淵からの呼び声
――――夢を、見た。
行けなかった肝試しに、なぜか参加している夢。夢を見ている最中は、それを夢だと自覚出来ないものだと思っていたが、このときははっきり夢だとわかっていた。
門の前で中を覗いて、その佇まいに臆しながらも踏み出していく緊張感が、生々しく肌に突き刺さる。
「お前もなんか持って行けよ」
物置小屋で、陽斗に声をかけられた。場所を空けてくれたので、促されるまま小屋の中を見る。そこには陽斗たちが持っていたもの以外にも色々置かれていた。
湊たちと同年代くらいの男の子がいたのだろうか、玩具の類も雑多に積まれていて、その中に古びた金属バットがあることに気付いた。それを手に取ると、まるでいままでずっと大事に使っていた相棒であるかのように、手に馴染んだ。
「お、いいもん見つけたな」
物色のあとは、動画で見たように、女子二人に心配されながら本邸へ向かう。
そのあとも、動画をおさらいしているような展開が続いた。ただ、動画で見た異変は何一つ現れなくて、恐らく陽斗たちが体験していたであろう「暗いだけでなにもない」ただの廃墟探検でしかなかった。
子供部屋を開けたときの反応も同じで、そして、湊は初めて彼らがなにを見たのか、ここで理解した。
「な、んだこれ……」
動画では、がらんとした部屋が映っていただけだったのに、目の前には無数の人形が入口を向いて並んでいる。長い黒髪、真っ白な肌、端切れで作った着物に、うっすらと笑みを乗せた赤い口元。ただでさえ恐ろしく見える日本人形が、この状況に加えて畳が見えなくなるほど敷き詰められていた。
湊が動けずにいると、突然奏汰が暴れ出した。動画ではなにもない空間を蹴散らしていただけだったが、いまは違う。恐怖と驚愕で固まっている湊の目の前で、並べられた人形たちが無残にも壁に叩きつけられ、蹴り飛ばされ、バラバラにされていく。
一通り破壊して落ち着いた奏汰が振り返ると、眉を寄せて外に出てきた。
「は? アイツらなに勝手にいなくなって……」
出入り口前に湊しかいないことに気付いて不機嫌そうに出てくると、廊下の奥を見て更に不機嫌さを露わにした。湊がそちらに視線をやれば、そこには莉子がいる。じっとこちらを向いて立っていたかと思えば奏汰に抱きつき、そして、離れへ導いていく。
「……っ!」
慌ててあとを追うが、夢に良くある不条理がこんなところで働いたのか、走ることが出来ない。足が重く、彼らと同じペースで歩くしかないため、少し距離を置いて背後を追うだけで精一杯だった。気ばかりが急いて、心臓が騒ぎ始める。
このまま離れに行ってしまえば、彼らは死んでしまう。止めたいと思う反面、なにが起きて死ぬような目に遭ったのか知りたい自分もいて、湊は必死にあとを追った。
「あ……!」
だが、間に合わなかった。
湊が追いついたとき、奏汰は離れの中に入ったところだった。莉子が振り返り、あの悍ましい顔で湊に笑いかけてくる。カメラを取り落としたせいで映像はそこで途切れてしまったが、夢には続きがあった。
「一緒ニ、イコウ」
手を差し伸べ、無機質な声で語りかけてくる。
湊が思わず後退ると、莉子は更に笑みを深めて裂けた口を大きく開いた。
「皆、待ッテルヨ」
ガタンと大きな音がして、弾かれたように音のしたほうを見る。扉の横にある格子がはめ込まれた小さな窓に、奏汰と陽斗、朱梨菜が血を流した状態で張り付いていた。
奏汰は頭が大きく抉れていて、陽斗は何度も殴られたように顔の形が変わっていて、朱梨菜は首が千切れかけている。にも拘わらず、いつもの調子で湊に笑いかけ、遊びに誘う感覚で気安く話しかけてくる。
「い……嫌だ! 俺は、お前らのところには行かない!!」
破裂したように叫んだ瞬間、がばりと跳ね起きた。
息が荒く、全身から冷たい汗が噴き出している。くらくらする頭を押さえて、辺りを見回して、湊は思わず叫んで立ち上がった。
