準備の準備
鬼灯高校にも、文化祭はある。クラスや部活単位で出し物をし、外部から客を招く。準備期間が始まれば、休み時間等の話題は何処のクラスがなにをやるか、何処の部活はなにをやるかといったものが多くなる。話し合いの段階から喧々囂々、何処のクラスも賑やかに事が進んでいく。
一年桜組は、紆余曲折あってけも耳和風喫茶ということになった。和の要素を衣装とメニュー、内装に取り入れた、所謂コスプレカフェの一種である。
「役割分担はどうする?」
教壇に立ち、担任である神蛇の代わりに学級委員が指揮を執る。
黒板には見出しとして『ホール』と『キッチン』の二つが書かれており、その中間は数行にわたって文字が書けるだけの間があいている。
「私、キッチンやりたい! バイトがファミレスのホールだから、文化祭でまで接客はやりたくなくて」
「わかるー。じゃあ、私もキッチンがいいかな」
「あたしはホール行きたい。コスプレ一度やってみたかったんだー」
積極的な生徒が次々挙手をして、黒板に名を連ねていく。と、教室の中央付近にいた女子生徒―――汐見仁菜が千鶴たちがいる辺りを振り返り、二度目の挙手をした。
「はーい! 四季宮さんと織辺さんと大御門くんもホールがいいと思いまーす!」
「えっ……」
「大御門くんの和装は確かに見たいかも。弓道部って、あんまり見学に押しかけられるイメージないし……」
「だよね。めっちゃ集中するやつでしょ? ホールなら全然余裕で見れるし」
「織辺さんの和ロリとか絶対ヤバいじゃん!」
驚く千鶴を余所に、周りからも次々賛同の声があがる。とはいえ期待されているのは真莉愛と伊織だけのようだが、其処に何故自分も含まれたのか疑問に思いながらも口を挟める空気ではなく、困惑ばかりが募っていく。
学級委員が一度「静粛に」と声をかけ、千鶴たちのほうへと視線を送る。
「四季宮さん、織辺さん、大御門くん、どうですか?」
「まりあは、お料理だと足を引っ張ってしまうので……ホールをお手伝いしたいです」
「やった!」
真莉愛の返答に、思わずといった様子で仁菜が声をあげた。
「うーん……俺も別に、特に希望があったわけじゃないしな。千鶴はどうする?」
「え……と、二人が一緒なら……」
「はーい、決まり!」
学級委員でもないのに、またもや仁菜が決定の声をあげる。
苦笑しつつも学級委員は三人の名前をホール側に記していき、それからも次々役割が決まっていく。そうして、ホール担当が女子となり、男子は調理といっても事前に殆ど準備を済ませた食材を器に盛るだけと聞いて、コスプレ姿を晒すよりはと、内装準備とキッチン、それから客引き係に決定した。
最後に食材と衣装に使用する生地の予算を分配し、内装と大道具と小道具の準備は、調理にあまり貢献出来ない男子と一部の女子が担当を志願した。
「ねえ、織辺さんって手芸部だったよね? 手芸部ではなんか出展するの?」
話し合いの時間が終わり、休み時間になったことを告げる鐘の音が鳴り終わったのとほぼ同時に、仁菜が真莉愛の元へ駆け寄ってきた。
「はい。でも、普段の活動で作ったものを展示して、一部を頒布するだけなのです」
「そっか。じゃあ、衣装監督もお願いしていいかな? 型紙があれば作れる子はわりといるんだけど、デザインってなるとなかなか難しくてさ。縫い上げるのは朋香と夕子がバリバリやるって言ってるから」
その言葉と共に仁菜が背後に視線をやると、教室の片隅で雑談していた三刀屋朋香と七瀬夕子が、ひらりと手を振った。そして朋香のほうが立ち上がり、声を張り上げる。
「ごめーん! うちら超画伯だからさー! デザイン画とかほんっと無理でー!」
