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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
弐ノ幕◆小鳥のうた
20/65

運命の紡ぎ糸

 英玲奈たちが高校を出たとき、外は既に夕陽が沈みかけていた。見上げれば橙と紫、藍や濃紺が空を複雑に染め上げている。

 単独で長距離を飛べない雛子のために、英玲奈たちは家に送り届けるまでは人の子のように歩いて行くことにした。手を握ったまま歩いて暫く、歩道橋を登り切ったとき、前方に小さな人影を認めて足を止めた。

 人影は真っ直ぐ近付いてきて、数メートルの距離を開けたところで止まった。


「英玲奈ちゃん。もう用事は終わった? 一緒に帰ろうよ」

「お断りします」


 間髪入れずに断ったというのに、その人影、松崎莉亜は全く傷ついた様子も動揺した様子も見せずに平然と続ける。


「どうして? わたし、英玲奈ちゃんと仲良くなりたくて色々したんだよ。がんばって調べ物までして、おまじないもたくさんしたのに」


 張り付けたような笑みで言うと、莉亜は懐から一枚の紙切れを取り出した。その紙は人の形をしており、中央に『織辺英玲奈』と書かれている。


「ほら。これとか、作るの大変だったんだから」


 ただ紙を切って名前を書くだけのおまじないのなにが大変なのかと思いよく見れば、中央の文字は血で書かれていた。日暮れの薄暗さと距離で黒く見えた文字は、変色して黒ずんだ血液だったのだ。


「そんなもので、わたしがあなたと友人になると思ったんですか」

「だって、おまじないしたらほんとに嫌いなものがなくなったんだよ。ちゃんとこうかあるんだから。心海ちゃんも芽衣ちゃんも学校に来なくなったし、くさくて汚い男子もいなくなったもん。だから英玲奈ちゃんも、わたしが好きになるはずなの」

「…………」


 英玲奈の目に、莉亜はひどく歪に映っていた。まるで、人型の素体に糸を巻き付けて作った糸巻き人形のように。最早本来の人の肌も顔も髪も殆ど見えず、無数の糸に全身滅茶苦茶に覆われた、辛うじて人の形を残した糸の塊と化していた。

 莉亜の体を覆っている糸の端が、蛇のように蠢いている。本来他者との縁を望む術を行った場合真っ直ぐ糸が対象に伸びるものだが、英玲奈が目の前にいても近付くことが出来ていない。英玲奈が縁を扱う神族であることを差し引いても、莉亜は複数の呪いに頼ったせいで術自体が迷走してしまっているのだ。


「これだけじゃなくて、ほかにもたくさんおまじないしたんだよ。道具を用意するのが大変だったけど、ちゃんとしたおまじないならこうかがあると思ったから」


 莉亜の周囲に、紙の人型や赤い糸、縫い針、千々に破られた紙や黒い羽根などが散乱していく。あれらは恐らく彼女がおまじないに使用した道具たちだろう。執着が過ぎ、他愛ないおまじないだったものたちは呪詛と化した。

 散らばる羽根を見つめながら、柳雨は桐斗と外を見回っていたときに見つけた一羽の鴉を思い出していた。羽根が毟られ、飛ぶことが出来なくなっている個体がいたのだ。誰かの悪戯だとばかり思っていたが、呪いの道具にされていたとは。


(なりふり構わずか……あれはもうヒトじゃねえな)


 あれでは目的の糸だけ断とうにも難しく、彼女自身が英玲奈への執着を捨てることも期待出来そうにない。

 どう対処したものかと思っていると、莉亜の背後にもう一つ、いつの間にやら人影が佇んでいることに気付いて瞠目した。


「お前……」


 それまで黙っていた柳雨が、ハッとして呟く。新たな人影は笑う気配を滲ませて前に進み出ると、莉亜の隣で立ち止まった。英玲奈は雛子を背後に庇い、手を握り直した。雛子は英玲奈に庇われながらも、その人影をじっと見つめている。


「お初にお目にかかりやす。皆様方には嘘屋と呼ばれている半端者にごぜえやす」


 嘘屋と名乗ったその人物は、全身を妙な紋様が刻まれたボロボロの包帯で覆った黒い和装の男に見える。骨灰色の髪は踝まで届くほどに長く、毛先の近くで包帯と同じ赤い紋様入りの布で縛っている。手指の先まで包帯で覆い隠している上に、目元は布の面で隠しているため、口元しか露わになっている箇所がない。


「今回はどうも、小生のお呪いがご迷惑をおかけしたようで。後始末に参った次第」


 真意が読めず、眉を寄せて柳雨が嘘屋を睨む。嘘屋は、柳雨の視線も英玲奈の怪訝な表情も意に介さず、朗々と続ける。


「言い訳ではございやすがね、小生のお呪いはどれもこれも、女子供が遊んだところで無害なものばかりだったんでございやすよ。まあ、よく言いやすでしょう。道具は使う人次第ってね。此方のお嬢さんは、鋏で人を殺す類の使い手だったというわけでして」

