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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
肆ノ幕◆夢みるオルゴール
39/65

不調

 結局朝練の時間ギリギリに目覚め、緩慢とした動作で朝の支度を終え、珍しくろくに朝食も口にしないまま家を出ることになった。伊織は出来の悪い作り笑いを張り付けて振り返り、見送りの寿子に声をかける。


「……じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」


 心配そうにしつつも丁寧にお辞儀をして見送る寿子の横で、赤い着物の幼子が伊織の後ろ姿をじっと見つめていた。

 部室棟に着いてまずすることは、部室の準備だ。既に舞桜を含む一年生が準備を開始していて、伊織もその中に交じる。と、伊織の前に人影が差し、顔を上げた。


「部長……?」


 もう先輩が来る時間かと思って焦る伊織だったが、彼の他に先輩の姿はない。部長の観月侑一郎はなにか言いたげな様子で、じっと伊織を見つめている。


「お前、凄く顔色悪いけど……大丈夫なのか?」

「ええと……はい。特に体調に問題はありません」


 そう答える伊織に、観月は訝しげにしつつも「そうか」と頷いた。


「……試合が近いからってお前がナーバスになるとは思えないけど、なにかあれば相談しろよ。俺に言いづらいなら他の部員でもいいから」

「ありがとうございます。ご心配おかけしてすみません」

「いや、いいんだ。お前が何ともないなら」


 準備が終わった頃合いに、先輩たちが到着する。その中に西園もいて、伊織に一瞥をくれると所定の位置についた。

 西園の放った矢は、小気味良い音を立てて真っ直ぐ正中を射抜いた。他の先輩たちも特に不調を見せる者は居らず、ややあって後輩たちに場所が明け渡された。

 二年が終わり、続いて一年の番になる。伊織も自分の弓を持ち、位置に着いた。だが弓にかけられた矢が、放たれることはなかった。


「大御門くん!」


 ぐらりと体が傾き、伊織がその場に倒れる。意識を失った伊織の元に、まず隣で射撃姿勢に入っていた舞桜が駆けつけ、遅れて部長も駆けつけた。顔色は紙のように白く、息も浅い。


「海津、担架持って来い! 新東は大御門の担任に連絡!」

「はい!」


 部長が部員たちに次々指示を出し、それに従い部員が駆け回る。舞桜は伊織の傍らで座り込んだまま動けずにいたが、ふとじっとりと絡みつくような視線を感じ、怖々顔を上げた。


「……っ!」


 視線の主は西園だった。彼はこれまで見たことがないような笑みで伊織を見下ろしており、舞桜は思わず目を逸らして俯いた。部員たちは忙しなさゆえにそれには気付いていないようで、担架が届いて先輩が二人がかりで伊織を乗せたときには、西園は部室を去ってしまっていた。

 朝の通学時間に保健室へ駆け込む道着の集団は、嫌でも衆目を集める。余所事などに構っている場合ではないため誰も相手にしてはいないが、ざわめく声はさざ波のように校舎中に広がっていった。


「さて。それじゃあ、練習中になにがあったのか聞いてもいいかな」


 協力して伊織をベッドに寝かせると、養護教諭の結城は部員たちに簡単な聞き取りをした。倒れる際に頭を打っていないこと、痙攣や嘔吐など激しい症状は出ていないことなどを聞いて、恐らくは過労ではないかと当たりをつける。


「練習開始前も、少し顔色が悪かったんです。でも、本人が大丈夫だって言ったので、無理はするなとだけ言って練習を開始しました」


 結城に答えていた部長が、勢いよく頭を下げた。


「すみません! 俺の監督不行き届きです……不調だってわかってたのに……」


 後悔を滲ませて呟く部長の肩に優しく手を置き、結城は「そんなに自分を責めるものじゃないよ」と諭した。

 結城は四十代半ばにして白髪が目立つ灰色の髪と穏やかそうな表情、それに見合った優しい声音の持ち主である。生徒のカウンセリングもしており、過去には何人か不登校生徒を復帰、乃至は保健室登校でも無事卒業させた実績も持っている。


