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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
参ノ幕◆龍神様
35/65

とけゆく夜

「お、おぉう……ほ、ほんとにおれ、ここにいていいんスか……」


 泉に浸かっていた夜刀は社に入るや真っ先に浴室へぶち込まれ、小狐たちの手により全身磨き上げられた。小太朗も同様泡だるまにされたのだが、終始尻尾を振っていて、あがる頃にはすっかり疲れてしまい、いまは千鶴の膝の上で眠っている。

 夜刀は先ほどから恐縮しきりで、皆が居間のソファで寛いでいる現在も、ソファには座らず千鶴の近くの床でお座りをしている。


「居間でそんなに緊張してたら、このあと心臓止まっちゃうんじゃない?」

「こ……これ以上、なにが待ってるって言うんスか……」

「千鶴セラピー」


 借りてきたチワワのように小刻みに震える夜刀を横目に、桐斗はゲーム柳雨と並んでゲームに興じながら、さらりと告げる。 


「千鶴ちゃん……スか??」


 膝の上で丸くなっている小太朗を見て、夜刀が首を傾げた。

 確かに小太朗は、人間の手によって癒される存在である。犬神屋敷との縁が切れたといっても、それで作られた過程がなかったことになるわけではないのだから。しかし、それと自分がどう結びつくのかわからず、夜刀は千鶴を見上げた。


「今日は皆でお泊まりなので、夜刀さんも同室で寝るんですよ」

「うぇ!?」


 夜刀の素っ頓狂な声に驚き、小太朗が目を覚ました。眩しそうに薄目を開けて辺りを見回しながらきゅんきゅん細い声で鳴いて寝返りを打ったかと思うと、再び丸くなって眠りだした。

 声を潜めて小太朗に謝る夜刀を、千鶴が小太朗を撫でながら不思議そうに見つめる。


「えっと……そんなに驚くことなんですか?」


 桜司はいつまでも震えている夜刀の様子に半ば呆れながら「まあな」と言い、千鶴を撫で回しつつ説明した。

 抑も神族も妖も縄張り意識が強く、他者の縄張りを侵害することは、即ち宣戦布告に等しい行為である。花屋街のような特例は別として、それぞれ領域を持っており、その境界は厳密に守られなければならない。

 桐斗は鬼灯町の中でも旧白狐村周辺を縄張りとしており、その中では自由に振る舞うことが出来る。夜刀は旧犬神村を縄張りとしているが、花屋街に特別な許可をもらい、旧白狐村と旧龍神村を含む鬼灯町全域の移動と活動を許可されている。

 しかし、いくら許可を得ているとはいえ、神族の領域は別だと夜刀は震えて言う。


「……考えてもみてくださいッス。いくらお宅にお呼ばれしたからって、千鶴ちゃんも真莉愛ちゃんのお父上のお部屋とか、上がり込めないッスよね?」

「それは……まあ、そうですね……」

「おれにとって、旧白狐村が真莉愛ちゃんのおうちで、お父上のお部屋がここみたいなもんなんスよ」

「な、なるほど……それは緊張しますね」


 自分に置き換えてみると、夜刀の恐縮が実感として湧いてきた。確かにそれは、床に正座も辞さないと千鶴も思う。と、納得している千鶴の後頭部に、ふわりとやわらかなものが二つのし掛かった。


「か……神蛇先生……」


 しなやかな腕が千鶴の体を包み、頬と頬が触れ合う。湯上がり独特の淡い熱を纏った香りが、呼吸と共に千鶴の肺を通して、全身を甘やかに染めていく。


「いいお湯だったわ。ありがとう、桜司くん」

「我に礼を言うのに、何故千鶴に絡む」

「うふふ。だって、女教師が男子生徒に触れるわけにはいかないでしょう?」

「襦袢一枚で男所帯に現れることは良いのか……」


 頭に触れている胸の感触がいつも以上にやわらかいのは、下着をつけていないからであるらしいと、千鶴は桜司の言葉で気付いてしまった。神蛇はいまいったいどんな姿をしているのか、知りたいようで知ってしまいたくない。


「千鶴ちゃんと枕を並べて眠れるなんて、夢のようだわ。ねえ、千鶴ちゃん」

「ひゃいっ……!」


 神蛇が語りかける度に、耳殻を吐息が擽る。裏返った声が漏れ、心臓が破裂しそうな音を響かせている。千鶴のそんな様子に気付いているのかいないのか、神蛇は白い指を頬に這わせて囁いた。


