暴かれた嘘は真実となる
「んだよ。いいだろ、別に。今回はこっそりじゃなかったんだから」
「もう! そういう問題じゃないんだよ!」
ふたりのじゃれ合いが始まったところで、千鶴も漸く桜司の手から解放された。
実に数分ぶりだが、何時間もそうしていたように錯覚してしまうのは、室内を緊張が満たしていたせいだろう。
「はぁ……驚きました。いまの方が嘘屋さんですか?」
「うむ。千鶴は少々あれとは相性が悪いゆえ、強硬手段に出させてもらった」
会話を聞いていた限りでは皆が警戒するほど恐ろしい怪異には思えなかったのだが、いったいどういうことだろうかと首を傾げる。すると、一頻り騒いで気が済んだ桐斗が千鶴の正面に腰を下ろして「そーだね」と桜司に同意した。
「千鶴はさ、すぐ嘘つくでしょ。ああ、えっと、悪い意味じゃなくてさ、しんどくても気遣って大丈夫だって言ったりみたいな、そういうやつ」
「それは……そうですね……」
言われてみれば、気遣いから偽りの言葉を返すことも嘘になる。
大丈夫、何でもない。痛いくらい身に覚えのあることだ。
「アイツと話すときはね、柳雨くらい脳直で気遣いなんかしなくて平然と悪態がつけるヤツを矢面に立たせたほうがいいの。英玲奈ちゃんも堂々としてたよね」
「ええ、まあ。ああいう手合いに搦め手は悪手だと知っていましたから。……それに、気に入らない相手に気に入らないとハッキリ言える好機ですし」
悪びれず淡く笑う英玲奈を、桐斗が「やるぅ」と楽しげに囃す。
「嘘屋に嘘を吐いちゃうと、餌を与えることになるからね。あーあ。今回アイツだいぶ稼いだんだろうなー」
「手形をこっちに寄越してくるくらいだしなァ」
「てか別に、人里で暮らしてるわけじゃないんだから、いらないはずだよね? なんで作ったんだろ。いや別に勝手じゃんって言われたらそうなんだけどさ」
「そういやそうだわ。アレが街で手形作ったってのも謎だな」
手形とは、妖たちが人助けをしたときにもらえるポイントのようなもの。
嘘屋が今回稼いだポイントは『人が嘘屋に真実と嘘を交換してほしいと願い、それを叶えたこと』にある。人ならざるものの世界に於いて、願った果てに人がどうなるかは問題ではない。願って、叶った。だから、実績となった。
どれほどの数が嘘屋に願ったのか知れたものではないが、最近の混乱ぶりを見るに、片手では足りなさそうだ。
「あ、もう振り込まれてる。えっぐ……」
「どれ?……うっわ。願いを届けやすいってのは強みだよなァ」
「僕らの仕事はアイツのと違って自動化出来ないもんね」
またしても大量に振り込まれたらしい桐斗の手形を覗きながらしみじみ話すふたりを眺め、桜司は「その辺にしておけ」と嘆息した。
あまり噂をするものではない。そう付け足されて、ふたりも漸く黙る。
「明日、ちゃんと戻ってるのを確認したらお仕事完了でいいのかな」
「だなァ」
誰からともなく立ち上がり、扉に近かった桐斗が場所を空けて桜司に促す。手をかけ開いた先は、見慣れた社の玄関口であった。
ゾロゾロと中に入り一度扉を閉めてから、英玲奈が一同を見上げた。
「わたしはこのまま雛子さんと帰ります」
「んじゃ、オレ様は紅葉たちを送ってくわ」
「わかった。英玲奈ちゃん、雛子ちゃん、またね」
屈んで手を振る桐斗に、笑顔で手を振り返す雛子。そんな雛子の手を引き、英玲奈は再び社の扉を開いた。
去って行くふたりの小さな背中と、それを送り届ける柳雨の後ろ姿を見送ってから、千鶴も上がり口で靴を脱ぐ。
「そういえば、縁が戻ったら入れ替えをしていた人たちはどうなるんでしょう……」
「どうって、記憶とか関係性とかそういう?」