「弓道部は、確かいま顧問がいないんだったね」

「……それは……でも」

「彼を戻そうというのではないよ」


 また加茂川が戻って来るのではと危惧した部員が口を開くが、結城はやんわりそれを遮った。


「私も何度か、彼の言い様に傷ついた生徒たちを診てきたからね。……ただ、やっぱりこういうときに責任を取れる大人がいないのは良くない。顧問制度は見直すとしても、誰かしらがいなければならないとは思うよ」

「……そう……ですよね……」


 誰かが倒れたとき。大怪我をしたとき。事故があったとき。生徒の力では、どうにもならないことがあるのだと思い知った。

 部長が、歯噛みしながらチラリと伊織を見る。部のエースで、期待の新人で、部員も自分も講師も彼に羨望と期待を押しつけてきた。それが負担になるのではと頭の片隅で思いながらも、いままでより良い成績を残せるかも知れないという欲が勝っていた。


「観月くん。皆も、反省会もいいけれど、そろそろ着替えて授業に行きなさい。あとは僕に任せて」

「……はい。大御門をよろしくお願いします」


 穏やかに、けれどしっかりと頷いた結城に一礼し、部員たちは保健室をあとにした。


「君も、一限は休んで行きなさい」


 結城が声をかけたのは、先ほどからじっとベッドの傍らで俯いていた舞桜だ。舞桜は伊織に負けず劣らずのひどい顔色で伊織を見下ろしていて、結城の声かけにも、僅かに眉を寄せるだけ。声に答えるどころか、顔を上げる元気すらないようだった。


「……どうして……西園先輩は……」


 そう呟いた刹那、舞桜の目から涙が伝い落ちた。

 結城は、扉の前に『只今カウンセリング中』と書かれた札を下げてから舞桜の傍まで行くと、そっと肩に手を添えて机の傍まで誘導した。そしてカウンセリング用の椅子に座らせてから、自分も正面の椅子に腰を下ろした。


「最近の部活でなにがあったのか、話してくれるかな」


 舞桜は虚な表情で一つ小さく頷くと、ぽつりぽつりと話し始めた。

 最近不調だった西園が、加茂川にいつものように嫌味を言われたこと。その翌日に、三年生を煽動して、加茂川の横暴を訴えに行ったこと。加茂川を部から追い出したかと思ったら、今度は彼自身が加茂川のような嫌味を伊織に言い出したこと。

 そして――……


「……着替えの途中で、西園先輩が更衣室に乗り込んできて、急に……っ」


 言葉を詰まらせ、思わずといった様子で零れた涙を慌てて袖で拭う。

 あのとき西園に言われた言葉は、舞桜にとっては何の謂れも覚えもない暴言だった。思い出すだけで胸が痛み、体が震える。


「ごめ……っ、なさ……」

「大丈夫。言いたくないことは言わなくていいから、ゆっくりね」

「っ……はい……」


 ゆっくり呼吸を整え、最後に一つ大きく深呼吸をしてから、舞桜は話を再開した。


「制服を破かれて、身に覚えのない暴言を吐かれました……」

「そうか。……どんなことを言われたか、話せるかな」


 舞桜は暫く悩んでから、重々しく口を開いた。

 言葉にしようとするだけで唇が震えて仕方ないが、もう自分の中だけで処理するには限界だった。


「見た目を武器にしてるとか、体で点数稼いでるとか……前に、加茂川先生に言われたことと、殆ど同じことを言われて……」


 止まらない涙を必死に拭いながら、舞桜の頭の中では西園に言われた涙を見せて人を思い通りに動かしているといった言葉が響いていた。泣けば可愛がってもらえることを理解して泣いているのだと、周りにはそう見えるのだと思えば思うほど苦しくなる。


