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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
参ノ幕◆龍神様
33/65

暗闇の記憶の淵

 伊月が、桐斗と柳雨にじゃれつかれてから暫く。

 部室の扉が開いて、仕事を終えた神蛇が英玲奈と雛子を連れ、部員名簿を手に入ってきた。神蛇は部室内を見回すと、目を細めて皆に微笑みかけた。


「あら、お部屋が随分と綺麗になっているのね」

「伊月が買ってくれたんだよー」


 桐斗が雛子を招きながら言うと、雛子は一度英玲奈を窺ってから駆けだした。小さな体で真っ直ぐ駆け寄り、懐に飛び込む様子を見ていた英玲奈は、千鶴の手招きを受けて隣に腰掛けた。背が高い椅子であるため小学生の体には大きく、軽くよじ登らなければならないのが少々大変そうだ。


「ありがとう、伊月くん。備品は部費で賄うことも出来るのだけれど、せっかくだからそちらは改めて皆に還元しましょうね」


 そう言うと名簿を置き、中に挟んでいた封筒を一枚取り出す。切手が貼られていても表書きはなく、裏面に差出人の名前だけが書かれたそれは、黄昏郵便宛ての願い事だ。


「今回は……宗崎朋子さんと向井佳枝さんの連名ね」

「それって、うちのクラスの……?」

「ええ、そうよ」


 千鶴は彼女たちが龍神様の準備をしているところをチラリと見ただけだったが、その顔ぶれの中にいた、見知った二人の名だ。三人の様子がおかしくて先に帰ったことと、その三人が未だに異常を来していると真莉愛から聞いている。

 手紙を開封すると、雑貨屋などで売っているカラーペンで『一緒に龍神様をした友達三人にとりついてるお化けを祓ってください』と書かれていた。その横には件の三人のものと思われる名前が丁寧に記されている。


「……さっきから思っていたんですけど」


 手紙を覗き込んでいた英玲奈が、ぽつりと呟いた。部員たちの視線が集まる中、更に続けて呟く。


「この手紙、獣臭いんですよね」

「え……どういうこと?」


 英玲奈はじっと手紙を見つめていたかと思うと、外へ視線を逃がした。彼女の目には他の者には見えない縁の絲が見えている。概念としてのそれを物質的に捕らえ、ときに断ち切ることが出来る。その目が見据える先は、北北西。犬神屋敷の方向だ。


「……犬神屋敷の三人が、龍神様をやった人たちに取り憑いているようですね。彼らはもう、魂が人の形をしていません」

「っ……」


 千鶴は胸元で手を握り、ざわつく心を落ち着かせようと一つ深呼吸をした。

 英玲奈の目には、犬のように突き出た鼻先と牙を持ち、大きく肥大した耳と血走った目で周囲を睨めつけ、歪に変形した手足を床について這い回る魄が映っている。離れに閉じ込められたままの彼らは蠱毒の壷に囚われて、永遠に訪れない最後の一匹になれるときを待ち続けているのだ。

 人だった頃の知性も理性も記憶もなく、決して癒えない飢えと渇きを抱えて、暗闇を這い回るだけの存在。外部からの干渉があって、初めて微かな外の光を得る。龍神様の儀式は占いなどではなく、そんな彼らに直接交信する手段に過ぎなかったのだ。


「今回は、手分けをしたほうが良さそうです」

「子犬ちゃんのほうにも必要ってこと?」


 桐斗の問いに、英玲奈が神妙な顔つきで頷く。そして千鶴を見やり、キツく握られた手にそっと触れて、不安で強ばっている顔を覗き込む。


「千鶴姉さんは、白狐神様と桐斗さんと共に犬神新聞へ行ってください。そちらが到着次第、此方も縁を断ちにかかります」

「う……うん、わかった」

「少し大変かも知れませんが、人間である千鶴姉さんにしか出来ないことなので……」

「そっか……そうだよね。がんばるよ」


 この場にいる純粋な人間は千鶴だけ。以前にも言われたことだ。人につけられた傷は人にしか癒やせない。桐斗や小太朗のような妖は、人の手によってのみ癒される。再度犬神屋敷の影響を受けてしまったらしい小太朗を救えるのは、千鶴だけなのだ。


