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現代もの

夜を通す

作者: 西川 旭

 ☆



 友人が仕事で名古屋に来ているらしく、駅前に呼び出された。夏が終わってずいぶん涼しくなった九月の週末だった。

「いよう浩二。ぜんぜん変わらんなお前。もともと老けてたからか」

 名古屋の駅前には大きなロータリーがある。

 その近くで友人は俺を見つけるなり、いきなり失礼な第一声を放った。

「吉野くん、君はずいぶん血色がよくなったね。高校のときはガリガリの欠食児童だったのに。今じゃどこが首だか顎だかわからんぜ」

 返す刀でイヤミを放ち、俺たちは夕飯を食うために店に入った。

 久しぶりに会うと言っても、そこは男のマブダチ同士。飯と酒に手を出し、くだらない話を交わす気楽な時間が流れる。

「浩二は本物の酒飲みだな。こんな店に入る歳じゃないだろう、俺ら」

 吉野が暗い店内を見渡してそう言った。

 ここは俺が名古屋で客を迎えるときによく使う店。

 分厚いカウンター席に脚の高い椅子、目の前には洋酒が数え切れないくらい並ぶ。

 若い客もいなければ女の店員もいない、正真正銘のショットバー。

 要するに「酒を飲むためだけの店」だ。それでも軽い料理くらいは出してもらえるけど。

「こんないい店はたまにしか来ないよ。普段は部屋飲みばっかりだ。そう言えば吉野の親父さん元気か。俺が酒飲みになったのはあのおっさんのせいなんだからな」



 ☆



 高校を出てから何年も経つ。

 吉野とはたまに連絡を取っていたけど、ここ最近は電話もメールもしていなかった。

 東京から名古屋まで出張するような仕事に就いていたということさえ、今日になって知ったくらいだ。

 吉野の親父さんは、高校時代の俺たちに酒の飲み方をはじめて教えてくれた人だ。

 俺と吉野が立て続けで女に振られたとき、ウイスキーの水割りを飲ませてくれた。

 失恋は大人になるための第一歩だと言っていた。気さくな、いいおっさんだ。

 あのときの水割りは甘くて苦くて切なくて、美味しかった。

「ああ、その話もしようと思ってな。親父、死んだんだわ」

 ピスタチオをかじりながら、吉野が何気なく言った。俺はなにかの冗談かと思った。

「死ぬような歳じゃないだろう。まだ六十そこそこのはずだ」

「酒とかタバコとか仕事のしすぎとか、まあいろいろだよ。最期は心臓の血管が破裂するやつでさ」

「動脈瘤なんとかってやつか。悪かったな、葬式とか行けなくて」

「いや、忙しくて連絡するの忘れてたのは俺だからさ」

 ……いつも元気だったおっさんの顔が浮かぶ。

 酒の師匠はもういないのか。目の前にあるロックグラスが俺の代わりに結露の涙を流していた。

「俺も、酒は控えようかなって思ってさ。親父のこともあるけど、来月には結婚するんだ。体よりも金が持たないからな、酒ばっかり飲んでると」

 吉野が薄い水割りを飲み下し、照れくさそうに言った。

 ああ、幸せ太りだったのかこいつ。

「マジか! おめでとう。そうしたほうがいいぜ。今日くらいはとことん付き合ってもらうけど」

 携帯の画像で吉野の彼女を見せてもらった。

 さして美人と言うわけではないけど、優しい笑顔の女の子だった。

 聞けば料理もうまいと言う。そりゃ太る。

 闘病中らしい親父さんの写真もあった。

 病院のベッドで顔をしわくちゃにして笑っている。

 通夜にも葬式にも出られなかったせいで、この人がもうこの世にいないんだと言う実感がわかなかった。



 ☆



 静かに世間話や近況を続け、俺は一つのことを思いついて吉野に提案した。

「なあ吉野、今日はもう一回、通夜にしてくれんか。親父さんの分も頼もう」

「え? ああ、そうだな。親父も浩二のことは気にかけてたから……」

「嬉しいね。マスター、こちらのおっさんに水割り、とびっきりうまいやつ」

 右隣の空いた席にウイスキーを頼んだ。

 俺と吉野はそのグラスを交え、改めて乾杯しなおした。

 それからも俺たちは日付が変わり、朝が来るまで飲み続けた。

 おっさんの冥福を祈り、吉野の結婚を祝い、俺に彼女ができることを望み、何度も何度も薄い水割りを乾杯した。

 思い出話ができなくなるのはいやだから、濃い酒を飲んで泥酔したくなかったのだ。


 そろそろ出るか。

 どちらともなくそう言った。俺たちは眠い目をこすりながらカウンターを立ち上がった。

 そのとき俺は一つのことに気づき、席を立ちかけた吉野の肩をたたく。


「なあ、吉野」

「なんだよ」

「……おっさんの席に頼んだ酒、減ってないか?」


 眠気が覚めたように目を丸くさせ、吉野は卓上のグラスを見た。

 満杯ぎりぎりまで酒が入っていたはずの容器に、今は半分ほどしか液体がない。俺も吉野も手をつけていないのに。

「……親父、酒好きにもほどがあるだろ」

 吉野が人差し指で目じりをぬぐった。俺もそうしたかったけど、照れくさいので何とか我慢してそっぽを向く。

 視線の先に、無言で佇むマスターがいる。手に杯を持ってそれを飲む真似をしていた。

 俺はその意味に気づき、噴き出しそうになるのをこらえた。また遠くから友人が来たときはこの店を使うとしよう。

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