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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
逢ノ幕◆千里の轍
23/65

花屋街の守人

 暫く行くと、前方にひときわ大きな建物が見えてきた。城郭とも塔とも取れる立派な佇まいに、思わず息を飲む。


「センリはこの中の交換所にいるんだよ。迷いやすいから手を離さないでね」

「はい」


 しっかりと手を握り直して、聳え立つ城門を越えた。城門の向こうには木製の大きな橋が架かっていて、橋の先に見える大扉の両脇には門兵らしき妖がふたり、大槍を手に背筋を伸ばして立っている。

 彼らは、奇妙な文字とも紋様ともつかぬなにかが書かれた布の面をつけており、橋を渡って近くまで行っても顔が見えない。黒一色の袴と大槍、伊月に並ぶほど高い身長と佇まいの全てが威圧感を放っていて、桜は思わず桐斗に身を寄せた。


「大丈夫だよ、桜」

「は、はい……」


 緊張しながら、桐斗に手を引かれて扉を越える。門兵のようなふたりは桜たちが傍を通り抜けても正面を向いたまま、ピクリともせず直立不動でそこに在った。あまりにも動かないので置物かと一瞬過ぎったが、傍を抜けたときの生の気配がそれを否定した。

 扉の先にはホールのような空間が広がっており、吹き抜けになっているのか、天井は高すぎて視認することが出来ない。周囲を半円形の壁と通路が囲んでいて、それぞれに奇妙な文字で行き先が書かれているらしかった。

 城郭は日本家屋風の作りをしていて、壁も床も木製なため草履のまま進むのに抵抗があったが、靴を脱ぐ場所がない上に桐斗が構わず進んで行くので、抵抗感を押し殺して桜も隣をついていった。


「さて、六階まで上るのはしんどいから昇降機……えっと、エレベーター使おうね」

「えっ、エレベーターがあるんですか……?」

「意外でしょー?」


 どこか得意げな桐斗に導かれるまま、ホールから伸びる道の中でも一番広い、正面の通路を進んで行く。通路の壁には等間隔に扉が並んでおり、扉の横には小さな看板と、灯籠に似た灯りが一つ付いている。そこはどうやら通路ではなく現世にある施設でいうところのエレベーターホールのようで、扉の近くには到着を待つ妖がちらほら見える。


「これだよ。センリのとこまで行くヤツ」


 やがて一つの扉の前で足を止めると、桐斗は扉脇に張り付けられた板に手を触れた。押せそうなものはなにもついていないただの木の板に見えるが、これがエレベーターの呼び出しボタンのようなものだろうかと思いながら見ていると、桐斗が触れた箇所が、手のひらの形にぼんやりと紅く光った。

 直後、ガタンという小さな音が扉の向こうから聞こえたのとほぼ同時に扉が開いて、中からふたりの大きな妖に両手を繋がれた形で、幼い妖が飛び跳ねながら降りてきた。小さい妖は、大きい妖になにやらうれしそうに話しかけていて、大きい妖もまた、その話を微笑ましそうに聞いている。

 確かめるまでもない。彼らは親子なのだ。それも、揃ってお出かけするような、仲の良い親子。


「行くよ、桜」

「あ……は、はい」


 楽しそうに話しながら遠ざかっていく親子をぼうっと見送っていたことに気付いて、桜は慌てて乗り込んだ。中は円筒形になっていて、床も壁も木目が剥き出しの木造だ。床には大きな筆文字で――これはなぜか桜にも読める文字で――昇降と書かれており、壁を見ても行き先の階を示す表示もなければ、押しボタンも見当たらない。


「いい家族だったなぁ……」


 扉が閉じてふたりきりになったところで、桐斗がぽつりと呟いた。

 不思議なことに、床板だけがゆっくりと上昇していく。エレベーターは箱状のものが人を運ぶがここの昇降機は床板だけが上下する仕様のようで、壁に寄りかかっていたら背中が擦れて焼けてしまいそうだと思った。


「……ああいうの、憧れちゃうよね」

「はい……」


 桜も桐斗も、家族を知らない。物心つく前のことはわからない。けれど、覚えている限り、あの家族のように過ごしたことはない。更に桐斗は幾度となく孤独な死を迎えている。消えることのない数多の死の記憶と愛されたかったという願いを抱えて、それが叶えられないままここにいるのだ。


「おーじはいっつも面倒臭そうにするけど、何だかんだ優しいからさ、僕みたいなのも見捨てられないんだよね。僕が白狐村出身だからってのもあるんだろうけど」


 ぽつり、ぽつりと、桐斗が思いを零していく。

 柳雨に拾われ、桜司に預けられて、桐斗は護られながら生きて来た。それは桐斗が、桜司が護るべき白狐村を構成するものの一部だからだと桐斗は言う。


「でも……それだけじゃないって、わたしは思います」

「そうかな……?」

「はい。わたしは以前の先輩を知らないので、いまの話しか出来ませんけど……いまの先輩は、とても優しい顔をしています。皆といるときも、仕方なく置いてやってるって感じじゃないですよ」

