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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
肆ノ幕◆夢みるオルゴール

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37/65

異変

 翌日。オルゴールの力なのか、それとも妙な出来事のお陰で意識が加茂川の嫌味から逸れていたためか、最近ストレスによる浅い眠りが繰り返されていたのが嘘のように、ゆっくりと眠ることが出来た。目覚めも良く、頭に靄が掛かったような不快感もない。目覚める直前、明け方に見た夢では伊織が現れる以前の自分以上に整った姿勢で正中を射抜く姿を見た。

 久方ぶりの快眠に気分を良くしたまま朝練に挑むと、此方もまたいままでの絶不調が嘘のように正中を射抜けるようになっていた。

 冬の朝の空気にも似た冷たく清廉な風切り音を伴い、真っ直ぐに飛んでいく。


「……これなら……」


 イメージした通りに体が動く。望んだ場所へ矢が飛んでいく。

 昨日までのままならなさはいったい何だったのかと思うほどに。

 清々しい気分で朝練を終えた西園の元へ、不機嫌さを隠しもしない表情で、加茂川が大股で近付いてきた。周りの部員は、同情を滲ませながらも自分に矛先が向かなかったことに安堵し、目を合わせないように片付けを進めている。


「西園。お前まさか、先日までは手を抜いていたのか」

「……毎回真剣にやってますよ」

「だったら、何故昨日はあんな様だったんだ。一晩で別人じゃないか。ここまですぐに持ち直すとは……ドーピングでもしてるんじゃないだろうな」


 加茂川の言葉に、部室内がざわついた。西園が真面目に取り組んでいることは、部の誰もが知っていることだ。―――加茂川を除いては。なにより、高校生の部活とはいえ競技者にとってやってもいない、根拠すらないドーピングの言いがかりなど侮辱でしかない。


「言いたいことはそれだけですか」

「っ、な、なんだと!?」


 緊張の面持ちで見守る部員の前で、西園は呆れを露わに反論した。これまで加茂川に言い返す部員は一人もいなかったというのに。よりにもよって、大人しい優等生である西園が真っ向から反論したことに、他ならぬ加茂川が面食らった。


「先生は普段から口先だけなら何とでも言えるって言いますけど、それって先生自身のことですよね? いつもいつもグチグチと文句ばかりで実のあることはなにも言わないじゃないですか。顧問制度のために在籍させてもらえている立場だってことをいい加減自覚して頂きたいですね。指導員の先生さえいれば部はやっていけるんです。あなたの居場所も出る幕もないのに、なにを必死に指導者面しているのやら。挙げ句の果てに、勝手な妄想でドーピングなんて言いがかり……いまの先生の発言はしっかり報告させて頂きますので」

「な……な、なっ……」


 すらすらと、胸の奥から言葉が溢れては零れていく。

 いままで言いたくても言えなかった鬱屈した想いが、閊えを失ったかのように喉から滑り出てくる。僅かも迷いはなかった。寧ろ何故いままで我慢していたのだろうとさえ思うほどだ。

 なにも間違ったことは言っていない。加茂川は教師として役に立たないどころか部の士気を下げるばかりで、障害になっている人間なのだから。

 西園は突然の反抗に言葉を失って立ち尽くしている加茂川を一瞥すると、部員たちを見回して「皆もそろそろ教室に行ったほうがいいんじゃないか」と言い、自らも部室をあとにした。

 部員たちはハッと我に返ると、加茂川の矛先が向く前にと逃げるように退室した。


「……西園先輩……」


 そんなやりとりがあった部室の外。

 忘れ物を取りに戻ったものの入るタイミングを失い、一連の会話を聞いていた伊織が一人首を傾げていた。加茂川の理不尽な八つ当たりはいつものことだが、西園の変化はあまりにも突然で、異様だった。

