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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
参ノ幕◆龍神様
34/65

黯き風刃の舞

 空はすっかり夜の帳が下りていて、星がいくつも瞬いている。鬼灯町は田畑や自然の面積が未だ広いため、場所によっては満天の星空を望むことが出来る。

 柳雨と英玲奈がいる場所も、そんな空が広い場所の一つだ。


「あー……相変わらず、とんでもねえ声量だなぁ、ひよこちゃんは」

「あの子は生粋の山生まれ山育ちですからね」


 雛子の声を受けたふたりが、耳を塞いでいた手を離して嘆息する。雛子の声は同族の英玲奈と柳雨にのみ聞こえるのだが、山一つを軽く超える声量はまともに受けると耳を破壊しかねない。

 霊的存在ではない野鳥やペットの鳥などには少し大きい音に感じる程度だが、彼らにとっては破壊音波に等しい。

 器用にも一本歯の下駄で電柱の頂点に立つ柳雨と、小鳥のように電線に直接腰掛ける英玲奈。ふたりの視線は、犬神屋敷に向いている。

 あの屋敷に囚われている犬たちは被害者だ。なにも知らず、暗闇に閉じ込められて、絶望の中道具に作り替えられた哀れな魂。英玲奈に出来るのは、そんな犬たちの魂と、勝手に他者の領域を踏み荒らして自滅した愚かな輩を切り離してひとやへ送ること。


「あれを救う術はありませんし、救う気もないですから、全て断ち切ります」

「また似たようなことがあっても面倒だしな」


 からりと笑って言いながら、柳雨が右手を差し出す。英玲奈はなにも言わずその手に唇を寄せると、指先に牙を突き立てた。指を口内に含み、滲み出る血を啜る。と、突然辺りに暴風が吹き荒れ、ふたりの翼と着物を巻き上げた。

 顔を上げた英玲奈の目が、柳雨と同じ緋色に染まったかと思うと更に風が暴れ狂い、一瞬英玲奈の姿が滲んでぶれた。滲みが収まったときには皆が知る英玲奈の姿はなく、背の高い黒髪の美女が大きな翼を翻して中空に佇んでいた。

 その姿を目の端に捕らえながら、柳雨は口元に笑みを乗せて、巨大なヤツデの団扇を振りかざした。


「ぶっ潰れろ!!」


 刃の如き突風が犬神屋敷めがけて疾り抜け、秒もなく遠くで瓦礫が崩れる音がした。直後、縄張りを侵略された獣の如く、三つの黒い影が絡み合いながら柳雨たちの元へと向かってきた。


「――――堕ちよ」


 その美女は鋭い眼差しを影に向けると、紅葉の団扇で空を一閃する。


「堕落した身でわたしに刃向かうとは……身の程を知りなさい」


 再度一閃、紅葉を振り抜き、大口を開けて食らいつこうとした犬の影を切り裂いた。全ての縁ごと、魂さえも引き裂いて。蠱毒の残滓がしがみついていた現世との繋がりをバラバラに切り裂いていく。その様は舞のようでもあり、艶な紅い着物と紅葉が夜空に優麗な曲線を描く。

 嘗て、小さいながらも御所の傍らに存在した、縁切りの姫神が一柱。その舞は暴風を巻き起こす、堕落し腐り果てた魂の悉くを断ち切る刃に同じ。

 やがて、襲いかかってきた影が形を保てなくなってくると、最後の一太刀を浴びせてなにもかもを無に帰した。


「お美事」

「……誰に、物を言っているんですか……」


 じっとりと自分を睨むその目に、いつもの鋭さがないことに気付いた柳雨は、ついと傍まで飛んで寄った。気のせいではなく額に汗が滲み、意識が朦朧としている。そんな有様だというのに抑えようとする柳雨を振りほどいて何処かへ飛び去ろうとしており、柳雨は必死に引き留めた。