「はい。今回は自分が入れ替えたことに自覚的でしたよね? それが元に戻っても一度自分のしたことやされたことの記憶が残ってたら……」
千鶴の懸念に漸く納得がいった桐斗が、なるほどと頷いた。
友人の好きな人に親切ぶって近付き、交際を始めた少女。クラスメイトの賞を横取りして自分のものにした美術部員。サッカー部のレギュラーを奪い取ったものの、事故に遭って結局ベンチにすら入れなくなった少年など。
「場合によっちゃ修羅場二回戦とかもあり得るんだねー」
嘘屋の言う元通りが何処までを差すのかが不明である以上、身構えざるを得ない。
なにせ桐斗は、とんでもない修羅場を一度目の前でみているのだから。
「まあ……何とかなるよ。広まりつつあったとは言っても、誰も彼も利用者だったってわけでもないしね」
「そうですね……」
不安は尽きないが、千鶴に出来ることはない。
せめて少しでも穏やかな日常が戻るように、祈ることしか出来ない。
――――翌日。
桐斗と柳雨が連れ立って登校すると、牡丹組の教室前に人だかりが出来ていた。声を潜めて囁き合う生徒や、顔をつきあわせてスマートフォンを覗き込む生徒、嘲笑じみた笑い声を室内に向ける生徒などが群がっている。
「どうしたの? てか教室入れないんだけど」
「あ、赤猫くん。いまは入るのやめといたほうがいいよ。超修羅場だから」
「修羅場?」
桐斗に答えた女子生徒が、場所を少しあけて中を指した。
教室内では那々群音夢と玉野井佐由美が向き合っており、佐由美のほうに二人の女子生徒が味方するように立っている。更にその傍では、杉谷英慈とその友人の男子生徒が困惑したような顔で所在なげにしている。
「こないだしつこく玉野井さんから好きな人聞きまくってたから怪しいと思ったんだ。早速杉谷にすり寄ってたし。わかりやすいんだっつーの」
「てかさあ、アンタがいままで人の彼氏寝取りまくってたの、もう皆にバレてるから。今更清純ぶっても無駄なの、わかんない?」
「ずっと下半身でもの考えてきてたからわかってないっしょ。まだ自分イケてるとでも思ってんじゃない? あり得ねーから」
「こんなヤリマン援交ブスのこと処女だと思わされてた野郎共、超憐れじゃん。やべー壷とか買わされんなよ」
最後にとんでもない悪態を吐くと女子生徒は呆然と佇む男子にひらひらと手を振り、教室を去って行った。後ろ姿でわからなかったが、彼女たちは菖蒲組の生徒だ。
「那々群さんってそういう子だったんだ……もう付き纏わないでくれるかな」
音夢と名前で呼んで彼氏らしく振る舞っていた英慈からの、突き放したような一言を皮切りに、周囲の男子生徒たちからも「清楚系ビッチってやつだったんだな、最悪」や「騙されたオレらも悪かったかもだけどさ、普通に人の彼氏寝取るのが趣味とか、性格ブスにもほどがあるだろ」といった声があがる。
音夢は悔しそうに歯噛みをして涙目で佐由美を睨むと、荒っぽい足音を立てて教室を出て行った。
そしてこの手の修羅場は、牡丹組に留まらなかった。
菖蒲組では入賞を横取りした遠野令美が皆の前で自らの絵を破り捨てて、勢いのまま退部。芒組ではレギュラーを奪って事故に遭った朝間直春の元に、木戸晃太が見舞いに訪れた。晃太が「戻ったらまた一緒にサッカーしよう」と告げたその夕方、朝間直春が病院を抜け出し、自宅で首を吊って自殺をする騒動があった。家族がすぐ見つけたため未遂で済んだが、晃太は部員から無神経すぎると責められる事態が起きる。
やはり一度絡まった縁の糸は、怪異が去ってもすぐに元通りとはいかなかった。だがそれでも、いままで通りであろうとする人たちもいた。
そうした人たちが、また新しく正しい縁を結び直したことで、また鬼灯高校に日常が戻っていくのだった。