「そっか……そうだといいな」


 微かな浮遊感と共に上昇が止まり、鈴の音がして扉が開く。扉の先は、また半円形の空間になっていて、正面には太い通路が延びている。右側を見ればすぐ目の前に大窓が並んだ細長い空間があり、これまで通ってきた街並みが一望できるようになっていた。どうやらここは休憩所も兼ねているらしく、背もたれのない長椅子が並んでいる。

 行き先は正面の通路。手を繋いで進んで行き、突き当たりにある両開きの扉の前で、桐斗は「センリー、来たよー」と、友人宅に遊びに来たような調子で声をかけた。


「待ってたよ」


 扉の向こうから声がして、軋む音を立てながら、ゆっくりと扉が奥へと開いていく。扉の大きさに見合った広い部屋と高い天井、暗色の木で出来た床の上には、緋色の地に金の糸で刺繍がされた絨毯が敷かれ、それは入口から真っ直ぐ奥に伸びている。部屋の壁は天井まで届くほどの本棚で覆われており、棚には一分の隙もないほどにびっしりと和紙が詰まっている。頭上に張り巡らされた紐には、墨で『仟』と書かれた生成の布が等間隔にいくつも吊り下げられている。

 そして、正面奥。見上げる高さに組まれた番台にも似た座の上に、そのひとはいた。暗緑色の着物に山吹と橙の帯。肌は褐色で、身長のわりに手が大きい。長い髪で目元が隠れており、表情は窺えない。けれど纏う雰囲気が想像していたよりやわらかく、桜は部屋に入るまで緊張で強ばっていた体が、少しだけ和らぐのを感じた。


「君は初めまして、だね。私はセンリ。ここで人里を見守る任を負うものだよ」

「初めまして。今日は先輩の用事に同行させてもらって来ました」


 桜がぺこりと頭を下げて挨拶すると、センリは「そう堅くならないで」と優しい声で言った。


「センリ、手形交換お願いー」

「はいはい、ちょっと待っておいでね」


 桐斗が背伸びをして手形を差し出すと、センリはそれを受け取ってめくり始めた。

 広い室内に、紙をめくる乾いた音だけが響く。何の気なしに室内を見回すと、上空といえるほど高い天井付近を、折り紙の鳥に見えるなにかが飛び交っているのが見えた。不思議に思いじっと目を凝らして見つめている桜の目の前に、ふと一枚の紙がひらりと舞い降りてきた。


「鳥さん……?」


 それは桜が見つめていた鳥たちの一羽で、真っ白な折り紙の鶴だ。

 折鶴は桜の手に降り立つと手の上で水鳥のように羽ばたいてくつろぎ始めた。他にも違う種類の鳥が飛び交っていて、まるでこの部屋全体が渡り鳥の休憩地のようだ。


「その子」


 不意に声が降ってきて、桜は顔を上げた。声の主であるセンリは依然手元を見ながら忙しそうに作業をしていて、桜のほうは一瞥もしていない。


「君の担当だよ」


 思いも寄らない言葉に、桜は目を瞠った。

 センリは花屋街に登録している妖を見ている存在のはず。桜はいま、目眩ましとして人の匂いを消してはいるが、桐斗たちを見ていた彼がそれを知らないはずがない。


「君もいつか、私たちと同じになるのだからね。それにいまも、然程変わらないんじゃないかな。君は私たちを認識して、その上で共にあるのだし」


 言いたいことが全部顔に出ていた桜を見て、センリは笑う。桜に施された目眩ましを見透かした上で、いつか自分たちの仲間入りをすると確信した様子で。

 桜は手のひらで泳ぐような仕草をする折鶴に目を落とした。まるで、綺麗な泉にでもいるかのように、白い折鶴は羽を広げて楽しそうにしている。


「その子は、千翳白鶴」

「ちかげ、はっかく……ですか……?」

「そう。千年の翳りを祓う、純白の鶴だよ」


 桜に答えると、センリは指笛を短く吹いた。それに応えるようにして、上から一羽の鳥がセンリの指先に舞い降りた。


「この子はそっちの子猫くんの担当」

「僕の鳥は文鳥なんだよね」

「うん。白文鳥のももとせ。百に雲に歳で百雲歳だよ」


 よく見ると、桐斗の鳥は体が丸っこくて小さく、嘴部分が淡くピンク色をしている。千鶴の手のひらにいる鶴は真っ白で、鶴らしい色はなにもついていない。


「君がこちらに染まったら、その子も鶴らしくなっていくよ。お楽しみに」


 考えていることを読み取ったかのように、センリがふわりとした声で補足した。


「さあ、完了したよ。これが今回の交換分だ」

「ありがとー!」


 桐斗がセンリから白い封筒を受け取り懐に入れた、その瞬間。


 ――りん。と、鈴の音がなった。

 同時に、背後の扉が大きな音を立てて蹴り開けられ、桜はビクッと体を跳ねさせた。なにが起きたのかと振り返るより先に、耳元で風が起きる。


「桜ッ!」


 桐斗の声が頭の中で破裂して、体が吹き飛んだ。――否、抱きかかえられた状態で、横に飛んだのだ。体が床に打ち付けられ、頭上で大量にものが崩れる音が響いた。頭を抱え込まれていて、桜にはなにが起きているのか確かめることも出来ない。

