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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
肆ノ幕◆夢みるオルゴール
43/65

日常

「ただいま戻りました」


 英玲奈と雛子が部室に戻ると、舞桜がハッとして顔を上げた。

 柳雨は必要以上に人を構わないため、手持ち無沙汰でずっと待っていたらしい。長い横髪が一房、指先で散々にいじり回された跡が残っている。


「英玲奈ちゃん、雛子ちゃん、先輩は……」

「祓うことは出来ました。あとは彼次第です」

「そっか……ありがとう。私、今回は何にも出来なかったな……」


 落ち込む舞桜に、英玲奈は淡く笑って言う。


「あなたはこれから、他の誰にも出来ないことが出来るじゃないですか」

「え……?」


 なにかあっただろうかと舞桜が首を傾げると、英玲奈は「赦すことです」と告げた。


「あなたが受けた被害を赦すことは、他の誰にも出来ないことです。当然、伊織さんも同様に、ですが。あなたの赦しはあなただけのものですから」

「赦す……」


 言われて思い至ったが、超常のオルゴールが原因だったとはいえ物理的に傷を受けたことに変わりはない。部室で襲われて、自宅前で待ち伏せされて、追いかけ回されて。わけもわからず、ただただ恐怖と不安に満ちた数日だった。

 そんな想いをした本人だけが、彼を赦すことが出来る。言われてみれば当然だった。


「すぐに気持ちの整理がつくかはわからないけど……元通りになるなら、先輩も一緒のほうがいいから……」

「ええ。勿論、無理にとは言いません。いまは帰ってゆっくり休むことです」


 舞桜が立ち上がるのに合わせて、英玲奈が部室の扉に手をかけた。からりと軽い音を立てて扉を引き開ければ、その先は舞桜の家だった。丁度玄関扉を開けて家の中を見たときと同じ光景が、部室と地続きで広がっている。


「えっ……」

「どうぞ。一度きりの帰路です」


 またバスを使って帰るものだとばかり思っていた舞桜は、一頻り驚いてから英玲奈に力の抜けた笑みを向けた。

 考えてもわからないことや、訊ねても答えが得られないことはたくさんあって、いま目の前で起きている現象もきっとその類なのだろうと、不思議なくらい確信出来る。

 ならば、現世に生きる舞桜に出来ることは一つだけだ。


「ありがとう」


 礼を言って、忘れること。

 そして、日常へ帰ること。


「先輩も、お世話になりました」


 部室の内へ向けて一礼し、一歩外へ。背後で扉が閉まる気配がしたが、舞桜は決して振り返らず、家の中に「ただいま」と一言、いつも通り声をかけた。

 何事もなかったように夜を過ごし、床につく。明日にはまた、元通りの日常が戻っていると信じて。眠りが傷の痛みを和らげてくれると信じて。


「……はぁ……ちょっと早く起きちゃったな……」


 時計の針を恨めしそうに見つめながら溜息を零し、身支度を調える。ポニーテールに結い上げた長い黒髪が揺れ、制服の襟に掠めて乾いた音を立てた。

 いつも通りの日常。いつも通りの朝。そして、いつも通りに朝練へと向かう。其処にいつも通りの光景が広がっていることを願いながら。


「おはようございます」


 しかし、道場前で声をかけて中に入ると、先輩たちが既に殆ど揃っていた。もしや、遅刻してしまっただろうかと慌てて時計を確かめるが、一年生が準備に来るべき時間で間違いない。


「先輩……どうしたんですか?」

「昨日部長と話し合って決めたんだが、一年だけに準備をさせるやり方を変えることにしたんだ」


 舞桜の疑問に、二年生の海津が代表して答えた。


「なにかあったとき、部員だけじゃ対処仕切れないってわかっただろ? 一年だけなら尚更だ。だから、一年の他に上級生も持ち回りで準備に参加することになったんだ」

「そうだったんですね……」

「顧問が新たに決まったら、また変わるかも知れないけどな」


 説明を終えた海津に、一先ず着替えてくるよう言われ、舞桜は一度「失礼します」と声をかけてから更衣室に駆けていった。

 扉を開けると、無人の更衣室が舞桜を出迎えた。弓道部の女子部員は、舞桜と伊織の二人のみ。伊織が休部すれば、この更衣室を使うのは舞桜だけになってしまう。しかしそれは逆もまた然りである。だからという理由だけではないが、舞桜も伊織も休まずに参加してきた。


