第七話【両親】
一方アビスと母親は大通りを走って逃げていた。
まだ朝方ということもあり、昼間よりかは人通りが少ない。
そのため、全力疾走で逃げることができる。
逆に言えば、追われやすい環境でもあるのだが。
「僕もう無理だよぉ。疲れた」
手を引っ張られているアビスがそんな弱音を吐いた。
「もう少ししたら警備隊の詰所に到着するから、我慢してね」
「…………うん」
とその時、前方の建物からフードの少年が飛び降りてきた。
追いつかれたらしい。
「……チッ」
母親は立ち止まり、鬱陶しそうに舌打ちをする。
それからアビスを守るように立ちふさがり、両手に魔力を集め始めた。
「……ん」
相手は躊躇することなく猛スピードで駆け出し、大剣を薙ぎ払う。
「──っ!?」
あまりの速度に驚きつつ、反射的にバックステップを踏んで斜め後ろへと飛ぶ。
腹部が少しだけ斬れたようだが、致命傷にはならなかった。
どうやらアビスの母親も戦闘に慣れているらしく、表情を変えることはない。
着地と同時にすぐアビスの目の前へと戻り、巨大な水のシールドを展開した。
そこで周りが二人の様子に気づいたらしく、野次馬が集まり始める。
「なんだ!? 喧嘩か?」
「おい、誰か警備員を呼んでこい!」
「お前が行けばいいだろ。俺は戦いが見たいんだ」
「なんだと!? 女と子どもが狙われてんだぞ! 自分勝手なこと言ってんじゃねぇ」
「は? ならお前がいけって」
フードの少年はそんな周囲の様子など気にした素振りも見せず、無言で大剣を振り下ろす。
一瞬減速するも、水のシールドを綺麗に真っ二つにした。
そのままシールドは魔力を失い、ただの水になって地面へと落下。
母親は驚くことなく相手の周りに渦潮を生み出し、体全身を飲み込んでいく。
これだけのスキルを使えるほどの明らかに普通ではない体力に、ただの村人だとは思えない技量。
父親といい、一般人からはかけ離れているようだ。
しかし戦闘のプロを拘束するほどの力はないらしく、
「……ん」
大剣で水を吹き飛ばし、少年が平然とした表情で外へと出てきた。
「……あんたたちなんかに私のアビスを渡してたまるものですか」
母親は歯を食いしばり明らかに無理をした様子で、水の槍と風の槍をそれぞれ十本ずつ創り出す。
どうやら魔力量も凄まじく多いようだ。
「お母さん……」と不安そうなアビス。
「心配いらないわ。……あんなゴミ、私が今すぐ片付けるから」
そう言って全ての槍を放った。
だが、少年は大剣すら使うことなく全部躱していく。
魔法の速度と相手の敏捷性の差は歴然だった。
「……ん」
少年は相変わらずの無表情で母親に近づき、大剣を振り上げた。
母親は急いで魔法を構築していくも、間に合わない。
「お母さん!?」
「……ん!」
そうして振り下ろされた大剣の刃が顔面に当たる直前、
「あぶねぇぇぇ!!」
どこからともなく駆けつけてきた父親が、大声を上げながら彼女を突き飛ばした。
「……っ!?」
同時に無防備な彼の胴体に大剣が命中し、一瞬にして切り裂かれた。
断末魔すら聞こえないほどの出来事。
胸が一刀両断されており、心臓が半分になっている。
身体が落下したあとでアスファルトの床に血が広がり始めた。
血まみれの内臓がいくつかはみ出ている。
──大切な人が死んだ。
それが理解できるまでに、アビスと母親の二人はかなりの時間を必要とした。
「あ……あ……」
母親は地面に倒れたまま、バラバラの死体に手を伸ばす。
「……あな……た?」
身体が震えており、徐々に涙が流れ始めた。
「お父さん!!」
アビスは父親の死体に近づき、目の前で膝をついた。
頬に触れるも、父親の表情は変わらない。
驚愕したような顔が維持され続けている。
床を伝う血がアビスの膝に到達した。
しかしそんなことを気にしている場合ではない。
「お父さん……ねぇ、お父さん……」
アビスは必死に父親の顔を触っている。
なんとかして動かそうとしているのだろう。
「……ふぅ、やっと追いついたぜぇ……って、もうやったのか?」と金髪。
「……ん」
たった今殺人を犯したというのに、少年は一切悪びれる様子もなく真顔で頷いた。
「悪い、不意を突かれて逃げられちまった」
「……ん」
ノヴァは気にするなと言わんばかりに頷き、アビスの母親へと近づいていく。
「お、おい……。これ……喧嘩のレベルじゃねぇだろ」
「さっさと誰か警備員を呼んでこいって」
「だからお前が行けば済む話だろうが!!」
「ちょっとあんたら、人が死んでいるのよ!? 言い合いをしている場合じゃないでしょ!!」
「だったらてめぇが行け」
「嫌よ。こんな面白い瞬間を見逃したくないもの」
「はんっ、クズ女め」
「ふふっ、それはあんたもでしょ!」
そんな野次馬のやり取りなど聞こえていないかのように、彼はゆっくりと大剣を振り上げる。
「や、やめてぇぇぇ!」とアビス。
しかしノヴァは一切聞く耳を持っていない。
「あ……あ……」
ショックによって声が出ない母親に向かって、大剣を振り下ろした。
刃は彼女の腰を一刀両断するだけに留まらず、床にまでめり込む。
「お母…………」
アビスは目に涙を浮かべながらも、四つん這いで母親のもとに移動した。
「お疲れ、ノヴァ。やっぱりお前は強いな」
「……ん」
「ま、俺はいつかお前よりも強くなるけどな……。さあ、帰るか」
「……ん」
そんなやり取りをし、二人が歩き出そうとしたその時。
「おーいお前ら!! 何をやっている!!」
二人の兵士が大声を上げながら近づいてきた。
巡回中に騒ぎを聞きつけてきたのだろう。




