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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
逢ノ幕◆千里の轍
24/65

花屋街というところ

 嵐が去り、あとには荒れ果てた室内と金棒を叩きつけた床の跡だけが残された。よく床が抜けて落ちなかったものだと思うほど、くっきりと金棒に付いていたトゲの跡まで残っている。


「はぁ……びっくりした」


 バサリと紙を落としながら立ち上がり、桐斗はまだ呆然としていて動けない桜の傍に歩み寄った。


「桜、大丈夫?」

「……っ、は……はい……先輩は……怪我、してませんか……?」

「僕は大丈夫」


 桐斗が正面にしゃがんで声をかけると、桜は漸く我に返り、そろりと頷いた。意識は戻ったものの衝撃が大きすぎてまだぼんやりしているようで、表情に精彩がない。


「ほんとに大丈夫……?」


 改めて頬に手を添えながら訪ねると、桜は小さく頷いて、そのまま項垂れた。視線の先を追うと、吹き飛んだ衝撃で紙束の下敷きになってしまった折鶴が潰れていた。


「あ……その子……」


 桜の目から涙が落ちる。着物の膝を濡らしながら、桜は両手で掬うようにして折鶴を拾い上げた。


「わたし、なにも出来なくて……先輩の傍に行くことすら……ごめんなさい……」

「桜……そんなの気にしなくていいんだよ。僕こそごめんね。おーじに頼まれてたのに護ってあげられなくて……」


 桜は首を振り、折鶴をこれ以上潰してしまわないよう大切に手のひらで包みながら、桐斗に縋り付いた。桜の涙が着物に染みて、桐斗の肌に触れる。そこからじわりと体を熱が包むのを感じたけれど、引き離すことはせずにしゃくり上げる背中を撫でていた。


「桜ちゃん。その子、直せるよ」


 涙でぐしゃぐしゃの顔で、桜がセンリを見上げる。髪に隠れて見えないはずの目が、やわらかく細められているように見えた。桐斗は桜の体を支えて立たせると、センリの傍まで連れて行って桜を促した。


「ほんとに、直せるんですか……?」

「うん、大丈夫。この子たちは私の式だからね」


 桜が差し出した折鶴を受け取ると、センリは両手の中に包み込んだ。膨らませた手の中に、ふうっと一息吹き込んでから、桜に笑みを向ける。


「直ったよ」


 隠していた宝物を見せるような仕草で、センリが手のひらを開いてみせる。すると、くしゃくしゃに折れてしまっていた折鶴が綺麗な翼を広げて、桜の周りを飛び回った。


「っ……良かった……先輩……」

「うんうん、良かったねえ。桜、この子気に入ってたもんね」


 またもしがみついて泣き出してしまった桜を宥めながら、桐斗が優しく言う。温かい涙が桐斗の体に染みていく。少し前までズキズキ痛んでいた背中から痛みが引き、強く打ち付けた頭の鈍い痛みもじんわりと溶けていく。襟が食い込んで違和感が残っていた喉元もあっという間に楽になった。

 やがて体の芯が熱くなるのを感じ、桐斗は桜の肩をぽんぽんと叩いた。


「桜、桜、そろそろ泣き止んでくれないと……」

「……? あ……ご、ごめんなさい……!」


 慌てて体を離し、手の甲で涙を拭う。以前にも小狐たちに同じことをしたばかりだというのに、また子供のように感情を露わにして迷惑をかけてしまった。


「大丈夫。僕は小狐ちゃんたちほど幼くないし……血を浴びたわけじゃないからね」


 笑って言いながら、袂からハンカチを取り出して桜の頬を拭う。目元が赤く染まっているのを見て、桐斗は内心で桜司に怒られる覚悟を決めた。


「ああ、そうだ。桜ちゃんは花屋街、初めてだよね」

「はい」

「それなら、少し観光していくといい。せっかくきたのだし、怖い思いをしただけじゃ思い出もなにもないからね」


 そう言うと、センリはさらさらと一枚の和紙になにかを書き付けた。そしてその紙を桐斗に手渡し、にこりと微笑む。


「ここは……」

「案内をしておやり。店には私から話を通しておくよ」

「わかった。僕も、桜に街を嫌いになってほしくないし……」

「先輩……センリさんも、ありがとうございます」


 涙の痕が残る頬を緩めて微笑み、桜は深く一礼する。乱入してきた鬼との出来事は、彼らにも街にも何の罪もないことだ。それでも、未来の新入りである自分のために心を砕いてくれたことがうれしくて、恐ろしかった思いがほどけていくのを感じた。


