対価は真実一つ
玉野井佐由美は、帰宅するなり自室に飛び込み、ベッドに突っ伏して静かに泣いた。枕に涙と籠った泣き声が染みていく。
信じていた。友達だと思っていた。応援してるという言葉を鵜呑みにして恋の相談を真面目にした自分が、あまりにも惨めで馬鹿馬鹿しかった。
親身になるふりで内心馬鹿にされていたのだと思うと、悔しくて仕方ない。どうにか同じだけの屈辱を味わわせてやりたいと思うものの、それが難しいことは佐由美自身が一番良くわかっていた。
何故なら、音夢と連むようになってから一度だけ別クラスの女子が「音夢とはあまり関わらないほうがいい」とやんわり忠告してきたのだが、他ならぬ佐由美が彼女たちを信じなかったのだ。音夢は親切でいい子だと思い込んでいたし、音夢も普段から周りにそう評価されるように振る舞っていたから。
そんな佐由美が、彼女たちと同じことをしたところで、誰も信じないだろう。嫉妬かなにかで音夢の悪口をばらまく嫌な女として見られるのは明らかだ。
「でも……っ、このままなんて絶対嫌……」
手を伸ばして床に放った鞄からスマホを引っ張り出し、気晴らしになりそうなものがないかと指先でネット上を彷徨う。暫くして佐由美は『嘘屋』というサイトを見つけ、何の気なしに開いてみた。
「あなたの真実一つと嘘一つを交換します? なにこれ」
所謂都市伝説系サイトらしく、朱い鳥居の下に『嘘屋』と筆文字のようなフォントで題字が記され、その下にサイト案内がリンクされていた。
内容は専用フォームの『真実』欄に自分が対価に差し出せる真実を書き込み、『嘘』欄にほしい嘘を書き込んで送信すると、真実と嘘が入れ替わるというものだった。
例として、真実側に『酒を飲んで暴力を振るう父親がいる』と書き、嘘側に『父親はいない』と書くと、父親の存在が消えて無くなるらしい。或いは『父親は優しくて働き者』といった内容でもいいようだ。
しかも、いなくなるといってもその日のうちに死ぬのではなく、初めからいなかったことになり、周りの反応も新たな真実に基づいたものとなるのだという。
嘘が真実になり、真実が嘘になる。それが本当なら、どんなにいいだろうか。
「そうだったらいいなっていうのを書き込んで、自分を慰めるサイトってことかな……いまの私にぴったりじゃん」
自嘲の笑みを浮かべ、のろのろと文字を打ち込む。
いま現在がこれ以上なく惨めで無様なのだ。ネットの誰に見られるわけでもない妙なフォームに書き込むくらい、どうってことない。
佐由美は真実の欄に『恋愛相談するくらい音夢と仲のいい友達だった』と書き、嘘の欄に『英慈くんの彼女は私』と書き込んだ。
一つ深呼吸をして送信ボタンを押すと、送信完了を告げる画面に『確かに、あなたの真実を一つ、頂戴致しました。代わりに嘘を一つ、差し上げます』と表示された。
「凝ってるなぁ……昔はこういうオカルトサイトとかたくさんあったみたいだけど……いまはSNSばっかだもんね、そういえば」
胡散臭くはあるが、気晴らしにはなった。
現実は変わらないし、明日になればまた勝ち誇った音夢と顔を合わせることになるのだろうが、佐由美の中で友達だった事実は嘘になったのだから、何の関係もない。
「そうだよね……アイツは友達でも何でもないんだし、どうでもいいや」
足を軽く上げて反動で跳ね起き、ベッドから降りると佐由美は着替えを引っ掴んで、風呂場へ直行した。嫌な気分も泣き腫らした痕も全て洗い流そうと思ったときには行動していた。
佐由美の敗因は、自分で行動しなかったこと。迷ってばかりいたこと。
いまでも胸は痛むし、音夢の自分を見下す笑みを思い出すだけで腸が煮えくりかえる想いは変わらない。けれど。
「明日落ち込んだ顔で登校したら、アイツ絶対また馬鹿にするに決まってる……」
朝からそんな目に遭いたくはない。
すぐ気持ちを切り替えられるほど器用じゃないし、抱えてきた片想いはそんな簡単なものじゃなかった。だからこそ、表面上くらいは平然と出来るようになりたいと、強く思う。
シャワーの湯気に紛れさせて溜息と共にモヤモヤを吐き出すと、佐由美は泣いた痕が僅かに残る頬にお気に入りの化粧水を叩き込んだ。これを買ったときは、使い切ったら告白しようかな、なんて思っていたのに。
――――翌朝。
気分が晴れないまま目覚めた佐由美は、スマホ画面を開いて思わず目を瞠った。
其処にはあるはずのない英慈の連絡先が当然のように存在しており、しかも英慈から『迎えに行くから一緒に学校行こう』とメッセージが来ていたのだ。
「え……? なに? どういうこと?」
昨日の今日で、音夢と結託して自分を笑いものにするつもりなのだろうか。それとも音夢となにかあったのか。はたまた音夢から英慈のことが好きだったことを聞いて軽くつまみ食いでもしようというのか。
もしそんな人だったなら、今度は自分の見る目のなさを呪う羽目になりそうで朝から憂鬱で仕方ないのだが。いったいどんな意図だろうかと、画面を睨む。しかし、機械の文字は相手の感情を音声ほど伝えてはくれない。いくら粘ってもわかるはずもない。
何にせよいまはどうにも出来ないので返事は『わかった、待ってるね』とだけ送り、どんなひどい仕打ちをされようとも、彼らはそういう人間なのだと自分に言い聞かせるつもりで朝の支度を進めた。
そして家を出る時間になると、見計らっていたかのように呼び鈴が鳴った。しかも、それだけではなかった。
「あら。早速一緒に登校するの? 仲良しねえ」
「えっ」
朝食を取っていた母親が、微笑ましそうな目で佐由美を見る。
当然、個人的なメッセージを見せた覚えもなければ昨日の音夢との出来事を話してもいないし、ましてや自分が失恋したことも話していない。そのはずだ。
「違うの? 昨日、彼氏が出来たってうれしそうに報告してくれたじゃない」
「!? そ、そうだっけ……?」
「そうよ。浮かれてて恥ずかしいからってなかったことにしなくてもいいでしょうに」
「そういうわけじゃ……」
靴を履いている背後で、母親の弾んだ声がする。記憶にないことをさも本当にあったことのように話されるのは、何とも気味が悪い。思い当たる節はあるにはあるが、あのオカルト風のサイトは『こうだったらいいな』を書き込んで気晴らしをするサイトではなかったのか。
なにが来ても動揺しないように覚悟を決めて玄関を開けると、本当に英慈が門の前で待っていた。




