弐ノ不思議:四階女子トイレ
「先輩! 絵美那来てませんか!?」
翌朝、慌てた様子で部室へと駆け込んできた美羽に、蒼乃は思わず肩を跳ねさせた。目を丸くして「来てないけど……」と答えれば、美羽はあからさまに落胆した。
いまは部室に蒼乃しかいない。面倒だが、明らかに動揺している後輩を捨て置くのも居心地が悪いからと、蒼乃は一先ず美羽を部室に招いた。
「大小路さんがどうかしたの?」
「それが……昨日の放課後、一人で学校に残ったみたいで……」
「えっ」
部活が解散して、部室を施錠したあのあと。
蒼乃は希枝と共に帰宅し、他の部員もそれぞれ帰ったと思っていた。だが美羽曰く、大小路絵美那は学校に残って単独で調査をしていたらしい。
「調べたのは、踊り場の大鏡みたいです。さすがに夜中までは残れないから、日暮れのギリギリに鏡を調査するって……それで……」
美羽は鞄からスマートフォンを取り出し、蒼乃に見せた。其処にはメッセージツール画面が表示されており、最後に絵美那とやり取りした内容が残っていた。
『ひとりでなんて危ないよ。明日から調査だって言ってたし、やめなよ』
『大丈夫だって! 夜に忍び込むわけでもないんだし? それに、大勢でゾロゾロ調査したらホラー現象とか起きなさそうじゃん?』
『でも……』
『まあ、見てなって。先輩たちより先にネタを掴まなきゃ』
上記のやり取りが、解散して三十分ほど経った頃。時間的には、まだ多くの運動部が練習している時間帯だ。それから暫くして、再び絵美那からのメッセージが届く。
『鏡の前で待ってるけど、全然なんも起きない。やっぱ夜中じゃないとだめかなー』
『部活も殆ど終わっちゃったみたいだし、あたしも帰ろっかな』
『なんか、いつの間にか静かになってた。鍵閉められてたらどうしよう』
『待って』
『どういうこと?』
『学校が変なんだけど』
絵美那は言いたいことを一方的に送りつけており、美羽が最後のメッセージのあとに送った『どうしたの? なにかあったの?』から続く、複数回に及ぶ絵美那を心配するメッセージには既読すらついていない。通話も試みたが、応答がなかった。自宅に連絡してみたところ、母親は絵美那が帰っていないことを把握しながらも、彼女が友人宅に泊まったりネットカフェに入り浸ったりすることに慣れていることもあって、心配していないようだった。
「これ、大小路さんの親御さんには話したの?」
「あ……いえ、まだ言ってません。なにもないのに余計な心配させてもだし、絵美那のお母さんが言うように、ネカフェとかからそのまま学校来るかもと思って」
「そう」
蒼乃は自分のスマートフォンを鞄から取り出して、希枝にメッセージを送った。
時刻はまだ朝のHRが始まる二十分前。学校にいてもいなくても可笑しくない頃だ。逸る気持ちを抑えつつ、二人は部室で希枝と絵美那を待った。
だが、HRが始まるまでに訪れたのは、蒼乃が呼んだ希枝だけだった。
「――――結局、昼休みとかに探してみたけど、学校には来てなかったね」
「何処行っちゃったんだろう……既読もつかないし」
外出先でうっかり携帯の確認を忘れていて、充電も切れていた。そんなオチだったら何の問題もないのだが。家にすら連絡していないというのが、まず問題だった。
昨日から一人だけ減った部員が集まっている部室を、夕陽が朱く照らす。七不思議を調査しようという空気ではなくなっていたが、希枝が「ねえ」と声をあげた。
「やっぱり、七不思議は調査しようと思う」
「は? それ、本気で言ってる?」
無神経とも取れる希枝の言葉に反応した志保が、信じられないと言いたげに目を丸くする。後輩たちも、まさか一人行方不明になっているのにまだ七不思議に食いつくとは思っていなかったようで、志保と似たような表情で希枝を見ていた。
「だって、七不思議を追っかけていなくなったんでしょ? 同じように跡を辿ったら、なにかわかることもあるかも知れないじゃない」
「それはそうかも知れないけど……不審者の仕業ってこともあるんじゃないの? 確かいなくなったのって、部活も終わり際だったんだよね?」