 最後の試合が近く、気が立っていると言われればそうかも知れない。だが伊織には、彼の様子がただのストレスやプレッシャーによるものとは思えなかった。


「お帰り、伊織くん。忘れ物は見つかった?」


 釈然としない思いを抱えたまま教室に戻ると、千鶴が真莉愛と手遊びをしながら声をかけてきた。首を捻りつつ席に着き、小さく「いや……」と曖昧に答える。


「どうかしたの?」

「うーん……さっきちょっと、部室で先輩が揉めてたみたいで、入れなかったんだ」

「えっ、大丈夫……?」

「まあ……そんなに大袈裟な騒ぎじゃなかったから、大丈夫。授業で使うときまでには取りに行けるだろ」


 伊織のその言葉は、半分は自分に言ったようなものだった。別に何でもない。きっと試合が近いせいだと言い聞かせて、違和感に蓋をする。

 しかし伊織は、抱いた違和感が杞憂ではなかったことを、その日の放課後に思い知ることとなる。


「―――……え、加茂川先生が免職?」


 放課後。

 練習のために部室を訊ねた伊織の元へ、同輩の部員が慌てた様子で駆け寄ってきた。鬼灯高校弓道部では、まず一年が部室を開けて準備をする習わしがある。そのため現在部室にいるのは、伊織を含む一年生だけだ。


「なんかね、いままで加茂川先生が部員に言った暴言リストみたいなのが出てきて……それを証拠に教頭先生に相談して、もしこのまま継続させるようなら教育委員会とかに訴えるって言ったら、謹慎からの免職が決まったんだって。私も先輩に頼まれてなにを言われたか話したんだけど……」


 そう話すのは、伊織を除いて唯一の女子部員である神薙舞桜かんなぎまおだ。

 所謂アルビノの特徴を持っていて、普段は黒のウィッグとUVカット加工が施された黒のカラーコンタクトをつけて過ごしている。家が弓術道場で、舞桜の父親は若い頃にオリンピック強化選手にも選ばれたという、生粋の弓道親子だ。

 舞桜も加茂川に「体で点数は稼げないぞ」などといったひどい暴言を吐かれたことがあり、あからさまな態度に出しはしないものの、内心では疎んでいた。


「証拠や証言が山ほどあるとはいえ、即日謹慎っていうのも凄いな」

「……実はね、三年生の先輩方が皆で『最後の試合が近いのにこれ以上部にいられると結果に響く』って言いに行ったんだって。過去にも、加茂川先生のことを訴えた部員はいて、それをずっと黙殺してきたから、その辺をもっと上に言われると学校が危ないと思ったんじゃないかな」

「そうか……」


 加茂川は特別権力者の家系というわけでもなく、そういった誰かに顔が利く人間でもない。その辺りもあって、訴えが早く通ったのだろう。

 話しながらも、準備はしっかり進めていく。


「たぶんだけど、顧問制度の見直しもされると思うよ」

「まあ、でなきゃ謹慎中は活動出来なくなるしな」


 そうして弓道場が整った頃、西園を含む上級生が顔を出した。


「お疲れさまです」

「お疲れ」


 一年生が一斉に挨拶すると、上級生がそれに応える。そして、普段であればそのまま位置につくのだが、この日は違った。

 西園が伊織の元まで来て肩に手を置き、期待していると一言告げた。


「……? ありがとうございます」


 西園が個人的に声をかけたのは初めてのことで、伊織が困惑しつつも礼を述べると、西園はにやりとした笑みを口元に浮かべた。


「さあ、練習開始するぞ」

「はい!」


 くるりと振り返り、いつもの調子で部員に声をかける西園。だが伊織は、先の表情が気になってその場から動くことが出来なかった。


「大御門くん、どうしたの?」

「あ……いや、何でも……」


 今し方見た、西園の笑い方。口の端を吊り上げるあの笑い方は、まるで部員に嫌味を言っている最中に加茂川が見せていた、愉しげな笑みのようだった。とはいえ、それを口にしてなにかが好転するとは思えず、胸の内にしまい込んで練習を開始する。

 姿勢を正して弓を引き絞り、放つ。


「…………?」


 的中した矢を見た伊織は、僅かに目を眇めた。隣で同様に放ち終えた舞桜も、伊織の矢の位置を見て目を瞠った。


「大御門くん……」

「……いや、大丈夫。神薙は……相変わらず調子よさそうだな」

「うん……」


 結局その日は、一度も正中に至ることが出来ないまま練習を終えた。


「大御門」


 汗を拭き更衣室へ戻るその途中、西園が伊織を呼び止めた。振り向いた伊織の目に、嫌な笑みを張り付けた西園の顔が飛び込んでくる。練習前に抱いた違和感が実体となり目の前に立ち塞がっている現状に、伊織は更に警戒を強めた。


