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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
参ノ幕◆龍神様
30/65

しあわせな鳥籠

 白い日の光が、障子窓を透かして差し込む朝。

 千鶴は覚醒間際のとろけた意識のまま、無意識に寝台の上に手を彷徨わせた。自身を包むしなやかな腕が、ぐっと千鶴の体を抱き寄せる。ぼんやりする頭で、昨晩は伊月が共寝をしてくれたのだと思い出し、うっすらと目を開けた。


「…………?」


 瞬きをして、目を擦る。しかし見間違いでも夢でもなく、目の前にある着物の色は、昨晩見た濃紺ではなく、目が覚めるような白だ。


「起きたか」

「え……と……??」


 背後からの声に振り返ると、昨日とは別の、藍色の着物を纏った伊月がいた。ならばやはり、逆隣で添い寝をしているのは別人ということになる。

 そろりと前に向き直り、一面の白を視界に収める。視線を上に移せば、少し不機嫌な望月がじっと千鶴を見つめていた。


「……お、桜司先輩……? いつ、戻って……」


 ただ並んで眠っただけで、後ろめたいことはなにもないはずなのに、どうも緊張してしまう。それは伊月の本心を知っているからか、それとも知った上で甘えている自分の狡さと情けなさからか。


「明け方にな。小狐は寝かせて居るゆえ、朝食は遅くなるぞ」

「は、はい……それは寧ろそうしてあげてほしいので……っわあ!?」


 桜司と話していると、背後から腰を抱かれて、あらぬ声が漏れてしまった。途端に、目の前の桜司が威嚇するように千鶴の背後を睨み付ける。


「貴様、いつまでそうしているつもりだ」

「千鶴はお前だけのものではないだろう」

「何だと」


 千鶴を挟んだまま一触即発の空気になったときだった。


「はいはーい、ふたりともそこまで!」


 元気な声と共に、手乗りサイズの子猫が千鶴の上に振ってきた。制止の声を上げると同時に跳び上がり、中空で猫に変化したらしい。

 桐斗を両手で受け止めると、千鶴は自分を捕らえている腕の力が弱まった隙に上体を起こして、火花が散っている空間から抜け出した。と同時に桐斗も人型に戻り、反応が遅れたふたりに見せつけるようにして、千鶴を抱きしめてにんまり笑った。


「おはよ、千鶴」

「おはようございます。あの……」

「柳雨なら大丈夫。居間にいるよ。怪我も治ったから安心して」


 聞きたいことを先回りで答えられ、千鶴は安堵の息を漏らした。そして背後の寝台を振り向くと、桜司と伊月が添い寝しているような光景が目に映って、小さく笑った。

 千鶴の視線に気付いた桐斗も、ふたりを見てつられて笑う。


「たまにはおーじたちもそーやって添い寝したら、仲良くなるんじゃない?」


 桐斗の言葉で、ふたりはいま自分たちがどんな状況であるかを理解し、それぞれ右と左に別れて寝台から降りた。色々と真逆で正反対なのに妙なところで息が合い、そしてよく似たところがあるのだと千鶴は思ったが、せっかく桐斗が収めたものを再燃させて余計な口論が始まっても面倒だからと、声には出さずにおいた。


「さ、着替えたら柳雨を尋問しに行こ。小夜ちゃん先生には休むって行ってあるから、大丈夫だよ」

「は……はい……」


 いいのかな、とは思いつつも、千鶴自身も彼になにがあったのかは気になっている。柳雨が話してもいいと思ったことなら、聞かせてほしいと思う。課題に関しては、次の登校日で許してもらうしかなさそうだ。

 桜司と伊月が退室し、桐斗も「あとでね」と言って寝室をあとにした。一人残された千鶴はそっと息を吐くと、箪笥から部屋着を取り出して寝間着から着替えた。


「お待たせしました」


 居間に入ると、柳雨は昨日の血に塗れて切り裂かれた着物から新しい着物に着替え、いつもの場所に座っていた。そしてその隣に桐斗がいて、奥のソファに伊月が、手前に桜司が座っている。


「千鶴、此方へ」


 桜司に招かれて隣に座ったとき、漸く本当に見慣れた光景が戻ってきたのだと心から安堵することが出来た。


「さて、説明してくれるんだよね?」

「……あー……まあ、話せば長くなるんだが……」


 指を絡めてしっかりと手を握りながら桐斗が言うと、柳雨は気まずそうに視線を横に逃がして呟いた。しかし左右どちらを向いても自分を見つめる眼差しがあり、逃げ場がないことを悟るだけに終わってしまう。

