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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
参ノ幕◆龍神様
31/65

鏡面の水底に寄りて

 柳雨が、壊されかけた日常が戻りつつあるのを感じている一方で、千鶴も伊月と外の落葉や枝を掃き集めながら、昨晩のことをぼんやり思い返していた。

 通り雨で落ちた枝葉を集めると、小さな山が一つ出来た。まだ秋が深まる前だからか枯葉の割合は少なく、紅葉の気配も遠い。


「昨晩は、助けてくださってありがとうございました」


 千鶴は首を傾けないと視界に入らない高さにある伊月を見上げてから、竹箒を抱えてお辞儀をした。この空間の中で、千鶴は最も小さい。掃き掃除用の箒でさえ千鶴よりも十五センチほど背が高く、最初は見るからに扱い兼ねていた。

 他愛ない道具よりも小さい千鶴をじっと見つめ、伊月は静かに首を振った。


「大したことはしていない」

「でも……あのとき、わたしは凄く安心したので。黒烏先輩を社の中に運ぶのだって、青龍先輩がいてくれたから早く出来たわけですし」


 真摯に礼を言う千鶴の頬に、伊月はそっと手を添えた。不意の行動にきょとんとした顔になった千鶴を見て、僅かに表情を緩めた。


「お前の力になれるなら、何だってする」

「え……」


 普段と変わらない冷静で平坦な声であまりにも情熱的なことを言われ、千鶴は驚いて箒を取り落とし、固まってしまった。言葉を消化していくと共に、頬を包む手のひらの大きさや頼もしさが、じわじわと体に染み込んでくる。


「お前を嫁にしたいと言った言葉に、嘘はない」

「……でも、わたしは、桜司先輩と約束をしていて……」

「それでも構わない」


 頬に添えられていた手が後頭部へ周り、もう一方の手で背中を抱き寄せられる。腕の中に閉じ込められたと自覚したときには既に抜け出せなくなっていて、千鶴は紡ぐべき言葉を見失った。


「俺は、お前の傍にいて、護ることが出来たらそれでいい」

「……そん、な……そんなの、だめです……そんなわたしにばっかり都合がいいこと、言わないでください……っ」


 ぼろぼろと涙が溢れ、伊月の着物を濡らしていく。

 以前に桐斗から言葉足らずを叱られたからか、いつになく饒舌に語られるその想いはあまりにも純粋で重く、清らかで鋭い。物も、行動も、言葉も、心も。何一つ見返りを求めない真っ直ぐな想いに、どう応えれば良いと言うのか。


「わ……わたしのためだけじゃなくて、青龍先輩のしたいこと……願いとか、我儘を、言ってください……じゃないと、わたしだけ、大事にされて……こんなの……っ、絶対不公平じゃないですか……」


 子供のように泣きじゃくりながら、千鶴は必死に言葉を紡ぐ。澄んだ水のような彼の言葉と心を注がれる度、己の狡さと醜さを突きつけられる心地だった。


「……そうだな」


 伊月は暫し千鶴を抱きしめ、考えていた様子だったが、漸う口を開いた。


「なら、やはり、傍にいさせてほしい。桐斗たちと同じでも、その次でもいい。お前の中に、俺の居場所がほしい」


 水底に沈んで行くかのように、胸が苦しい。澄んだ水の匂いが千鶴の体を満たして、深いところへ閉じ込めている。神域で見た鏡のような湖を幻視するほどの、夜の気配が全身を包んで離さない。

 必死に涙を拭って顔を上げれば、慈しみの眼差しで見下ろす伊月と目が合った。その目を見つめているうち、胸の奥で閊えて絡まっていた思いが、ほどけるように零れ出てきた。


「黒烏先輩が怪我をして、死んじゃうかもって思ったとき、凄くこわくて……いままで当たり前だと思ってたものが、あんなにも簡単になくなってしまうんだって……」


 伊月はなにも言わず、千鶴の告白を聞いている。昨晩は言葉にならなかったものが、震えて祈ることしか出来ずにいたときの痛みが、形となって吐き出されていく。


「先輩たちに出会う前のわたしが、どう過ごしていたかも思い出せないくらい、いまの皆といる時間がわたしにとっての日常なんだって……そう、思ったんです。青龍先輩の気持ちを知っているのに、断ることも受け入れることも出来ないくせに、皆とこのままいたいって……そう……思って……っ」


