願いの果てに
千鶴が部室の扉を開けると、既に先輩たちが揃っていた。それから、英玲奈と雛子も部室にいて、桐斗の隣に並んで腰掛けている。
「千鶴」
呼ばれるまま、桜司の元へ向かう。手を引かれていつも通り膝の上に収まると、机の上には勝負がついたあとの花札が並んでいた。言うまでもなく桜司の完敗で、場の札に高得点のものは殆ど残っていない状態で終わっている。
「今日はお手紙来るかなー」
遊び終えた花札を片付けながら、桐斗が呟く。札が月ごと、得点順に並んでいくのを眺めながら、千鶴は「たぶん、来ますよ」と答えた。
「一年でなんかあった?」
「隣のクラスの人なんですけど……通りかかったときに、黄昏郵便の話をしているのが聞こえたので」
「あー、噂が生えたなら来るねー」
綺麗に纏められた花札は箱にしまわれ、その箱は桐斗の背後にあるおもちゃ箱に似たカラーボックスへと収納された。箱の中にはアナログゲームがたくさん詰まっていて、千鶴は詳しく見たことがないので詳細は不明だが、現在ではプレミアがついている古いおもちゃも眠っているらしい。
「ちーづるっ」
何となく箱のほうを見ていると、それに気付いた桐斗が千鶴を呼んだ。
「今度は千鶴も一緒に遊ぼ」
「はい、ぜひ」
桐斗に答えると、千鶴を抱く腕に力がこもった。肩口に顔を半分埋めながら、桜司が桐斗をじっと見つめている。それに反応したのは、桜司の反応も織り込み済みで千鶴を誘った桐斗ではなく英玲奈だった。
「千鶴姉さんも苦労しますね」
「あはは、もう慣れたかな」
桜司の手に自分の手を添えて笑いながら、英玲奈に答える。どちらが甘えているのかわからない構図も最早日常となった。千鶴は桜司の頭をそっと撫でながら頬を寄せた。
「お手紙ヲお届けニ参りマシタ」
「はいはーい」
そこへ部室の外から声がかかり、桐斗が応対に出る。立体的な影のような配達人が、帽子を掲げて「お手紙デス」といい、真っ白な封筒を差し出した。
「いつもありがとねー」
「お仕事デスから。では、失礼致しマス」
最後にもう一度帽子を掲げて一礼すると、鳥の羽音に似た乾いた音を残して、夕闇に消えて行った。
受け取った手紙をひっくり返して差出人を確かめると、女子生徒のものと思しき名が書かれていた。桐斗には覚えがないため、名前が上に向くようにして机に置く。
「ねー、誰かこの名前、知ってる?」
千鶴と英玲奈が覗き込み、それまでソファの肘置きに腰掛けて携帯ゲーム機で遊んでいた柳雨も寄ってきて名前を覗く。封筒には、久木小春と書かれていた。
「久木小春……」
名前に反応したのは英玲奈で、部室内の視線が彼女に集まる。
「英玲奈ちゃん、知ってるの?」
「ええ。わたしのクラスにいる久木芽衣という子の姉です。妹のほうは松崎莉亜という子ともう一人、菅本心海と三人で纏まっているのを良く見かけました」
英玲奈の表情が、渋いものに変わる。
以前部室に来たとき、英玲奈が言った縁の糸の異変。その最中にいるのが久木芽衣と菅本心海だという。心海は帰宅途中で歩道橋から落下し、現在は入院中。そして芽衣は今朝、自宅で怪我を負い、同じく入院中だと聞いた。
仮にも友人としていた二人が重傷で入院しているというのに、今日も莉亜は英玲奈に「一緒に帰ろう」と、何事も起きていないかのように笑顔で話しかけてきた。
「松崎莉亜は、それと知らずに感情を捨てました。代わりになにを得ようとしたのか、わたしにはわからないのですが」
「そっか。取り敢えず、お願い事を見てみようよ」
「そうですね」
桐斗が封を開け、中の便箋を取り出すと、机の上に広げた。願い事自体はシンプルなものだが、よく見ると二つ書かれているようにも読み取れる。
『妹の芽衣を助けてください。なにが起こっているのかわからないけど、妹のクラスで起きている妙なことが、無事収まりますように』
妹を助けることと、小学校で起きている異変の収束。ただ、この異変が収まれば妹も助かることになるので、優先順位は異変の収束になりそうだ。
「妹さん……じゃあ、さっきの人が小春さんなんだ……」
千鶴が便箋を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「どうかしたの?」
「さっき部室に来る前、うっかりしててぶつかっちゃったんです」
