祈りは何処
新学期が始まって、一ヶ月が経った。
月末開催の文化祭へ向けて、クラスや部活動などでの出し物についての話し合いで、どこも賑わっている。千鶴たちのクラスも同様に、HRの時間を使ってなにをしようか議論が交わされていた。
学校全体が、そこはかとなく浮き足立つこの時期。必然的に小さな事故が起きやすくなるもので、小競り合いの声やなにかをひっくり返す騒音が目立つようになっていた。
前期試験も全て終わり、放課後残って復習するような勉強熱心な生徒は最早おらず、秋の大会へ向けて部活動に勤しむ生徒以外は帰路についている時間帯であるはずだが、神蛇に頼まれた手伝いを終えて教室へと戻る最中、千鶴は進行方向に人の気配を感じて首を傾げた。
(あれ……? まだ残ってる人がいる)
千鶴が教室に向かうと、女子生徒が五人ほど集まって紙や硬貨を机に並べ、なにかの準備をしていた。だが、わざわざ友人でもない生徒に声をかける理由もないため構わず鞄を引っかけて出入り口に向かう。抑も、集まっている人のうち二人は同じクラスだが残る三人は別クラスで、顔も名前も知らない人なのだから。
「あとなにが必要だっけ?」
「古いお金は持ってきたから、お酒は?」
「あるよ、お父さんのちょっとだけ持ってきた」
話しながらも、着々と準備が進んでいく。教室に微かだが日本酒の匂いが漂ったが、千鶴は気付かないふりをして退室した。
「……行った?」
「アイツ、チクったりしないよね」
「そしたら黙らせればいいじゃん」
潜めたふりで聞こえよがしな、物騒な会話は聞かなかったことにして。
帰りがけに、彼女たちの隙間から準備している道具が見えたが、こっくりさんで使う紙に似たものや透明な液体の入った白い盃、古い日本円の硬貨などが並んでいた。
「龍神様龍神様、私たちの声をお聞き届けください」
階段に差し掛かった頃。背後の教室から、息を合わせて龍神様に語りかける二人分の声が聞こえてきた。
(……あれ……この街でいう龍神って、青龍先輩のことじゃ……?)
文化部部室棟を目指しながら、ふと気付いた。
遠ざかりながらも静かな廊下で聞こえてしまった、彼女らの質問を思い返してみる。とある男の先輩の好みのタイプと、とある若手俳優が付き合っているという噂の女優は本当に恋人なのかという問いまでは聞こえた。恋愛事に偏ったこれらの問いに、伊月が律儀に答えている様を想像してみるが、全く浮かばなかった。
そんなことを思いながら扉を開けると、室内にいるのは伊月と桐斗だけだった。
「あ、千鶴お帰りー」
「赤猫先輩、ただいま戻りました」
椅子を引いて座面をペタペタ叩いて促され、千鶴は呼ばれるまま隣に座った。伊月はいつになく難しい顔をして、携帯端末をいじっている。
「伊月、どしたの?」
「新聞」
「あいあい」
伊月の簡潔な答えにも慣れた様子で、桐斗は自分の端末を取り出して操作を始めた。
犬神新聞とは、その名の通り犬神が取材、執筆、編集、配信を行っているウェブ上と紙面の両方取り扱いがある異界の新聞だ。主な配信先は、特殊な方法でアクセス出来る犬神新聞公式サイトで、桐斗たちは千鶴が直接被害を被らない限り、街の異変や怪異をここで知ることが多い。
「えーなになに…………ぷっふふ、あははっ! 嘘でしょ、なにこれー!」
突然桐斗が大笑いを始め、千鶴が何事かと視線をやる。桐斗のほうを向けば必然的にその奥にいる伊月も視界に入るのだが、より一層眉間の皺が深まった伊月が見えた。
「あの……なにがあったか聞いても……?」
「あーうん、ちょっと面白いことになってるんだよね」
桐斗が画面を千鶴に寄せて見せる。そこには、古い書体で書かれた新聞記事を写した画像のように加工された記事が表示されていた。見出しには『今夏は、こっくりさんに代わって龍神様が人間のあいだで流行!』と大きく書かれていて、記事本文には千鶴が先ほど帰り際に見たものと同じ、龍神様の内容が事細かに書かれている。
「これ、わたしもさっき教室で見ました。こっくりさんと違って、幽霊とかを呼び出すわけじゃないから安全って……どういう根拠なんでしょう……?」
新聞には『低級霊を呼び出すこっくりさんと異なり、龍神様はその名の通り龍神様に直接お伺いを立てるまじないであるため、安全であるとされている』とあるが、流行のわりに伊月が人間からなにか問われている様子は見えない。となれば、彼女らがもしもあのまじない遊びで反応があった場合、それに応えたのは何なのか。
「千鶴は知らないかもだけどね、三十年か五十年? くらい前にエンジェル様ってのが流行ってさ、そんときも低級霊じゃなく天使さまだから安全だって言ってたんだよ」
「流行りは巡るって言いますけど、こういうのもなんですね……」
呆れと軽蔑を滲ませた桐斗の物言いに、千鶴はどうにも形容しがたい感心を滲ませて嘆息した。そのときその場所でなにが流行っているかなど気にしたこともなければ便乗したこともない千鶴にとって、鬼灯高校での流行り廃りはとても目まぐるしく感じた。
「ほっといていいと思うけど、千鶴のクラスでやられたんじゃもしかしたらまたなんか起きるかも知れないね」
桐斗の大きな猫目が悪戯そうに細められる。
その言葉はある意味予言として、近い未来を言い当てていたのだった。
「あ……いけない、忘れ物……」
結局この日は、これといって例の手紙もトラブルもなく、何となく集まって何となく解散する流れとなった。昇降口で靴を手にしたところで、千鶴は明日提出の課題で使う資料集を忘れたことを思い出し、足を止めた。
「え、大丈夫? 僕も付き合おっか?」
既に靴を履いている桐斗の足元を見、千鶴は首を振った。
「いえ、さすがにこの時間なら人もいないと思いますし、すぐとってきます」
「ん……なんかあったらなりふり構わず叫ぶんだよ?」
「はい」
千鶴は手にした靴を一度靴箱へ戻すと、階段を上って教室を目指した。
(あれ……まだ人の気配がある……?)
