第二話【魔法】
その日の夜。
一日中馬車で進み続けたアビスたち一家は、草原で野営をしていた。
たき火のパチパチという音。
アビスと母親は火のそばで食事をしている。
少し離れた位置で周囲を警戒しつつ、父親もパンを食べている。
「そういえば、アビスはお父さんと同じ【風魔法】のスキルが欲しいのよね?」
母親が尋ねた。
「うん。お父さんみたいに魔物を倒したり、木を切ったり、洗濯物を乾かしたり、やってみたい」
「そう。……まあ、確かに風は便利ではあるけど、お母さんの【水魔法】のほうがいいんじゃない?」
「聞き捨てならないな。風のほうがいいに決まってるだろ!」
遠くから父親が割り込んできた。
「どうしてかしら? 水魔法はいつでも水が飲めるから、どんな環境でも脱水症状になる心配がないのよ?」
「いいや、風の刃で敵を一刀両断するほうがかっこいいって」
「それなら水の刃でもできるわ」
「他にもあるぞ。……たとえば、えっと……水浴びをしたあとにすぐ乾かすことができる!」
「私の水魔法があれば、どこでも水浴びができますけど? ちなみに乾かすだけであれば、自然乾燥でも全然問題ありません」
「うっ……、頑張れば身体を浮かせることだって可能だ」
「数分と持たないでしょう?」
「それはそうだが…………。あっ、あれがあった! 若い頃はよく王都の街中で活用していたぜ」
「何をです?」
「スカートをはいている美少女の足元めがけてそよ風を吹かせるんだ。そうしたら……や、やっぱりなんでもない。ははっ、聞かなかったことにしてくれ」
途中で母親の殺意を感じ取り、父親は喋るのをやめてしまった。
「……」
全員が無言になり、たき火の音だけが聞こえてくる。
「……俺、やっぱり水魔法が欲しくなってきたかな」
五分ほど続いた沈黙を破ったのはアビスだった。
「そうでしょう?」
「いや待てアビス。風の魔法のほうが──」
「──ゴブリンの陰毛みたいな気持ち悪い髭を顎から生やしている変態のゴミクズは黙っててもらえます?」
「なんだと!!」
「たまに夜、一人でトイレに長居して何かしているみたいですけど、次の日の朝に寝室に充満しているクラーケンの股間みたいな体臭に気づいていないでしょう? 正直バレてないと思っているのは自分だけだと思いますよ?」
「えっ、嘘だろ? ……マジで?」
「ん、何かおっしゃいました? ゴブリンサイズの脳みそをお持ちのクレイジーモンキーさん」
「…………泣きそう」
父親はうつむいてしまった。
そして、改めて母親を怒らせないようにしようと思ったアビスだった。
それから数分後。
父親が急に真面目な顔になったかと思えば、立ち上がって暗闇を見つめる。
何かの気配を感じ取ったのだろう。
「あなた、魔物ですか?」と母親。
さすがにこういう場面ではひどい呼び方をしないらしい。
「ああ、足音からしてシルバーウルフだろう。数はおそらく一匹」
「任せても問題ありませんか?」
「大丈夫だ。あいつ程度なら【風魔法】のスキルと使わなくとも水魔法で倒せる」
そう言って父親は神経を集中させ、体内にある魔力を右手へと集めていく。
授かったスキルの魔法を使用する場合は体力を消費するだけで済むのだが、それ以外の系統の魔法を使おうとすれば、先天的に持っている魔力を消費しなければならない。
魔力の保有量は生まれた時から決まっており、アビスの父親はそこまで多くはない。
下から数えたほうが早いレベルだろう。
それでもわざわざ使おうとしているのは、自分だって水魔法程度使えるぞ? と嫁に見せつけるためだろう。
男の意地というやつである。
そもそも魔法とは、宇宙空間全てに存在している素粒子に質量を与えている【ヒッグス粒子】に干渉し、事象を意図的に改変することによって炎や、水、風などを生み出すことができている。
仮に酸素の存在しない水中や宇宙空間で炎を発生させようとしても、一応生み出されはするものの一瞬にして消えていく。
もし使い続けるためには粒子を事象へと変換して魔法を一から生み出す作業を一秒のうちに何度も行わなければいけないため、凄まじい量の魔力を消費してしまう。
そもそも変換速度が追いつかないため、そんな芸当ができる者は限られてくるだろう。
つまり、あくまでヒッグス粒子を事象へと変換しているだけで、この世の摂理に抗えはしないというわけだ。
それはスキルも同じ原理で、魔力を使うか体力を使うかの違いである。
父親は右手から水の刃を生み出し、勢いよく暗闇に紛れている狼にめがけて放つ。
相手は一瞬「キャンッ!?」と声を上げるも、綺麗に一刀両断されて絶命した。
彼は近づいてそれを確認したあと、再び座ってため息をつく。
「疲れた……」
「慣れないことをするからです」
呆れたような表情でつぶやく母親。
しかし、アビスは目を輝かせて尊敬のまなざしを向けていた。