「龍神様と神蛇先生には、別でお願いしたいことがあります」

「ええ、わかっているわ」

「雛子さんは、先生のお手伝いをしてくださいね」

『おてつだい!』


 自分もお手伝いが出来るとわかった雛子の表情が、ぱっと輝いた。


「紅葉ー? オレ様はー?」

「…………わたしか千鶴姉さんを手伝ってください」

「へいへい、ならお前についてくぜ」


 迷いなく答えた柳雨を横目で見てから、桐斗は英玲奈に視線を移すと「気になってたことがあるんだけど」と切り出した。


「柳雨と英玲奈ちゃんってさ、京都で一緒だったんだよね。同じ山の生まれなの?」

「いえ。わたしは洛中の生まれで、柳雨は東山付近にいましたので……」

「言っちまえば、紅葉は正真正銘都のお姫さんで、オレ様は田舎者だな。山育ちだし。綺麗なお姫さんがいるって聞いて見に行って、そっからの縁だな」

「ふぅん……?」


 じっと、桐斗の色違いの目が英玲奈を見つめる。英玲奈はそんな桐斗と柳雨を交互に見てから、ふとなにかに気付いた様子で口元を緩めた。


「心配しなくても古馴染みですし、兄妹のようなものですよ」

「にゃっ!? そ、そんなつもりで訊いたんじゃないよっ!」


 至近距離で桐斗の裏返った声を聞いた伊月が、不思議そうに首を傾げた。神蛇は紅く染まった桐斗の顔を見て穏やかに微笑み、柳雨は可笑しそうに笑いながら暴れる桐斗にじゃれついて、桜司は彼らの騒ぎには興味なさそうに、千鶴を抱きしめている。


「さあ、そろそろお手伝いの時間よ。雛子ちゃんは、先生と一緒に行きましょうね」

『いく!』


 聞こえていないとわかっていても、元気よく返事をして神蛇の傍へ駆け寄っていく。神蛇は雛子を抱え上げると「待っているわね」と皆に告げ、部室をあとにした。それに伊月も続き、千鶴たちもそれぞれ立ち上がる。

 犬神屋敷絡みのときは、言いようのない緊張感が皆のあいだに流れるのを感じる。


「新聞社に行けばいいんだよね」

「はい。事務所の上階が、彼らの居住スペースになっているはずですので」

「黒烏先輩と一緒なら大丈夫だと思うけど、英玲奈ちゃんも気をつけてね」

「ご心配なく。今日は姉さんに折り紙を教わる約束をしていますから、きちんと役目を終えて帰りますよ」


 不安そうな千鶴に不慣れな微笑を向けて答えると、英玲奈は柳雨と共に部室を出た。


「……赤猫先輩、大丈夫ですか?」

「えっ!? う、うんっ、全然へーき! 僕らもさっさと行こ!……っあいた!」


 慌てて取り繕いながらソファを迂回して扉へ向かおうとした桐斗の足が、椅子の脚に引っかかった。転びかけた体を桜司の片腕が抱き止め、千鶴はホッと息を吐く。


「本当に大丈夫ですか……?」

「大丈夫……だけど、行く前にちょっと落ち着かせて」

「はい」


 胸を押さえながら一つ深呼吸をして、両頬をパチンと叩く。先ほどまでの複雑そうな表情は消え失せ、任務前の引き締まった表情に切り替わった。


「もう大丈夫。子犬ちゃんが心配だし、行こ」

「はい。先輩」


 千鶴の手を引きながら、桜司は部室の扉を開けた。その先は、一度訪れたことがある新聞社事務所に繋がっていて、毎度ながら夢かと思って目を瞬かせてしまう。


「この上だな」

「うん……上のほうから、子犬ちゃんの気配がする……」


 桐斗の顔色が悪い。柳雨と英玲奈のことを気にしていたときのものとは違う。なにか不安を抱えているような、恐怖を感じていような表情だ。

 その理由を、階段の半ばまで上ったところで千鶴も知ることとなる。


「犬の鳴き声……?」


 か細く、胸を締め付ける声がした。苦痛に耐えるような、力のない犬の声だ。互いに顔を見合わせると、桜司が居住スペースの玄関扉を開けた。


「わぁ……!?」


 刹那、黒い影が勢いよく千鶴に飛びかかってきた。

 咄嗟に反応出来ず、そのまま押し倒される。が、背中や後頭部への衝撃はなかった。


「な、にが……?」


 まず目に入ったのは、巨大な獣めいた影。飛びつかれたせいで見えなかったせいかと思ったが、落ち着いてみても大きな黒い影にしか見えない。そして、背中や頭が無事に済んだ理由はというと。


「あたた……千鶴、大丈夫?」

「赤猫先輩っ!?」


 真後ろにいた桐斗が下敷きになっていたからであった。

 退こうにも、影にのし掛かられていて身動きが取れない。それに、この影から子犬の鳴き声が漏れ聞こえている。痛そうな、苦しそうな声だ。桐斗も遅れて事態を把握し、千鶴に「そのままでいいよ」と声をかけた。

 桐斗も心配だが、彼を労るにはまずこの獣の影をどうにかしなければならない。


「小太朗ちゃん……」


 名前を呼ぶと、千鶴の声に答えようと細い声が漏れる。全身の骨が軋み、歪んでいるらしく、枯れ木を砕くような音がする。その度に影から悲鳴じみた声があがり、千鶴は胸が張り裂ける思いに襲われた。


「ごめんね……痛いよね……もう、大丈夫だからね。すぐに痛いのは終わるから……」


 耐えなければと思うのに、勝手に涙が溢れてくる。

 小太朗は、二度も人間の遊びに巻き込まれて苦しんでいる。それがどういうものかも知らずに、戯れに領域を侵害した人たちのせいで。それなのに、小太朗からは人間への怨みや憎しみが全く伝わってこない。ただひたすら、痛い、哀しいと訴えてくることが余計に千鶴の胸を締め付けた。

