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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
陸ノ幕◆七つ目の七不思議
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漆ノ不思議:黄昏時の学校

「…………は?」


 朱く染まった校舎のただ中にポツンと立ち尽くし、比嘉はそれだけを零した。

 言葉が出てこない。頭が働かない。なぜこんなところにいるのか、これは夢なのか、それとも――――


『四時になりました。生徒の皆さんは██████してください』


 突然、ひび割れたような、ひどく耳障りなチャイムの後に校内放送が響いた。途中であまりにもノイズが強く出て聞き取れない箇所があったが、声は男とも女ともつかない十代ほどの人の声のようだった。

 チャイムの音も、錆び付いた金属で出来た鐘を乱暴に叩いたような音だった。まるで放送室が何年も使用されていなかったのを無理に稼働したかのような。そんな音。


「なに……? 此処、うちの高校……?」


 不安で胸を満たしながら、比嘉は辺りを見回す。

 校舎自体は見覚えのある作りで、外の景色にもこれといった異変は感じられない。

 ただ、朱いフィルムを通して見ているかのような焼け付いた黄昏色だけが不自然で、現状が非常事態であると否応なく突きつけてくる。


「だ、れか……凛は……」


 現在地は、見える範囲の教室や窓の外に広がる景色で判断したところ二階南側にある階段の踊り場と思われる。

 とにかく此処から逃げようと階下へ向けて一歩足を踏み出したとき、比嘉はぎくりと体を強ばらせた。


「ヒッ……!」


 引きつった音が喉から漏れ、“それ”に目が釘付けとなる。


「っ…………あ、ぁ…………」


 それは、角から此方を覗いていた。

 首を九十度傾けて、鼻から上を此方へ見せる格好で。悪戯な子供がそうするように、ニヤニヤ笑いながら比嘉を見つめている。

 ただ異様なのは、顔の大きさだった。明らかに人のサイズではない。拳大の人の顔が此方を見ている。大きくても恐ろしいが、小さすぎる顔というのも異様で恐ろしい。

 気づくのが遅れたのは、それがあまりに小さかったからだ。

 ずるりと此方に這い出てくる気配を感じ、比嘉は弾かれたように振り向いて後も見ず階段を駆け上がった。


(なにあれ! なにあれ! なにあれ!)


 思考が働かない。冷静になどなれるはずもない。自分の身になにが起きているのか、いま見たものは何なのか、どうしてこんな悪夢を見ているのか。なにもわからない。

 息を切らせて三階に上がると、比嘉は自分の教室に飛び込んだ。

 深い理由はない。ただ体が教室の位置を覚えていて、無意識に駆け込んだだけで。

 だがそれが、今回に限っては正解だったようだ。

 目を突き刺すような黄昏色が僅かに和らぎ、暫くの後に廊下を先ほど見かけた小さな頭の異形がぐらぐらと左右に揺れながら通り過ぎていくのが見えた。

 比嘉は廊下側の窓の下に張り付いて、両手で口元を押さえながら息を潜めていたが、異形の姿が廊下の奥に消えると小さく息を吐いて肩の力を抜いた。

 明確な脅威が一先ず遠ざかったことで、比嘉は漸く自身の置かれている状況を改めて思い返す余裕を持つことが出来た。とはいえ、どれほど考えても、何故黄昏時の学校にいるのかなどわかりようがないのだが。

 直前まで、比嘉は五十崎と通話をしていた。話題は直前にあった美術室の七不思議に関してだ。落として割った人が逃げたせいで醍醐が代わりに片付けたのに、逃げた人が階段から落ちたことを醍醐のせいだと責められた出来事についてひたすら愚痴を零していたのをはっきりと覚えている。

 それからベッドに横になり、ネットを適当にさまよっていた。そのとき変なリンクを踏んだ覚えもなければ、妙なメッセージが送られてきた記憶もない。

 本当に、原因がわからない。

 其処まで考えて、比嘉はもし『新聞部員だから』という理由だったならという思考に至り、唇を噛みしめた。


 一方同時刻。

 五十崎は、三階女子トイレの個室で蹲っていた。

 目尻に涙を滲ませて、震える吐息を抑えることも忘れて、ただひたすら怯えていた。五十崎もまた、比嘉と同様にいつの間にか黄昏時の学校に立っていて、そして不気味な放送を聞いた。