「今日は、千鶴ちゃんを抱きしめて眠ってもいいかしら……?」

「えっ……だ、って、えっ……?」

「おチビちゃん、言語どこいった?」


 可笑しそうに笑う柳雨の声にも、真正面からざくざくと突き刺さる伊月の視線にも、隣から聞こえる桜司の溜息にも反応出来そうにない。熱い風呂に浸かっているわけでもないのに、全身がゆで上がりそうな心地だった。


「小夜ちゃん、教師にしとくには色気が爆発してるからなー」

「あら、そうかしら?」

「だって、千鶴煮えてるよ?」


 柳雨と桐斗の指摘にも、神蛇は不思議そうな顔をするばかり。どうやら、己の容姿を自覚していないらしく、教師が異性の未成年に必要以上に触れることが人の世で禁忌とされていることを、最低限の知識として知っているだけだったようだ。ゆえに、千鶴に触れることは何の問題もないと認識しており、結果、千鶴だけが神蛇の腕の中で煮える羽目となっている。


「千鶴ちゃんは、わたくしと寝るのは嫌なのかしら……?」

「いっ……いえ、そんなことは……!」


 ひっくり返った声で必死に弁解する千鶴の元に、足元から、夜刀の「お気持ちお察しするッス」という実感のこもった同情が届いた。


「……まあ、なんだ。神蛇の祠を祀っていた一族が其奴を放棄したゆえ、己を保つにはお主に触れているのが一番なのだ」

「小夜ちゃんは慈母神でもあるから、人間でしかも子供なおチビちゃんは最適なのさ。役得と思って埋もれときな」

「一応、白狐村に住んでる庇護対象ってことなら僕も当てはまるんだけどね。千鶴には敵わないし、僕もこう見えて男の子だから、絵面がヤバいっしょ」


 そう言われてしまうと、なにも言えなくなってしまう。千鶴の思う日常の世界には、桜司たちだけでなく神蛇も含まれているのだから。


「うぅ……それなら、先生も隣に来ませんか……?」

「あら、いいの……? うれしいわ」


 絡みついていた腕がするりと離れ、神蛇がソファを迂回して隣に座った。薄い襦袢を一枚纏っただけの豊満な肉体が視界に飛び込んできて、しかもそれが千鶴にしっとりと撓垂れかかってくるものだから、先ほどよりも顔の熱が上がってしまった。


「おチビちゃん、がんばれ」

「はい……」


 艶と色香に惑わされがちだが、表情や纏う雰囲気は、真莉愛のそれに似ている。傍にいられてうれしいと全身が謳うように語りかけてくる、この感覚。純粋で一切裏のない歓びが伝わってくるからこそ、より困惑するのだが。

 ふと、間近にある神蛇の顔を見て気付く。何だかさっぱりしていると思えば、学校で会うときは紫色の口紅をしていたのだが、いまは一切化粧をしていない。


「あれ……先生、すっぴんなんですね」

「うふふ。いまはわたくしもお風呂上がりですもの。……そういえば、千鶴ちゃんには初めて見せるわね。何だか恥ずかしいわ」

「? いつものお化粧も似合ってますけど、先生は素顔でも綺麗ですよ」

「まあ……千鶴ちゃんったら、うれしいわ。そんなふうに思ってくれていたなんて」


 思ったままを口にしたつもりだったが、神蛇は珍しく喜色を表情いっぱいに乗せて、千鶴を思い切り抱きしめた。やわらかな腕と胸に閉じ込められた千鶴は、為す術もなくひたすらに撫で回されている。


