刑事の苦悩は続く
朝っぱらから警視庁本部へ呼び出され、なにを言われるかと思えば新部署を試験的に設置する旨の通知であったことに、柴門は気取られぬよう脱力した。特高の解体と共に姿を消した「特務課零係」を、鬼灯町に復活させるというのだ。
零係の役割は、端的に言うなら拝み屋の類で、化物やら幽霊やらが引き起こす事件を解決するための部署であるらしい。科学万能のこの時代に真面目腐った顔でお偉いさん方が零係の説明をするさまは滑稽の一言に尽きるが、表に出すわけにはいかない。
「表向きは、夏以降急激に事件の発生件数が増えた鬼灯町への人員補充となっている。特務課という部署名も、緊急要請により仮設置された課であることを示す以上の意味はないとする」
それはそうだ、と神妙な顔つきで頷きながら思う。
一通り特務課零係の説明を終え、最後に鬼灯町まで案内するようにと、本部の上司は件の部署に配属する二名を部屋に招いた。
「入れ」
短い入室許可の言葉と共に入ってきたのは、目を疑うような派手な男と、軍人にしか見えない大男だった。そして大男のほうは、なぜか小学生くらいの女児を片腕に抱えている。
「ハァイ、初めまして。アタシは蝶楼司牡丹。一応階級は警視ってことになってるわ。よろしくね、柴門ちゃん」
ほぼ全身紫色の派手な男は、その見目に違わぬ源氏名のような名を口にした。
淡い紫色の髪を顎の長さで切り揃え、ピンク色のメッシュを入れ、長い薄紫色の付け睫毛を初めとした派手な化粧をして紫のスーツを着た女言葉の男という、警視庁という場にはあまりにも不釣り合いな存在に、柴門は言葉を失った。
「はい、これアタシの名刺ね」
「……ああ、どうも……」
どうにか取り繕いつつ、柴門も自分の名刺を取り出して交換する。
いったい「ちょうろうじ」とはどんな文字を書くのかと名刺を見れば、音だけでなく字面までもが見た目通りで、思わずまじまじと見つめてしまった。口調は女性的だが、生まれたときは男だっただろうに、彼の親はなにを思って男児に牡丹などと名付けたのだろうかと、余計な世話でしかない思考が過ぎる。
「あら? 柴門ちゃんってば、そんなに見つめたら穴があいちゃうわ」
「…………あ、ああ……」
その出で立ちと口調と女言葉に見合わぬ低い声のギャップになにも言えずにいると、次いで隣の大男が口を開いた。
「自分は特務課零係所属、階級は警部補、梅丸煌牙であります。これは娘の梅丸雛子、此度の異動に伴い、雛子も共に鬼灯町でお世話になります」
背中に板でも添えているのかと思うほど真っ直ぐ伸びた背筋で挨拶をすると、雛子と呼ばれた娘は抱えられた状態でぺこりとお辞儀をした。こちらもまた「こうが」という音自体はそこまで煌びやかではないものの、槙島が熱く語っていた某特撮の俳優と同じ名前で、牡丹と並ぶと殊更芸名めいている。
しかも、強そうな名に恥じない聳え立つという言葉が似合うほどの体躯の持ち主だ。柴門も背が高く鍛えているほうではあるが、煌牙の前ではそれも霞んで見える。
「では、早速署に戻り、案内をするように」
「はっ」
一先ず了承し、退室していった上司を見送ると、柴門は牡丹と煌牙に視線をやった。
「……一応、特務課がどういう部署かは聞いている。設置に当たって、鬼灯町が最適であると言われたんだが、正直俺にはそういう知識はないんでな。その辺はお前さんらに任せることになると思う」
「ええ、任せて頂戴。アタシたち向けの案件かどうかは見ればわかるもの」
投げキッスとウィンクを伴った返事に若干の疲れを滲ませつつ、柴門はふたりに一言「案内する」と告げると部屋を出、車に案内して乗り込んだ。
道中、直近の事件資料を見ていた牡丹が、感心したような溜息を漏らした。
