地味姫、黒い鬼に会う
「うひゃー……」
王女らしくない声が口から洩れたのは仕様です。
びっくりして顔を向けると、いつの間にか左隣に大きな山ができています。真っ黒いごっつい、壁のような山で、十分に空いていたはずのソファが傾くほどみっしりと詰まっているように見えます。
何だこれはと思ったら、ジェイミーの頭のはるか上に真っ黒な頭が乗っていました。よく見ればそこには褐色に近い濃い色の肌と真っ赤な目をした鬼のような顔がついてました。男の右目のすぐ下から頬にかけて大きな傷があり、巨大な体と相まって独特の雰囲気を作り出しています。
ジェイミーは華奢ではありませんが、黒い男が抱き着いてきたらすっぽりと包まれるなあと思いました。顔つきから肥満体ではなさそうなので、きっと見惚れるような筋肉質なんだろうとも思いました。ジェイミーはすらりと細いより二の兄ジョナサンや騎士たちのようながっしりした体が好きなのです。ちなみにぽっちゃりも好みですよ。
大きな体が醸し出す威圧感は王に似ていましたがもっと獰猛で、近寄ったら殺す、みたいな雰囲気です。
なんというか、大きな黒熊みたいだなあと思っていたら、ぽつりと漏れた言葉がジェイミーの耳に届きました。
「腹減った……」
とても小さな呟き、渋みのある掠れた声でした。ジェイミー以外には聞こえなかったでしょう。地味にドストライクな声です。
上を向いてため息を吐いた黒熊男を見た周りの人々は、男の気に恐れをなしてものすごい勢いで去っていきました。
正直なところジェイミーも気まずいな、逃げ出したいな、と思いましたが、周りの慌てぶりにすっかりタイミングを逃していました。
どーしようかな、と思いつつ、まあ自分は地味だから平気かとなってしまうのがジェイミーです。
おなかが空いているのかあ。確かにこの体を維持するにはたくさん食べなくちゃダメなのかも。
そう思ったら少し気の毒になったジェイミーは、皿を差し出してにこりと笑いました。
「よかったらおひとつどうぞ」
男は一瞬身を竦め、きょろきょろと辺りを見回したのち、いきなりひょんと飛びました。隣にいたジェイミーに気づいてなかった模様です。
「す、すまん!」
「え?」
「あ、いや、誰もいないと思って、その、な……」
ものすごく挙動不審になり、おろおろする黒い熊男。先ほどの威圧感は嘘のように消えていました。
どうやらジェイミーが地味すぎてソファにいたのに気づかなかったようなのです。確かに今日のソファはデビュタントの色に合わせて白かったのですが、それにしてもうっかりだとジェイミーは思いました。
「ふ、踏まなくてよかった……」
男は顔に右手を当て、上を向いてます。隙間から覗く口元から八重歯がちらっと見えていて、まるで鬼の牙のようです。
確かに踏まれたら料理が台無しですし、ドレスも汚れます。山のような巨躯に踏まれたらコサージュも潰れるだろうし、いろいろと大変なことになっていたかもしれません。
いかつい顔の男の心遣いにジェイミーは心が温かくなりました。
「お優しいんですね」
つい嬉しくなってにこにこしてしまう顔を何とかなだめ、皿を膝に置いて、ピックが付いたローストビーフを差し出しました。
「よかったらどうぞ」
「う、え、あ?」
「おなかがお空きなのですよね? 大丈夫、さっき一口食べましたから味見済みです。美味しいですよ」
ジェイミーは精一杯腕を伸ばしました。それでもやっと首の下くらいまでしか届かず、困って眉を下げます。
男はしばらく迷っていましたが、ぱくりと肉にかじりつきました。ジェイミーが手を離すと、ピックを持ってもごもごと食べます。ジェイミーには大きいと思えたローストビーフが小さな欠片に見えました。ゴクンと飲み込んだあと、口元が緩んだのを見たらとても嬉しくなりました。
「うまいな!」
大きな黒い男がくしゃっと顔を歪めます。その顔の凶悪さに後ろにいた令嬢が何人か倒れましたが、ジェイミーはこれが彼の笑顔なんだろうなと思い、笑顔を返しました。
その時、自分がはしたないことをしてしまったのに気づきました。
初対面の男性に「あーんして」と言ったようなものです。しかも自分が一口食べたローストビーフ!!うっかりにもほどがあります。
ああ、どうしよう、とりあえず逃げようか?
そう思っていると、黒い男は言いました。
「あのな」
「ひ、ひゃいっっ!!」
「よかったらそれ、もっともらってもいいか?」
大きな犬がご飯をもっとちょうだいと言っているような目でした。山のような大男が自分のような地味な娘にお願いしてくれるなんて、きっとものすごくおなかがすいていたのでしょう。仲良しの料理長の渾身の作品を気に入ってもらえたことで、ジェイミーは嬉しくなりました。
「もちろんです!」
だから大きく返事をし、膝の皿を男に押し付けると、新たな料理を取るためにテーブルに向かったのでした。
そんなふうに色々ありましたが、無事に夜会が終わりました。
「どこにいたのだ、まったく……」
のんびりと戻ると、王も王妃も不満顔でした。ジェイミーが他国の王子や貴族の息子たちとダンスをしたり交流したりしていなかったのを心配していたようです。
「ちゃんとお話ししましたよ。有意義なひと時でした」
残念ながら黒い鬼顔の男のインパクトが強すぎて、きらきら王子たちの顔は誰一人として覚えていない、とは言えないジェイミーでした。
読んでいただいてありがとうございます。
イメージ的にはトトロがドーンみたいな感じでしょうかね?(笑)