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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
肆ノ幕◆夢みるオルゴール
36/65

正鵠


 真っ直ぐに的を見据え、迷いのない姿勢で射抜く。動作は至ってシンプル。ゆえに、僅かな迷いも許されない。

 正中を射抜いた矢を見届け、伊織は肩の力を抜くと一つ息を吐いた。


「ふぅ……」


 着替えを済ませて更衣室を出ると、数人の女子生徒が伊織を取り囲んだ。それぞれが手に可愛らしくラッピングされた箱や袋を持っており、伊織に差し出す。


「お疲れさま! これ、家政クラブで作ったの。良かったら食べて」

「あたしも。凄く美味しかったから、大御門くんにもお裾分け!」


 クラブ活動で作ってきたというわりには凝った包装で、伊織は困った笑みを浮かべて女子生徒たちを制した。


「わざわざありがとう。でも俺、差し入れはもらわないことにしてるから、皆で食ってくれるかな」


 ごめんな、と最後に付け足して、伊織は女子の輪から抜け出していく。立ち去る背を見送ってから、女子たちは落胆した様子で溜息を吐いた。


「大御門くん、絶対手作りのもの受け取らないよね……」

「もしかして、モテるから変なもの入れられたりしたことがあるのかな」

「ありそう……ヤバそうなヤツだけ受け取らないとかしたら、余計ヤバいもんね」


 もしもの話で塗り固め、女子たちは断られた事実を仕方がなかったのだという事情で上書きしていく。それが、自分たちにとって都合の良い妄想に過ぎなかったとしても。心を守るために、目を塞ぐ。

 そんな会話を後目に、冴えない表情で帰り支度をする部員が一人。弓道部三年生で、秋の大会を最後に引退を控えている代表選手の西園弓弦だ。彼は今日の練習での成績が芳しくなく、その顔には焦りが滲んでいた。

 西園は弓道部で二年間、所謂サッカー部等でいう『エース選手』であった。弓を引くときは女子生徒の色めいた視線を受け、試合のときには男子生徒の羨望を一心に受けていた。だがそんな輝かしい日々は三年になったとき、一気に色褪せた。


 ―――天才、大御門伊織が入部してきたために。

 伊織は誰よりも美しい姿勢で、誰よりも正確に中心を射抜く。性格は謙虚で驕らず、かといって無用な卑下をしない。西園もまた、彼の姿勢と鳴弦に一瞬で心を奪われた。もし自分が同じ弓道部で、三年生でなかったなら。恐らくもっと素直に賞賛出来ていただろうことを誰よりも西園自身が痛感し、苦悩していた。


「西園。少しいいか」


 帰ろうとしたところを呼び止める声がして、西園は表情を凍らせて振り返った。声の主は弓道部顧問の加茂川で、彼は厳しい顔をして西園を見つめている。


「月末の大会までに調整を間に合わせないと、本当に拙いぞ」

「……わかってます」

「わかってるなら結果を出せ。口先だけなら何とでも言えるんだ」


 不調なときに限って、本人が一番理解していることを敢えてぶつけてくる加茂川は、部員から全く慕われていない。普段の授業でも間違いを指摘するばかりで褒めることをしない教員で、彼の担当教科である地学を選択した二年生と三年生の生徒からは、陰で「小姑おじさん」と呼ばれている。

 そんな小姑おじさんこと加茂川は顧問ではあるが指導者ではなく、弓道の指導は外部指導員を雇っている。教員が部の管理をしなければならないという規則さえなければ、加茂川の存在は全く不要であることから、顧問制度の廃止を訴えている生徒もいる。

 好調だったときは全く歯牙にもかけなかったにも拘わらず、不調が見え始めてからというものやたらと声をかけてくるようになった加茂川を、西園も他の部員同様疎ましく思っていた。


「いままでエースだ何だと持て囃されていて、調子に乗っていたんじゃないか? 次が最後だという自覚を――……」

「……時間も遅いので帰ります」

「あっ、おい! 話はまだ終わってないぞ!」


 呼び止める加茂川の怒声を背後に、西園は足早に部室を去った。

 弓道部はただでさえ部員が少ないのに、加茂川の嫌がらせのせいで、正式入部にすら至らず見学や仮入部の時点で部を去る者が多い。それでも続けているのは、優秀な外部指導員の元で腕を磨きたい生徒ばかり。それゆえに毎度成績上位を収めているのだが、加茂川さえいなければもっと伸びているだろうとも言われている。