「知ってるー! 二人してトラウマ量産機じゃーん!」
仁菜が笑いながら答えると、二人は「返す言葉もねー!」と笑い転げた。その様子を笑って眺めてから再び真莉愛に向き直り、顔の前で手を合わせる。
「そーゆーわけだから、お願い! その代わりっちゃなんだけど、ちょいちょいうちのお勧めの差し入れ持ってくるからさ」
「はい。デザインラフが出来たら、ホールの皆さんにお見せして、それから型紙を作り始めますね」
「ありがと! マジ助かる!!」
言いながら真莉愛に拝む仕草をし、暫くそうしていたかと思うと、ふと千鶴を見た。
「四季宮さん、裁縫は無理なんだっけ?」
「え、と……はい……あまり力にはなれないです……」
「んじゃ、小道具手伝ってもらっていい?」
仁菜の言葉に千鶴が頷くと、成り行きを見守っていた伊織が続けた。
「なら俺は、千鶴を手伝うよ。手が空きそうなら大道具のほうも見るし。一人くらいは自由に動ける奴がいたほうがいいだろ」
「おっけおっけー。じゃあそんな感じでよろしく!」
元気に言うと、仁菜は学級委員に今し方の会話で得た分担を伝えに行った。どうやら彼女は学級委員の生徒と仲が良いらしく、その後も器用に手を動かしながら雑談に花を咲かせている。
その日は一日中文化祭の話題で持ちきりとなり、授業中もどことなく浮ついた空気に苦笑する教師もいれば、一緒になって話題に乗り、生徒に授業時間の半分を費やしたと指摘される教師もいた。
「真莉愛ちゃん、衣装はどんな感じにするの?」
放課後、荷物を纏めながら千鶴が訊ねると、真莉愛は迷う素振りもなく答える。
「袴風のワンピースにしようと思います。サイズだけ変えて、デザインは同じにして、小物で少しずつ差を出せたらと考えています」
「凄いね……もう其処まで考えてるんだ」
千鶴に褒められた真莉愛が、うれしそうにはにかんだ。
手帳より少し大きいサイズの無地のノートを開くと、真莉愛は空白のページに鉛筆を走らせ始めた。授業に使うものより少し濃いめの、3Bと書かれた鉛筆が紙面を踊り、真莉愛の頭の中にある絵を形にしていく。
「だいたいこんな感じで……和服はえれなのほうが詳しいので、帰ったらアドバイスをもらおうと思います」
「え、これで完成じゃないんだ?」
「はい。これは縫製を考えていないデザインイメージですので。実際に縫うとなると、どう型紙を取るかも考えないといけませんから」
「そっか……立体と絵だとやっぱり違うんだね」
言われてみれば当たり前のことだが、服にするには縫わなければならない。服として形にするには、平面であってはならない。
いま自分が着ている制服を始め、世にある様々な衣装は多くの手間をかけて作られているのだと、千鶴は改めて実感した。
「今日は、真っ直ぐ帰るの?」
「はい。えれなと一緒に帰る約束をしています」
「そっか。わたしは部活だから、英玲奈ちゃんによろしくね」
「わかりました。明日の朝は、ご一緒しますか?」
真莉愛の問いに、千鶴は少し考えてから頷いた。それだけで、真莉愛は満面の笑みで喜ぶ。
「おチビちゃん、迎えに来たぜ」
花が咲いたような真莉愛の笑顔に和んでいると、教室入口から声がかかった。見れば桐斗と柳雨が鞄を片手に室内を覗き込んでいた。
「先輩」
千鶴のクラスメイトは慣れたものだが、教室外からの視線は未だに痛い。だからこそ夏休み明け以降は、出来るだけ誰かと行動するようにしているのだが。
傍まで行くと、遠巻きにヒソヒソ話す気配を感じた。毎度のこととはいえ、こうして噂されるのには慣れる気がしない。
柳雨と桐斗が並んで歩く後ろを、真莉愛と並んでついていく。階段を降りきって一階昇降口前まで来ると真莉愛と別れ、ふたりのあいだに挟まれる形で部室を目指した。