 だが一つだけ、比嘉と違う箇所があった。


「……閉籠先輩……助けてよ……」


 此処に来た直後に、五十崎は二階廊下で閉籠蒼乃と出会っていたのだ。

 彼女は驚くほど冷静に「此処を出よう」と言って歩き出したのだが、進行方向に首が異様に長い人型のナニカを見てしまい、蒼乃をその場に置いて逃げてきてしまった。

 五十崎は、七不思議自体には殆ど興味がなかった。赤猫桐斗と話したときも言ったが所詮噂は噂で、実体などあるはずもないと思っていた。

 それが、どういうわけかいまこうして現実のものとして囚われている。

 理解が出来なかった。


『四時二十二分になりました。生徒の皆さんは速やかに██してください』


 下を向いて震えていた五十崎だったが、放送の声に思わず顔を上げた。

 先ほど蒼乃と聞いた放送は、四時の放送だった。生徒の皆さんは、のあとがノイズで聞こえなかったのだが、今回は一部のノイズが晴れている。

 速やかになにをすればいいのか。それがわかれば此処から解放されるかもしれない。一縷の希望を抱いた五十崎は、恐る恐るトイレの扉を開けて外を覗いた。近くに異形の気配はない。足音もしない。出るならいまかもしれない。

 そう思って一歩踏み出した、その視界の端。

 鏡の中から此方を見つめる、知らない顔があった。


「嫌ぁあああああッ!!」


 それが何なのか、確かめる気にもなれなかった。

 なにかがいた。その事実を目の端に捉えた瞬間叫んで走り出し、涙に濡れた顔のまま廊下を駆け抜けた。どこをどう走ったのかわからなかった。

 ただ異常事態から逃げたくて、いますぐ終わってほしくて、無我夢中で走り続けた。

 そうして辿り着いたのは、新聞部の部室だった。


「なんで……なにが……なんなの…………?」


 最早意味をなす言葉にすることも出来ず、扉を背にずるずると座り込んでしまった。頭の中身が、ぐちゃぐちゃに丸めた紙くずでいっぱいになっているような心地だ。

 膝を抱えて啜り泣きながら、ひたすら「なんで」「どうして」「出してよ」と小声で零し続ける。誰に対して訴えているのかなどわかるはずもない。怪異に対して、お願いしたら叶えてくれるとも思っていない。

 ただ、もう、すべてが限界だった。


「五十崎さん? いるの?」

「きゃああああああああっ!? いやああ! 来ないで!! 来ないでぇええッ!!」


 不意に背後から声がして、五十崎は泣き叫びながら這うようにして扉を離れた。

 こんなところに人がいるとは思えない。きっと、あの化け物が人間のふりをして声をかけてきたんだ。そんな考えに支配された五十崎は、手当たり次第に本を掴んでは扉に投げつけ、叫び散らした。

 だというのに、無慈悲にも扉が開かれ、声の主が目の前に現れた。


「ぎゃあああっ!!」

「ちょっ……痛っ、やめて!」

「来ないでって言ってるでしょ!? 出て行ってよぉお!!」


 五十崎が目を瞑ったまま手に触れるものを投げつけては泣き叫ぶうち、侵入してきた何者かはあきれたように「わかったよ」とだけ言って立ち去った。

 扉が閉まる音がして、足音が遠ざかっていく。

 ぜえぜえと音がするほど荒く呼吸を繰り返して、それから漸く、五十崎は追い返した相手はもしかしたら化け物じゃなかったのではないかと思い始めた。だがいまから扉を開けて確かめる気にはなれない。仮に先ほどの声の主が違ったとして、開けた瞬間別の化け物がいないという保証もない。

 再び膝を抱えて泣き始めた五十崎の足元で、開きっぱなしのまま転がっている冊子が一つ。新聞部長が部費で購入した、全国七不思議辞典だ。

 其処には『黄昏時の学校』と題された項目があり、こう書かれていた。


 ――――黄昏時の学校に迷い込んだら、まず校内放送が流れる。放送の通りにしてはいけないと言われる場合と、放送に従わないといけない場合がある。放送の通りにする場合は肝心な部分がノイズで聞こえなくなっていることが多いという。そして、指示に従うべき箇所が聞こえるようになったとき、永遠に校舎から出られなくなるらしい。


 怪談好きな子供が考えたかのような内容だが、比嘉と五十崎の現状と全く同じ内容が其処にあった。


 パニックになった五十崎が暴れてから、どれくらい経ったのか。

 三度、ひび割れて音の調子が外れたチャイムが鳴った。


『四時四十四分になりました。生徒の皆さんは速やかに死亡してください』


 一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。

 これ以上恐ろしいことなど起きるわけがないと思っていた五十崎の心を、放送は軽く打ち砕いた。

 呆ける五十崎の耳に、虫の羽音のような笑い声が響く。クスクス、カサカサと。その音はさざ波のように広がって、やがて頭が割れるほどの大音量になっていく。おかしくなりそうな笑い声の渦に囲まれて、五十崎自身もいつの間にか大声で笑っていた。上を向き、目を見開いて、涎を口の端から垂れ流しながら。

 いつまでも、いつまでも、泣きながらゲラゲラと笑い続けていた。

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