桐斗に答えながら、合流前のことを思い返す。あのとき自分はなにを口走ったのか。必死になりすぎて殆ど記憶が残っていないが、意識のどこかで妹に関してなにか告げた気がする。そしてあのどこか遠くで自分の意志と関係なく言葉を放つ感覚は、以前にも体験した覚えがあった。
「それで……菖蒲ちゃんに体を貸したときみたいな感じになって、妹さんは大丈夫って言ったんです。わたしは久木さんのこと、全然知らなかったのに」
己の身になにが起きているのかわからず不安そうにしている千鶴を見、英玲奈は少し考えてから縁の糸を辿った。意識を半ば乗っ取った上で体を借りて言葉を届けることが出来るということは、ある程度千鶴に近しい存在のはず。千鶴は既に桜司と取り引きをしている身。その辺の浮遊霊などには手出しどころか近付くことも出来ないのだから。
そうして辿った糸は、千鶴もよく知る存在へと結びついていた。
「……千鶴姉さん。その声の主は、千代という雛神のようです」
「えっ、千代ちゃんが?」
千代とは、千鶴を幼少期から見守って来ている、祖父母が生前に護っていた社の神の名だ。幼子の姿で千鶴の前に現れ、開発によって社を失った代わりに、手作りの人形の依り代を得て、いまは千鶴の部屋にある大正風のドールハウスで暮らしている。
「はい。彼女もまた、姉として千鶴姉さんを見守っている立場です。同じく妹を案じている彼女に少しでも安心してほしかったのでしょう。ぶつかった際に意識が逸れたのを利用したので、千鶴姉さんに負担はないはずです」
「そっか……ありがとう」
正体不明の誰かではなく千代がその優しさゆえにしたことだとわかり、千鶴の表情に安堵が滲む。安心したところで、問題はなに一つ動いていないことを思い出し、千鶴は小さく唸りながら思案に耽った。
「うぅん……その莉亜ちゃんっていう子が、なにをお願いしたのかがわかれば、少しは動きようがあるんですよね……?」
「そうですね。動機が判明しないことには、断ち切ることも出来ないので」
そうは言っても、この手の呪いは本人から聞き出すことは難しい。英玲奈の目には、莉亜の体には柄の悪い借金取りに張り紙を貼り付けられたアパートの如く、取り立ての糸が絡みついているのが見えているためだ。ああなってしまった対象は、何としてでも願いを叶えるために黙秘を選ぶ。
願い事を人に話すと叶わなくなるというのは、迷信ではない。言葉にすればそこから零れてほどけ、散り散りに消えてしまう。自ら動いて目標を達成するための決意表明と違うのはそこだ。
「何とかして、お願い事をしたときのことがわかればいいんだけど……」
「あっ!」
千鶴の呟きに半ばかぶせるようにして、桐斗が叫んだ。ビクリと肩を竦ませて千鶴が桐斗を見ると、桐斗は「ごめんごめん」と言って千鶴の胸元を見た。
「過去が見たいなら、鏡のおねーさんに訊いたらいいんじゃない?」
「あっ……」
千鶴の胸ポケットには、雲外鏡からもらった手鏡が入っている。いざというときには扉にも通信機の役割にもなるそれで彼女に尋ねれば、なにか得られるかも知れない。
早速手鏡を取り出すと、千鶴がなにかをするまでもなく鏡から声がした。
『ハァイ、お久しぶり。なにかあったのかしら?』
「実は……」
千鶴は、百鬼夜行部に届いた手紙の内容と送り主、それから最近小学校で起きている死亡事件や転落事故についてを簡潔に話した。そして、全ての始まりは松崎莉亜という児童にあるということも伝えた。
『その事件はこっちでも把握しているわ。じゃあ、ちょっとその子のお部屋にアクセスしてみるから、待っててね』
「はい。お願いします」
一旦通信が切れ、手鏡に映っていた牡丹が消えた。不思議な鏡は、相変わらず周囲の景色だけを映していて、千鶴や桜司がそこにいないかのように見える。
暫くして、鏡から『お待たせ』の声が聞こえ、また皆で覗き込んだ。
『お呪いをしたときの様子が子供用ドレッサーに綺麗に映ってたから、それに流すわ』
「わかりました」
一瞬ノイズが走り、鏡面に映る画が変わる。
夜の子供部屋。松崎莉亜は、小皿を前に深刻そうな顔で俯いている。
『心海ちゃんたちのおまじないより強くないと負けちゃう』
室内を歩き回り、名札を手に戻ってくると、深呼吸をしてから指に針を突き刺した。食紅で染まった色水に、鮮血を混ぜてまた小さく呟く。判然としないその声は夜の闇に消え、それからまた部屋の隅に消えたかと思うと、大きな紙を持って現れた。紙面にはびっしりと文字が書かれており、莉亜は紙を窓辺に置くとその上に小皿を置いた。