 暫く逡巡してから、諦めたように溜息を吐くと、柳雨は重い口を開いた。


「まず、あの手紙な。故郷からの呼び出し命令だった。それと……」


 袂から取り出した手紙は、血と雨で殆ど読めなくなっていた。慎重に開いていくと、墨で書かれた文字が、すっかり滲んだ状態で露わになる。


「手紙には霊峰に侵入者があったこと、人間の血を撒かれて霊峰全域を穢されたことが書かれてた。オレ様の一族は、力があるヤツほど清浄な空気の中でしか生きられねえ。だから血の汚染だけで、大半があっという間に弱っちまった」


 くしゃりと手紙が握りつぶされ、とうとう辛うじて文字が残っていたところも無残な有様になってしまった。

 息苦しいだけの故郷など、捨てたつもりでいたのに。いざ滅び行く様を目の当たりにしたとき、柳雨の胸中を喪失感が埋め尽くした。もっと冷酷になれたならこれほど胸を痛めることもなかっただろうかと、穢れに侵蝕された霊峰を見て自嘲した。


「そのあとだ。あの野郎が山に来て、弱ったヤツから喰っていった。山の連中は外では生きられねえ。かといって穢れた山でも長くはいられねえ」


 そう言うと、柳雨は自らの胸に右手を添えて目を伏せた。手の下、胸の中心が僅かに紅い光を帯びる。直接触れているわけでもないのに心音に似た微かな音が鼓膜を掠め、千鶴は目を瞠った。

 空気そのものが、生きているかのように震えている。囁きにも歌声にも似たその音は鼓膜を介さずとも体の内側にしんしんと響いてくる。


「霊峰の天鴉は、あの日滅んだ。残ったのは俗世に塗れたオレ様と、一族の宝だけだ」

「そっか……昨日、あのムカつくヤツが言ってたのって、それのことなんだ……」


 隣から柳雨の胸元を覗き込みながら、桐斗が呟く。千鶴もハッとして昨晩の意味深な言葉を思い出し、紅い光を見つめた。


「昨日? アイツなんか言ってやがったのか」

「……柳雨が家畜を掠め取ったから、仕置きをしたってさ」

「ああ、なるほどな」


 納得したようにそう言うと、柳雨は「ざまあみやがれ」とでも書かれていそうな顔で笑った。


「力の弱い連中を喰ってる隙に、族長が霊珠に一族の魂を封じてオレ様に植え付けた。最期の抵抗で立ち向かってた連中は文字通りの残りカスだってのに、穢れで弱体化しただけだと思って喰い散らかしてたあの野郎は滑稽だったぜ」


 千鶴は柳雨の話を聞いて、漸く昨晩の彼の神が柳雨に対してのみ隠しきれない怒りを抱いていた理由を理解した。そして、消えない傷だけを与えて去った理由も。


「黒烏先輩は、最初から人里に降りてもへいきだったんですか……?」


 いまの話で、ふと疑問が湧いた千鶴は、恐る恐る柳雨に尋ねた。

 力があるものほど清浄な空気でしか生きられない。千鶴自身が無力な人間であるのを差し引いても決して弱い神族ではない柳雨は、果たして人里で過ごしていて大丈夫なのだろうかと過ぎったのだ。


「ん? ああ、まあな。おチビちゃんは紅葉から軽く聞いてたろ」


 千鶴が頷くと、柳雨は桐斗の頭をくしゃくしゃ撫で回しながら話を続けた。普段なら髪が乱れると吼える桐斗も、今日ばかりは不機嫌ではあるもののだいぶ大人しい。


「オレ様は、生まれたときから異端だった。力を持ちながら人里でも居られるせいで、お堅い連中からはそりゃもう嫌われてたもんだ」


 けらけら笑って、柳雨は血を吐くような想いを吐露していく。話し始めの頃から手を握られている桐斗には、柳雨の痛みが伝わってきていた。が、だからこそ彼の強がりを否定せずに聞いていた。

 初めて妖としての自我を得た、あのとき。夜の翼に拾われたあの日から、桐斗だけは彼を真っ直ぐに見つめていたのだから。


「掟に従わないせいで何度か監禁されたり折檻されたりしたけどな、そんなんで歪んだ根性が真っ直ぐになるわけねえのさ。山を出て、オレ様はずっと清々したと思ってた。あんな息苦しいところ、なくなったってどうとも思わねえだろうってな」


