蠱毒の壷
夏休みが明け、休暇前に比べて日焼けした生徒の割合が増えた教室内。課題の提出や部活動の結果報告で一喜一憂する空気の中、とあるクラスに出来た小グループが、声を潜めてなにやら相談していた。
「でさ、こないだ下見に行ったんだけど、結構雰囲気あったんだよ」
「でもここって人の家じゃないの?」
「ずっと廃墟だし、立ち入り禁止とか書いてなかったから大丈夫じゃね?」
彼らは夏休み中に部活などで出来なかった肝試しをやろうとしているようで、小さな端末を男女四人が窮屈そうに覗き込んでいる。大会を控えた時期に万一怪我をすれば、自分が出られなくなるどころか、部活仲間にも迷惑がかかる。ゆえにそれも落ち着いた休み明け、初めての休日に決行しようということらしい。
時期を見るだけの理性があるなら無謀な遊びをしない選択をすべきではと、まともな忠告をするものは残念ながら彼らの中にはいないようだ。
日時を決め、集合場所を決め、持ち物が決まっていく。
この男女二人ずつのグループは、決して素行が悪いわけではないが、悪乗りしすぎる面がある。部活動中も時折、良し悪しどちらの意味でも目立つことがあった。
「じゃあ、土曜の七時に駅前な」
「はよーっす。なにしてんだ?」
日取りが決定したとき、教室の前扉から登校してくる男子生徒がいた。その生徒は、集まって話していた四人グループに近付くと、ごく自然に輪の中に加わった。
「今度の土曜、肝試しやろうって話してたんだ」
「湊も来る?」
「あー……その日は塾だからパス。サボると母ちゃんこえーし」
少し考えて断った湊という生徒は、内心で行きたそうにしていることがわかりやすく顔に書かれていた。遊びたい盛りの男子といえど母親に叱られることと一時の遊戯とを天秤にかけたとき、集団に流されず安全なほうを選ぶこともあるようだ。
「残念。ま、がんばれや」
「おう」
始業ベルと共に教師が入ってきて、悪巧みは一時中断される。
そして一日を乗り切り、一週間を乗り切って、四人は待ち合わせ場所である鬼灯駅の北口で再会した。
「おっしゃ、全員揃ったな」
「ここから遠いの?」
「そんなでもねーよ。ゆっくり歩いて十分くらい」
「じゃ、行こっか」
誰からということもなく歩き出し、夜道を進む。友人と集まって、普段は出歩かない時間帯の街をただ歩くだけでも高揚してくるようで、目的地が近付くにつれて楽しげにはしゃぎ出した。
件の屋敷は、決して街外れにあるわけではない。抑々、駅から徒歩十分という場所にある上、屋敷までの道中にも民家はいくつも並んでいた。それなのに、いざその屋敷に着いてみると妙な孤立感を覚えるのだ。
周りを見渡しても、広い道を隔てた向こう側に一軒家が建ち並んでいる。まだ深夜にならない時間帯。活動している家庭も多く、時折生活音が漏れ聞こえてくる。それが、却ってどこか余所余所しい。
廃墟となって久しい屋敷は屋根も壁も風化していて、表札は文字がかすれて読めなくなっている。庭は雑草が我が物顔で生い茂っており、門から玄関まで続いているはずの飛び石が、すっかり埋もれていた。
「よーし、こっから撮影開始するぜ」
「ほんとにやるの……?」
「別に、ネットに上げなきゃいいだろ。記念だよ、記念」
最初は渋っていた女子たちも、どこかへ公開しないならと、嫌々ながらも承諾した。デジカメを動画モードで起動し、屋敷へ向けて構える。
「うわあ、雰囲気あるぅ……」
懐中電灯をつけて屋敷を照らしながら、女子生徒の一人が呟いた。もう一人の女子とくっつき合う形で、男子二人に続いて門をくぐる。ほんの一歩、たった壁一枚分の幅に過ぎない廃れた門を越えただけなのに、ぷつりと日常から切り離された心地だった。
元は栄えた一族だったのか、屋敷は本邸の他にも離れと倉と納屋がある。そのうち、倉は鉄扉に厳重な鍵がかけられており、窓も二階ほどの高さに格子窓が一つあるだけで侵入は出来そうになく、四人は早々に諦めた。
これだけ広い屋敷なら、無茶をしなくとも面白そうなものならいくらでもある。
「なあ、なんか武器になりそうなもん持って行こうぜ」
「いいねえ。このぼろい小屋が物置かな」