「よし、がんばろ」


 気合いを入れ、胴着の襟を正すと更衣室を出た。

 先輩たちに混じって部室の掃除と道具の準備を整えていると、ざわめく気配がして、ふと手を止めた。顔を上げ、近くで立ち止まっていた先輩の視線を追う。


「あ……」


 其処には、気まずそうな表情で立ち尽くす西園がいた。舞桜が反射的にビクリと肩を竦ませたのを見て、先輩たちが舞桜の前を塞ぐように立ち、西園を見据える。

 西園は其処から一歩も動くことなく、綺麗に九十度、思い切り頭を下げた。


「すみませんでした」


 後輩しかいないこの場で、西園は目上に向ける言葉でもって謝罪をした。そして頭を下げた格好のまま、静かに続ける。


「此処数日のことは、しっかり覚えています。何故あんな真似をしたのか……自分でも理解出来なくて……ただ、俺が部に迷惑をかけたことに変わりはありません。退部届は此処にあります」


 そう言うと、鞄から辞表のような形に整えられた退部届を取り出した。

 西園は顔を上げると部員たちを真っ直ぐに見据え、苦しげな表情で言う。


「神薙。本当に済まないことをした。……あんな恐ろしい想いをしたんだ。俺がいては部活に集中出来ないだろう。神薙が弓道を大切にしていることは、俺も良く知ってる。だから……」

「西園先輩」


 僅かに皺の寄った退部届を、道場隅の道具置きに置いて去ろうとした西園を、舞桜の声が引き留めた。部員たちが振り返り、西園と舞桜のあいだに視線が通るようになる。


「……先輩にされたことは忘れられないし、怖かったのも事実です。私、あんなふうに思われてたんだって思ったら、哀しくて……」

「それは……」


 西園が口を開きかけたのを、舞桜が首を振って遮る。


「でも、あれは先輩の本心じゃないってわかりましたから……だから、もういいです。卒業まで僅かですけど……私は、また先輩に指導して頂きたいです」


 驚きに目を瞠り、西園は舞桜を見つめたまま固まってしまった。

 豹変していたときの記憶は鮮明に残っており、当然、舞桜にしたことも覚えている。腕力と恫喝で押しつけ、ひどいことをした。謂れのない暴言を吐き、尊厳を傷つけた。あらぬ風説をまき散らし、深く傷ついているところへ追い打ちをかけた。

 だというのに、舞桜はいままで通りを望むのか、と。


「一番の被害者である神薙がそう言うなら、俺らもそれは受け取れないな。大御門からさっきメールがきて、放課後の練習には出られるそうだ。それと、西園先輩」


 今度は、西園が肩を跳ね上がらせる番だった。自分の名を呼んだ海津を怖々見れば、呆れと諦め、それから何処か慈悲を滲ませた表情で西園を見ていた。


「調子が戻ったんなら、また色々教わりたいそうです。……本当、うちの後輩は出来た奴ばかりですね」


 海津の言葉に、西園はとうとう耐えきれずに涙を零し、その場に膝をついた。嗚咽が道場の空気を静かに震わせ、部員たちは誰ともなく顔を見合わせる。

 舞桜も伊織も、彼女らにしか出来ないことをした。怪異によって狂わされた日常を、元通りにするための『赦し』を。

 しかし結局、その日の朝練はあまり身が入らず、放課後に改めて気持ちを切り替えて行うことになった。項垂れる西園の肩に三年生の仲間が手を置き、言葉無く激励しては去って行くのを、舞桜は眩しい気持ちで見つめていた。

 もしも西園が、信頼に足る人物でなかったなら。たとえ舞桜が赦したとしても部活が元通りになることはなかっただろう。部員たちも彼の言葉を信用せず、本性が出ただけだと一蹴していたに違いない。こうして戻ることを赦されたのは、彼の人間性あってのことだ。


「舞桜、おはよう」

「おはよ」


 制服に着替え直して教室に入ると、友人がひらりと手を振って舞桜を迎えた。


「顔色良くなったね。例の先輩とか、もう大丈夫そう?」

「うん、ありがとう。先輩も加茂川先生に目の敵にされすぎてストレスだったみたい」

「そっか……舞桜もあの先生はウザいって言ってたもんね」


 友人の言葉には愛想笑いで誤魔化して、話題は他愛ない日常会話へ移っていく。またいままで通り弓道が出来そうだと言えば我が事のように祝福し、そうかと思えば来月に控えた文化祭へと話題が飛ぶ。脈絡なく隣のクラスでカップルが誕生したと言ったり、駅前のショッピングモールに新たなカフェメニューが増えたと言う。


「じゃあ、今度部活が休みのときに行ってみようよ」

「うん、行こ行こ。焼き芋スムージーは私も気になる」


 予鈴と共に担任教師が教室を訪うまで、舞桜は取り戻した日常を謳歌した。

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