「テメェは回りくどいんだよ。言い訳はいいから、さっさと要件を言え」

「へい、では遠慮なく」


 嘘屋は笑みを作ったままで莉亜を一瞥し、それから柳雨に向き直ると手の中に莉亜がお呪いで使ったと思われる道具たちを顕わして見せた。


「おひいさんに執着しておられる此方のお嬢さんとこれらの道具たちを、引き取らせて頂きたく」

「引き取る……?」

「へえ、言葉通りでございやすよ。こうなっちゃあ最早真っ当に人として生きることは難しいでしょう。だからっておひいさんの手を汚すまでもねえ、お友達になりてえならただそう言やあ良かったんですからねえ。自業自得ってもんでさあ」


 英玲奈の脳裏に、千鶴の言葉が蘇る。声をかけたくても勇気が出ない人がいる。ただそれだけなら責められることではないはずだ。けれど莉亜は、英玲奈と友人になれない理由を周りのせいにした。しかもただ気に入らないという理由で、無関係な男子までも排除したのだ。

 お呪いをしたときには死ねばいいとまでは思っていなかっただろうが、死んだことを喜んでしまったなら、それは死を望んだことに等しい。


「……引き取って、どうするっていうんです」

「このお嬢さんは、言っちまえば糸人形でごぜえやすんでねえ。ほどいて縁結びにでも再利用することにしやしょうかね。死体が出ねえんじゃあ親御さんも心配でしょうし、中身はきっちりご家族にお返ししやすよ」


 嘘屋は、その名に反して対話で嘘は言わない。あくまで嘘は、彼にとっての売り物であるためだ。後始末に来たというのも絡みついた糸がほしいというのも、どちらも彼の本心なのだろう。


「ああ、この件に関しちゃあこれ以上おひいさん方に迷惑はかかりやせんよ。お手紙のお嬢さんが願ったこともちゃんと叶うんでご心配なく。ただ、今後一切関わらねえってなるとお約束は出来やせんが」

「そこまで言ってねえよ。言いてぇけどな」

「ええ、ええ、正直なのは良いことでございやす」


 にこにこと、笑う気配が面の奥から漂ってくる。機嫌のいい商人めいた雰囲気が彼の全身に満ちていて、恐らく英玲奈たちが感じたとおり機嫌が良いのだろう。彼は悪態であろうと何であろうと、繕われた耳障りのいい世辞よりも本心を喜ぶ妖なのだから。


「では、此方のお嬢さんは頂いてよろしいんで?」

「中身は家族に返せよ。行方不明が一番面倒くせえんだ」

「そりゃあもう。肉の入れ物は不要でございやすんで、今晩にでも」

「ならいい。失せろ」

「へい、仰せの通りに」


 嘘屋の袖口から包帯の端が伸び、莉亜に巻き付いていく。首と手足を捕えたところで嘘屋が「ああ」と声を上げた。


「嘘も偽りも繕いもなくお話して頂けたお礼をしていやせんでしたねえ」


 朗々と、嘘屋は笑みを崩さぬまま売り向上めいた口調で言う。


「今回の手形、僅かではありやすが、そちらのどなたかにお譲りいたしやしょう」


 彼の言う手形とは、花屋街から配られる人助けポイントのようなものだ。桐斗たちが集めてはゲームやお菓子に換えているそれは、黄昏郵便に届いた願いを叶えたり人間を手助けした際にセンリの目を通して配られる。

 柳雨と英玲奈は顔を見合わせ、英玲奈が小さく首を横に振る。ならばと柳雨は嘘屋に向き直り「子猫ちゃんに」とだけ告げた。


「へい、ではそのように」


 最後にそれだけ言うと、嘘屋は今度こそ莉亜だったものを伴って黄昏色の町へ消えて行った。


「はぁ……」


 止まっていた時間が動き出す。歩道橋の下では車が忙しなく行き交い、いままで全く人通りがなかった歩道橋に、ちらほらと通行人が現れ始める。沈む寸前で留まっていた西日が緩やかに眠りにつき、行き遅れの蝉が焦りの声を上げだした。


「まさかこんな早く会うことになるとはな」


 溜息交じりに、柳雨がぼやく。

 夏以降の異変に嘘屋が関わっているであろうことは、薄々わかっていた。だが、彼が直接異変を手引きしたわけでもなければ、人間に悪意を持って近付いたわけでもない。彼が公開している『よくあるオカルトサイト』に、それを求める人間が近付いただけ。そのサイトに掲載されているネタ自体も、殆どが他でも見られるものばかりだ。

 そのサイトには、但し書きとしてこう添えられている。


 ――――ここに掲載されている情報には、真偽不明のものが含まれています。


 どれが真実でどれが嘘か、嘘の割合は如何ほどであるか、決して明確にしないまま、情報だけを羅列している。投稿用掲示板にも「過剰な嘘認定や、実話であることを強調する書き方は禁じます」と添えてある。論文でもニュースでもないのだ。一次ソースの提示も必要ないお遊びサイトは曖昧なままに情報を扱い、世界にまき散らす。