「これだけの事件、いままでよくアンタたちだけでがんばってきたわねェ」
「あ? そりゃどういう意味だ?」
確かに、夏以降やたらと事件数は多かったが、難事件というほどのものはなかったと記憶している柴門は、バックミラー越しに牡丹を一瞥して訊ねた。牡丹は綺麗に整えてマニキュアで彩った指先で紙束をめくりながら、それに答える。
「神様を怒らせたり、触っちゃいけないものに触ったり、人間が解決するには荷が重い案件ばっかりなのよねェ、これ」
まるで自分は人間ではないかのような物言いに引っかかりを覚えたが、詳しく聞けば頭痛の種が増えるだけだと思い、代わりに別のことを聞くことにした。
「俺たちは事後処理をしてマスコミ連中を追い返しただけだ。解決らしい解決は何一つしちゃいねぇよ」
「ま、そうでしょうね」
事実とはいえ「お前たちに出来ることはない」と言い切られたようなもので、柴門は密かに眉を顰めた。運転中に反論して後ろを向くわけにもいかず意識して集中するが、このところの不可解な事件続きと、一件も犯人確保に至っていないことへのストレスに追い打ちをかけられた心地だった。
「そんなに怒ることないじゃない。どうしようもないもの。だって、いもしない犯人を捕まえることは出来ないんだから」
「……犯人がいない? 容疑者不明の案件は多いが、いないってそりゃ……」
「文字通り、言葉通りよ。この子たちはある意味器用に自殺してるの」
資料をひらひらとさせながら、牡丹は続ける。
大男二人に挟まれている雛子は、父親譲りの姿勢の良さで、小学生にしてははしゃぐことも愚図ることもなく、大人しく座っている。
「直近の件がわかりやすいかしらね。犬神屋敷のことはアンタも親や近所の年寄りからうざったいくらい聞いてるでしょ」
「ああ……あの屋敷には近付くな。見るな入るな。行き場をなくした犬神に呪われて、自分も呪いになっちまうってな」
馬鹿馬鹿しい話だと思っていた。ただ、廃墟とはいえわざわざ他人の敷地に行く気にならなかっただけで、柴門は呪いを信じていたわけではない。だが今回の件はまさしく被害者が呪いになった案件だという。
「犬神ってだけでも強力なのに、更に蠱毒の術式も交えたもんだから、呪力が強すぎて自滅したのね。この屋敷はいまも蠱毒の壺として機能しているわ」
「へぇ……」
柴門が漏らした気のない返事に、牡丹は気分を害した風もなく笑みを作って見せた。
「いいのよ、アンタたちはそれで。知らなくていいことを知る必要はないもの」
資料を鞄にしまうと、代わりに棒のついた飴を取り出して隣の雛子に渡した。雛子は両手で飴を受け取り、ぺこりと頭を下げてから、じっと飴を見つめ始めた。その様子を見て、煌牙が包み紙を外してやりながら「食べて良いぞ」と告げると、そこで漸く口に入れた。
「ただ、わからないからってアタシたちの仕事を邪魔しなければ、それでいいわ」
「そこまで馬鹿じゃねえよ。俺も、署の連中もな」
「あら、それは失礼したわね」
楽しげな笑い声が、真後ろから届く。
それからはなにを話すこともなく静かに時が過ぎ、鬼灯町警察署に着いた。普通車の後部座席は決して窮屈な作りではないはずだが、柴門だけでなく牡丹も煌牙も一般的な成人男性に比べて遙かに体格がいいため、圧迫感がひどかった。
扉を開けて地面に降り立つや、牡丹は真上に伸びをして溜息を吐いた。
「はぁ……噂には聞いてたけど、なかなか凄い土地じゃない」
「そうかぁ?」
「ええ。仕事の説明が終わったら、挨拶回りに行かないとね。煌牙、アンタたちもお供しなさい」
「御意」
警察署に入ると、真っ先に槙島が駆け寄ってきた。そして柴門がつれているふたりと煌牙が抱えている幼女を順に見ると、きらきらと目を輝かせて柴門に食いついた。