「じゃ、僕らはそろそろ行こっか。次のひとも来る頃だろうし」

「はい。センリさん、今日はありがとうございました」

「またね。桜守の白狐によろしく」


 桜はセンリにお辞儀をして、桐斗は元気に手を振って、そうしてどちらからともなく手を繋ぐと、センリの部屋から退出した。

 城郭を出るところで、衝撃的な出来事のせいですっかり忘れていた門兵の姿を視界に捕らえ、桜がビクッと反応した。悪いことをしているわけでもないのに、なぜか彼らの傍を通るときは緊張してしまう。

 そんな桜の様子に小さく笑って、桐斗は手を握り直した。


「大丈夫、噛まないよ」

「うう、わかってはいるんですけど……」


 恥ずかしそうに俯く桜の手を引き、橋を渡る。門を抜けた先は、変わらず夜空に橙の灯りが滲む街並みが広がっていた。


「先輩、センリさんが紹介してくれたお店って、どんなところなんですか?」

「んっとねー、一つはお持ち帰りも出来る甘味屋さんだよ」

「複数あるんですか?」

「うん。もう一つは行ってからのお楽しみ。まずはお茶しよっ」


 弾んだ声で、足取りで、桐斗は桜を導いていく。好きな場所や好きなものを、好きな相手に紹介できるのがうれしいと、桐斗の全身が物語っている。

 目当ての店は、大路に面した一角に構えていた。見るからに大店で、軒下から地面にかけて大きく広げられた藍染めの日よけ暖簾には不思議な字体で屋号が記されており、入口を飾る暖簾も同じ素材で出来ている。ただ、この街は人間以上に体格差がある者が住んでいるからか、入口はとても大きく、暖簾の位置も桜の記憶にあるものより遙かに高い。


「こんにちはー!」


 桐斗が店の奥に声をかけると、パタパタと草履の足音が向かってくるのが聞こえた。足音の主は時代劇で見る茶屋の女将めいた格好の、二足歩行の三毛猫だった。猫の耳や尾が生えた人間などではない、全身丸ごと猫の姿をしている。


「いらっしゃい、鬼灯町の子猫ちゃん。今日はお友達も一緒かね」

「うん。桜っていうんだ」

「初めまして。桜です」


 桜がお辞儀をして挨拶すると、三毛猫の女将は金色の大きな猫目を細めた。


「行儀のいい子だねえ。あたしは山瑠璃屋の虎尾だよ」

「虎尾さんのお団子、街で一番美味しいんだよー」

「あはは、おだてるねえ」


 からからと笑って手を振ると、虎尾はふたりをショーケース前に呼び寄せた。綺麗な硝子ケースの中には漆塗りの盆に盛られた団子や大福が並んでおり、店の奥では職人がいままさに丹精込めて菓子作りをしているところが見える。その職人も皆それぞれ色や柄の違う毛並みの猫で、肉球の手で懸命に団子生地をこねている。


「今日は食べていくのかい?」

「うん、あとお土産もお願いね」

「はいよ。桜守様に差し上げるんなら白餅も包もうかね」


 虎尾は「ちょいと待っておいでよ」と言うと店の奥へパタパタと駆けていった。奥で作業している職人たちに何事か声かけしたかと思えばすぐに戻ってきて、ふたりに傍の席を勧めた。


「はい、お茶とお団子だよ。白餅はもうすぐ出来上がるのがあるから、そっちを持ってお行き」

「ありがとー」


 二人掛けの席にそれぞれ腰掛け、供された団子を食べながら白餅の完成を待つ。


「あ……美味しい」

「でしょー?」

「はい」


 まるで自分のことのように得意げな顔で言う桐斗に頷くと、桐斗はうれしそうに目を細めた。


「それに、ここから見える街並みも凄く綺麗ですね」

「わかるー。だから大路には老舗が多く並ぶんだよ」


 この席からは開かれたままの扉から大路を望むことが出来る。道を行き交う妖たちの賑わいを眺めていると、本当にこの街の一員になったかのような感覚がしてくる。

 恰幅の良い体を見るからに上等な着物で包んだ大蛙が悠々と歩いている奥を、山犬の飛脚が飛ぶように駆けていき、その後ろを銘々風車や玩具の飛行機を手にした狸や狐の子供たちがはしゃぎながら追いかけていく。飛脚に引き離されたあとは、その場で円を描くように駆け回ったかと思えば、来た道をまた笑いながら駆け戻っていく。