「紅葉、大人しくしろ! そんなんで飛べるわけねぇだろ!」

「っ……帰ら、ないと…………姉さ……ん……」


 パンッと破裂音を立てて風が弾け、紅葉の姿が消えて英玲奈に戻る。力を失った体は柳雨の腕の中で無抵抗に抱かれており、顔色は紙のように白い。

 柳雨の体を通して薄めた千鶴の血を間接的に借りた舞であったが、人間の体に宿った状態では負担が大きかったようだ。


「はぁ……コイツに頼り過ぎんのも考え物だな」


 横抱きで紅葉を抱きしめ、独りごちると、柳雨は桜司の社へ飛び立った。


「終わったぜ」


 社の裏庭では、水面を埋め尽くさんばかりのアヒルの玩具に包囲された夜刀が沈んでおり、お手伝いを終えた雛子とじゃれていた。彼らは英玲奈の様子に気付くと、サッと場所を開けて英玲奈を迎えた。


「柳雨くん、英玲奈ちゃんは……」

「ちっと力を使いすぎただけだ。休めば戻る」

「泉は犬神に使う分しか作っていない。暫し待て」

「おう」


 英玲奈を抱えたまま待機していると、伊月が袂から細い刀を取り出し、夜刀が入っている泉とは別の場所に突き立てた。すると突き刺したところから綺麗な湧き水が溢れ、あっという間に小さな泉が出来た。だがそれはいくら小学生の子供でも体を沈めるには小さく、深さも殆どない。


「飲ませれば十分だ。帰る頃にはある程度戻る」

「助かる」


 伊月に答えてから、英玲奈を見る。既に意識はなく呼吸も浅い。飲ませるには口移しするしかないが、非常事態とはいえ小学生女児の体にするのは抵抗がある。


「飲ませるって……」


 柳雨が助けを求める眼差しを神蛇に送ると、くすりと笑って柳雨の傍に膝をついた。


「そうね、任せてもらえるかしら」

「ハイ、それはもう」


 不自然に硬い口調で言いながら、くったりとした英玲奈の体を神蛇に預ける。神蛇は伊月の水を口に含むと、英玲奈の唇を優しく塞いでゆっくりと飲ませた。

 細い喉が揺れて、口の端から白銀の糸のように水が伝う。


「ごめんなさいね。小さなあなたに、一番重いものを背負わせてしまって……」

「小夜ちゃん、紅葉は……」


 やわらかな胸に頭を預けさせて、神蛇は英玲奈の体をそっと抱きしめる。人の肉体を依り代にしているせいで負担があっただけで、抑も『紅葉』は、神蛇と大差ない容貌の女神だ。

 柳雨がそう告げようとしたときだった。英玲奈の長い睫毛は伏せたまま動かないが、色の薄い唇が震えて吐息を零した。


「……姉……さ…………」


 微かに漏れ聞こえた声は、家で待つ姉を想う小学生の少女『英玲奈』のものだった。神蛇の手が、優しく英玲奈の髪を撫でる。


「宿る魂は、確かにわたくしよりも格上のものでしょうね。けれどこの子は、小学生の女の子なのよ。雛子ちゃんと同じ、護るべき可愛い子供なの」


 名を呼ばれたと思った雛子が、夜刀にアヒルを積む遊びを中断して神蛇の元へ駆けてきた。大きな丸い瞳で神蛇と英玲奈を交互に見つめ、大好きな親友の頭を撫でる。


「雛子ちゃんもいい子ね」


 にこにことうれしそうな雛子の頭を撫でて微笑むと、神蛇は英玲奈を抱き直してからそろりと立ち上がった。


「この子たちを送り届けてくるわ。柳雨くん、一緒に来てくれるかしら」

「おう。ひよこちゃんはオレ様と手ぇ繋ごうな」

『はーい!』


 一度伊月と桜司に視線を送ってから、神蛇たちは社をあとにした。

 大小でこぼこな後ろ姿を見送り、伊月は一つ溜息を吐く。これで元は絶った。あとは屋敷で作られたほうの犬神が、どれほど耐えてくれているか。もし耐えられずに千鶴を食い破ろうとすれば、桜司が封じる手筈になっている。だがそれは最終手段であって、出来ればそうなってほしくないというのが彼らの総意である。


「…………戻ったか」


 伊月の声と共に、からりと扉が開く音がした。

 現れたのは、桜司に抱えられた千鶴と桐斗。―――それから、千鶴に抱かれて眠る、真っ黒な子犬らしき小さな影。


「無事か」

「恙なくな。あとは浄化のみだ」


 千鶴は怪我をしているわけではなく、いつになく張り詰めていた緊張が解けたせいで気が抜けて歩けなかっただけらしい。


「小太朗ちゃんを、お願いします」

「心得た」


 恥ずかしそうにしながらも、千鶴は小太朗を伊月に預けた。

 小さな黒い塊でしかないそれを、夜刀と入れ違いに泉へと優しく浸す。と、黒い靄が水にとけて流れ、やがて見覚えのある黒豆柴の姿が露わになった。かと思えば、一瞬で甲斐犬の姿になった。