 彼の行い同様に、それは決して罪ではないから。


「面倒な相手ではありますが、害ではないんですよね」

「だから面倒なんだけどな」


 更にもう一つ溜息を追加して、鳥の群は家に向けて歩き出した。


「そういえば、送るのは家で良かったんですか?」


 歩きながら雛子に訊ねると、雛子は頷いてから、でも……と付け足した。


『こーが、きょうはおうちかえらないって』

「帰らない……お仕事ですか?」

『うん。あのね、ずっとはやくかえらせてもらってたから、そろそろおしごとちゃんとしないとっていってた』

「そうですか……」


 英玲奈は暫く黙り込み、やがて足を止めて雛子の手を引き寄せた。


「それなら、わたしの家に泊まりに来ますか? 送り狼殿には、わたしのほうから連絡しておきますので」

『おとまり? いいの?』

「はい。うちは広いですし、それに……」


 以前、千鶴が泊まりに来たとき、姉の真莉愛がとてもしあわせそうにしていたことを思い出す。千鶴が帰ってからも、暫くのあいだ周囲に花でも咲いていそうなほど機嫌が良く、英玲奈に「夢が叶いました」とにこにこしながら語っていた。


「……わたしも、姉さんのように友人を招いてみたかったんです」

『! うん、おとまり!』


 ぱあっと表情を華やがせて頷く雛子の様子に、英玲奈も硬い表情を僅かに和らげた。が、上から振ってくる視線の気配にすぐ元の無表情に戻ると、視線だけを上げて柳雨をじっとりと睨んだ。


「なんですか」

「いやあ? 紅葉もだいぶ丸くなったなあ、とか思ってないぜ。別に」

「あなたにだけは言われたくありませんね」


 ふいっと目を逸らして英玲奈が言うと、柳雨は苦笑しながらも否定はしなかった。

 進路を変え、英玲奈の家を目指して歩く。南西部の端にある異人館通りには空き家が多く、管理されていない洋館がいくつか並んでいる。英玲奈が暮らしているお屋敷ほど大きなものはないが、それでも一般の中流家庭が旧家の館に手出しできるはずもなく。庭師や使用人を雇って綺麗に保っている大屋敷との対比により、放棄されている洋館は一見すると幽霊屋敷の様相をしていた。

 立派な屋敷の、立派な門を前にして、英玲奈はインターフォンを鳴らした。応対する声に対して端的に名乗ると、数秒ののちに門が微かな金属音を立てて開いた。


「んじゃ、オレ様はここで」

「はい。道中お気を付けて」

「あいよ。またな。ひよこちゃんも」

『いってらっしゃーい』


 満面の笑みで繋いでいないほうの手を振りながら見送る雛子に、柳雨は重ねて一言、またなと返して鬼灯神社の方角へと飛び去っていった。


「わたしたちも帰りましょう。姉さんも帰っているはずですから」

『かえるー』


 手を繋いで、屋敷への道を辿る。白い石畳で舗装された道の途中、頭上を見上げれば薔薇のアーチがかかっていた。小さな蕾がついているのを、雛子がじっと見つめていることに気付いた英玲奈が、少し迷ってから口を開いた。


「秋に花が咲くんです。……よかったら、見に来ますか」

『うんっ』


 うれしそうに頷く雛子の手を引いて、英玲奈はアーチをくぐった。

 誰かと未来の約束をするなど、以前の自分には考えられなかったことだ。柳雨が言うとおり、随分丸くなったと自覚する。そしてそれを、想像以上に悪くないと思っていることも。

 中から玄関扉が開かれ、待機していた使用人が頭を下げる。


「お帰りなさいませ」

「ただいま戻りました」


 恭しく一礼する燕尾服姿の男性は、英玲奈付きの使用人、立花だ。彼は、父の家系に代々仕える一族の青年だが、いまは見習いとして英玲奈の世話をしている。


「今日は雛子さんのお父さんが一晩帰らないそうなので、泊めて頂きたいのですが」

「畏まりました。お部屋はいかが致しましょう」


 英玲奈は視線を立花から雛子へと移し、一言「一緒に寝ますか?」と訊ねた。雛子はうれしそうに頷いて英玲奈に抱きつき、人の耳には聞こえない音で歌っている。


「わたしの部屋に泊めますので、食事だけ追加をお願いします」

「畏まりました。では、お夕食の用意が整いましたらお呼び致します」

「はい。雛子さん、行きましょう。お部屋に案内します」


 静かに頭を下げる立花に見送られ、英玲奈は雛子と共に部屋に入った。小さな身には有り余るほど広く立派な部屋に、一時的とはいえ共に過ごすひとがいる。その喜びを、英玲奈は変わらない表情の奥で噛みしめていた。

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