 種族も姿形も関わりなく交じり合った光景を、桜は時も忘れて見入っていた。


「お待たせ」

「わーい」


 虎尾と桐斗の声でハッとして店に視線を戻すと、団子や白餅を包んだ風呂敷を手に、虎尾が立っていた。店の奥から漂ってくる香りとは別に、目の前の風呂敷からも蒸した餅米特有の優しく甘い香りがする。


「こしあんの団子と白餅、それから豆大福も入れといたよ」

「ありがと! 久しぶりだから楽しみだなー」


 桜も立ち上がり、桐斗の横に立って風呂敷を覗き込む。現世での買い物ではビニールバッグが大半だったので、何だかとても格調高いところにいる気がしてしまう。実際、そうなのだろうとは思うのだが、意識するとまた緊張がぶり返しそうだったので、桜は愛想良く桐斗と話す虎尾の姿を見て、己の余分な思考を逃がした。


「急に来たのにありがとね」

「いいんだよ。また遊びにおいで」


 店の号が入った藍の風呂敷を腕に抱え持ちながら桐斗が改めて虎尾に向き直って礼を言うと、虎尾もにこにことそれに答えて優しく頭を撫でた。


「桜ちゃんもね。気に入ったならまたおいで」

「はい、ぜひ」


 ふたり揃ってお辞儀をして、山瑠璃屋をあとにした。

 桐斗の腕には、まだ温かい土産が抱えられており、隣を歩いていると未だ山瑠璃屋にいるかのような匂いが漂ってくる。


「さっきの虎尾さんはね、江戸の商家で買われてた猫なんだよ」

「江戸……」


 歴史の授業か時代劇でしか聞かないような単語が出てきて、桜は思わず反芻した。

 虎尾は江戸で栄えたとある商家で子猫の頃から飼われていた三毛猫で、食べ物を扱う店のネズミ番として大事にされていた。また、愛想の良い性格から客にも愛され、店の入口脇に専用の昼寝席を設けてもらっていたという。当時の猫にしては長生きをして、飼われてから十年間招き猫を勤め上げた。

 虎尾亡きあとは彼女の子供たちが跡を継ぎ、当時の山瑠璃屋は、とら屋に名を変えて現世の日本橋でいまも和菓子を売っているのだと桐斗はいう。


「それじゃあ、そこに行けば虎尾さんや飼い主さんの子孫の人に会えるんですか?」

「うん、たぶんね。僕もあっちのは行ったことないから詳しくはないんだけど」

「意外ですね。もっと色々出かけていると思ってました」

「僕は白狐村の妖だからねー」


 そう言うと、桐斗は妖と土地の話を掻い摘まんでし始めた。

 土地に根差した妖は、滅多にその土地を離れることがない。神族と違い明確な領域があるわけではないが、土着のものはその場所でこそ力を発揮することが出来る。余所に行っているあいだに致命的な悪意に触れた場合、対処が出来ない可能性があるのだ。

 桐斗は白狐村で生まれ、鬼灯神社で育った。ゆえに、桜守狐の加護の許でこそ本来の力を発揮することが出来る。仮に余所へ行くことがあったとしても、不本意ではあるが柳雨や桜司の付き添いがあって初めて可能となるのだ。

 そのことを簡単に説明してから、桐斗はわざとらしく頬を膨らませて見せた。


「ほんとはさ、僕が桜を護るから色んなとこに行こうって言いたいんだよ。でも、僕が連れてこられるのは、花屋街が精一杯。今回おーじが珍しくふたりでお出かけするのを許してくれたのも、それを知ってるからだと思うよ」

「そういえば……なにも言いませんでしたね」


 言われてみれば、態度が軟化したとはいえ桐斗とふたりだけで出かけると言っても、渋る素振りを見せなかった。あれはそういうことだったのかと今更ながらに納得する。そして桜は、納得と同時に、やはり桜司は桐斗を家族同然に思っていると確信した。

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