 小太朗を留めているのは、千鶴と交わした他愛のない約束だった。また会いに来る。その一言だけを縁に耐えていた。会えた喜びを表わしたい心と、作成されたときに魂に刻まれた呪詛が鬩ぎ合い、形を歪ませるほどに苦しめている。

 いっそ、千鶴との約束を忘れて呪詛の塊と化してしまえば、苦痛からは逃れられるというのに、小太朗はその選択をしなかった。


 ――――恨め。憎め。殺せ。食い破れ。引き裂け。殺せ。殺せ。殺せ。


 渦巻く怨嗟の聲に、必死に抗う。軋む体を抑えて、目の前の優しい人間を食い殺してしまわないように。


「大丈夫だよ……傍にいるから」


 ぎゅっと抱きしめ、優しく頭を撫でながら、千鶴は懸命に語りかけた。少しでも心と体の痛みが和らぐように。長い毛並みにも似た靄が、全身から立ち上っている。

 幾度となく見てきた、魄や荒魂が零す澱みの影だ。触れている箇所から火傷のような痛みが走り、千鶴は僅かに顔を歪めた。が、決して影から逃れようとはしなかった。

 千鶴はふと、以前夜刀が言っていた、小太朗を犬神屋敷の影響から守っているものの話を思い出した。新しい約束が、小太朗をいまの形に保っている。ならばいまも、その上書きは有効なのではないか―――と。


「小太朗ちゃん。元気になったら、お散歩に行こうね。夜刀さんと一緒に、天気のいい日に、小太朗ちゃんの大好きなおやつも持って。この頃涼しくなってきたから、きっと風が気持ちいいよ。ね……楽しみにしててね。約束、しよう……」


 祈るような気持ちで約束を紡ぎながら、千鶴が小太朗を抑えている頃。

 桜司は住居内に上がり込み、夜刀の傍にいた。夜刀は小太朗ほどではないが、脳内に響く怨嗟の聲に抗い、頭が割れそうなほどのひどい頭痛に耐えていた。


「犬っころ、生きて居るか」

「はい……何とか、大丈夫ッス……小太朗は……?」

「千鶴が抑えて居る。貴様は先に我の社へ参れ。扉は繋いである」

「うぅ……お言葉に甘えさせて頂くッス……」


 桜司が示した扉は、玄関ではなく和室に通じる襖のほうだった。夜刀はふらつきつつそちらへ向かうと、引き戸に手をかけた。


「千鶴ちゃんも、大丈夫ッスよね……?」

「ああ。貴様は先に迎える準備をして居れ」

「はいッス」


 引き戸を開けた先は、桜司の社の本殿だった。中から外へ通じており、恐る恐る外に出ると、伊月と神蛇が待ち構えていた。その横には雛子もおり、神蛇に半ば隠れながら心配そうに見上げている。


「今回ばかりは、総出なんスね……」

「仕方ないだろう。早くしろ」

「お世話になるッス」


 玄関扉を閉じ、観念して伊月の傍へと歩み寄る。そして足元にしゃがむと、頭上からバケツをひっくり返したような、というのが比喩にならない勢いの水が降り注いだ。


「わぶっ!」


 脳天に大量の水を喰らい、夜刀は条件反射で頭を振って水を切った。顔を上げれば、いつの間にか伊月と神蛇のあいだに大きな泉が出来ている。


「夜刀くん。小太朗ちゃんが戻るまで、ここで待っていてくれるかしら」

「うぅ……了解ッス……」


 夏も終わり、秋めいてきている中の行水は少々寒い。が、言っている場合ではないと誰よりもわかっている夜刀は、大人しく神妙に入水した。入ってしまえば抵抗はなく、寧ろ清い霊水に浸ることで、先ほどまで感じていた全身に焼けた針が突き刺さっているような痛みが嘘のように引いていくのを感じた。


「こんな……一瞬で浄化されるんスね……」

「わたくしひとりでは難しいのだけれど、ね。伊月くんも一緒だから出来たことよ」


 傍らにしゃがみ込んで覗いている雛子に夜刀が笑いかけると、雛子は社のお風呂から持ちだしてきたらしいアヒルの玩具を差し出した。


「へへっ、雛子ちゃんもお手伝いえらいッスね」


 手が濡れているため、指先でそっと頬を撫でると、雛子もうれしそうに微笑んだ。


「ありがたいッス……早く小太朗も連れてきてやりたいんスけど……」

「そうね……そちらは、英玲奈ちゃんたち次第になるわね。雛子ちゃん、合図をお願いするわ」


 雛子は一つ頷くと深く息を吸い、空に向けて高く叫んだ。遠くで鴉の鳴く声がして、驚いたように無数の羽音が遠ざかっていった。

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