『これで、嫌いなものが全部なくなるといいな……心海ちゃんたちさえいなくなれば、わたしだって英玲奈ちゃんと仲良く出来るもん』
そう零して布団に潜り込んだところで、映像は終わった。
「……わたしと……?」
『そのようね』
千鶴たちと共に映像を見ていた英玲奈が、信じられないといった様子で呟いた。鏡の向こうから、牡丹が嘆息気味に答える。
『ついでに他の子たちの様子も見てみたんだけどね……そっちは雛子ちゃんがどこかにいなくなってくれることを願っていたわ』
「あの糸は、やっぱり彼女たちだったんですね」
唐突に降って湧いた悪意の糸を断ち切ったことを思い出し、英玲奈が納得したように零す。おまじないのつもりでしたことだが、結果的に呪詛返しとなり、二人には悪意が余分に降りかかるようになってしまっていたのだ。
英玲奈が返した分だけなら、彼女らが雛子に願った通り、単に遠くへ引っ越すだけで済んだはずなのだが、そこに莉亜の願いが重なってしまった。
『たぶんだけれど、その三人は英玲奈ちゃん、アナタと仲良くなるためだけにお呪いをしたのね。そして莉亜って子は、雛子ちゃんじゃなく他の二人が邪魔だと思っていた。嘘屋のお呪いを使ったようだけれど、彼は直接関わってはいないわね。売られたものがないもの』
英玲奈は心底理解出来ないと言いたげな表情で、深く溜息を吐いた。隣の雛子が顔を覗き込み、心配そうな眼差しで英玲奈を見つめる。
「大丈夫です。少し呆れただけなので」
『それじゃ、アタシはこの辺で。またね』
通信が切れ、鏡が元に戻る。手鏡をポケットにしまいながら、千鶴は今し方英玲奈が零した言葉を反芻していた。
「わたしは……少し、気持ちがわかるかな……」
思わず零した千鶴の言葉に、英玲奈が僅かに瞠目した。
「わたしも、初日に先生が真莉愛ちゃんに案内とかお願いって言ってくれなかったら、きっと自分から話しかけることなんて出来なかった」
「それは……千鶴姉さんは、事情があるからで……」
「確かにそう。だけど、事情なんて人それぞれだよ。単に勇気が出ないっていうのも、その人にとってはどうしようもない事情だと思うの。わたしはきっと、この魂を持って生まれてこなかったら、独りでどうしようもなく寂しいまま生きていたと思うし」
この場にいる誰一人として、只人である千鶴に興味を示さなかっただろう。現にこの学校に通う千鶴以外の人間には、一貫して無関心を貫いているのだから。
「千鶴姉さんの言い分はわかりました。でも、なぜわたしなんでしょう……」
「うーん……さすがにここからはほんとに全部わたしの想像なんだけど、英玲奈ちゃん可愛いし家柄もいいから、高嶺の花みたいに思われてるんじゃないかな」
「そんなことで、ですか……?」
千鶴は苦笑して頷き、周りの顔ぶれを見回した。四方八方どこを見ても見目が良く、ただそこにいるだけで眩しい容貌の集まりだ。
いまとなっては、千鶴もこの場にいるだけで恐縮することはなくなったものの、ふと我に返ると真莉愛や英玲奈を含めた、周囲の麗しさを自覚するのだ。
「おーじとか伊月にやたらと告白してくる連中も、動機は同じだよね。顔がいいひとと付き合ってると、自分の格も上がる気がするみたいなさ」
桐斗がそう言うと、千鶴の背後で不機嫌になる気配がした。千鶴が桜司の手を優しく握って宥め、雛子も英玲奈を案じて机の下で小さな手を繋ぎあった。
「それなら……そうですね。やるべきことがわかりました。今回は浄化するべきものもいませんし、変異してしまった糸をどうにかすれば終わりそうです」
そう言って立ち上がり、英玲奈は皆に向けて一礼する。
「今夜にでも片付けます。念のため雛子さんを送り届けてから帰るので……」
「なら、オレ様が紅葉を送って行くぜ」
ここで失礼します。と英玲奈が言うより早く、柳雨が立ち上がった。
「黒烏先輩が送ってくれるなら安心ですね。英玲奈ちゃんをよろしくお願いします」
「おう、任せとけ。ほれ、帰るぞ」
「え、……はい。それでは、お先に失礼します」
「またね、英玲奈ちゃん」
「はい」
ぺこりと一礼して、英玲奈は雛子と手を繋いで部室をあとにした。その後ろを柳雨がついていき、室内が少しだけ広くなる。
「……お主は、ひとりではないぞ」
「はい」
もしもの話は、黄昏と共に沈めてしまって。
千鶴はいまある縁を抱きしめながら愛おしそうに微笑んだ。