「な、んだよ……なんで……!!」
無数の日本人形が、湊を見つめる向きで、周囲を取り囲むようにして置かれていた。しかも場所は、あの子供部屋だ。部屋の中は暗く、窓の外が赤く染まっていることから夕方頃なのだろう。だがいまの湊には、些末事を気にしている余裕はなかった。悪夢の続きが現実になったとしか思えず、襖に飛びついた。
立て付けの悪い襖をどうにか開き、廊下へ転がり出ると、脇目も振らず駆け出した。振り向いたらあの顔が傍にある気がして、足を止めたら彼らに捕まる気がして、黄昏に染まった屋敷を飛び出した。
一心不乱に走っていると、不意に視界の端に見慣れないものが映った気がして、足を止めた。あれほど奇妙なものから逃げたくて仕方がなかったのに、なぜかソレはやたら目についたのだ。
「なんだあれ……?」
怖々と、その見慣れないものに近付いて見る。どうやらそれは古いポストのようだ。
鬼灯町は元号が変わったいまでも昭和から平成初期、場所によっては大正時代の影が色濃く残る街だ。とはいえ駅周辺はそれなりに発展しており、設備等も時代に合わせて変化している。郵便ポストもまた、他の市町村同様四角いものに変わっているはずで、湊の目の前にある赤い円筒形のポストは、本来であれば公民館の資料室にしか置かれていないはずである。
「黄昏郵便……マジかよ……悪戯じゃねぇのか……?」
通常「郵便POST」と書かれている部分に掠れた文字で黄昏郵便と書いてあるそのポストは、今朝通ったときには見ていなかったはずなのに、まるでずっとそこにあって風雨に長く晒されたかのようにさび付いていたり、回収日時が書かれているプレートが抑々存在していなかったりと、色々奇妙な点が多い。
第一、いまは警察が町中を彷徨いているのだから、これほど大がかりな悪戯をしようものなら、設置しているところを見られて咎められているはずだ。なにもかも異様で、だからこそ却って説得力と現実味を感じてしまう。
怖々手を伸ばしてみるが、霞のように消えたりしない辺り、友人が死んだショックで奇妙な幻覚を見ているわけではないらしい。
指先に伝わるひんやりとした温度と、塗装が剥げてざらついた感触が妙に生々しい。
『現実的な解決方法が見つからない困り事を書いて送ると、助けてもらえるんだって』
帰り際に聞いた女子の噂話が、不意に脳裏を過ぎった。
あのときは非現実的で馬鹿馬鹿しい、いかにも噂好きの女子が食いつきそうな話だと思って気にしていなかったが、いまなら下らない噂にも縋りそうになってしまう。
「出してみるか……? いや、つーか俺、はがきとか持ち歩いてねぇわ」
可愛いもの好きな女子ならいざ知らず、便箋セットやら絵葉書等を持ち歩く習慣などあるわけもなく。諦めて帰ろうと顔を上げた湊の目に、またしても信じられない光景が飛び込んできた。
「ゆ、郵便局まであんのかよ……無駄に親切だな……」
つい今し方最悪の夢から飛び起きたかと思っていたが、もしかしたらまだ夢の続きを見ているのかも知れないと思い直す。しかし、夢なら夢で、都合の良いものがあってもそういうものだと思えるもので。同じ古い建物でも屋敷はあれほど恐ろしかったのに、郵便局は寧ろ安心感さえ覚えた。
「夢なら試してみるのもアリ……か……?」
あまりに突然友人を失ったせいで、色々と現実に気持ちが追いついていないだけだ。そう思い、ならばと古びた郵便局に足を踏み入れた。
幸いにして、寝入ったときの服装のままだったため、ポケットに小銭が入っている。ペットボトルのジュースが一つ買える程度だが、はがきを買うには十分だ。
「すげぇ……時代劇みたいだな」
時代がかった木造の建物は、日本史の資料集でしか見たことがない風情をしている。写真は白黒だったが、昔の建物でも一応色はあるのかと、当たり前の感想が過ぎる。