「どうした。不調そうだな」


 台詞だけなら案じているようにも聞こえるが、彼の表情がそれを否定している。口の端がつり上がり、目元には愉悦が滲んでいる。


「ええ、まあ……」

「お前は部のエース様なんだから、このままでは困るぞ。一年だからって甘やかされるような生ぬるい部じゃないんだ」


 やはり。と、伊織は思った。

 この表情。口調。そして激励に見せかけた嫌味の数々。いったい彼になにがあって、加茂川のやり方を倣うような真似をしているのかわからない。だが、いまの西園は部の士気を下げるためだけにいた加茂川と、全く同じだった。


「ご心配痛み入ります。先輩方のご期待に添えるよう、試合までには調整しますので。では、お疲れさまでした」

「……ふん」


 嘗て加茂川にしていたように、相手の言い分を激励と受け取って笑顔で礼を述べる。西園もまた、打っても響かないとわかるとそれ以上の言及を避けて引き下がった。


「……大御門くん、大丈夫だった?」


 更衣室に入ると、心配そうな表情で舞桜が近付いてきた。


「ああ、まあ、気にしてないから。でも、俺がなにか言われる分にはいいんだが、他の部員に飛び火したら顧問がいたときとなにも変わらないよな……」

「うん……それに、あんなに嫌ってた先生と同じことを先輩がするなんて……」

「それだよな」


 まるで、加茂川に取り憑かれたか、彼の跡でも継いだかのような変わりようだった。元の西園は部員に慕われた、良い先輩だった。この頃は試合が近い上に不調も重なり、苛立っている様子は見られたが、だからといって他の部員に当たり散らすような人ではなかったはずだ。

 困惑を口に乗せながら着替えていると、突然扉が大きな音を立てて叩き開けられた。肩を跳ね上がらせつつ振り返った先には、二人を睨みながら口元を笑みの形に歪めるという器用な表情をした西園が立っていた。


「先ぱ……」

「部のアイドルとエース様が、更衣室でコソコソとなにをやっているんだ?」


 驚いて固まっている二人の元へずかずかと歩み寄り、入口側にいた伊織の肩を掴んで押しのけると、西園は突然舞桜をベンチに押し倒した。


「きゃ……!」

「先輩!?」


 そしてあろうことか、舞桜の制服の胸元に手をかけると一気に引き千切った。


「ひっ……」

「その顔……お前はいつもそうやって、自分の容姿を武器にしてのさばってきたよな。唯一の女子部員で、紅一点気取り。涙の一つも見せれば皆が寄ってたかって可愛がってくれるってわかってやってるんだろ?」


 目に涙を溜めて、恐ろしさのあまり声も出せずにいる舞桜を見下ろしながら、西園は忌々しげに吐き捨てる。


「そんなに体がご自慢なら、いまここで滅茶苦茶にしてやるよ! このクソビッチ! どうせ何度も股開いて点数稼ぎしてんだろ!!」

「……っ、先輩! いい加減にしてください! 先輩はそんなことする人じゃなかったでしょう!?」


 西園を押しのけ、舞桜を庇いながら伊織が必死に叫ぶ。一瞬、西園の目が揺らいだと思ったが、すぐに憎悪を滲ませた目で伊織を睨んだ。


「おい、どうした!?」


 そこへ、隣の更衣室にいた男子部員が何事かとシャツを羽織っただけの格好で慌てて飛び出してきた。


「な……なにが……西園先輩……?」


 駆けつけた男子部員たちが見たものは、何故か女子更衣室に入り込んでいる西園と、制服を引き裂かれた格好で泣いている舞桜、そしてそんな彼女を庇っている伊織の姿。これだけでなにが起きたか察するに余りあるが、西園は意に介した風もなく部員たちに向き直ってこう言った。


「俺は大御門が神聖な部室でいかがわしい真似をしようとしていたので、止めに入ったまでだ。見ろ。こいつらは部室で抱き合うような間柄だったんだぞ。……こんなことがあっては仕方ない。大御門は、暫く謹慎だな」


 嬉々としてそう宣言すると、西園は扉の外で固まっている男子部員たちを押しのけて更衣室を出て行った。

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