「おお……龍神様はそんな感じなんスね……」


 姿を変えた小太朗を見て、夜刀が感嘆の声を漏らす。小太朗は近くにいる者の本質を映して姿を変える性質を持っている。そして桐斗と同様、あの屋敷で殺された犬全ての魂を内包している集合体の妖でもある。

 千鶴に抱かれているときは小さな豆柴だが、伊月の元では甲斐犬になるようだ。


「青龍先輩……小太朗ちゃんは、大丈夫ですか……?」

「ああ。だが、当分は水を飲ませる必要がある」

「それじゃ、散歩コースに青龍神社を入れることにするッス」


 軽い調子で言うが、青龍神社と犬神新聞社は街の端と端と言ってもいいくらい離れている。怪訝な顔で夜刀を見る伊月に、夜刀は事も無げに笑って見せた。


「ネタ集めのついでなんで。それに、小太朗にもたくさん外で遊んでほしいッスから」


 小太朗を見つめる夜刀の目は優しい。

 心配そうにしていた千鶴も漸く本当に安堵出来た様子で、表情を緩めた。


「犬神屋敷は、どうなるんですか……?」

「うーん……更地にしちまったんで、たぶん行政がなんかするんじゃないッスかねぇ。英玲奈ちゃんが綺麗さっぱり吹き飛ばしてくれたんで、あそこはもう何ともないッス」

「良かった……もう、本当に苦しくなくなったんですね……」

「はいッス。千鶴ちゃんと英玲奈ちゃんががんばってくれたお陰ッスよ」


 真っ直ぐな労いを受け、千鶴は何とも擽ったい気持ちになった。

 夜刀と小太朗を苦しめていた犬神屋敷の蠱毒は、崩壊で以て縁を断たれた。闇の中で百年以上かけて煮詰められた怨嗟と絶望を浄化することは出来なくとも、現世との縁を断つことは出来る。幸か不幸か、犬神だけであれば難儀したところを、人間が混ざったことで怨嗟の矛先や執着が歪んだために、紅葉の能力がより効力を増す結果となった。

 更にあのとき千鶴が小太朗を抑えていなければ、小太朗までもが犬神屋敷の影と共に飛び出して紅葉の刃の餌食となっていたことを、千鶴は全てが終わってから聞かされていた。

 そういうことは先に言っておいてくださいと涙目で訴える千鶴に、桜司はしれっと、邪念のない言葉でなければ意味がなかったと言ってのけ、千鶴はぐっと言葉を飲み込む羽目となったのだった。


「おれたちもそろそろお暇するッスかね」

「あ……そう、ですよね……もう遅くなりますし……」


 千鶴の視線は、伊月の腕の中にいる小太朗へと注がれている。それに気付いた桐斗が桜司の裾を引き、じっと見つめながら無言で訴えた。


「……はぁ」


 桜司の口から溜息が漏れる。諦めは即ち、許可と同意である。


「夜刀。泊まってっていいってさ」

「えっ」


 きょとんとした丸い目が、桜司を見上げる。そして小太朗と桜司を交互に見ながら、夜刀は首を傾げた。


「先パイ、犬小屋って持ってましたっけ?」

「戯けが。社に決まって居るだろう」

「えっ……えっ、でも、おれ……」

「僕もふつーに寝泊まりしてるけど」


 困惑する夜刀に、桐斗が端的に答える。桜司もそれを否定せず、千鶴は彼らの会話がなにを意味するのかわかっていない様子で、じっと見守っている。マイペースを極めた伊月に至っては、いまの会話のあいだに千鶴の腕に小太朗を置いて、黙って桜司の社に戻っていた。


「野宿がしたければ好きにするが良い」


 それだけ言うと、桜司は千鶴を抱えたまま社の扉を開けた。

 暫くぽかんとしていた夜刀だったが、ハッとして慌てて皆のあとを追い、初の社へと足を踏み入れた。

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