志保の確認に、美羽が涙目で頷く。
運動部すら帰り始める頃。十一月ともなればすっかり陽が落ちきり、校庭のライトが運動場を中心に白く照らす時間帯は、それ以外の場所が暗く沈みがちである。遠巻きに見ただけでは、人影が大人か子供かの違いくらいしかわからない。コソコソしていれば不審者だと気付くだろうが、堂々と歩いていれば人は意外と気にしないものだ。そんな手慣れた輩の仕業を考慮するなら、七不思議に構うより警察に頼るべきではないか。
志保も美羽も、恐らくは他の部員もそう思っていただろうが、希枝は違った。
「部活の時間はうちらで学校を調べて、そのあいだ連絡も手がかりもなかったら先生と警察に相談しよう。あんまり騒ぐと却って出てきにくくなっちゃうかもだからさ、一応既読がつくかどうかはもうちょっと待ってみようよ」
「……先輩が、そう言うなら……」
希枝の言い分も尤もだ。もし自分だったら、大袈裟に騒がれていたら気まずくて出て行きにくくなるだろうと思う。一方で、早く大人に頼って解決したい気持ちもあった。だからこそ、部活の時間だけ探してだめなら相談するという案は最善に思えたのだ。
少なくとも、このときはそう思っていたのだが。
「先輩……?」
複数組に分かれて校内を調査していた美羽たちだったが、いつの間にか美羽は希枝とはぐれてしまっていた。夕日に染まる校舎は毎日見ているはずなのに、何故か足元から寒気が立ち上る感覚を覚えた。
外からは部活に勤しむ生徒たちの声がする。音楽室の方向からは、練習している音が聞こえてくる。なにもおかしなところなどない、普段と変わらない放課後のはず。
ならば何故、こんなにも違和感を覚えるのか。
「部室に行ってみよう……」
踵を返し、早足で廊下を進む。
現在地は本校舎四階。文化部部室棟へは近くも遠くもない位置だ。一応念のため傍の図書室を覗いたが、図書委員や自習中の生徒がいるだけだった。
長い影に追い立てられるようにして進んで行くと、前方から話す声が聞こえてきた。新聞部部室の中からだ。美羽はホッとして駆け寄り、扉を開けた。
「うわ! びっくりした……!」
「どうしたの? そんなに焦って」
一年の醍醐祐介と二年の五十崎凛が、驚いた顔で振り返る。部室内には、他に蒼乃と比嘉恭子と笠子恵一もいる。
「てか、あれ? 美羽ちゃん、希枝先輩は?」
五十崎凛の問いに、美羽は気まずそうに俯いた。制服の胸元を握り締めながら、怖々口を開く。
「それが……いつの間にかはぐれてしまって……部室に戻ってるかもと思って、急いで帰ってきたんですけど……」
部員たちが、揃って顔を見合わせる。
彼女は、誰よりも熱心に七不思議を追っていた。だが、いくら何でも熱を入れすぎて後輩を置き去りにするなど、有り得るだろうか。ましてやいまは一年が一人行方不明になっているかも知れない状況である。もしかしたら今度は美羽がいなくなっていたかも知れないのに。
「いないってどの辺で気付いた?」
「ええと……本校舎四階の、図書室がある角の辺りです。図書室も見て来ましたけど、先輩はいませんでした……」
美羽の答えを受けて、恭子が「ねえ」と誰にともなく声をかけた。
「その場所って、花子さんの噂があるトイレの近くだよね」
「あっ」
恭子の言葉で思い出した部員が、そういえばと呟く。
イジメで女子生徒を閉じ込めた、女子トイレ。四階の一番外れにあるトイレは、普段あまり人が通らない。利用者も少ないため、閉じ込められたらいつ出られるかも知れたものではない場所だ。
「もしかして……トイレを調査してるとか?」
「有り得るよ。だって先輩、凄い張り切ってたし」
「じゃあ、戻るまで待っていようよ。美羽ちゃんがいないって気付いたらさすがに一度戻ってくるでしょ」
「入れ違いになっても面倒だし。一言メッセだけ送っとこ」
部員たちは胸の奥をざわめかせる不安を押し殺すように、何でもない風を装った。
けれどこの日、沢越希枝が帰ってくることはなかった。