 西園は苛立ちを抱えながら自転車を走らせ、夜の街を駆け抜けた。今日は両親ともに遅くまで帰らない日であるため、夕食は自分で用意しなければならない。そのことを、道脇のコンビニを目にしたことで思いだした西園は、慌てて進路を変更した。

 最近はなにを食べても味気なく、砂を噛む日々が続いている。目についた弁当を手にレジへ向かい、会計を済ませて再び帰路につく。まるで作業のような日常にも、いまやなにも思わなくなっていた。

 どれもこれも、伊織と出会ってからだ。焦りは苛立ちを生み、苛立ちは怒りに精神を縛り付ける。伊織が怨みをぶつけるに値する嫌な人間ではないからこそ、余計に嫉妬のやり場がなく胸の内を渦巻いてしまう。


「…………次が最後なんて、俺が一番わかってる」


 赤信号で足を止め、焦りを絞り出すように溜息を零す。思いの外棘を纏っていた声は行き交う車の噪音に紛れて、他の誰にも届かなかった。


「……? なんだ、あれ……」


 漕ぎ出そうとしたとき、進行方向に見慣れない建物が見えて、思わず目を凝らした。住宅地に差し掛かっている中、国道沿いでさえ田畑が多くなり出した近辺では思い切り浮いている、アンティークショップのような外観の建物だ。

 ふと、伊織に群がっていた女子たちが好きそうだと過ぎり、首を振る。余所事に気を逸らしている場合ではないという理性と、何でもいいから気分転換がしたいという心の狭間で迷ったのは一瞬で、西園は誘われるように店脇へと自転車を寄せていた。


「うわ……凄いな……」


 中に入ってまず思ったのは、普段であれば絶対に近寄らない類の店だということ。

 西洋人形やオルゴール、絡繰仕掛けのついた柱時計に水煙草まで様々ある。多国籍といえば聞こえは良いが、印象としては雑多の一言。アンティークに触れたことなどない西園の目には、西洋なのかアジアなのかそれとももっと違う国なのかさえわからない。ただ、日本のものはなさそうだと、それだけは何となくわかった。


「いらっしゃい」


 暫く何の目的もなく店内を眺めていると、店の奥から人の声がした。

 当たり前と言えば当たり前だが、店主がいたらしい。林立する棚のあいだを抜けて、奥へと向かってみる。


「なにかお探しで?」

「あ……いえ、その……」


 カウンターに頬杖をついて座っていた人物を目にした西園は、思わず瞠目した。

 散切りの黒髪、左頬を縦断する奇妙な模様の刺青、にやにやと笑う口から覗く歯は、どう削り整えたのか全てが犬歯のように尖っている。右目は普通のアジア人らしい黒い瞳なのに対して、左目は骨灰色の瞳に『虚』と文字が刻まれている。

 普通に考えれば前衛的なデザインのカラーコンタクトをつけているのだろうが、彼の異様な風貌から、そういう瞳をしていても可笑しくないと思ってしまった。


「見慣れないお店があったから、寄ってみただけで……」

「でしょうねえ」


 言葉の意味がわからず、西園は目を眇めて店主らしき男を見た。彼は相変わらず妙な笑みを浮かべており、どうにも居心地が悪い。


「吾の店は必要な人にしか開きませんで。お客さんは、なにかお求めでいらっしゃる。見て回れば見えるでしょう。なにを求めていらっしゃったか」

「はぁ……」


 奇妙な言い回しと張り付けたような笑みを訝りながらも、どうやら自由に見て回って良いらしいとのことだけ理解出来た西園は、男の視線から逃げるようにして棚の陰へと回った。

 しかし、雑多な小物たちを眺めたところで、自分の趣味に合うものが此処にあるとは到底思えない。何とも言えない風貌の陶器人形や糠漬けでも入っていそうな壷、異国の仏像や何語が書かれているのかもわからない本など、見ていて胡散臭さばかりが募る。