「見たか、子猫ちゃん。あれが神誑ひとたらしってヤツだぜ」

「千鶴って無自覚にああいうこと言うからねー」


 柳雨と桐斗のしみじみとした呟きに、千鶴が首を傾げる。なにか変なことを言ったのだろうかと不安になるが、神蛇自身はとてもうれしそうにしている。


「ぬしさま。寝室のお支度が調いましてございます」

「そうか。お主らは休んで良いぞ。明日は朝から働いてもらうゆえな」

「あい。では、お先に失礼致します」

「ぬしさま、皆さま、お休みなさいませ」


 全く同じ動きでお辞儀をすると、小狐たちは揃って居間をあとにした。


「オレ様たちも寝るかぁ」

「夜刀、覚悟は出来た?」

「うっ……」


 寝るのに必要な覚悟とは、と普段の千鶴なら思うところだが、今日は千鶴もある意味覚悟を決めて寝にいかなければならない。

 小太朗を抱いて立ち上がり、桜司の案内で寝室に向かう。前回の部屋とは違う部屋の襖を開け、中に入った。


「今日はさすがに広いお部屋ですね……」


 広々とした和室には、向かい合って三枚ずつの布団が敷かれている。

 奥のから、柳雨、隣に桐斗、伊月の順で並び、手前の端から夜刀、神蛇と千鶴が同じ布団に入り、その隣に桜司が並ぶ。桜司と千鶴の布団のあいだに折りたたんだタオルが置かれており、そこにそっと小太朗を寝かせた。

 伊月と柳雨の布団は特注なのかサイズが他よりも大きくなっており、同じ数で並べて合わせているのに、奥の列は真ん中だけ小さく見える。


「この並び、ちょっと切ないんだけど……」

「ちゃんと川の字だろ。正しいじゃん」

「伊月に隠れてるけど、柳雨もデカいんだよーもー」


 枕に顔を埋めて、桐斗が嘆いた。言われてみれば対岸は絵に描いたような川の字で、布団のサイズ差も相俟って身長の格差が浮き彫りになっている。かくいう千鶴も長身の神蛇に包まれていて親子の様相となっているため、余計なことは言わずにおいた。


「子猫ちゃん、わんこ寝てるぜ」

「えっ」


 柳雨が声を潜めて桐斗を呼ぶ。視線の先では、あれほど緊張していたのが嘘のように寝入っている夜刀の姿があった。


「夜刀の寝床って、毛布だけなんだっけ」

「そう。オレ様も最近知って驚いた。ソファで毛布抱きしめて、子犬ちゃん抱っこして寝てるんだと」

「普段がそれじゃ、お布団には勝てないか……」


 ふたりの視線が、今度は千鶴へ注がれる。小さな頭は神蛇の胸に半ば埋もれており、呼吸が出来ているのか怪しい有様となっている。


「おチビちゃん、息できてるか?」

「ふぁい……」


 柳雨が声をかけるとくぐもった声が漏れ、もぞりと身動ぎをして千鶴が顔を上げた。谷間にすっぽり顔が埋まっていたらしく、千鶴の顔は仄かに赤い。


「ごめんなさい、苦しかったかしら」

「少し……でも、不思議と先生の傍って落ち着くんですよね」


 居間で寄り添われていたときは溢れ出る色香に気圧されていたが、腕に抱かれているいまは、あの緊張が嘘のように安らいでいる。


「小夜ちゃん先生は母性そのものだからねー。僕みたいに、母親と縁がなかった子には特に効果があるんだよ。人前じゃやらないけど、僕もこっそりお世話になってるし」

「えっ、そうだったんですか……?」

「子猫の姿でね」

「なるほど……」


 人間である千鶴には、人の手による癒しを。母神である神蛇には、母親による愛を。それぞれ求めて、空虚を埋めている。

 相手の好意を素直に受け取り心から甘えられる桐斗の性格は、千鶴にはないものだ。どうしても「本当に自分などが受け取ってもいいのか」と一度は躊躇ってしまう。


「千鶴ちゃんも、わたくしに甘えてもいいのよ。そのためにいるのだもの」

「……はい」


 優しく頭を撫でる手に促され、怖ず怖ずと胸に頬を寄せてみる。心音が遠く、豊かな胸の感触ばかりが頬に伝わってくる。


「お休みなさい、千鶴ちゃん。今日はたくさんがんばったから疲れたでしょう」


 髪を撫でる手も、降り注ぐ声も、体を包む体温も。なにもかもが優しい。十六歳にもなって母親に抱かれて眠るなどという恥じらいは、とうに溶けて消えた。甘えるようにすり寄り、深く息を吐く。


「お休みなさい、先生……」


 目を閉じて、やわらかな体温に身を委ねる。ひと呼吸ごとに意識がとけていき、瞼を透かして届いていた橙の灯りが消えたのと同時に、千鶴は眠りへと落ちていった。

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