいシミがある。
ヒビが入っている個所もあり、お世辞にも綺麗とは言えない。
ぼんやりとした意識のなか、とりあえず身体を起こそうと手のひらで柔らかい床を押し、ゆっくりと上半身を起こす。
すると、天井と同じような造りの壁が見えてきた。
所々に隙間が空いており、そこから光が差し込んできている。
「……」
辺りを見渡すと更にいろいろな物が視界に入ってきた。
木造りの床。
木製の机や樽、木箱、水の入った桶。
どうやら今現在、自分はベッドに座っているのだろうと少年は判断する。
シミが多数存在している白い掛け布団に自分の身体が入っていたからだ。
隣にはベッドがもうひとつある。
その向こうには木造りのドアがあり、隙間から多少の光と風がこの部屋内に侵入してきていた。
どちらかと言えば狭いこの部屋。
今座っているのも含めてベッドが二つあることから、二人で暮らしている家だろうと推測できる。
「ここは……?」
今更ながらのそんな言葉。
そうつぶやきつつも、脳内ではもっと深刻な問題を浮かべていた。
自分は……誰だ?
何もわからない。
自分が誰であるのか。
ここがどこなのか。
明白なのは、自分という存在がこの部屋のベッドに座っているということだけ。
少年はとりあえず双方の手のひらを見つめる。
無数のしわがあるだけで、特に怪我などはないらしい。
閉じたり開いたりと、問題なく動く。
彼は、これが物を掴んだり武器を握ったりする部位の【手】であるということは理解しているようだ。
そこから視線を少しだけ下ろすと、自身の左腕に白い腕輪が装着されている。
これはなんだろう? と疑問に思ったところで、ドアの開く音が聞こえた。
視線を移動させて入り口を見つめると、一人の少女の姿。
金髪ロングヘアーで薄い水色の瞳を持った少女。
かわいい顔つきで、透き通るほど綺麗な白い肌だ。
彼女はすぐ少年が起きていることに気づき、「あっ」と口を開ける。
「気づいたんだ」
「…………」
少女の安堵を含んだような言葉に、少年は何も答えることができない。
わからないことが多すぎて、答える余裕がないのだ。
彼女はそんな彼の反応を気にする様子もなく、
「身体の具合はどう? ……特に異常はない?」
「…………」
視線だけで困惑を表現する少年。
少女は彼の頭のてっぺんから腰部分までを何度か見て、納得したように頷く。
「うん、大丈夫そう。……喉とか乾いてない?」
「……」
質問されているにもかかわらず、脳内では全く別のことを考えているせいで、少年は上手く反応することができない。
この少女は何者なのだろう。
この家の持ち主?
そんな疑問を抱いても、そもそも自分のことすら把握しきれていない彼にわかるはずがない。
「……もしかして、言葉が通じてない?」
あまりにも無反応が続いたことにより、少女は使用言語について心配をしたらしく、ゆったりとした口調で問いかけた。
少年はぼんやりと思考の焦点が合わないながらも、短くではあるが返答。
「いえ」
すると少女は驚きと喜色の表情を同時にうかべつつ、吸い込まれそうなほど綺麗な双眸で彼の顔を見つめる。
「あの……聞きたいことがたくさんあるんだけど、まず最初に名前を教えてもらってもいい?」
その質問に対し少年が数秒の間無言を貫いていると、彼女は突然「そういえば!」と何かを思い出したように、人差し指を自身の顔に向けて言う。
「人に名前を尋ねる時は、まず自分から名乗るのが礼儀だよね。えっと私の名前はイデア=アルカディア。イデアって呼んで」
「……………………イデアさん?」
またしても数秒間無言を貫いたあと、少年は目の前にいる少女の名を復唱。
「あっ、そうそう! イデアだよ。……で、君の名前は?」
「…………僕の名前。……ごめん、わからない」
改めて聞かれた質問に対し、少年はとりあえず自分の一人称を【僕】と決めてから、頭を下げつつ本当のことを告げた。
「えっ。本当!?」
「……はい」
「うぅーん。じゃあどうして海岸で眠っていたの?」
「……海岸?」
全く意味のわからない質問をされて、少年は眉間にしわを寄せる。
その反応を見たイデアは、
「それもわからない……か。えっとまず君は、昨日、この島の海岸で倒れていたの。それをたまたま見つけた私がここまで運んだんだけど……。ちなみに何か他におぼえていることってある?」
「…………全くおぼえてない。今までどこにいたのか。僕が誰なのか」
「なんか、ごめん。でもそれってかなり深刻だよね? 頭に強い衝撃でも受けて記憶喪失になっているのかな?」
「記憶喪失…………かもしれない」
「そっか」
確証がないまま若干不安げに答えた少年を見て、イデアは小さく頷いた。
それから彼女は思い出したかのように、手を叩いて口を開く。
「じゃあさ、とりあえず昼ご飯にしよっか? まだまだ聞きたいことがあるんだけど、食べながらでもできるし」
「……うん」
イデアは家の外へと出ていった。
この部屋には台所が存在していないため、外で調理するのだろう。
「……」
少年はもう一度思考する。
自分は、海岸で倒れていた?
じゃあその前は何をしていたのだろう。
だんだん落ち着いてきたことにより、少年の脳内には多少の余裕が生まれてきていた。
しかし、だからと言って答えが出るわけではない。
「……とりあえず、僕も外に出てみよう」
そうつぶやき、少年はベッドから降りた。
固くてひんやりとした感触を足の裏に感じつつ、入り口の方へ歩みを進めていく。