「ふむ。どういうわけか、西園くんが加茂川先生のような物言いをするようになったというわけだね。彼は確か、教師の覚えもいい優等生だったはずだけれど……」

「私も、そう聞いています。仮入部から夏休みくらいにかけても凄くお世話になって、試合の前なんかは、先輩だって大変なのに、一年生のことをよく見てくれていました。だから、実際ひどいことを言われても、まだ信じられなくて……」


 ストレスが人を変えるというのは往々にしてあることだが、あまりにも急激過ぎる。それに、加茂川のターゲットは西園だけではなかった。あの日、西園が急変する前日に嫌味を言われた生徒は、他に二人ほどいた。

 その二人は今日も変わらず部活に出ていて、特別不調にもなっていなければ、性格が変わったということもない。異変が起きているのは西園と伊織だけだ。


「西園先輩もですけど、大御門くんも、こんな倒れるなんて思ってなくて……」

「そうだね。私は、いまは本職の医者ではないけれど、数日前まで普通に活動していた子には見えないんだよ」

「そんなにひどいんですか……?」


 結城は重く頷き、舞桜の背後にあるベッドが並ぶ辺りに視線を逃がした。


「いまの彼は、喩えるなら、三日三晩眠らずに激務を続けたような状態にあるんだ」

「え……」


 舞桜も思わず背後を振り返るが、カーテンが閉じられているため彼の様子を窺い知ることは出来ない。結城の言葉を反芻しながら、数日前の様子を思い返してみても、何ら異変らしい異変はなかったように思う。

 前に向き直り、肩を落として溜息を吐く。と、そこへ、控えめに扉をノックする音が割って入った。


「神薙さん、招いても大丈夫かな」

「はい」


 涙の痕は残っているものの、気持ちも若干落ち着いている。しっかり頷いた舞桜に、一言ありがとうと告げてから、結城は扉に向けて「どうぞ」と応答した。


「失礼します。伊織くんの鞄を持ってきました」

「ああ、君たちは桜組の……ありがとう」


 入ってきたのは昨日世話になった真莉愛と、その友人と思しき少女だった。真莉愛が舞桜に気付くと、ふわりと微笑み近くまできた。


「昨日ぶりです」

「うん。昨日はありがと。大御門くんのこと、気付けなくてごめんね……」

「いえ。舞桜さんのせいではないです。もちろん、伊織のせいでもないです」


 舞桜と真莉愛が話しているあいだに、もう一人の少女がベッドのほうへ向かっていく様子が見えた。カーテンを開けて伊織に声をかけ、そしてカーテンを閉めるその一連の動作を見送ってから、舞桜は真莉愛に「あの子は?」と訊ねた。


「千鶴です。真莉愛と伊織の大事なお友達です」

「そうなんだ……」


 再び、ベッドのほうを振り返る。閉ざされたカーテンの向こうから、微かに話す声が漏れ聞こえてくるが、なにを言っているのかまではわからない。暫くして声が止んだと思えばカーテンが薄く開き、千鶴が真莉愛を呼んだ。


「いま行きます」


 今度は真莉愛も含めてカーテンの奥へと消えていき、細く言葉を交わす声が聞こえてきた。相変わらず内容まではわからないが、所々の単語が僅かに漏れ伝わってくる。

 車。奥座敷。先輩。断片だけでは何の話か推測も出来ない。


「あの……伊織くんのお迎えをお願いすることになったので、ここで待たせてもらっていいですか……?」

「構わないけれど、君たち授業はいいのかい?」

「次は神蛇先生なので、さっき言ってきたんです。もしかしたら次は間に合わないかも知れないって……」

「そうか。それならどうぞ。神薙さんはどうする? 授業、出られそうかな」


 結城に訊ねられ、舞桜はしっかり頷いた。涙の痕も乾ききり、顔色も戻っている。

 立ち上がって一礼すると、舞桜は結城に「ありがとうございました」と言って、扉を開けた。

 結局、自分に出来ることはなにもないのだ。そう思うと、持ち直しかけた気分が再び重く落ち込んでいくのを感じ、舞桜は人知れず溜息を零した。

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