「先輩、そちらが昨日言ってた特殊部隊の人たちですか!?」
「特殊部隊じゃねえ、特務課だ」
「初めまして! 俺、槙島昴っていいます!」
柴門の言葉を聞いているのかいないのか、興奮した様子で挨拶をする槙島に、牡丹はにっこり微笑んで右手を差し出した。
「よろしく、昴ちゃん。アタシは蝶楼司牡丹。こっちは梅丸煌牙で、こっちがその娘の雛子ちゃんよ」
「よろしくお願いしまっす!」
牡丹の手を取り元気よく上下に振ってから、槙島は煌牙と雛子にも向き直って元気な声で同じ挨拶を送った。雛子は相変わらず煌牙に抱えられたままでお辞儀をし、煌牙もピンと伸びた背筋を僅かも崩さず低く太い声で「よろしく頼む」と答えた。
「娘さん可愛らしいっすね。おいくつなんですか?」
「八歳だ。鬼灯小に通うことになる」
「へえ、お友達たくさん出来るといいっすねえ」
にこにこと愛想良く話しかける槙島に、雛子は小さく頷いた。そして煌牙の胸を軽く触れると、煌牙は雛子に視線をやり、彼女が何事か言おうと唇を動かすのを見つめた。
「……そうか」
「雛子ちゃん、もしかして喋れないんですか?」
ふたりの様子を見ていた槙島が首を傾げ、そして憚ることなく訊ねると、横で柴門が僅かに目を眇めた。槙島の思ったことをすぐ口にするところは警察として欠点であり、時折無用な争いを生み出していることから注意していたのだが、なかなか直らない。
だが煌牙は特に気にした様子はなく、雛子もただ一つ、こくりと頷いた。
「生まれつきの失声症でな。だからこれまでは、警察の学童に預けていた」
「あー、成る程。まあ、大丈夫っすよ。根拠はないですけど」
「おい、槙島」
明け透けに心のまま物を言う槙島を咎めようと柴門が口を開くと、牡丹がくすくすと笑ってそれを制した。
「いいじゃない。素直な子は好きよ、アタシ。警官としては問題かも知れないけれど、今時裏表がホントにない子なんて滅多にいないもの」
「そうは言うがなあ……」
説教モードに移りそうだと萎縮する槙島を横目に、牡丹は両手で二人のあいだに壁を作る形で割り込み、それよりと話を変えた。
「まあまあ。ところで、アタシたちにも机は貸してもらえるのかしら」
「ああ、そうだな。説明するか」
あからさまに安堵した顔の槙島にウィンクをして見せると、牡丹は柴門のあとに続き新しい職場の案内を受けた。
鬼灯町警察署は駅と隣町を繋ぐ国道に面した位置にあり、表の掲示板には町内の交通事故発生件数や事件数が張り出されている。また、比較的近い位置の旧犬神村付近には交番があり、若い巡査が時折散歩中の老女に捕まっている様子が見られる。
夏以降急激に事件が増えたとはいえ、普段は然程大きな事件もなく平穏な町で、駅の傍に伸びるアーケードの商店街に赴けば、商店主や買い物客が愛想良く話しかけてくることもある。が、これは槙島が警官らしからぬ愛想を振りまいているせいもあるのだがそこは割愛して。
特務課のデスクは、急ごしらえのため事務室の隅に仕切りを作り、そこに二つ並べる形で置かれていた。性格によっては窓際族のような扱いに不服を覚えそうな処遇だが、牡丹は「これ、ドラマでみたことあるわぁ」とご機嫌だった。
「それじゃ、早速この街の主様にご挨拶してこようかしらね」
「おい、町長に会うなら先にアポ取ってから……」
「そうじゃないわ。鬼灯神社よ。どうやらそこがここの町の氏神様みたいだから、町に迎えてもらうにはまずご挨拶しなきゃ」
それじゃあね、と手を振って去って行くマイペースな背中を見送ると、柴門は盛大に溜息を吐いてソファに身を投げ出した。
「先輩、楽しそうな人が来て良かったですねえ」
ぐったりと項垂れる柴門に、槙島が機嫌良く話しかける。いまばかりは彼の底抜けのポジティブさが心底羨ましかった。