 棘のように喉を切り裂きながら零れてくる言葉が、伊月の唇へと吸い込まれた。深く重ねられた箇所から、痛いほどの思いが伝わってくる。涙で滲んだ視界に、夜色の瞳が揺らいでいる。


「……桐斗に聞いた。この国で複数の伴侶を持つことは、いまや不貞なのだと聞いた。現世のあり方に沿い、悩む心を知りながら、お前の優しさに甘えようとする俺を許してほしい」


 祈りの言葉と共に、目尻に唇が触れた。

 いっそ、自分はこんなにも皆に愛されているのだと開き直れたらどれほど楽だろう。異国の権力者のように優雅にハーレムを築くだけの価値があるのだと思い上がれたら、お伽噺のお姫様のように傅かれて護られるだけの魅力があるのだとのぼせ上がれたら、どれほど楽になれるだろうか。

 千鶴の魂は、連綿とした過去からの遺産に他ならない。千鶴自身はただの人間でしかなく、特別な才能も、魅力も、力もない。彼らが護っているのは千鶴の持つ魂であって千鶴ではないのだ―――と、以前は思っていた。月日を経て彼らと接するうちに彼らの心にも触れ、優しさに触れて、自分を無価値だとは思わなくなった。けれど。

 彼らの純粋さに触れる度、千鶴は底なしの己が強欲を思い知るのだ。


「千鶴」

「っ……!」


 突然の背後からの声に、千鶴は小さく肩を跳ね上がらせた。振り向いた先には、声の通り桜司がいて、感情の読めない表情でふたりを見つめている。


「食事の支度が調った。片付けて戻れ」

「……はい。すぐに戻ります」


 千鶴は足下に取り落としていた箒を拾うと、桜司に一度頭を下げてから物置小屋へと駆けていった。

 小さな足音が遠ざかり、若干立て付けの悪い引き戸を開ける音が聞こえたところで、桜司は深く深く溜息を吐いた。


「……俺は、俺の意思を曲げるつもりはない。お前のことも」

「ふ。貴様も難儀な奴よな」


 桜司は苦笑しながら、周りの桜並木へ視線を逃がした。

 過日に伊月がこの街を訪った折に、落雷で焼かれ、引き裂かれた大木の残滓。それが数百年の時を経て桜並木へと変じ、桜司はいまこうして存在している。本殿近くにある小さな二本の苗木は小狐として桜司の元に現れ、共に狐として修行を積んでいる。

 どれもこれも、伊月が彼らに償いとして施したことだ。


「我は貴様に千鶴を譲るつもりはない。が、抱え込むつもりもない」


 そう言うと、踵を返し、本殿へ向けて歩き出した。後ろに伊月が着いてきているのを気配で感じ取りながら、桜司は続ける。


「彼奴が望むことを可能な限り叶えてやりたいと願うのは、我も同じだ」

「千鶴は……人の世の道理で悩んでいた。現世を外れれば、それは消えるのか」

「それはなかろうよ。そう容易く切り替えられるほど器用なら、いまも悩んでおらぬ。我らは長い刻をかけて、どれほど愛されて居るか彼奴に思い知らせてやれば良い」


 遠くで、桐斗が千鶴に飛びついたらしき、元気な声がした。それから、泣きはらした目を見て心配する声もする。


「我らの中で最も巧みに思い知らせて居るのは、猫であろうな」


 桜司が玄関扉を開けると、奥から桐斗が文字通り飛んできた。


「ちょっとー! なに千鶴泣かせてるのさ!」

「我に言うな」

「千鶴が泣くのに、おーじが関わってないわけないでしょ! てゆーか、伊月絡みならおーじだって関わってるようなもんじゃん!」

「喧しい」


 にゃあにゃあ鳴きながら足下をついて回る子猫のような桐斗をあしらいつつ、桜司は廊下を進んで行く。伊月はそんなふたりを眺めてから、静かにあとを追った。

 居間にはゲームをした痕跡だけが残っており、既に柳雨と千鶴は食卓のほうへ行っているようであった。この人間くさい有様を見てすっかり元通りだと思ってしまった己を自嘲しつつ、桜司も食卓へ向かう。


「おチビちゃん、落ち着いたか?」

「はい……何とか大丈夫そうです」


 食卓には、小狐に囲まれながら濡れタオルで目元を冷やしている千鶴と、席についてそれを見守る柳雨がいた。桜司たちが戻ったことに真っ先に気付いた柳雨が、ひらひら手を振って笑いかける。彼は居間の有様が示す通り、元通りの調子を取り戻していた。