「おチビちゃん連れてきたぜ」
ぺこりとお辞儀をしつつ、部室に入る。中には既に伊月と桜司が揃っていて、神蛇は文化祭に向けての職員会議があって来られないようだ。
それぞれ所定の位置に座り、桐斗が背後のカラーボックスからボードゲームを適当に選別しながらのんびりと話し始める。
「小夜ちゃん先生も大変だよね。文化祭が近いからさー。僕のクラスは慣例に沿って、猫耳メイドカフェになったよ」
「自前で行けんじゃん」
「言うと思ったよ!」
ふたりのやり取りに思わず千鶴が笑うと、桐斗がわざとらしくふくれっ面を作った。しかしその顔は楽しげな笑みを浮かべ始めており、不服を装った表情はあっという間に笑顔で上書きされてしまう。
「オレ様のクラス、第二グラウンドでたこ焼き屋やることになったぜ」
「いいなー。でもあれ、作るのにちょっと技術いらない?」
「なんかうち、駅前のたこ焼き屋でバイトしてるヤツが五人くらいいてさぁ。作るのはソイツらに任せて、他は売ったり呼び込んだりって感じだな」
「お主ら、当然のように参加するのだな」
楽しげに話している柳雨と桐斗に、桜司が感心したように呟いた。ふたりは一瞬顔を見合わせてから、いま気付いたといった様子で「そういえば」と声を揃えた。
「だって僕、学校生活なんて初めてだし。人間は好きじゃないけど社会生活には普通に興味あるし」
「お主はそうであろうよ」
「えー、オレ様?」
わかっていて茶化す柳雨をじっと見据える桜司に、柳雨はへらりと笑って事も無げに言う。
「気が変わった。つーのと、こういうときにスカしてっと、却って絡まれるからなー。テキトーに合わせてテキトーにかわしてると、案外面倒がねぇのよ」
「それね。ちゃらけたイベントなんか興味ありませーんみたいな顔してたうちの真面目眼鏡くん、ずっと非難の視線浴びまくってたし。集団生活する空間で非協力的なのって滅茶苦茶目立つもん」
「龍神サマはその辺上手くやってるよな。病弱設定は最強だわ」
「……設定じゃない」
会話のあいだ本を読んでいた伊月が、小さく呟いて抗議をした。
彼は柳雨の霊峰にいた鴉たち同様、清浄な空気の中でこそ本調子でいられる神族で、人里では激しい運動が出来ない性質である。それを病気がちであるとして体育は見学、体育祭も便宜上応援係となり、文化祭は出来そうな準備を手伝うのみとして免除されているという。
其処で、視線が桜司に集まった。
「……我は、どういうわけか喘息と頭痛持ちということになって居る」
「ぶっ……! なんでまた」
あまりに似合わない繊細な病状が飛び出てきて、柳雨が隠しもせず噴き出す。桜司は眉間の皺を深くさせながら、ボソボソと続けた。
「気付いたらそういうことになっていた。騒音や光に弱く、埃っぽくなりやすい空間が苦手……らしい」
「ふっ、くくっ……ヤベェ、面白過ぎ……」
忘れがちだが桜司の見た目は、白髪に金色の瞳、白磁の如き肌と細めの長身なのだ。黙ってさえいれば繊細な美青年で、その上で賑やかな空間をそっと避けていれば誤解もやむなしである。
面倒なので否定せずにいたら「参加は無理しなくていいから、知り合いとかにうちの宣伝だけしてほしいな」と大層気遣われたようだ。
「で、おーじのとこはなにすんのさ?」
「演劇だとか言っておったな」
「あはは、確かに。喘息持ちに演劇はちょっとハードだねー」
ぶすっと不機嫌さを露わに黙り込んだ桜司の手を、千鶴がすかさずやんわりと握る。途端に表情が緩んだのを見て「随分と簡単でいいな」と誰もが思ったが、口にする者はいなかった。