全く恐怖を感じていない様子で納屋へと歩を進める男子二人に置いて行かれまいと、女子二人も怯えながら必死にあとを追う。女子たちが追いついた頃には、男子は古びたスコップと火かき棒を手にしていた。
「そんなもの、なにに使うの……?」
「家とか壊したら、さすがに怒られるんじゃ……」
「んなことしねーよ」
明るく言いながら、火かき棒を振りかざす。口調こそいつも通りだが、見れば長物を握る手に力がこもっていて、夜の廃屋の雰囲気に飲まれているのがわかる。女子の手前怯えていることを悟られまいと強がっているらしく、二人は努めて平然と振る舞いつつ納屋をあとにした。
次に本邸へ向かうと、カメラを持っていないほうの男子が玄関扉に手をかけた。倉が厳重に施錠されていたのでもしかしたらこちらも開かないのではと思ったが、意外にも玄関の引き戸に鍵はかかっていなかった。本邸には盗まれて困る物もないというのか、それとも先客が壊しでもしたのか。ともあれ、幸いにして武器の出番は来なかった。
「お邪魔しまーす」
カメラを奥へと向けながら、男子が声を張り上げる。当然、返ってくるのは静けさと暗闇のみで、女子二人は顔を見合わせた。
「もしかしたら倉の鍵とか残ってるかもな」
「行ってみようぜ」
扉を開け放ち、男子二人が靴を履いたままずかずかと先行した。女子二人は及び腰になりながらも、ここに二人取り残されるほうが怖いと思ったのか、足音を頼りに怖々とあとを追った。
ギシギシと軋む床を踏みしめながら、ゆっくりと奥へ進んでいく。男子たちは居間を物色しているらしく、開かれた襖の向こうから声がした。手が震えるせいで懐中電灯が揺れるその動きにさえ怯えながら、居間を覗き込む。そこでは家を訪ねるテレビ番組の真似をしてリポーターごっこをする二人がいた。
女子たちが合流したことに気付いた二人が手を振るが、早く帰りたい女子二人は中に入ることなく廊下で首を振った。
「そんなビビることねーじゃん」
「さっきから暗いだけでなんも出ねーしな」
外から屋敷を見上げていたときは、その佇まいに僅かなりとも怯えていた男子だが、ここへ来るきっかけとなったネットで見た肝試しの体験談や創作話に聞くような派手な心霊現象があるわけでもないため、最早探検感覚になっていた。
「なんか面白そうなもんねーかなぁ」
「……子供部屋になら、あるよ……?」
辺りを見回しながらカメラを構えた男子が言うと、女子の片割れが廊下の奥をじっと見つめながらぼそりと呟いた。それに驚いたのはもう片方の女子で、ほんの数分前まで自分と一緒に怯えていたのに、更に奥を目指すことを薦めるかのような物言いをした。しかし、異常だと言い切れるほどの変化でもなく、声がおかしいといった異変もない。それになにより、彼女と離れたら一人になるか、どんどん奥へ進む男子と共にいくかの二択になる。
懐中電灯を握り締め、腕に縋り付いている様子がおかしい友人をそのままに、少女も仕方なく奥へ進んだ。
廊下を進むと、浴室や台所など水回りがある通路が見え、軽く覗いてみたものの鏡が経年劣化で曇っている以外は、これといってなにもなかった。血が出る水道も、死体が浮いているバスタブも、鏡に映る謎の影も、なにもない。
「やっぱ現実なんてこんなもんだよなー」
「しゃーねぇ、本命行こうぜ」
安堵と落胆を胸に、今度こそ子供部屋を探して進む。
廊下の突き当たりにある小さな扉は、物置だった。既に武器を所持している二人にはこれといって魅力ある場所ではなかったようで、数秒で閉じられた。その一つ手前の、桃の花が描かれた襖を開いた瞬間、先ほどまで賑やかに雑談していた男子二人が室内を凝視したまま固まった。
「え……な、なに……? なにがあったの……?」
震える声で少女が訊ねると、カメラを持っていないほうが中を無言で指差した。
悪戯で驚かそうとしているだけだと心の片隅で言い聞かせながら、少女も中を覗く。
「ヒッ……!」
思わず後退りかけた足を、片割れの少女が止めた。止めたというより、ずっと片腕にしがみついていたため、相手が身動きしなかったせいで動けなかったのだ。もう一人の少女は俯き加減に左腕にしがみついており、顔色が窺えない。