 ズシン、と地面が揺れる。揺れが一度、二度と続くのにつれて、それが近付いていることに気付いた。


「おい、狸」


 地を這うような声が降り注ぐ。重圧すら感じる重苦しい声に、桜は無意識のうちに、桐斗をぎゅっと抱き返していた。だが、


「お前、この黒鬼様を呼び出しておいて……」

「っ!」


 苛立ちを露わにした声と共に、力任せに桐斗が引き剥がされた。


「外で待たせたばかりか、斯様な獣と戯れていたのか」


 怒りを孕んだ声は、首根っこを掴んで吊した桐斗とセンリに向けられている。

 いままで桜を庇っていた彼がいなくなったことで、桜は声と暴風の主を見た。闇色の肌に、岩山のような体。絵に描いたような黒鉄の棍棒に、大きな二本の角。ギラギラと輝く紅い瞳は怒りを映して燃えている。

 しかし当のセンリは、桜たちと迎えたときと変わらぬ様子で平然と向き合っている。あの棍棒を振りかぶられたら、部屋ごと吹き飛んでしまいそうなのに。


「入室を許可した覚えはないんだけれどね」


 しかもあろうことか、火に油を注ぐ言葉を心底呆れた口調で零す始末。恐怖と動揺で動けずにいる桜の目の前で、鬼が桐斗を掴んでいる手を振りかぶって横薙ぎに放った。放り出された小さな体は書棚に叩きつけられ、無数の紙束と共に床に落ちた。


「ぬかせ!」

「……っ、ゲホッ……いったぁ……」


 紙束に半ば埋もれながら、鬼を挟んだ向こう側で桐斗が体を起こす。傍に行こうにも鬼の近くを横切らなければならない。桜司たちと共に対峙した影の比ではない圧力に、桜は震える体を庇うので精一杯だった。

 最早部屋の隅に転がる小さなふたりなど目にも映っていない様子で、鬼は床に金棒を叩きつけ、センリを威圧した。


「さあ、答えろ! 飼い狸風情が、この俺様を待たせた理由を!」

「順番だからだよ。抑々、君の対応時刻はまだ先だろうに」

「煩い! 俺様がわざわざ足を運んでやるのに、貴様らの都合まで汲んでやる必要などないわ! 身の程を知れ!」


 鬼の怒りもどこ吹く風で、センリは飄々と答える。だがその声音に僅かながら怒りが滲んでいるような気がして、桜はセンリを怖々見上げた。相変わらず重たい前髪が彼の目を覆い隠しており、その表情は読めない。見えない目の代わりに、荒げられることのない声の代わりに、上空を旋回している鳥たちが騒ぎ始めた。


「それに……君の呼び出し理由は、除籍だよ。掟に反したものは何であれ、街に置いておけなくなる」

「偉そうに! 軟弱な飼い狸如きになにができる! ならば、地に額を擦りつけて謝罪しやすいよう、俺様がその偉そうな台座から叩き落としてやろう!」


 大木を引っこ抜いてきたかのような巨大な金棒が、センリの頭上に振り上げられる。夜のような影が彼の上に差した、そのときだった。


「仕方ない、ここまでだね」


 まるで愚図る子供を宥めるような、どこまでも静かな声でそういうと、部屋の上部に張り巡らされていた無数の紐が、しゅるりとひとりでに鬼を絡め取った。


「な……っ! なんだ、これはっ! この程度……!」


 力任せに引き千切ろうとするも、ぎしりと紐が軋む音がするだけでびくともしない。センリがもがく鬼を見上げながら穏やかな声で「暴れると余計苦しむよ」と告げるが、聞こえていないのか、鬼はいっそう身を捩って大声で吼えた。


「君の罪状は、現世への許可なき干渉、花屋街に於ける数々の暴力行為、部屋の破壊に客人への暴行。これだけ揃えば十分だね。また何百年か、地獄で労働しておいで」

「ふっ……ざけるなあああ!」


 鬼の体を拘束している紐に結びつけられている布の、仟という文字が紅く光る。光が強くなるにつれて鬼の体も紅く光を帯び始め、やがて怨嗟の叫びを残しながら、黒鬼はその場から溶けるように消えていった。


「飼い狸とは心外だね。私と鏡花は同輩だというのに」


 鬼が消えた空間に向けて呟くと、暴れ鬼を拘束していた紐は役目を終えたとばかりに再び部屋の天井付近へと戻っていった。

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