中の作りは湊も知っている町の郵便局と大差なく、受付カウンターがあって、地域のイベントポスターなどが貼ってある掲示板があって、絵葉書が並んでいる回転ラックが片隅に置かれている。カウンターの奥には事務所らしき空間が広がっていて、正面には木製の壁掛け時計がかかっているのが見えた。
ただ、これだけ人がいそうな作りをしているにも拘わらず、中には人の気配がない。電子機器の類も殆どなく、機械らしきものは辛うじて黒電話が机上に見える程度だ。
「どうやって買えばいいんだ……?」
首を捻りながらカウンターに近付くと、小さな郵便ポスト型貯金箱の横に、賽銭箱が置かれていた。あまりに場違いでまじまじと観察してみれば、どうやらそれは賽銭箱を模した貯金箱のようだ。
その横に、手書きのポップが立てかかられているのに気付き、目を通す。
「なんだ……? お会計はこちら? って、こんなんでいいのかよ……」
どうも無人販売所と同じスタイルで販売しているらしく、ポップの「こちら」は件の賽銭箱に矢印が向いている。
「取り敢えず、買って書くか……」
無地のはがきを手に取り、ポケットの小銭を賽銭箱に入れる。小包を送ったりカード作成の手続きをするための物書き台で書かせてもらおうと、ペンを取った。
いざ願い事を書こうとして、何と書けば良いものかなかなか思い至らず、暫く唸って悩んだ結果、シンプルな結論に至った。
『犬神やしきで死んだ友だちに、呼ばれなくなるように』
彼らが死んだことは取り返せない。それなら、いま願えるのはこれしかない。
所々漢字が思い出せず中途半端な表記になったが、そこには目を瞑って。
「そーいや神様にお願いするときって、自分の名前とか住所も言うんだっけか」
鬼灯町生まれの祖母に、幼少期から参拝マナーを教え込まれていたことを思い出し、宛名欄の片隅に、自分の名前と住所もしっかりと書き添えた。書き終えたはがきを手に郵便局を出ると、入口脇にあるポストに投函した。
――――確かニ、お預かり致しマシタ。
郵便局の奥からそんな声が聞こえた気がした瞬間、意識が真っ白に染まり、次に湊が気付いたときには、自室のベッドでぼんやりと天井を見上げていた。
「なんだ、やっぱ夢か……」
落胆と同時に安堵も覚えつつ、のそりと体を起こす。枕元の目覚まし時計を見ると、朝の支度をする時間が迫っていた。前日帰宅したのが一時間目の終了時刻くらいだったことを考えると、ほぼ丸一日夢の中にいたことになる。
「マジか……まぁいいや」
皺になった制服を一度脱いでバサバサと振り、簡単にしわ伸ばしをしてから羽織ると鞄を手に部屋を出た。居間にはいつもなら仕事でいない母がおり、朝のニュース番組を見ていた。
「あれ、珍しい」
「午前休をもらったのよ。お葬式は家族でってことだけど、陽斗くんのお家は在宅介護なさってるでしょう? 大変そうだからお義母さんとお手伝いに行くの」
「そっか……」
テレビを見ると、先日の事件に関する報道がされているところだった。現場の屋敷にカメラが詰めかけ、他局の報道陣が映り込んでいるのも構わず中継している。
彼らも同様に、やんちゃな若者が羽目を外したという方向で話を進めており、死者を悼む言葉が出てくることは、最後までなかった。
「あんたも落ち着いたらお線香あげに行きなさいね」
「……わかってるよ」
亡くなったと聞いた当初は、そのつもりだった。ひたすら哀しくて、喪失感がひどく現実味がないとさえ思っていた。けれど、いまは少し違う。哀しいことは哀しいけれどそれ以上に関わりたくない気持ちのほうが勝ってしまっていた。友人に対し「死ぬなら人を巻き込まないでお前らだけで死んでてくれ」なんて思いたくなかったのに、いまは切実にそう願うことしか出来ない。
「行ってきます」
靴を履いてから、何の気なしにポケットを探った。
そこにあったはずの小銭は、はがきを買った分だけ減っていた。