地味姫、黒い鬼と再会する
ジェイミーが連れてこられたのは王族の控室として使っていると言う濃い青色の天幕でした。隣には同じ色の大きな天幕があり、こちらは会議用とのこと。人々が簡単に出入りできるようにと入り口が大きく開いているのですが、ここは個人用なので閉じているそうです。
天幕の中は毛足の長い敷物が敷かれ、小さなテーブルと簡単な寝台の他、大きな寝椅子がありました。
寝椅子の上には小山ほどありそうな大きく黒い塊が乗っていて、その周りには天幕と同じ色の軍服をまとった騎士たちがいます。
そっと降ろされたジェイミーが近づくと、黒い塊は以前会った大きな男だとわかりました。病気なのか、魂の抜けた顔を空に向け、ぐったりと椅子に埋もれています。赤い目は焦点が合わないうつろさで、半分開いている口から生気が漏れ出しているようでした。恐ろしいほどの威圧感も薄れ、いかつい顔はただの岩のようです。
「どどど、どーしたんですか、こりぇ!?」
驚きのあまり噛みながら聞くと、近くにいた黒い髪の騎士が首を振りました。
「不治の病かもしれません」
黒い髪の騎士はすっきりと整った綺麗な顔のまま、ため息を吐きます。
「先日夜会から帰ってきてずっとこの調子なんですよ」
「夜会、ですか?」
「ええ。今日の演習の為、国王陛下にご挨拶をと出席した夜会だったのですがね。帰ってきたらこんな調子で、食事も我々が無理やり流し込んでいるような状態なのです。このままでは死ぬかも」
「ええええええええ!!??」
なんということでしょう!?
ジェイミーは驚きのあまり固まってしまいました。あの時、優しく声をかけてくれた頼もしい人がなんという痛ましい姿に。どれだけすごい病に襲われているのか、そう思ったらぽろりと涙が溢れました。
「でもな、きっとジェイミーなら治せると思うんだよ」
耳元でジョナサンが囁きます。
「近づいてな、指先でもなんでもいいからそっとつかんでな、なんか声かけてやってくれればいいんだ」
ジェイミーはジョナサンを見つめました。
こんな地味な私が声をかけたくらいで?
というか、なぜ私?
そう思いましたが、目の前でくったりしている男が少しでも元気になるならば、試してみる価値はある。
そういえば薬の宣伝であった。
『地味に効く』
そうだ、地味がいい薬になるのかもしれない。
地味にいいとか地味においしいとか、地味ってのもいろいろと使い道があるじゃないかと思うと、自分にできることがあるような気持になり、勇気が湧いてきます。
ジェイミーはそっと男に近づきました。
近くにいる騎士を見上げると、うんと頷いてくれたので、だらんと落ちている手の指先をそっと握ってみます。
「ウィルフレッド様……」
ぴくり、と指先が動きました。
指先だけでも自分のものの2本分はありそう。そう思ったら手はどのくらいなのかとなり、掌を合わせてみます。掌はとても大きくて、ぴったり重ねると指先が第二関節までしか届きませんでした。ごつごつとした鍛えられた硬い部分を指でなぞるとなんだかきゅんと来ました。ジョナサンの手も鍛えられてがちがちなので似ているけれど、濃い肌の色の者は近くにいないので新鮮です。
そういえば、黒髪はジュードと同じかも?
動かないのをいいことに耳の後ろから指を入れると、短く刈られた髪はじょりっと芝生のような感触でした。ジュードの髪は細くて柔らかいけれど、この人のは違うんだなあと、楽しくなってゆっくりと梳きます。
ふにゃりとしていた体がだんだん硬くなっていくのがわかりました。椅子に埋まっているだけだった体は芯が通ったようになり、じんわりと温かくなってきます。
「おおっ!」
近くにいた騎士たちの口から声が上がりました。
ぼんやりとしていた赤い目が少しずつはっきりとしてきます。
緩んでいた口元が締まり、ゆるゆると顔が向けられ、寝ぼけているような目がジェイミーに向けられました。
下から見上げていただけなのでよく見たのはこれが初めてです。
ジェイミーの国にはない褐色に近い濃い色の肌。
太く意志が強そうな眉。
紅玉のような赤い目。
右ほおの大きな傷。
鼻の上を横切る傷もあります。
何日か剃ってないようで、無精ひげがすごいです。
パーツ的には精悍で整っているはずなのに、全体になると怖い鬼のような顔だと思われます。
『うん、正面から見ると凶悪って言われても仕方ない顔ね』
などとひどいことを思うジェイミー。
だけど怖いとか嫌だとか、そういう感情は不思議と湧きませんでした。むしろものすごくかっこいい、精悍な美丈夫に見えます。傷は無事に生きて帰った勲章だと思いました。きっとジェイミーには想像もつかないような状況を乗り越えてきたのでしょう。今ここにいてくれるのはこの傷があるからかもしれないと思えば、体中の傷すべてが誇りなのだと感じます。
そんな人の病が少しでも癒せたのならば嬉しい。ジェイミーは心からの微笑みを送りました。
「初めまして。私はジェイミーと申します。一応この国の王女なんですよ」
赤い瞳に自分が写っているのがたまらなく嬉しい。にこにこしながら先ほど握った指先に唇をつけ、手の甲に額をつけます。
「ジェイミー?」
「はい」
「え、あ、俺、今、名前を……?」
「はい」
「というかなんでここに……? えええ?」
瞳に生気がしっかり戻ったウィルフレッドが目だけをぐるりと回し、騎士たち、ジョナサン、ジェイミーにと視線を合わせて事情を察した瞬間。
大きな黒い鬼の口から世にも情けない悲鳴があがったのでした。
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