恐る恐る、部屋へと視線を戻す。見間違いであってほしいと願いながら。しかし中は数秒前と変わらず、異様なままだった。
「なに、これ……なんで……やだ……っ……」
子供部屋と思しき部屋は、畳敷きの床一面に日本人形が置かれていた。しかも、その全てが入口を向くようにしてびっしりと並べられている。襖を開けた瞬間無数の視線に晒された少年たちは、思わず息を飲み硬直してしまったのだ。
「ね……ねえ、もう、帰ろう……?」
「お、おう、そうだな。こんだけ撮れれば十分だろ」
震える声に促され、カメラを持った男子が頷いて踵を返すと、もう一人の男子が一歩室内に踏み込んだ。驚いて振り返ると、その男子は人形を蹴散らしていた。
「つーか、これ前に来たヤツの悪戯じゃね? こんなんビビらせる目的で置いたとしか思えねーよ。ムカつく」
果ては手にしたスコップで辺りを散らかし始め、弾かれた人形が壁に当たって転げ、首が取れたり髪や着物が滅茶苦茶になったところで漸く手を止めた。
「ケッ、ざまあ!」
仕上げとばかりに、足元に転がってきた人形を奥へ蹴り飛ばすと、スコップを担いで振り向いた。が、そこには誰もいなかった。
「は? アイツらなに勝手にいなくなって……」
苛立ちながらも廊下に出ると、居間で子供部屋に行くことを提案した少女だけが一人佇んでいた。棒立ち状態で深く俯き、じっと暗がりの中に立っている。
「んだよ、お前アイツらになんか……」
脅かしてこいとでも言われたのかと、言いかけた口が固まった。少女が少年をキツく抱きしめてきたのだ。その力は女子のものとは思えないほど強く、少年は手にしていたスコップをその場に取り落とした。
「な、なんだよ、置いて行かれたんなら追いかければ……」
「離れに行ったの」
「は……?」
怯えているにしては不自然な、ひどく温度のない声音で少女が言う。普段なら様子がおかしいことに気付いたかも知れないが、悪戯だと思っている人形の件に加えて一緒に来たメンバーのうち二人も自分たちを嵌めようとしていることに苛立っているせいで、少女の異変に気付けなかった。
――――いや、雰囲気が少しおかしいことはわかっていたが、これも悪戯の一環だと思い込んでいたのだ。
「私たちも行きましょう」
「はぁ? いや、離れってどこだよ?」
少年が苛々しながら言うと、少女は「こっち」と言って少年の手を取り、暗い廊下を歩き出した。その足取りに迷いはなく、まるで見知った場所を歩いているようだ。
そこで異常だと気付けばよかったのだが、一度見に行って連れてくるよう言われたと思った少年は、この異様さも含めて彼らの悪戯だと判断してしまった。
一度玄関から外に出ると本邸の裏へと回り、大屋敷の陰に潜むようにして建っている小屋の前に立った。辺りは静まり返っており、人の声も物音もしない。
「ほんとにこん中にいんのかよ」
「いるよ」
半信半疑ながらも、入口扉の前にある段差に足をかける。木製の引き戸に手をかけたとき、服の裾を軽く引かれた。不機嫌そうな眼差しを隠しもせずに睨む少年に、少女はいつの間に拾ったのか、屋敷の中に取り落としてきたスコップを差し出した。
「これ」
黙ってひったくると、今度こそ引き戸を開ける。中は暗く、雲がかかっているせいで月明りすら入ってこない。扉が開いたのに何の反応もないことを訝りながら、一歩。
その瞬間、背後でバタンと音を立てて木戸が閉まった。ビクッと体が跳ね、反射的に背後を振り返る。見間違いでも気のせいでもなく、扉は閉じられている。
「っ!? おい! どういうつもりだよ!!」
殴りつける勢いで扉を叩きながら叫ぶ。すると背後から、床が軋む音がした。思わず反転して室内を振り返ると、暗闇の中に二つ人影らしきものがあるのが見えた。じっと注視していると、雲が晴れて僅かに人影の輪郭が浮かび上がった。
それは、いなくなっていた二人だった。先ほど様子がおかしかった少女同様、俯いた格好で少年の前に佇んでいる。
「出られるのは一人だけ」
暗闇の奥から、静かな声がした。
言葉の意味を理解するより先に、目の前の二つの人影が、少年に向けて細長いものを振り上げ、そして、振り下ろした。