「……? なんだ、これ……」


 流し見ていた棚の一つに、手のひらサイズの小さな箱があることに気付いた。それは立方体の上部だけがドーム状になった形をしており、一見何の用途かわからない。鍵も留め金もないので開けてみると、撥条と小さな器械が収められていた。


「オルゴール……? それにしては……」


 こういったものに詳しくないとはいっても、一般的なオルゴールくらいは見たことがある。ああいうものはやたらと装飾が凝っていたり、人形が動く仕掛がついていたりと見た目でも人目を引く作りをしていたはずである。だがこれは、開けてみるまで中身がわからない、よく言えばシンプル、率直に言うなら退屈な見た目をしていた。飾り気は一切なく、閉じた状態ではただの金属の箱でしかない。

 撥条を巻いて、試しに音を鳴らしてみる。音色もメロディもとても落ち着く調子で、リラックスしたいときにかけると安らげそうだと感じた。音楽に詳しくないため曲名もなにもわからないが、曲調は西園の好みに合っていた。


「見つかったようですね」

「うわ!?」


 思いの外近くから声がして、西園は大袈裟に驚いて振り向いた。いつの間に近くまで来ていたのか。あのにやにや顔がすぐ背後にあった。


「お客様は、目標がおありのご様子。夢と言い換えてもいいですが、ねえ。其方は吾の店でも面白い部類の品で御座いますよ」


 勝手に鳴らしたことを咎められるかと思いきや、意味不明なことを言われて、西園は思わず面食らってぽかんとした顔を晒してしまった。


「……なんで、そんなこと……」


 ニイ、と目を細めて、店主は西園の手の中にある箱を指して言った。


「その箱は、持ち主の望む夢を見せる自鳴琴で御座いまして。イメージトレーニングと言うのでしたか。それを、寝ているときに見る夢で行える代物で御座います」

「はぁ……? それが、何の役に立つんですか? 所詮夢でしょう」


 胡散臭いと言葉にしないまでも態度に出して問い返す西園に、店主は笑みを崩さずに「ええ、夢ですとも」と頷いた。


「一週間、試して無意味でしたら、返しに来ると良いでしょう。勿論、その折には全額返金致しますよ」


 何だか、母が休日の昼間に見ているドラマの合間に流れている通販番組のようだと、飾り気のないオルゴールを見下ろしながら西園は思った。通販でなくとも客側の都合で返金に応じるなど聞いたことがないが、其処まで言うならと値段を訊いた。


「千五百円、頂戴致します」


 西園は知る由もないが、観光地のオルゴールとほぼ同じくらいの値段で、特別高くも安くもない。見た目でも楽しめる一般的なものと比べて、このオルゴールは音色だけが売りらしいので、余程その効果に自信があるのだろう。

 鞄から財布を取り出して、西園はきっちり千五百円を支払った。


「どうも。其方は、返しに来るまでお客様のものとなりました。……それでは道中、お気をつけて」


 店主がにんまりと笑ってお辞儀をする。

 瞬きをした次の瞬間、西園は自宅近くの信号を渡った先にいた。狐につままれたとはこういうことを言うのだろうかと、辺りを見回して息を吐く。


「…………って、夢じゃ……ないのか……」


 白昼夢でも見ていたのかと思ったが、鞄を開けるとすぐ見えるところにあの飾り気のない小箱が鎮座していた。開けた中身もちゃんと記憶にあるオルゴールで、財布からは千五百円が減っていた。

 これほど奇妙なことが出来るなら、返金に訪れても店が見当たらないといった展開もあり得そうだと頭を過ぎるが、半ば言いくるめられたとはいえ財布を奪われたわけでも脅しをかけられたわけでもなく、自分の意志で買ったのだ。

 なにより曲自体はそれなりに好みだった。彼の言う不思議な効果がなくとも寝る前に聞いてみるだけの価値はありそうだ。


「どうせダメ元だし、早速今夜試してみるか」


 駐輪スペースに自転車を駐め、家に入る。

 その頃には、部活後に顧問から言われた煩わしい嫌味はすっかり頭から消えていた。

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