「千鶴」


 肩に手を置いて声をかけると、千鶴はハッとして顔を上げた。目元はまだ赤く、涙の痕が残る頬も痛々しい。


「すみません、外まで呼びに来て頂いたのに、先に座ってしまって……」

「斯様なこと気に病むな。食後に薬湯を淹れさせるゆえ、飲んで休め」

「はい」


 桜司たちもそれぞれ席に着き、小狐たちは台所へと去って行く。

 食卓の上にはオムレツが載ったチキンライスが並んでいる。ナイフの先でつつくと、黄色い玉子がぷるんと揺れた。そっとナイフを入れれば半熟玉子がとろけて溢れ、紅いチキンライスをやわらかな黄色がふわりと包んだ。

 桐斗がうれしそうに歓声を上げ、柳雨はケチャップで猫の肉球を描いている。伊月はオムライスを初めて見るらしく、周りの所作を見てぎこちなく真似をした。


「小狐ちゃん、器用ですね……」

「どこで学んだやら。卵料理がお主の好物だと聞いて作ったそうだ」

「えっ、そうだったんですか……? じゃあ、あとで改めてお礼を言いに行きますね」

「うむ」


 頂きますと手を合わせ、スプーンで一口。玉子がとろりと口の中でほどけると共に、バターの香りが広がった。


「おーじのとこにいるとすっごくいい食材ばっか出てくるからさ、野良生活に戻れなくなるんだよね……」

「子猫ちゃんの野良時代って生前じゃん」

「そーだよー」


 さらりと重い話題が流れ、千鶴は思わず喉を詰まらせた。口元を押さえて俯きながら咳き込む千鶴の背を、桜司と伊月の手が左右から伸びてきて撫でる。


「千鶴、大丈夫か」

「っ、はい……何とか……」


 数分前にもしたようなやり取りをしつつ、水で喉を落ち着かせる。一つ息を吐くと、不思議そうな顔の桐斗と目が合った。その隣では、柳雨が愉快そうでありつつもどこかすまなそうでもあるという、器用な表情で千鶴を見ていた。


「おチビちゃん、たまに思わぬところで刺さるよな」

「すみません……ちょっと、驚いてしまって」

「いやいや」


 千鶴が噎せた以外は何事もなく、食事を終えた一同は誰が言うでもなく自然と居間に集まった。柳雨がいそいそとゲームの続きを起動するのを、千鶴は定位置で薬湯を手にしながら見守った。薬湯を受け取りながらオムライスのお礼を告げたとき、小狐たちは花弁を舞わせて元気よく尻尾を振っていた。

 今日のゲームは戦闘機で空戦をするものらしく、実写と見紛うグラフィックの大空を自在に飛び回っている。


「ねえねえ、これ前作に比べて機銃が弱体化されてる?」

「おー。だいぶ豆鉄砲になってんだよ。まあ、その分ミサイル当てりゃいいんだけど」

「それで命中させるから意味わかんないんだよねー」


 千鶴の目にはどちらも巧みに映るのだが、桐斗曰く「柳雨の腕前はエグい」らしい。いつぞや買い物に出かけたとき、柳雨と桐斗がアーケードゲームで対戦していたときも周囲に観客の群が出来ていた。


「……今度は、桜司先輩も一緒に出かけたいですね」


 あのときは桜司と身も心も離れてしまっていたことを思い出し、つい口からぽろりと零れ出てしまった。気付いたときには四人分の視線が集まっており、千鶴は慌てて手を振り「ごめんなさい」と言い繕った。


「そーいや、あのときはおーじいなかったっけ」

「オレ様たちが遊んでるあいだ、龍神サマのお守りをおチビちゃんに任せっきりだったからなぁ……確かに狐のもいると楽だわな」

「おい」


 しかし千鶴が遠慮しようとするのを押し流す勢いで、桐斗と柳雨が次の週末の計画を立てていく。最初は止めようとしていた桜司も、早くも諦めた様子でふたりを見守り、流されるままにしている。伊月は先ほどまで本に集中してたらしく、話についていけていないようだ。


「じゃあ、今度の休みは皆でお出かけしよ。千鶴、真莉愛ちゃんたちと予定入れてたりしない?」

「はい、それは大丈夫です」

「それじゃけってーい! お買い物久しぶりだなー」


 どうやら彼らの中で、ゲームの購入は特別な買い物のうちに入らないらしい。

 図らずもうれしい非日常の予定が一つ出来て、千鶴は苦しかった胸の奥が少し晴れていくのを感じた。

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