 或いは、そう言い聞かせていたのだろう。

 皮肉なことに、異端である柳雨だけが生き残る術を持っていた。清く正しい者たちは清いがゆえに命を落とすこととなった。一族の側も苦渋の決断だったのだろうことは、一族の柳雨への扱いと、柳雨の故郷に対する想いからして想像に難くない。


「烏合の衆だったのが、いまやすっかり絶滅危惧種ラスワンってわけだ。笑えるぜ」


 その言葉を最後に、柳雨は仰け反る格好でソファに深く背を預けた。黒い袖で目元が覆われていて、彼がいまどんな表情をしているのか周りからは読み取れない。繋がれたほうの手は、痛みに耐えるかのようにキツく握り締められている。

 沈黙が肌を刺す。千鶴も桐斗も、何と言葉をかけるべきか判断出来ずにいた。伊月は元々口数が多いほうではなく、気休めを言う性格でもない。


「鴉よ」


 重苦しい静寂を破ったのは、桜司の声だった。


「いまの貴様には気休めにもならんだろうが、貴様の帰る場所は、此処にあるのだぞ」


 スッと立ち上がり、桜司は「小狐共を起こしてくる」と言いながら、居間の入口へと向かった。障子戸を開いたところで、ふと振り返り、


「散々我の離れにあれほどゲームで営巣しておいて、今更違うとは言わせぬ」


 それだけ言うと、廊下の奥へ消えていった。

 千鶴は桜司を見送ってから柳雨へ視線を戻し、一度立ち上がってから桐斗の隣に腰を下ろすと、乱れた髪をそっと手ぐしで直しながら呟く。


「わたしは、黒烏先輩が赤猫先輩とゲームしているのを見るの、好きですよ」


 こんなことなら、普段からもっと髪いじりを学んでおくのだったと後悔しつつ、いま出来る限りの手直しを不器用なりに施していく。ふわふわのツインテールは羊のような綿菓子のようなシルエットで、真っ直ぐ切り揃えられた前髪の対比が可愛らしい。

 綺麗になったところで、伊月を見る。相変わらず表情が読みにくいが、彼なりに心配している様子が伝わってくる。


「……あの、青龍先輩。表のお掃除、手伝って頂けませんか? 小狐ちゃんたちは遠征帰りなので、今日くらいはお手伝いしたいんです」

「わかった」


 千鶴が立ち上がりながら声をかけると、伊月も察して頷いた。

 最も身長差の大きいふたりが、連れ立って居間を出て行く。残されたふたりは、暫くただ並んで座ったまま、なにも言わずにいた。


「……子猫ちゃん」

「なーに」


 柳雨が身動ぎしたのを視界の端で捕らえたかと思うと、桐斗はソファに押し倒されていた。仰向けの視界には、綺麗な白木の天井しか映っていない。視線をどうにか下へとやれば柳雨の頭頂部が見えるが、苦しいので諦めて仰向けのままでいることにした。

 昨晩とは逆に、桐斗が柳雨の敷き布団になっている。そこはかとなく、啜り泣く声が聞こえるような気もするが、気のせいな気もする。

 確かめようがないのだ。何故ならいまの桐斗は、ただの敷き布団なのだから。キツく抱きしめる腕が少しばかり苦しくても、布団は文句を言ったりしないものだ。


「はー……やっぱ子猫ちゃんは、このサイズがいいな」

「うっさいよ、ばか」


 前言撤回。布団でも、聞き捨てならない言葉には反抗したい。

 ぺちっと情けない音を立てて柳雨の後頭部を叩くと、くぐもった笑い声が漏れた。

 台所のほうからは、小狐たちが忙しなく食事の支度をする音が聞こえる。拝殿がある方向では、竹箒で掃き掃除をしている乾いた音がする。昨晩の土砂降りで地面はだいぶ濡れたと思ったが、そういえば伊月も掃除に出ているのだと思い直した。


「オレ様には帰る場所も日常も、無縁だと思ってたんだけどなぁ……」

「ちょっとー、人間の思春期みたいなこと言わないでよ」

「はは。……そんじゃ、反抗期は卒業しますか」

「そーして」


 暗い夜が明け、朝が来たことに安堵する。まるで、か弱い人間のように。

 別室からの生活音に浸りながら、ふたりは暫し互いの体温を確かめ合っていた。

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