教室の灯りはついていないが、人が動く気配と微かな話し声がした。近付くにつれ、その内容が僅かだが聞き取れるようになってくる。
「……様が……のは、……ですか?」
「……が、……は……わたしですか?」
「私は、………なく、それを……します」
不自然な再翻訳をそのまま読み上げているような会話に、思わず足が止まる。室内を見れば、三人の生徒が一つの机を囲んで俯いたままボソボソと呟いていた。残る二人は先に帰ったのか、教室にはいない。
どうしたものかと迷っていると、三人の動きがピタリと止まり、一斉に千鶴のほうを向いた。
「っ……!」
その顔は作りの甘い蝋人形のように無機質で、髪型や制服にそれぞれらしさが残っている分、より不気味さを増していた。彼女らは千鶴を見つめたまま、機械音声のように「龍神様」と繰り返した。
そして―――
「龍神様龍神様龍ジンさマリュウジマンジサマリュウサ、ジン、サ、リュ……ジ……」
そうかと思えばノイズ混じりのラジオめいた声を途切れ途切れに零しながら、千鶴に掴みかかってきた。二人がかりで両腕を取り押さえ、残る一人がカッターナイフを振り上げる。
「や……っ!」
刺される――! と、目を閉じ覚悟して衝撃を待ったが、一向に痛みが来ない。その代わりに、一拍おいて「ぎゃっ」という獣を蹴り飛ばしたような声がした。
恐る恐る目を開けると、千鶴の前に燕尾服を着た見知らぬ男性が立っていた。
「え……あ、あなたは……?」
まず目につくのは、左の顳顬に二本の細い編み込みをして、後頭部でハーフアップにした緋色の髪。瞳も深い緋色で、虹彩は一目で人間のものではないとわかる、鋭い形をしている。左目を縦断する大きな傷跡や、斬首したあと縫い付けたように首をぐるりと一周する縫い跡などがくっきりと見え、千鶴は思わず目を瞠ってしまった。
「お答えする前に、そちらをまず片付けてしまいましょう」
穏やかな笑顔でそう言ったかと思うと、千鶴を取り押さえている生徒二人を容赦なく蹴り飛ばして壁に叩きつけた。倒れる瞬間、先ほども聞いた獣じみた悲鳴が聞こえた。ということは、千鶴にカッターを振り上げていた生徒も同様に蹴り飛ばしたのだろう。
辺りが静かになったところで、紅髪の男性は千鶴に向き直った。
「さて、お怪我はありませんか、お嬢さん」
身形は派手だが丁寧な物腰で、千鶴を安心させるよう視線の高さを合わせて尋ねる。まだ心臓がうるさく騒いではいるが、パニック状態からは脱することが出来た千鶴は、そろりと頷いて答えた。
「は、はい……お陰様で……」
「それはなによりです。しかし、あなたのような可憐なお嬢さんがお一人でこのような時間に外を歩いているのは感心しませんね」
「すみません……えっと、忘れ物をしてしまって……」
千鶴が教室を見ながらそう言うと、男性は道をあけるようにして脇に退いた。廊下で伸びている三人のことも気がかりではあるが、まずは本来の目的を果たすべく、自分の机をあさって危うく置いて行くところだった資料集を鞄にしっかり詰め込んだ。
「ご用事はお済みですか?」
「うわあ!?」
いつの間に背後にいたのか、耳元から声がして思わず叫んだ。しかし男性は、そんな千鶴の様子にも構わずに、マイペースに自己紹介をした。
「申し遅れました。私は百鬼と言います」
「あ、えっと、四季宮千鶴です」
「これはご丁寧に。私はこの町で町長をしているものでして」
「えぇ!?」
驚いて目を丸くしつつ声を上げる千鶴を、百鬼は楽しげに笑って眺めている。笑顔になると大きな八重歯が見え、益々口調と見目の印象差が開いていく。
「ち、町長さんが、どうして学校に……?」
「理事長さんと、文化祭のご挨拶などに関して、打ち合わせを行っておりました。私は普段表には出ず、代理に任せているのですが……何年もそれではいい加減顔も立たなくなりますので」
「なるほど……」
千鶴からすれば町長が学校内に突然現れたように見えるが、用事自体は行事に関わるごく普通の内容であった。
そこで、千鶴は驚き過ぎてまともにお礼を言えていないことに気付いた。
「あっ……あの、助けて頂いてありがとうございました」
「いえ。可愛らしいお嬢さんが無事なら、苦労のうちにも入りませんよ」
暢気に言いながら、百鬼は襟首を掴んで生徒たちを教室に放り込んでいる。そして、さっきまで龍神様を行っていた机の周りに三人を寝かせると、一仕事したと言いたげな晴れ晴れとした表情で手を叩いた。
「では、下まで送っていって差し上げましょう」
「ありがとうございます……あの、彼女たちは……」
「一応小夜子先生に免じて手加減はしましたから、死ぬことはありませんよ。この時季ですから風邪くらいは引くかも知れませんが、死ぬよりはマシでしょう」
見知らぬ生徒とは言え心配ではあるが、一人で三人を保健室まで運ぶことなど出来るわけもなく。千鶴は彼女たちが明日無事で登校してくれることを内心祈りつつ、教室をあとにした。




